第7話 大金の使い道
女性二人の聞き込みの後、最後に残った、もう一人のデザイナーの男の聞き込みになった。女性二人は心の中は複雑な心境を抱いていたのかも知れないが、表情は、落ち着いていて、警察に心境を知られたくないという思いからなのか、それともやせ我慢のようなものなのか、毅然とした表情だったのに、この男は女性陣と違って、あからさまの感情を表に出していた。
今にも泣きそうなその表情は、さすがに刑事にも、
「女性が我慢しているのに、男性のくせに」
と思わせるところがあったが、少なくとも同僚が死んでいるのだから、こういう表情をする人が一人くらいいてもいいはずで、それがたまたま彼だったということなのだろうか?
それとも、彼には涙目になるだけの何か理由があるというのか、感情がむき出しになっているかのようだった。
さすがにすぐには聞き込みができないほどの状態に、
「ベソを掻いている」
と言った方が正解ではないかと思うほどだったのだ。
それでも、このままずっと待っているわけにもいかず、彼への質問に入った。
「ええっと、あなたは?」
と差しさわりのないところから訊ねると、
「私は海江田匠と言って、デザイナーになります、今回殺害された舞鶴とは、実はいとこ同士になるんですよ」
というのだ。
なるほど、殺害されたのが、いとこということであれば、ここまで悲しむのも分からなくもなかった。
しかし、今の時代に、親兄妹でもなく、いとこが殺されてここまで大げさに涙を流すものだろうか? 女性であれば分からなくもないが、それだけ二人は、固い絆で結ばれていたということであろうか?
今の世の中、マンションに住んでいたりしても、隣にどんな人が住んでいるかなど、まったく知らないなどということが結構多かったりするではないか。
そんな世知辛い世の中で、この態度は、
「まだまだ、世の中、人情という意味で捨てたものではない」
と思うべきなのか、それとも、二人の間に何か涙を流すだけの特別な関係だったということなのかと、深沢刑事は考えたが、今までの刑事としての経験から、聞き込みの際に大げさに涙を流している人は、どこかあざとさがある人が多く、その涙の訳に、自分を納得させるものがあったとは思えないことが多かったのだ。
しかも、自己紹介の際、こちらから聞いてもいないのに、いとこだということを自分からいうというのは、どこかあざとさが感じられ、半分は、
「いとこの私が、殺すはずなどない」
ということが、通じるわけはないと思いながらも、敢えて印象付ける意味もあって言ったのだとすれば、
「下手なあざとさを持った男だ」
と思わせるに違いない。
「ところで、海江田さんは、ここの会社でお仕事をし始めてから、長いんですか?」
と深沢刑事に聞かれた海江田は、
「ええ、大学を卒業してから、最初は他の会社に勤めていたんですが、舞鶴さんから、今度、デザイナー関係の会社を立ち上げたんだけど、デザイナーとして来てくれることはできないかな? と誘われたのが、5年前だったんです。私は大学でデザイン関係を専攻していたので、いずれは、デザインをする仕事をしたいと思っていたんです。前の会社もデザイン関係の地元では大手の会社だったんですが、営業に回されて、ずっと辛かったんです。だって、やりたい仕事をしている人がそばにいるのを見ながら、自分は別の仕事をしなければいけない。しかも、うまくいかないと怒られたりしてですね。会社では当たり前のことなんでしょうが、私には耐えられませんでした。そんな時、舞鶴さんから声を掛けられて、二つ返事で、こちらの会社にお世話になることに決めたんですよ」
というのだった。
それを聞いて、海江田が、前の会社で、よほど嫌な思いをしたのだろうと感じたのだった。
後で所長に聞いた話であったのだが、この会社のデザイン部門の人たちは、かなりの実力を持った人だということだった。それは、舞鶴が営業の仕事を傍らに、自分で調べて、デザインで活躍していける人を探したというのが、理由だという。そういう意味で、デザイン関係の社員と、舞鶴氏の関係は、他の会社の営業と現場の関係とは比較にならないほど、最初から深いものだったという話だったのだ。
「それにしても、海江田さんはこの会社で、かなり舞鶴さんにお世話になったということなんですね?」
と深沢が聞くと、
「ええ、まさにその通りです。それに私はこの会社で、海江田さんとは、別の意味でもいろいろ話をすることが多くて、それはまったく会社の仕事とは関係のないところでのことですね」
ということを聞いて、少しびっくりした刑事は、
「ん? それはどういうことですか?」
と聞くと、
「舞鶴さんという人は、個性至上主義から発展した、個人至上主義というのを考えていた人なんですよ」
というではないか?
