第8話 彼女の御霊

鞄を抱えたまま走っていく少女を満瑠は必死で追いかけた。

中学生と言っても彼女はなかなか足が速い。

また、スーツとヒールで追いかけるのは意外と難しい。

彼女は近くに公園を見つけると、その中に入った。

満瑠も見逃さないように、公園の中に入っていく。

そして、息を切らして立っている彼女を見つけた。

同時に満瑠も随分と息を切らしている。

こんなに走ったのは学生の頃以来だ。

満瑠はゆっくり彼女に近づき、声をかけた。

彼女はすぐに気が付いて、満瑠を睨みつける。

そして、追いかけて来た人物が見ず知らずの人物で驚いていた。


「あんた、誰よ?」


少女は警戒しつつも、満瑠に尋ねた。

誰だと質問されると、なんと答えていいか少し困る。

自分の身分を明かしたところで、ここまで追いかけて来た理由にはならないからだ。


「えっと、私、あの店であなたが万引きで捕まっているのを見ていて――」

「何!? 私を捕まえて、また警察に突き出す気? 私、絶対に戻らないから!」


彼女は今にも逃げ出そうと後退った。

満瑠は慌てて引き留める。


「すぐにどうこうするつもりはありません。ただ……」


満瑠はなんと説明していいのかわからない。

彼女についている御霊が穢れ切って、少しずつ原型を崩しているのだ。

これはつまり、彼女についている豊受大神が消えかかろうとしていると言うことだ。

彼女の母親を見た時も気になっていた。

母親についていた御霊、神大市比売も随分穢れていた。

穢れた御霊はそのまま放置をすると、生命エネルギーを失い、滅びる。

要は、彼女たちにはもう神の恩恵を受けることが出来なくなるのだ。

一度受けた恩恵を失うことは、人生の脱落にも繋がる。

母親に関して言えば、あれほどの御霊がついて全てを失えば、それに相当する大きな財産も失い、膨大な借金を抱えることになるだろう。

そして、それと同時に目の前にいる彼女にも何かしらの影響を受けるはずだ。

彼女の豊受大神だって、いつまで彼女の支えになるかわからない。

それにこのまま万引きを繰り返していれば、次は本当に万引きでもしなければ生きていけない生活になるかもしれない。

その前に、満瑠は彼女を止めたかった。


「もう、万引きをするのは辞めませんか?」


満瑠は彼女に直接提案してみた。

こんなことを突然言って、辞めると言う人はいないだろう。

わかっていたが、今はこう言うしかなかった。


「なんであんたにそんなこと言われなきゃならないのよ」


彼女は鞄を抱えたまま叫ぶ。

その通りだ。

満瑠には直接関係ない。

御霊が見えるのも満瑠だけで、他人の心配をしたところで理解されないだろう。


「私、あなたが万引きをする理由が分かった気がするんです」


その言葉を聞いて、彼女の身体は一瞬硬直した。

実のところ、彼女にも自分がなぜ万引きを辞められないのかはっきりしたことがわからなかったのだ。

スリルとかストレス発散とか、そう言った類のものだろうとは思っていた。

しかし、それが何に対するストレスで、どうしてその発散方法が万引きなのかはわからない。


「あなたはお母さんに気づいてもらいたかったんじゃないですか?」

「は?」


意味が分からないと彼女は顔を歪ませる。

なぜここにあの母親の話が出てくるのかわからなかったからだ。

母親に万引きがばれていいことなど一つもない。

また面倒くさそうな顔をして、失望するだけだ。


「万引きじゃなくても良かったんです。あなたの存在がお母さんの目に留まれば。あなたのお母さんは、きっと今、仕事がうまくいっていない。だから、あなたの事もずっと放置した状態なんだと思います。目の前に存在しているのに、気づいてもらえないのは、相当なストレスだと思います」


