第6話 三角関係
そんな二人の関係は、表向きには、いつもいがみ合っているように見えていたが、実は、会社の人にとっては、
「知る人ぞ知る」
とでも言っていいのか、二人の仲は、
「公然の秘密」
であったのだ。
主義主張で言い争っているように見えるが、それはじゃれ合っているといってもいいようで、まわりからすれば、
「犬も食わない」
という感じで、放っておくに限るのであった。
下手に止めにでも入れば、自分がその二人の熱さで、やけどしてしまうだけだ。それこそ、飛んで火にいる夏の虫のようなもので、バカを見るだけであった。
しかし、それを分かっていながら、果敢にも、二人を止めに入った人がいた。それが、もう一人の女の子の、長浜敦子だった。
彼女は、この事務所で一番年下だということだが、そうは見えなかった。今、25歳だというが、見方によっては、30歳以上に見える。
「独身だ」
と言っても、普通なら信じてもらえないほどのオーラが彼女にはあった。そのオーラというのは、ひと言でいえば、
「落ち着き」
であり、まわりを従わせる力を持っているように思えるのだ。
女だから、そこまでは感じないが、人によっては、
「これが男だったら、独裁者の素質を持っているかも知れない」
という人もいたが、歴史上で、女性の独裁者だっていたではないか。
あくまでも独裁者という言葉を使わないだけで、男だったら、明らかに独裁者となるのではないか?
女性の独裁者と聞いて、いろいろな女性を思い浮かべることだろうが、作者がまずぴんと来るのは、西太后ではないだろうか?
西太后というと、中国の帝政王朝の最後にあたる、清王朝末期に存在した独裁者である。
彼女は、皇帝の妃として、親として君臨し、皇帝をもしのぐ権力を持って、清朝末期に君臨した。
何といっても、西太后と言えば、
「彼女の浪費癖や、政治介入によって、清朝滅亡の原因を作った女性」
ということが、歴史上の評価となっているのではないか。
日清戦争だって、彼女が別荘に予算を掛けたことで、軍備の整備に充てるお金がなくなってしまい、せっかくの東洋一の艦隊であったり、軍隊を持っていたにも関わらず、兵器は老朽化してしまい、整備もしていないので、ガラクタに近かったとも言われている。それに比べ、富国強兵政策で、軍事予算をふんだんに使い、軍部を充実させ、訓練もしっかり行い、軍の士気は最高に高まっていた。しかも、日清開戦は、日本側が必勝のタイミングを見計らっての先制攻撃から始まったのだから、士気が思うように上がらない、
「眠れる獅子」
と呼ばれた清国軍であっても、日本軍に対してすべてが後手後手に回り、最後には、敗北してしまう。
西太后の政治介入が、どれほどの状況判断ができなかったのかという例として、20世紀に入ってすぐに、義和団による、
「扶清滅洋」
をスローガンとしたクーデターが起こった。
そこで、西太后はこともあろうに、北京に権益を持っている、欧米列強のほとんどの国に対して、義和団という勢力だけを盾に、宣戦布告をしてしまったのだ。列強からすれば、思うつぼである。居留民保護の大義で、多国籍軍を形成し、北京を占領できるからである。もうこうなると、宣戦布告をしてしまった時点で、自殺行為が自殺になった瞬間だった。
きっと、まわりの側近は、彼女が、
「気がふれてしまったのではないか?」
と感じたことだろう。
結果は数日で、多国籍軍に北京は占領され、そのまま、軍隊が駐留することになる。もう、この時点で、清朝は滅亡したといっても過言ではないだろう。彼女の場合は独裁者であり、国亡者と言ってもいいのではないだろうか?