深沢刑事は少し腑に落ちない気がして聞き直したのだが、
「普通、個人至上主義から発展するのが、個性至上主義なんじゃないんですか?」
というと、
「普通は皆さん、そういう風に言われますよね? 確かにその通りなんですが、もっというと、舞鶴さんの考えている個性至上主義というのは、皆さんが言っている、個人至上主義から発展したものなんですね。そして舞鶴さんはさらに、個性至上主義を発展させた個人至上主義というものを考えている。つまりは、最初の個人至上主義というものと、最後の発展形である個人至上主義というのは、言い方は同じですが、別物ということになる。そういう意味でいえば、発展先に至上主義に、新という言葉でもつければ分かりやすいのでしょうが、舞鶴さんは、敢えて、新という言葉を用いないようにしていたんです」
と、海江田氏は言った。
「それはどうしてですか?」
と聞かれ、
「基本的には同じものだからです。ただ、それは、グルっと回って戻ってきたわけではないので、本当は新という言葉をつけるべきなんでしょうが、同じものだということを優先するので、新という言葉をつけないと、舞鶴さんは言っていました」
という。
「何か、難しい話ですね?」
「確かに、捻じれのようなものを想像してしまうでしょうが、そういうわけでもありません。言い方を変えると、同じものだと言っているのも、別のものだということにしてしまうと、まったく別のものになってしまうことを考慮して、同じものだと定義しているんです。それだけ、別のものになってしまうことが、致命的なことだということになるんですね」
というのだった。
これは、理屈として譲れないことなのだろう。それにしても、舞鶴氏はどこを目指していたのだろうか? あくまでも思想的な考え方についてのことであるが……。
「とにかく、舞鶴さんという人は、人間というのは、元来は一人だったんだ。だから、人は一人で生きていけるというのが、本当の考え方であって、人に絶対に頼れないところが存在している。確かに助け合いも大切なのだが、それはあくまでも、個人の力が大前提であってのこと。人間は一人では生きていけないので、助け合うのが必然だと言っているでしょう? だから、そこに付け込んで、お互いが信じ込んでいるところに付け込む犯罪が生まれるわけですよね?」
と海江田がいうと、
「それはそうなんでしょうが、助け合って生きるのが悪いことだというんですか?」
と刑事が聞いてくるので。
「そこがそもそも違うんですよ。助け合うのが当たり前だということを前提で考えると、双方が同じ力であったり、依存度であればうまく行くんでしょうが、片方は依存したいが、相手はそこまで考えていなければ、距離感しかなく、それが致命的な距離感であったら、助け合っているように見えても、実際にはスカスカなんですよね。皆が、助け合って生きていくのが当たり前だというそういう風潮になるから、皆、助け合っているように見えているんですよ。要するに、大きな街ができているように見えるけど、実際には、張り子で作られた、舞台セットの街のような感じになっていると言ってもいいんじゃないでしょうか?」
というのだった。
「なるほど、分かる気がします」
「近所づきあいだってそうじゃないですか。マンションに住んでいて、隣がどんな人が住んでいるか知っていますか? 町内で決まっている年に1、2度の清掃の日だって、誰が出てきます? 子供がいて、子供会に所属していて、無視できない人であったり、年代わりの地域の長しか出てこないでしょう? 自分が長の時に、他の人に掃除の時に出てきてほしいと訴えても出てきもしない。そのくせ、自分が長になると、自分が出てこなかったのを棚に上げて、出てきてほしいと、頭を下げる。どの面下げてって思いませんか? それが今の世の中なんですよ。助け合いなんて、言葉で言っている理論だけで、誰もしませんよ。それに、そんなまわりの本当の冷たさを知ってしまうと、信じていたのが裏切られたという気持ちをリアルに感じた気がして、これが、もし災害であったり、有事の際に、本当に助け合うことをするのかどうかなんて、信じられるわけはありませんよね? 確かに災害などが起こった時、その時は助け合うかも知れないけど、不自由な生活が続いて精神的に耐えられなくなると、もう、自分のことしか考えられなくなる。マスゴミなんかは、助け合っているところしか移さないから、皆は災害時でも、助け合って生きていると思うんでしょうが、その裏で、本当に何が起こっているかということを、報道しないどころか、助け合っているところをプロパガンダにしか使わない」
