第9話 滅びゆく御霊

少女が飛び出した後、後ろから満瑠が追いかけていくのを見た。

同時に警察も出入口付近まで追いかけたが、すぐに立ち止まって無線で他の警察官に連絡を入れているようだった。

婦人は娘が逃げ出したことで気まずくなっていたが、ひとまずその1万円札でことを済ませたつもりでいたようだ。

近くの秘書に声をかけて、彼女は店を出て行こうとしていた。

それを見た希が宇佐美の前に落ちていた1万円札を拾い、彼女の真横に立つとそのお金を婦人に突き返す。


「人を馬鹿にするのも対外にしろよ! 金を払えばいいって話じゃない」

「じゃあ、何? 小売業は商品を並べて、それを売る商売でしょ? だから私があんたのところの商品を買ってやった。それで何がいけないのよ」


婦人には希の怒っている理由が本気でわからなかった。

人間など、それなりのお金を渡しておけば大半が納得するからだ。

くだらないプライドで目の前の利益を失うことなど馬鹿げていると思っていた。


「あたしたちはただ商品を売っているわけじゃない。必要なものを必要な人に届けるために商売やってんだ。あんたのこの払った金で買ったものが何なのかわかってんのかよ!?」


希にそう言われて婦人はすぐには答えられなかった。

この1万円で買ったもの。

それは、娘のごたごたをなかったことにする示談金のようなものだ。

彼女はそれを受け取らないと言うのだ。

これは交渉決裂と言ったところだろう。

わかりましたと言って婦人はその1万円札を受け取って秘書に渡した。


「ならば娘を警察にでも、少年院にでも連れて行きなさい。私はそれで構わないわ」


その言葉に周りにいた他の大人たちも黙ってしまった。

親がそんなことを言うとは思わなかったからだ。

これではあまりに少女が浮かばれない。


「あんたはそうやって、自分で対処しきれないものは簡単に放り投げるのか? 面倒なことは金で解決しようとして、手に負えないものは他人に押し付けて、あんたは結局自分で何も決められないし、何もできない」


希の言葉を聞いて、婦人は勢いよく振り向いた。

その顔は怒りに満ちていた。


「あんたみたいなフリーター風情が偉そうに言うんじゃないわよ! この国の経済は誰が回していると思っているの? あんたみたいなお荷物がいるから、この国は借金まみれなのよ!!」


その目は見下し、軽蔑したような眼差しだった。

婦人は希のような自由気ままで自分の事しか考えてない、定職にもついていないフリーターが嫌いだった。

彼女たちのような人間の為に、婦人のような経営人が負担するのはおかしいと思っていたのだ。


「この国の借金はこの国の責任だ。本来、人間はその日、必要な食いぶちを稼ぐために働く。だから、どんな形で生計を立てようがそいつの責任だ。誰かが決めた常識を押し付けて、善悪を決めつけられるのは不愉快だ」


希は狼狽えず、まっすぐ婦人の顔を見て答えた。

希だって好きで定職についていないわけでも、その日暮らしをしているわけでもない。

けれど、婦人のように大きな仕事をしているから偉いと言う考えも違うと思った。

婦人のような人も宇佐美のような人も、そして希のような人もいて世界の経済は成り立っている。


「問題の全てを他人に押し付けたところで、何も解決しない。それはあんたの仕事であり、あんたの娘の行動でもある。どうして、たった1人の自分の娘の事を見てやれない人間が、何人もの社員を抱える会社を支えることができるんだ。それぐらいのことはフリーターのあたしでもわかる事だ」


