第8話 大団円

 被害者が食事をした時間が分かり、その間の関係者のアリバイが調べられたが、そのアリバイとして、会社の4人の中で、アリバイが曖昧なのは2人だった。他に犯人がいれば、話は変わってくるのだが、今のところ、容疑者として浮かび上がってくるのは、会社関係の4人だった。そのうちの所長と海江田には、れっきとしたアリバイがあった。二人が一緒にいて、しかも、犯行現場からはおろか、出張中で、東京まで行っていたのだ。

 ここは、新幹線で来ても、どんなに急いでも6時間はかかる。新幹線に乗っている時間でも、5時間あるのだ。もし飛行機を使ったとしても、東京の出張先から、羽田空港までは、どんなに急いでも2時間かかるのだ。そこから飛行機で2時間かかったとして、空港から被害者のマンションまで、どんなに急いでも1時間。アリバイが証明された時間から死亡推定時刻の一番遠い時間でも、3時間くらいあるのだ。そうなると、どうやっても、殺害は不可能、しかも、東京駅まで二人は一緒だったことが分かっているので、もっと不可能だと言ってもいいだろう。

 そうなると、今のところの容疑者としては、いつも喧嘩が絶えないが、実は付き合っていたという、敦賀さくら子と、そして、舞鶴のことを気にしていたことで、二人に嫉妬心を抱いていた長浜敦子の二人のうちのどちらかということになる。

 そしてアリバイを調べていると、被害者の死亡推定時刻の幅の前半部分には、さくら子のアリバイがあるが、敦子は曖昧だった。

 逆に、敦子には後半部分のアリバイがあるが、さくら子には曖昧だったということだったのだ。

 そして、もう一つ気になるところでは、前半の時間帯に、敦子から電話が入っていて、その電話には出ていないこと。そして、後半には、さくら子から連絡があるのだが、その電話にも出ていないということであった。

「誰かと一緒にいたから、電話に出なかったのか、それとも、すでに殺されていたので、電話に出ることができなかったのか。電話に出なかった理由はそのどちらかなのかも知れないですね。そして、前者の、誰かというのは、容疑者のもう一人ということではないかということも考えられますね」

 と、捜査本部で、若い刑事がいうと、

「考えられるというよりも、その可能性は強い気がしますね」

 と、深沢刑事は言った。

「容疑者のアリバイと、この電話の着信履歴を考えると、この事件においての殺害時刻が分かれば、犯人が誰なのかということも分かってきそうな気がしますね。それにしても、前半と後半という分け方が、私にはいまいちわかりかねるんですけど」

 と、若い刑事が言った。

「今回の事件において、どうしても、死亡推定時刻が幅を広くとったというのは、被害者が睡眠薬を服用していたということであり、睡眠薬の正体もハッキリしてこないので、死亡推定時刻の幅を広げるしかなくなったわけだ。それで、容疑者のアリバイを考えていくと、幅の前半だったら、殺害できるかも知れない人間と、逆に後半だったら殺害できるかも知れない人間がいたわけなんだ。さらに着信履歴ということになると、まるで、何か計画されたアリバイではないかと思えてくるんだ。アリバイを作るために、睡眠薬を飲ませた。そして、自分のアリバイを作ろうとしたのではないかというのは、あまりにも突飛な考え方なのだろうか?」

 と深沢刑事は言った。

「一応、近所の人の聞き込みもしてきたんですが、マンションの人は誰も、被害者のことを知っている人はいなくて、マンションの住民同士もほとんど知らないという状況ですね。特に、被害者の舞鶴氏に関しては、どこからも、彼のことについて情報が出てくることはありませんでした。本人自体が、マンションの他の住人と関わることを避けていたようで、誰も、写真を見ただけで、これは誰ですか? という次第です。本当に近隣関係が疎遠になっているのを嘆かわしいと思っていますが、またしても、その思いにやるせなさを感じさせられたという感じですね」

 と、若い刑事は言ったのだ。

「さすがに、個人至上主義というだけのことはあるものだね。普段から、まわりの人と接しないようにして、自分の中の個人主義を高めていたということなのだろうか? それとも、単純に、まわりを信じられない人間だったということなのか、あるいは、その両方なのかということですね」

 と、深沢刑事がいうと、

「ひょっとすると、被害者の性格が、今回の事件のカギを握っているのかも知れないね」

 と、本部長が言った。

「その個人至上主義という考え方は分かったけど、それは、私たちが考えているよりもかなり深いものでした。ひょっとすると、耽美主義のような、少し曖昧な思想を持っている人に対しては、何か不満のようなものがあったかも知れないですね」

 と、深沢刑事がいうと、

「そうですね、耽美主義というのは、どちらかというと、芸術的な面が大きいと思います。だからこそ、デザイナーという職業の敦賀さくら子が、提唱するにふさわしい気がしますね。だけど、今回の殺人には、その耽美主義的な趣向は現れていないことから、敦賀さくら子の犯行ではないのではないでしょうか?」