というと、
「でも、そうしないと、結局他の人たちからの助けが得られなくなるので、全体的に見ると、その宣伝は致し方ないと思うんだけど?」
と刑事がいうと、
「そうでしょうか? じゃあ、もし、今度はそんな助け合いだけしかない暖かな世の中なんだと思っていると、実際に自分たちが災害に遭うと、皆が助けてくれるものだと思ってしまうでしょう? でも、災害というのはそんな甘いものではない。すべての人に平等であるなどありえないんですよ。そのことをちゃんと報道しないと、下手をすれば、人間不信が渦巻いてしまう。放送局によっては、そういうところまで放送するところもあるようですが、結局は権力に押し潰されてしまう。そうなった時、誰が正確な報道をして、本当の助けをするんですか? それを私や舞鶴さんは考えていたんです。つまり、人間は、孤独の中でも生きていかなければいけない。その強さを前提に持つことを考えているのが、発展形における、個人至上主義というものなんですよ」
「うーん、なるほど」
と、深沢刑事は納得しているようだった。
「孤独と、孤立というのは違うんですよ。孤独というのは、孤立していても、孤立していなくても、ありうることなんです。孤独というものが、精神的なものだからですね。集団の中にいても、孤独な人はたくさんいます。それは、集団の中にいれば、孤独なんて味わうことはないと思っているからなんですよ。集団というのは、たくさんの主義主張があったりします。自分たちと違う思想を持った人がいれば、自分たちの方がメジャーであれば、相手を迫害したりするくらいのことはやってのけるでしょうね。それが、今まで教育で受けてきたこと、学校や会社で身をもって経験してきた。多数決という発想なんですよ、それが民主主義の考え方であり、その場合の少数派と呼ばれる人たちの考え方は、まったく無視されることになる。それだけならいいのだが、少数派に属していた人たちは、反対派ということになり、下手をすると、悪というレッテルを貼られてしまうということになるんじゃないですか? そうなってしまうと、集団の中に、善悪というものが存在することになり、そこで、内紛のようなものが起こってきたり、悪と名指しされた、少数派を、正義の名のもとに、迫害したりするんじゃないですか? だからこそ、民主主義、資本主義と言われる国では、争いが絶えない。だからと言って社会主義がいいとは言いません。彼らは、粛清によっての排除で、善悪が表に出てこないからですね。だから、民主主義がいいんだというのであれば、それは、ただの消去法として残ったものが、民主主義だったというだけのことでしかないですからね。まるで、今の政府と同じじゃないですか」
と、次第に話が難しい方に流れていくのであった。
「なるほど、個人主義というのは、人間、一人一人が強くなるということが大切で、大前提だということですね? その状態での助け合いであれば、より強固な意識が生まれてきますもんね。足場を固めていない状態で、助け合いというのと、最初に足場を固めたうえで助け合いというのであれば、同じ助け合いと言っても、重みが違うことになりますよね? 土台がしっかりしていれば、いくら上がグラグラしても、何とかなる。もし安定していなければ、数人を巻き込んで表にはじき飛ばされそうになれば、全体を助けるために、その数人を犠牲にしないといけないということになってしまう。最初から足場がしっかりしていれば、そもそも、そんなことにはならないということですよね?」