さすがに、長浜敦子がそうだと言っているわけではない。彼女には、独裁的に見えるオーラがあるのだ。
なんといっても、西太后は、独裁者ではあったが、わがままだったのだ。それが、一種の、
「男と女の違いだ」
と言ってもいいかも知れないが、それは、昔だから言えることで、今のように、
「男女平等を謳っている時代」
であれば、彼女のことを独裁者と果たして呼べるかどうか、怪しいものであった。
長浜敦子には、少なくとも西太后のような、バカなところはなかった。それに、女性であるということを必要以上に意識しているわけでもない。女性であると意識するという考え方は、両極端である。
「女性だから許される」
という考え方と、
「女性だからと言って差別されるのは、我慢できない」
ということであり、前者は、どこか西太后のようで、後者は、現代において、男女平等を高らかに唱えている女性の言い分なのであろう。
敦子は、そのどちらとも違っていた。だが、敦子が自分を女性だと意識していないわけではない。かと言って、女性というものを利用して、何かを企んでいるというわけでもない。
要するに、普通の女性なのだ。
意識することもなく、女性としての、本能であったり、ホルモンの影響で、行動やフェロモンが醸し出されたりするというものである。
そんな彼女は、ただ、ある意味自己主張が強いように思えた。それも、無理のない自己主張である。
「女性だからこそ、できることがある。女性だからといって、無理をする必要もない」
という考えを持っていた。
「これは、本当の意味での男女平等に近いのではないか?」
という意味で、潔い性格が、まるで、
「男前」
と言われるゆえんになっていたのだが、この男前という言葉、たぶん、
「男女平等」
を叫んでいる連中からすれば、許せない言葉になるのだろう。
しかし、敦子はそれを気にする様子もない。
別に女性だから、どうしたというのだ。
「男性と肉体的に違うのであるから、女性が無理して男性にしかできないことをやろうとする必要もない」
と思っている。
敦子は、基本的に、
「男女平等」
というのを高らかに叫んでいる人たちが嫌いであった。
それは、男性も味方というわけではなく、男女平等という言葉を口にしている連中は、自分たちの目的のためには、まわりの女性を鼓舞し、プロパガンダを用いることで、
「女性と男性は平等でなければいけない」
ということを、第三者である女性に対しても吹き込んでいることになる。
つまりは、男女平等ということを意識していない人に対して、その人が、男女平等を叫ぶ人を友達だと思っているというそんな気持ちを言い訳にして、強い意志を持っているわけでもない人を。無理やり男女平等という世界に引きこんでしまうのだった。
もし、世界に引き込まれなければ、その人は友達として相手をすることはないという雰囲気になれば、友達を失いたくないという目の前の恐怖に、自分を犠牲にしてまで、しがみつこうという人が多いことを、知っていて、利用しているように思えてならないのだった。
ある意味で、そういう人こそ、独裁者にふさわしいのではないか。歴史上の独裁者としての女性というのは、えてして、自分の主張が、すべてに優先している。いわゆる、
「自分至上主義」
ではないか。
自分をすべてにおいてまわりから優先させたいがための大義名分として、格好だったのが、
「男女平等」
という思想だったのではないだろうか?
敦子とは正反対である。どちらかというと、西太后に近いのではないだろうか?
そんな敦子に話を聞いてみることにした。
その時、彼女が出した条件があったのだが、それが、
「私一人で聞いていただけませんか?」
ということであった。
それが、他の人に聞かれては困ることなのか、それとも死んだとはいえ、被害者のプライバシーを守りたいという意味なのか、どちらにしても、人に聞かれては困るという話が絡んでいるのだろう。前者であれば、それは何も被害者だけに関係のあることではなく、今この場にいる誰かが今回の事件に関わっているのか、あるいは、被害者との関係において、人に知られることで、不利益になると考えたのか、彼女としては、そこまで考えて、場合によっては告げ口になるかも知れないが、それでも、警察に言いたいと思っていることがあるのかも知れない。
それを考えると、彼女の気持ちを尊重するのが、警察の義務とまで感じるのだった。
そこで、
「じゃあ、まずは長浜さんでお願いします。女性の場合は、できれば、おひとりの方がいいと考えています。その方が話しやすいこともあるのではないかと思ってですね」
というと、所長はちょっと意外な顔になった。
きっと、最初は自分だとでも思ったのだろう。しかし、これはいつもの深沢のやり方で、その場所を仕切っている人は最後に回している。まずは、外堀を埋めてから、中心人物の話を聞かないと、捜査の方針を見誤ってしまうと思うからだった。
そういう意味で、最初に所長に行かないのは、最初から考えていたことだったのだ。
深沢刑事は、応接ルームに敦子を招いて、こちらは2人、相手は1人という状態で、聞き込みに入るのだった。
「すみません、一人にしていただいて」
と敦子がいうので、
「いいえ、大丈夫です。女性にはそれぞれに、プライバシーを尊重しないといけないと思っていますからね」
というと、敦子は満面の笑みを浮かべた。
どうやら彼女の場合は、
「男女平等」
ということをはき違えているわけではなく、自分なりに理屈を考えているようだった。
「二人きりでのお話を望んだのは、誰かに聞かれるとまずいと思ったのか。それとも誰Kということではなく、話自体が、聞かれては困るということでしょうか?」