希は会社を持ったこともなければ、母親になったこともない。

責任はいつも自分の事だけだ。

けど、その責任すら重いと感じることも多い。

だから、この婦人の抱えているものは希が想像する以上に重く、苦しいものなのだろう。

しかし、それを理由に目の前の娘を見捨てるのは違う気がした。

あの少女が心から望んで万引きを繰り返しているとは思えないからだ。

苦しそうであり、まるで使命のように繰り返していた。

それを知ってしまった以上、希はほっとけなかった。

そして、それを解決できるのも、少女を止めた希でも、盗んだ商品の持ち主の宇佐美でも、法律を遵守して現れた警察でもない。

目の前の母親だけなのだ。


するとそこに、少女が鞄を抱えたまま帰って来た。

後ろには少女を支えるように満瑠が立っている。

満瑠は希と目を合わせて笑った。

彼女はもう大丈夫と言っているように見えた。

希も少しだけほっとする。


少女は満瑠から離れて、宇佐美の前に立った。

そして、深々と頭を下げた。


「商品を盗んでごめんなさい」


宇佐美は突然のことでたじろいでいた。

しかし、意外にも盗んだ本人からその言葉は出てこないものだ。

今後このようなことはしないでくださいと宇佐美もそれなりのことを少女に話した。

そして、少女は警察の前に立った。


「すいません。私が、商品を盗みました」


警察官もここまでの大事になってどう対処すべきか悩んだが、ひとまず警察署に連れて行って話をしますと宇佐美と母親に説明した。

彼女は彼女自身で自分のしたことに責任を取ろうとしているのだ。

未成年の責任が法律上、保護者にあったとしても形として少女は責任を取りたかった。


「麗奈!」


婦人が娘の名前を呼ぶ。

娘をまっすぐと見つめたのは久々な気がした。

婦人が思っていた以上に彼女は成長し、大人びていた。


「お母さん、ごめんなさい。仕事で大変な時期ってわかっていたけど、私、こんなことしか出来なかった。でも、大丈夫。これからは、自分の事は自分でできるようにするから」


彼女はそう言ってそのまま警察に連れていかれた。

警察官も近くにいた秘書に母親と一緒に後で警察署に来てくださいと伝えていた。

婦人は何もできなかった。

ただ、警察車両に乗せられていく娘を目で追っていた。

母親としてこんな情けない光景はあるだろうか。

仕事のことが忙しくて、娘の事はいつも見て見ぬふりをしていた。

学校や塾に面倒を見させておけば、それで親の責任は果たせていると思っていたのだ。

少女は警察と共に目の前を去って行く。

婦人の張りつめていた空気が途切れ、がくっと足の力が抜け、床に膝を付けた。

秘書が慌てて、婦人を支えに行く。

そんな彼女に満瑠は近づいて声をかけた。


「諦めないでください」


彼女の一言で、崩れそうなその表情を満瑠に向けた。


「まだ、何も終わっていません。会社の事も、娘さんの事も。これはきっとあなたにしか出来ないことだと思うので、最後までやりきってください」


そう、婦人の御霊はまだ完全に消えたわけじゃない。

少しずつほころんではいるが、全ての御霊が力を失っているわけではないのだ。

あんなに穢れていた少女の御霊も少しずつだが、元の力を取り戻そうとしている。

だからきっと、この婦人の御霊も全てではなくても、一部はまた復活できる。

まだ何も終わってないのだ。

諦めるのは早いと思った。

そもそも、この婦人の神大市比売も最初は極少数だったはずだ。

会社が大きくなり、財産を持つようになってより集まってきたのだろう。

なら、御霊が完全に消滅するまでは、規模は小さくなっても恩恵は受けられる。

そのためにも婦人には娘という支えが必要だった。

娘と二人三脚できっとまたやり直すことが出来る。

満瑠には確信のようなものがあった。

それにと満瑠は希の方を見つめた。

希に集まる様々な御霊が共鳴し、輝くたびに周りにいる御霊にも影響していた。

きっと、希の中にいる御霊の力で失いかけている御霊たちの力も少しずつだが取り戻そうとしているように見えた。

やはり、彼女の周りは神聖な場所なのだ。


警察も婦人たちも帰った後、宇佐美の店長は力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。

ずっと緊張しっぱなしだったのだ。

その原因の一部が自分にあると思うと、希は少し申し訳なく思う。


「いや、でも良かった。無事にことを終えて」


宇佐美は小さく息を吐いて呟いた。

これからまた警察に呼び出されたり、書類を書かされたりすることはあるだろうが、きっともうあの少女が万引きを繰り返すことはないだろう。


「しかし、百鬼君が商売についてそこまで思いれがあったとは思わなかったよ」


宇佐美の一言で、希はどきっとする。

婦人に偉そうなことを言っていたが、ここは宇佐美の店で自分は一介のアルバイト。

偉そうなことは何も言えないのだ。


「あれはですね、なんというか、売り言葉に買い言葉といいますか……」

「いや、いいんだ。僕も少し目が覚めた気がするよ。最近では僕もただ、商品が売れて、経営が出来ればそれでいいと思っていた。ここに来るお客様が何を求めて、何を買いに来ているなんてこと真剣に向き合ってはいなかったよ。だから、こうして契約満了したら、全てが終わると思っていた。けど、終わらないんだね。ここを求める人がいる以上、店は続くんだ」


宇佐美は契約満了したら、この業界から離れるつもりだった。

ひとまず、働かず余生をゆっくり生きるつもりだったのだろう。

しかし、希の言葉でもう少し頑張ってみようかと考えを改めたようだった。


満瑠はそれを見て、希の横で笑った。

宇佐美の付いている御霊が勢いよく光始めたからだ。


「良かったですね。店長さん、まだがんばれそうですよ」

「よかったのかねぇ」


希は呆れながら、頭を掻いた。

とりあえず、今後あの少女が同じような過ちを繰返さないことを願うばかりだった。

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