「そういうことです。何か危機がくるかも知れないと分かっているのに、できるだけの装備をしておけるだけ、個人個人がしっかりしているのと、何かが起これば慌てふためいて、人が助けてくれるのを待っているしかないという、そんな他力本願な状態と、どちらが、いいとお考えですか? もし、何の準備もしていなかったから、簡単に滅んでしまった団体があったとすれば、まわりはどう感じます? ああ、可哀そうだということになりますか? 違いますよね、何の準備もしていなかったんだから、自分たちが悪いんだということを言いますよね。他人事のように簡単に見て、それを他人事で済ませるから、その場に自分たちが陥った時、何もできずに、他力本願でしかない。前は無視されたのに、自分が当事者になったからと言って、助けを求めても誰が助けてくれますか。基本的に、最終的には、個人の生命力がものをいうんですよ。何かあっても、政府が助けてくれないことは、皆もう分かり切っていることじゃないですか。以前、世界的な伝染病が流行って、日本も医療崩壊した時、政府の伝染病対策大臣がなんと言ったか覚えていますか?」
「というと?」
「あの時に、政府の大臣はこう言ったんですよ。今は最大級の災害が襲ってきているのと同じなので、国民の皆さん、自分の身は自分で守ってくださいって言ったんです。あの時、世間はどうでしか? 国が緊急事態宣言などというものを出して、戒厳令が存在しない中でロックダウンができないが、最高級の、私権の自由を奪っておいて、世間では自殺者も増えたような政策をしている最中にですよ。国が、国民に自分の身は自分で守ってくださいなどという、とんでもないことを言ったんです。完全に、政府としての、仕事を放棄したようなものですよ」
という。
「確かに、あの時は我々も怒りに震えましたね。あれは絶対に口にしてはいけないことでした。言っていることと、やっていることが完全に矛盾していましたからね。国民の命を守るのが政府の役目なのに、それを言ってしまうと、完全に突き放しているのと同じですからね。だけど、もっとびっくりしたのは、あの時は確かに医療崩壊などがあって、それどころではなかったのかも知れませんが、マスゴミも大して大きく報道をしていませんでしたからね。それは、本当に不思議でした」
と刑事がいうと、
「それは、政府が情報統制をしたんじゃないですか? やつらにとっての最大の優先順位は、政権の維持ですからね、政権が維持できないのなら、国民の命がどうなろうと、関係ないというのが、本音なんじゃないですか?」
と、海江田はいうのだった。
「本当に有事だったということですね、マスゴミや政府が情報統制を行うというのは、亡国への末期だということになるでしょうね。かつての、あの大東亜戦争の時代のようにですね」
と、深沢刑事も持論を展開していた。
だが、さすがに、これ以上、海江田氏の論調に乗ってしまうと、自分たちを見失ってしまう。聞き取りをしていたはずなのに、いつの間にか思想の話に追い込まれてしまったということであろう。
「これは、どうもすみません、私も少し興奮してしまって、余計なことを言い過ぎたかも知れませんね」
と、深沢刑事の気持ちが分かったのか、海江田の方から、歩み寄ってくれたようだった。
「ああ、いえ、私どもも少し前のめりになってしまいましたね。まあ、今後どこかで、個人的に、このようなお話ができると私としては嬉しいように思いますが、とりあえず、我々の捜査にご協力ください」
と深沢刑事が言った。
深沢刑事としては、海江田の気持ちは実によく分かった。どちらかというと、深沢刑事は、いや、警察組織にいる人間は、大なり小なり、そのことを感じているだろう。ひょっとすると、政府の要人であったり、政治家の人にも、このような考えの人は一定数いるのではないかと、思えるのだった。
それだけに、深沢は、個人的にも海江田や、舞鶴の考えに陶酔するところがあり、
「そういう意味では、舞鶴が殺されたこの事件というのも、嫉妬や恨み、金銭によるものといろいろ考えられたが、思想というもののトラブルということも考えられないだろうか?」
と考えるようになっていた。
海江田から話を聞くまでは、まったくと言っていいほど考えていなかったことだ。
「個性至上主義」
であったり、
「耽美主義」
という言葉も聞くのは聞くが、それはあくまでも、犯罪には関係のないところの話だと思っていたのだった。
「実はですね。私たちはそんな個人至上主義の人間を増やそうということをやっていたんです」
と、海江田氏は、唐突に言い出した。
「なるほど、さっき、女性陣が、プライベイトで話をしたいと言った時、別に抗うどころか、望むところだと感じたのは、彼らとしても、人に聞かれたくないものがあったからなんだな」