満瑠の話を聞きながら、彼女はぎゅっと唇を噛んだ。

一瞬見ただけの赤の他人にわかったようなことを言われるのは癪だった。

確かに最近、母親の会社はうまくいっていない。

今までだって仕事が忙しいと彼女の事を目もくれていなかったが、最近はどんなひどい事をしても関心を持たなくなった。

さっきのように雑に問題を終わらせようとする。

それに関して言えば、彼女も不愉快だった。

自分の娘が罪を犯しているのだ。

金で解決しようだなんて、誰が見てもおかしい。

そんなおかしい事すらも母親はもう気が付いていないのだ。


「わかったような口きかないでよ! あいつは私が何したって興味ないのよ。大事なのは仕事だけ。警察が私を逮捕しようが、あいつはきっと止めないわ」


彼女の御霊が揺らいでいる。

寂しいのだと言っている。

彼女自身が気付かなくても、常に彼女の側にいる御霊は彼女に影響されるのだ。

御霊は嘘をつけない。


「なら、こんなことしても無駄です!」


満瑠は彼女にはっきりと告げた。

彼女は顔を上げる。


「無駄って何?」

「万引きをしようが、あなたがどんなに荒れようがあなたのお母さんはあなたを構いはしない」

「だったらなんなのよ! 私は自分がしたくてしてるの。あいつは関係ないわ!!」


彼女も負けずと叫んだ。

自分の行動と母親を結びつけられることが不快でならなかった。

しかし、満瑠も引くわけにはいかない。


「犯罪なんて、本気でしたくてしている人はいません! その衝動は何かの裏返しなんです。それが無意識にしろ、そこには必ず大きな悩みが存在します。そして、その悩みは問題と直面すると人は逃げ出すんです」


だから、彼女も母親と対面して逃げ出した。

生徒手帳も預かって身元もばれているのだ。

あの場で逃げ出しても、意味のない事は彼女にもわかっていた。

けれど、逃げ出さずにはいられなかった。

あんな場面を見たくなかったからだ。

たった一瞬見ただけの他人に自分の事を言い当てられるのは気に入らない。

けど、都合の良いいい訳も思いつかなかった。


「あなたのお母さんの会社はそう長くはないでしょう。いずれ今のような暮らしも出来なくなります。そしたら、もっと彼女はあなたの事を気にかけなくなる。あなたの今の行動は単なる甘えです。お母さんが苦しんでいることに気が付いているのなら、困らせるのではなく、もっと寄り添ってあげるべきです」

「きれいごとなんて言わないでよ!!」


彼女はそう言って抱きかかえていた鞄を地面に叩きつけた。

その衝動に満瑠も驚き、固まる。


「わかってるわよ。けど、私にどうしろって言うの? 中学生の私に何が出来るって言うのよ!!」


彼女には会社の事なんてわからない。

苦しんでいる母親にどんな言葉をかけたら、どんな行動をしたら楽にしてあげられるかもわからない。

今までも、ただ邪魔にならないように視界から消えることしか出来なかったのだ。

今更、母親の前に現れて、助けようなんてしても迷惑なだけだ。

それぐらいは彼女にも理解できた。

でも、満瑠は知っている。

彼女の肩に乗るその豊受大神は彼女の母親からもたらされた栄光ではないと言うことを。

彼女には生きる力を自ら持っているのだ。

強くこの世で生きる力を。

でなければ、いくら親が金持ちだからと言って豊受大神はつかない。


「出来ることはたくさんありますよ。まずは、お母さんとちゃんと話してみてください。今はまともに聞いてくれなくても、自分の考えを話してください。あなたにはこの世界で強く生きる力を持っています。大丈夫。その強い意志を持ち続ければ、怖いものなんて何もありません」


満瑠のその自信に満ちた言葉を無視できなかった。

どんな根拠があってそんなことを言っているのか、彼女にはわからない。

けれど、満瑠があてずっぽで話しているようにも見えなかったのだ。

彼女は今の生活を失うのが怖いわけではなかった。

今の世界から自分が消えてしまいそうで怖かったのだ。

母親に認識されないのなら、せめて他人にでも注目されたかった。


「とりあえず帰りましょう。きっと警察の人たちも探しています」


そうだ。

このまま逃げたところで逃げ切れるわけでもない。

満瑠の言うように、一度戻って、今回の件を終わらせなければいけないと思った。

それがどんなに気の引けることだとしても。

満瑠は彼女の肩に乗る御霊の原型が少しずつ戻り、小さいながらも元の輝きを取り戻そうとしているのを見て安心した。

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