 と若い刑事が言ったが、

「何を言っているんです、変に死体に細工などをすれば、耽美主義者の犯行だということを、自分から示しているようなものではないですか」

 と、深沢刑事がいうと、

「でも、逆に、他の人の犯行であれば、死体を装飾すれば、耽美主義の犯行だということで、犯行を押し付けることができるというもの。そういう意味では、逆に変に死体を細工してしまうと、有利かも知れないけど、致命傷になりかねない。そのリスクのプラスマイナスを考えた時、何もしない方がいいという結論だったのかも知れない。そういう判断ができるのだとすれば、犯人は、結構頭のいい人間ではないかといえるのではないだろうか?」

 と、本部長は言った。

「そうですね、装飾をすることで、メリットとデメリットが大きくなる。目立たないようにしたということは、犯人は、石橋を叩いて渡るような、堅実な性格の持ち主だといえるのかも知れないな」

 と、深沢刑事がいうと、

「そうなると、やはり、敦賀さくら子という女性は、性格的にも落ち着いているように見えましたね。もう一人の、長浜敦子は、あくまでも、嫉妬に燃えているようで、判断力や発想力も、無理があるように思えるんですよ。もちろん、見た目で判断できるわけではないと思いますが」

 と若い刑事は言った。

「それは、そうだな、今のところ、2人の犯人説が有力な以上、2人のことは、ここにいる二人に任せて、他の捜査員には、他に容疑者がいないという確証を得てもらうようにしようと私は思っているんだ」

 と、本部長は言った。

 この本部長は、最近警部に昇進し、最近まで、現場で指揮を執っていた優秀な本部長だった。

 現場に出ていた警部補時代には、その冷静な判断力と、機動性を生かした捜査において、部下からも慕われていたことで、

「平成の明智小五郎」

 とウワサされていた。

 推理力も、実に理詰めで解決していくところが、かの明智小五郎を彷彿させるということで、そういわれていたのだ。

 時代は令和に移っていたが、長い間、現場で指揮をしていた経験から、

「平成最後の名探偵」

 とまで言われたほどだった。

 その本部長の一番弟子と言ってもいい深沢刑事は、基本的には、

「足で、証拠を集め、集めた証拠をうまく使って取捨選択を行い、そこから推理を働かせ、最後には、消去法にて、犯人を特定する」

 という、オーソドックスな捜査方法を用いていた。

 その王道の捜査方法は、言葉でいうのは簡単だが、よほど狂いなく捜査を進めないと、一度崩れてしまうと、なかなか修復が難しいと言われる。

 しかし、

「この捜査方法は、難しいことであるが、それでも一番の事件解決への近道なのだ。基本に忠実が一番という考え方は、何事も最初に考えた人が一番だという考えに基づいているので、王道と言われるのだろう。だが、最終的にはいろいろ考えたとしても、ここに戻ってくることになるという考え方になることは、この私は立証済みだからな」

 と、本部長は絶えず話していた。

 このことを警察捜査のバイブルのように考えている人が多く、次第に、深沢刑事以外にも、同じ考え方の人が増えてきた。

 署長もその考え方に賛成で、

「署長は、きっと本部長を手放すことはしないだろうな」

 と言われているのだった。

 そんな中で、犯人を特定する方法として、

「アリバイ崩しから、犯人を探し当てる」

 というやり方ではなく、逆に。

「犯人を先に特定して、そこから、矛盾を追求していく」

 というやり方にしたのだ。

 この方法を考えたのは、深沢刑事で、それまで、この署では時に、アリバイなどの謎を先に究明することで、犯人を明らかにするという伝統的な方法を用いてきたのだが、それを打ち破るようなやり方をした。

 やはり、問題になったのは、今回のアリバイが最初から計算されたことだということを、外から見て、客観的に判断したことから分かったことだった。

 なぜなら、まず被害者の部屋が、扉から玄関まで開いていたということである。

 時間的にも、その時間に間違いなくやってくる新聞配達員に発見させることが大切であり、その時間に発見させることで、ある程度の死亡推定時刻を確定させること、しかし、完全に絞られてしまうと、アリバイを作る意味で、難しくなるので、睡眠薬を使った。それぞれ矛盾したやり方を取ることで、ちょうどいい死亡推定時刻が考えられる。しかも、胃の内容物というのも、被害者が実際に食べたその時間から少し後に、もう一度、今度は少ない量で同じものを食べさせたのだ。

 それは、犯人にとっては難しいことではなかった。最初に食べたのは、証人はいるのだが、知られたくない相手には知られないという鉄壁のアリバイは作っていたのだが、それをさらにごまかすためにということで、同じものをその時間に食べることをうまく引き出したのだ。それは脅迫に近い考えであったが、被害者とすれば、従わねばならないことだったのだ。

