詐欺師のアラハバキ
第10話 太田毘売稲荷神社の迷子
意外にも文化庁の職員の朝は早い。
今までコンビニとファミレスのアルバイトで割と遅番だった希にはなかなか厳しい出勤時間だ。
いつもなら、この時間に起きて、出かける準備をしている。
お陰で、出勤早々の巡回では半分寝た状態で歩いていた。
逆に満瑠は慣れた様子で道すがら会う人たちに元気よく挨拶をしている。
「天音さんはすごいね。近所の人とはほとんど顔見知りなの?」
希は大きな欠伸をしながら聞いた。
満瑠は振り向きざまに答える。
「全員ではありませんが、この時間に出歩くご近所さんの顔はだいぶ覚えました。大半がおじいちゃんやおばあちゃんの高齢者か、早朝に動き出す業者さんなんですけどね」
満瑠は朝から元気いっぱいだった。
足取りも随分と軽やかだ。
満瑠が元々朝に強いのもあるが、それ以上に一緒に巡回する仲間が出来たことが嬉しかったのだ。
今日も希の身体の周りには大量の御霊が集まってきている。
そして、希がもそもそと動くたびに御霊たちも揺れていた。
それがどこか平穏な日常の象徴のようにも見えた。
すると目の前に困った表情のした年配の女性と幼い女の子が
幼女の方は泣いているように見える。
どうやらこの2人は知り合いというほどでもないようだ。
女性が満瑠を見つけると急いで声をかけて来た。
「満瑠ちゃん、ちょっと来ておくれよ」
満瑠は呼ばれるままに、その女性に近付いて行った。
希も満瑠の後について行く。
「どうしたんですか?」
名前はまだ知らないが、この辺でいつも見かける女性である。
恐らく他の年配の知り合いと話していた時に満瑠と知り合った女性だろう。
向こうは満瑠の名前も存在も知っているようだった。
「この子、迷子みたいなんだよ。まだ、言葉も十分じゃないから名前も言えなくて」
女性はそう言って、幼女の背中をそっと押してやった。
年齢は恐らく3歳ぐらいだろう。
髪は肩までまっすぐ伸ばして、前髪をおでこが見えるように横に流してピンでとめていた。
親がいなくて不安なのか、まともに喋れる状態ではなかった。
満瑠は慣れた様子で、彼女の身の回りのものをチェックした。
時々、名前や住所を書いたものを身に着けている子もいる。
むしろ最近ではそれが危ないと避ける親も増えたが、1人で出歩くことの多い子にはたまに身分のわかるものを身につけておくケースもあるのだ。
しかし、この子にはそのようなものはなかった。
「やっぱり、交番に連れて行くしかないのかね?」
女性は困った様子で話す。
交番と言ってもここからかなり距離があった。
そこまで、この子が歩けるかもわからないし、もしこの辺の子なら近くで親が探している可能性もあった。
「ねぇ、お姉ちゃんにお名前言える?」
満瑠はしゃがみ込んで泣いているその子に聞いてみた。
しかし、泣きながら話そうとしているので何を言っているのかわからなかった。
女性は小さくため息をついていた。
満瑠は立ち上がって、女性に告げる。
「あの、この子の事はこちらでお預かりいたしますから、戻ってもらって大丈夫ですよ」
満瑠がそう言うと女性は安心して、「よろしくね」と満瑠に少女を託し、急いで道の向こうへ戻って行った。
それを見た希が少し不機嫌そうな顔をする。
「なんだよ。さっきのおばちゃん、厄介事はこっちに押し付けて、あっさり帰ったよ」
こういう時はやはり東京人は冷たいと地方出身者の希は思った。
しかし、満瑠は顔を横に振る。
「そうじゃありません。あの方は、商売をしている方で、たぶんもうそろそろ開店の時間だったんだと思います。大きめのエプロンもしていましたし、会った時からそわそわしていましたから、焦っていたんだと思います」
満瑠は本当によく人を見ている。
御霊が見えることも1つだと思うが、この街の変化に人一倍敏感のように見えた。
この街にあまり興味のない希にはまねできないような観察眼だった。
そして、もう一度満瑠は幼女の前でしゃがみ込んだ。
幼女は相変わらず泣いている。
そして、満瑠はいつものように幼女に付いた御霊を見つけるのだ。
「彼女、たぶんお菓子屋さんの娘さんじゃないでしょうか?」
満瑠はそう言って立ち上がった。
なぜ、お菓子屋だとわかったのか、希には予想もつかない。
「彼女には
「それと」と言って、満瑠は幼女の着ていた服にそっと鼻を当てて嗅ぎ始めた。
突然の行為に希はぎょっとする。
「微かに甘い匂いがします。これは焼き菓子の匂い。たぶん、この辺のケーキ屋さんか洋菓子屋さんではないでしょうか。スカートの端にも少しですが、小麦粉のような粉が付いているんですよ」
満瑠はそう言って幼女のスカートの端を指さした。
確かに幼女のスカートの端に白い粉のようなものが付いていた。
「ママ、パパ、はやいの。みゆ、おてつだいきたの」
泣きながらだが、幼女は満瑠に何か伝えようとしていた。
おそらく『みゆ』というのが彼女の名前だろう。
そして、この太田毘売稲荷神社の前にいたことにも意味がありそうだ。
「稲荷神社はもともと稲作・農業の神様とされていて、この千代田区にも多くの稲荷神社が存在します。そして、今では稲作・農業だけでなく、商売繁盛の神様として崇められることも多くなりました。そして、この太田毘売稲荷神社は室町時代の武将、
なるほどと希は1人感心していた。
確かに東京の街の隅にお稲荷さんがたくさんあることは希も知っていた。
しかし、一つ一つの神社に注目はしたことはない。
「おそらくここからそう遠くないお店でしょうね。少し、裏道を通りながら探してみましょう」
満瑠はそう言って幼女の手を握った。
そして、幼女に優しく話しかけ、いつもとは少し違う個店がありそうな小路を歩いた。
「しかし、お稲荷さんと言ったらきつねだよね。キツネが商売繁盛ってあんまり想像できないんだけど」
希は満瑠について行きながら尋ねる。
すると、満瑠はくすりと小さく笑った。
「お稲荷様はキツネではありませんよ」
「え、でも、いつもキツネが飾ってあるじゃない」
「確かに、お稲荷様と言えば狐ですが、彼らは神様の
確かにと希は1人納得していた。
日本人であるのに日本の神様の事なんてほとんど知らなかった。
「お稲荷様とは正確には
さすが、宗務課の国家公務員と満瑠に感心していた希たちの前に、何か探し物をしている若い女性が見えた。
すると、満瑠と手をつないでいた幼女がその女性に駆け寄る。
「ママ!」
「みゆちゃん!!」
ママと呼ばれたその女性は慌てて、幼女を抱きしめた。
よほど心配していたのだろう。
しばらくの間、満瑠たちには気づかなかったようだ。
「ドンピシャ!」
希はそう言って、女性の前にあったケーキ屋を指さした。
またしても満瑠の予想が的中したようだ。
「良かったです」
満瑠は安心した顔で笑った。
幼女の母親も満瑠たちに気が付いたのか、急いで近づいて来て何度もお礼を言って来た。
どうやら、あの神社は幼女と父親が散歩コースによく行く神社らしい。
今日は両親たちが忙しそうだったので、1人でお参りに行こうとして、帰れなくなったようだった。
とにかく、幼女が家に戻ることが出来て、満瑠も希も安堵した。
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