運命の人

ㅤ少女が一人、木の壁を見つめながら髪をといている。床には鏡の破片が散らばっていた。微かに教会の鐘の音が聞こえる。それは鎮魂のための音であり、また、悪鬼を寄せ付けないためのものでもある。と、少女はどこかで聞いた話を思い出した。彼女は、頬を薔薇色に染め、ナイトテーブルに置いていた林檎を一口齧る。甘酸っぱい熟れた林檎の味が口内に広がった。


ㅤハロウィンの晩に鏡の前で林檎を食べながら髪をとくと将来契るべき相手が映るのだという。これもまた、いつかどこかで聞いた話だ。少女は小さく歌を歌いながら、鏡がかかっていた木の壁を見つめる。昨年は映らなかったあの子は、今年は映るだろうか。きっと、大丈夫だ。夕飯に食べたアップルパイの味を思い出す。あの子の綺麗な真っ黒な瞳を溶かして流し込んだアップルパイ。あれは、食べてしまうのがもったいないくらいに素敵だった。心臓の奥底から広がる柔らかい多福感を思い出し、少女は微笑む。


ㅤ本当は、待っていてもよかったのだけど。結婚式の招待状を手にしたあの子の姿を思い出し、少女は首を振った。もう、あの子と自分は一つなのだから、今回はきっと上手くいくだろう。


ㅤ教会の鐘の音が止んだ。ストーブの火が掻き消える。少女が目を凝らすと、薄ぼんやりと目の前に鏡が見えた。少女の肩に青白い手がかかり、肩越しに焦がれた人物の姿が見える。


ㅤあぁ、来てくれたのだ。


ㅤ少女は鏡の向こうに手を伸ばす。振り返ってはいけないことは知っていた。鏡に映った白い手に少女の手が重なる。鏡の中のあの子が少女の手を掴んだ。寒空の下にいたように冷たい手のひらに手首を引かれ、少女は鏡の中へと引きずり込まれた。鏡の中は仄かに暖かかった。まるであの子の腕に包まれているようだった。


ㅤ翌朝、火事で燃え尽きた家屋の中から、瞳をくり抜かれた少女の遺体が見つかったのだという。

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短い百合 伊予葛 @utubokazura

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