と、深沢刑事は感じたのだ。
「そのために活動をしていた。そして、その活動には、海江田さんと、舞鶴さんが絡んでいたということでいいんでしょうか?」
と聞かれた海江田氏は、
「ええ、その通りです。団体というか。サークルのようなものですね。でも、最終的には組織のようなものにしたいという気持ちも正直ありました」
というので、
「お二方とも、そういう意思が強かったんですか?」
と聞かれた海江田氏は、
「私よりも、舞鶴さんの方がかなり強かったと思いますよ。実際に、将来の話をした時、組織というようなワードが飛び出してきたことがありましたからね。私としては、そこまで考えているなどとは思ってもいなかったので、舞鶴さんが、カミングアウトでもしたのではないかと思ったんです。何と言っても、先立つものがなければ、できることではありませんからね」
というではないか。
「先立つもの」
というのは、言わずと知れたお金のことである。
実際にどれくらいのお金がかかるのか分からないので、大きなことは言えないが、そこで思い出されたのが、舞鶴氏が、100万単位のお金を、引き出していたということである。
振り込まれていたわけではないので、直接渡していたのかも知れない。最初は脅迫されていて、お金が必要だったのかとも思ったが、最初から何かの目的のあることで、しかも、今の段階では、その使い道を知られたくないと思っていたのかも知れない。
だが、このお金が組織を立ち上げるための資金であり、振り込んだ先が、架空ということで、何かの詐欺グループにでも関わっているとすれば話は別である。
今はその証拠が何も出てきていないということもあって、どうお金の使途や、目的に使われようとしていたのかに対して、光明が出てきたのは確かなようだった。
「ところで、舞鶴さんが、毎月、100万単位のお金を引き出していたのをご存じですか?」
と聞かれて、
「私は知りませんでしたが、それを聞いても驚きはしません。組織の立ち上げのために引き出していたんでしょうね? ただ、私がビックリしたのは、すでに、その計画が水面下で進んでいるということですよね? しかも、私の知らないところで。ということになると、彼は私以外にも、同じ発想を持って、別々に動いていたということなんでしょうか? それは少し現実的ではないような気がするんですけどね」
と、海江田氏は言った。
確かに彼のいう通りであった、
海江田氏が聞いた組織に必要なお金は、彼がいうように、月100万単位で、考えていくと、数か月で、かなりの頭金にはなるというのだ。
「舞鶴さんが、組織の立ち上げを考えていたとして、どれくらいの規模のものを考えていたんでしょうね? まさか、秘密結社並みのものだとすると、はした金でできるものではないですよね。当然出資者なるスポンサーであったり、フィクサーのような存在の人がいないと、なかなかうまく行かないでしょうからね。それに、その組織を、法人や会社化しようとしていたかどうかですよね。それによって、いろいろな業界からの承認や、助力もいることになる。海江田さんから見て、舞鶴さんの本気度というのは、どこまであったんでしょうね?」
と聞かれた海江田は、
「確かに、この組織というのは、かなり覚悟のいる人たちを育てるという意味で、運営側もかなりの覚悟と資金が必要になると思います。それが、ただの組織としてもですね。だから、本気度はかなりあったと思います。だけど、それがある一線を越えると、リアルなところから、妄想に変わってしまうんですよ。それが、結構低いところで考えられることなので、覚悟というと、却って難しいんじゃないですかね? 低いところなだけに、一歩間違えると、まわりから丸見えになり、せっかくの計画が水の泡になってしまう可能性だって出てきますからね」
というのだった。
「なるほど、海江田さんには、舞鶴さんの本気度ははかり知ることはできなかったというわけですね?」
「そうだとは思います。でも、元々は私が推奨してきた発想に同意してくれる形になったのが彼だったんです。でも、今は私よりも、この個人至上主義という考え方にさらに陶酔しているのは彼の方なんです。どっちが言い出しっぺなのか分からないくらいにですね。だから、彼の本気度を測り知ることができないのは、立場が分かったからであって、彼の本気度は、少なくとも、自分なんかよりも強いということは分かります。だから、彼がひょっとして、水面下でいろいろ動いていたのではないか? と今は感じているんですよ。だけどそれが原因で彼が殺されたのだとすると、私にも責任がないとは言えないですからね。それを思うと、正直、犯人が憎いという気持ちはありますね」