 実は、被害者が、100万を毎月供出していたのは、半分は確かに、組織立ち上げのためだったが、もう一つは脅迫によるものだった。

 被害者が、この資金を得るために、少し危ない橋を渡ったのを、見つけられて、脅迫されていたのだ。

 その脅迫は、脅迫者にとっては、結構の手立てであった。別にお金が必要だったわけではない。ただ、自分の気持ちを悟られないようにするための、カモフラージュだったのだ。

 その人にいくらくらい渡っていたのかは分からなかったが、100万単位でひきだされるお金があって、まさか、その一部を別のことに使われているなどと、誰も分からないだろうというのが狙いだったのだ。

 好きさが余ってのことであるので、こんなに卑怯な形になってしまったが、そんな人間が大好きな相手を殺すというのも、ありえない気がする。

 もしあったとしても、変な小細工はしないだろう。するとすれば、彼の愛を自分に向けさせるための細工を弄してきたのだから、他のことで、変な細工をしないという思いがあったに違いない。

 そのことを考えていくと、彼のことを嫉妬するくらいに好きな長浜敦子が犯人だということは考えにくいという結論に至った。

 後に残ったのは。敦賀さくら子であるが、彼女は、元々、

「個人至上主義」

 である舞鶴を嫌いだった。

 そして、そんな彼を好きになることはないと思っていたはずなのに、どこでどう間違ったのか、彼女になってしまった。

 しかし、本心はやはり好きになることはできない。彼女になってしまった自分も許せないし、好きでもない相手が彼氏だということも許せないのだ。

 それは、彼女が、

「耽美主義」

 という考え方であるということが大きく影響している。

 耽美主義である彼女は、すべてにおいて、

「美しくなければ自分ではない」

 と思っていた。

「好きでもない相手の彼女に成り下がり、さらに、なってしまった以上、そこから逃れられる状態になっても、大義名分がなければ、美しさに反することになる」

 と考えていた。

 あくまでも、耽美主義がゆえに、別れられないと思っていたのに、別れるきっかけがあるのに、美学のために別れられないという矛盾には、閉口するばかりだった。

 キリシタンである細川ガラシャが、自殺は許されないということで、部下に自分を殺させたという、大きな矛盾を自分も抱いているかのような気分がしたことだろう。

 そんなことを考えていると、

「もう、舞鶴に死んでもらうしかない」

 と考えた。

 自分の恋敵だと思われている敦子の存在を知り、舞鶴が、きっと自分から離れて敦子の方に行ってしまうという、妄想に駆られてしまうと、耽美主義を至上主義だと思っているさくら子には、耐えられるものではなかった。

 こうなると、ますます、舞鶴には死んでもらうしかなくなったのだ。

 それで、計画を練った。新聞配達員を証人として利用すること、アリバイを曖昧な形で作ることで、自分のアリバイをうまく仕立てようとしたこと。そして、そのアリバイのっもう一人の対象に敦子をターゲットにしたことは、耽美主義をスローガンにしているさくら子らしいではないか。

 さくら子は、完全に敦子をライバル視して、彼女に挑戦状を叩きつけた気がしていたのだろう。

 そのうちに、自分が警察に敗れて犯人ということになっても、一向にかまわないと思っていた。自分の最後は自分で肩をつけるというくらいにまで考えていたのであった。

 さくら子は、警察の追及をまるで分かっていたかのように、逃亡を試みた。

 その時点で、深沢刑事の推理は完成していたので、警察の勝ちであったが、さくら子は一体どこに行ったというのだろう?

 さくら子がいなくなってから、一週間後、樹海と目された場所が、殺害現場から少し離れたところにあったのだが、突如その入り口のところで、きれいな花に囲まれる形で、女が、服毒自殺をしていた。それがさくら子だったのである。

 彼女は敵わぬとみて、自殺を試みた。

 まるで、

「耽美主義者の最期」

 を、最高の形で演出していたのだ。

 その場所は、かつて、被害者の舞鶴と言ったことがある場所だったという。付き合い始めた時、冗談で、

「いがみ合っていた二人がこんなに仲良くなったんだから、もし仲たがいが起これば、ここで仲直りできればいいね」

 と言っていた場所だったというのを知っているのは、敦子だったというのは皮肉なことか。

 敦子の口からこのことを警察に言わせるというのが、さくら子らしいではないか。

 さくら子の死体を見て、

「こんな恐ろしい樹海に、私は巻き込まれそうになっていたのね?」

 と、深いため息をついた敦子だった……。

 被害者の舞鶴が、自分が離婚をした時に、一人がいいという結論を見出したことを、果たして、二人の女は分かっていたのだろうか? 実に疑問であったのだ。


                 (  完  )

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耽美主義の挑戦 森本 晃次 @kakku

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