というのだった。
「よく分かりました。あなたの気持ちが、きっと舞鶴さんに伝わっているといいですね。私もお二人ほどではないですが、個人至上主義という考え方。私個人としては、好きだと思います。こういう意識は、本当は一般市民の人にではなく、経営者であったり、政府や自治体の人であったり、そういう人の上に立つ人ほど考えてほしいことなんですよ。そういう人たちに、指導者のようになってもらって、人間が、個人として強くなることを模索してくれれば、世の中は今とは違った形になるのではないかと、私には感じるんですよね?」
と、最後は疑問符つきになってしまったが、それも、奥ゆかしさを考えるとありなのではないかと感じるのだった。
「ところで、舞鶴さんは、デザイン関係に造詣は深かったんですか?」
と急に話を変えられてビックリした海江田氏は、
「ええ、彼は元々、趣味で彫刻をしていたようなんです。暇があれば、作っていたらしいですよ。何もないところから、新しいものを作るのが、無性に好きなんだって言ってました。営業とか、企画関係の仕事を、自分の本望だと思っているようには、正直見えなかったですね」
というのだった。
これは、所長に聞いても同じことを言っていた。
「だから、彼は海江田さんにしても、他のデザイナーの人にしても、引き抜いてこれたし、今までも、彼が引っ張ってきてくれたんです。正直私は所長という肩書はありましたけど、彼がいないと、やっていけないと思っていたのも事実だったんですよ。そういう意味では、彼がどうやって、人心を掌握していたのかということが私には分からないので、これからのことを考えると、不安の方が大きいんですけどね」
というのを後から聞いた。
話を、海江田に戻すが、最後に海江田氏がこんなことを言っていた。
「今回、舞鶴が作ろうと考えていた組織は、人を傷つけることだけは、タブーとしていたんですよ。それが理念ですね。だから、個人至上主義の一番の優先順位は、人を傷つけないことになるんですね:
というのだった。
「当たり前すぎることだと思うんですけど」
と刑事がいうと、
「個人が強くなることで、どうしても、まわりの自分以外の人を軽視してしまいがちなところが、一種のもろ刃の剣だと舞鶴は思っているんです。だから、とにかく自分が一番強いという発想は、フランケンシュタイン症候群にあるような、ロボットの発想と同じなんですよ。つまり、ロボット開発の中で必要な考え方として言われている、ロボット工学三原則に則った考え方を、彼はモットーにしていたんです。人を傷つけないことがそのうちの一番なんですよね。他の二つは、人間のいうことは絶対ということと、もう一つは自分の身は自分で守るということですね。二つ目は、相手がロボットである場合に限定されますが、三つ目の自分の身は自分で守るということは、先ほど話した、パンデミックの時に起こった、あの政府の最低の宣言と、類似したところがあるじゃないですか。舞鶴さんは、それを偶然と考えていなかった。なぜなら、あの政府のとんでもない発言があって、皆が腹を立てていた時、舞鶴さんはすぐに、ロボット工学三原則だと言って、このことを思い浮かべたみたいなんです。無意識に、ロボット工学三原則だって、口から出てましたからね。それを思うと、彼の頭の中は、いくつも先をいつも見つめていて、そんな彼にだったら、この個人至上主義の考え方を持った組織を任せてもいいんじゃないかって思うようになったんですよね。でも、もっとすごいと思ったのは、彼が殺されてから分かってきたことなんですが、彼が考えていた組織の代表には、この私を立てるつもりだったようなんです。きっとその方が動きが取りやすいと思ったんでしょうね。そういう意味でも彼の才能は尋常ではなかったということでしょう」
と、海江田はべた褒めだった。
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