と深沢刑事が言ったことを、彼女は理解したのだろうか。
前者としては、聞かれたくない人が特定され、その人にだけはきかれたくないというそれこそその人たちだけの秘密なのか。後者だとすれば、秘密自体が大きな問題で、誰に聞かれたとしてもアウトだというような話だということである。後者の方が大きな問題ではあるが、こと殺人事件ともなると、特定の人物というのが、犯人に繋がる何かであれば、それはそれで大きな問題だといえるだろう。
敦子はその考えを踏まえてのことなのか、どちらとも答えにくくなっているようだ。ひょっとするとその秘密が誰か一人に関係していることなのかも知れないが、その一人が誰なのか、特定できていないのかも知れないと感じた。
「ああ、私の言い方が悪かったのかも知れませんね」
と深沢刑事が言ったが、やはり、彼女にも、その人を特定できていないのではないかと思い、彼女自身がその人を、犯人、あるいは犯人に限りなく近い人ではないかと思ったのかも知れない。
「いいえ、いいんです。私は、よく誤解されやすいんですよ。いつも気を張っていて、どちらかというと、男には負けたくないという考えを持っているタイプなんですが、だからと言って、最近言われているような男女平等という考えとは少し違っていると思っているんです。だから、そんなジレンマを分かってくれているのか、話を聞いてくれるのが、殺された舞鶴さんだったんです。舞鶴さんは、私に話しかけてくれたのは、あまり無理をしなくてもいいという話をしてくれたんです。きっと私はいつも難しい顔をして、人の顔色を伺っているようで、まわりを遠ざけているのを分かっていたんでしょうね。私は、それでもいいと思っていた。変に人とつるむくらいなら、一人が気楽だと思っていたんですよ。だから人に負けたくないと思っていたけど、彼は、それを無理しなくてもいいと言ってくれた。一気に身体から力が抜けるのを感じたんです。そして、これほどの気持ちよさがないことにも気づいたんです。そういう意味で、舞鶴さんは私にとっての、救世主であり。唯一頼ることのできる人なんですね。その思いがいつの間にか、彼を独占したいという心情に変わっていたようで、そのことに気づいた時、まわりを見ると、舞鶴さんと、耽美主義のことでいつも言い争っていたと思っていた敦賀さんが、まさかの急接近をしていたんです。私は、まるで浦島太郎状態です。知っている人がこの世から一人もいなくなったような気分になり、しばし途方に暮れました。そんなことは自分には絶対にないと思っていたくせにですね」
と、敦子は、しょげたかのように話した。
彼女が、
「一人だけで」
といった本当の理由が、この様子をまわりに見られたくなかったからなのかも知れない。
女の子の中には、自分の世界に入りやすい子が多いのではないかと思う。男にもそういうやつはいるが、女の子とは事情が少し違っているように思う。敦子の場合は、普段から自分を大人びて見せているのは、ある意味才能なのだろうが、それだけではないような気がする。
「個性至上主義」
というのが、舞鶴だとすると、敦子の場合は、
「個性至上主義に限りなく近い個人至上主義」
なのではないかと思うのだった。
個性的なところはどうしても外せないように感じられる。それが、敦子の特徴だが、完全な個性派とは違っている。あくまでも、
「他人と同じでは嫌だ」
という個人主義が一番優先するのだ。
その次に、優先するのが、自分の中にある性的欲求を表に吐き出して、それを個性だとまわりに思わせることである。
だから、自分を必要以上に大人っぽく見せようとするのだし、実際に大人っぽく見える。
それは、自分の中の感情が形になって現れているからで、そこまでリアルな感情が自分の中で形となって現れるのは、個性派である感情を、自分で分かっていて、隠すことができないからではないだろうか。
そんな感情が渦巻く中で、敦子はどうやら何かの感情に気づいたのではないかと、深沢刑事は感じたのだ。
ここまでまるで妄想を抱いているかのように感じているのだが、初めて会った人間にそこまで思わせるというのは、それだけ、思いが強く、表に発散させる感情が、湧き出ているからなのではないだろうか。
それというのが、
「個性という感情に、個人主義が混ざることで、覚醒してしまって、内部だけで収めておくことができないのだろう。
それが、敦子という女性の特徴で、その思いがどこから来ているのか、まわりにはたぶん皆想像がついているのだろうが、分からないのは自分だけではないかと思うことで、普段はバランスが取れているのではないかと思うのだった。
敦子には分からないその感情。それが嫉妬ではないだろうか。今の段階では、誰に対してのどういう嫉妬なのかということは分からない。
嫉妬というのは、いろいろ種類もあるし、パターンだってあるだろう。
しかし、そのパターンは大きく分けると、ほぼ二つになる。
一つは、才能というものであり、もう一つは、性的感情を含んだ、恋愛感情ではないだろうか?
「恋愛感情というものは、その中に性的感情を含んでいるのか、それとも、性的感情の中に恋愛感情を含んでいるのか、時として分からない場合がある」
というのは、そのどちらのパターンもあり得るからである。
それを思うと、彼女が悩んでいるとすれば、恋愛感情に性的感情が織り交ざってしまっていることに、自己嫌悪のようなものを感じていて、あくまでも、自分が性的感情などを抱く人間ではないと、自分で納得したいというところから悩んでいるのではないかと思えた。
そもそも、恋愛感情の相手が誰なのか分からないが、先に性的興奮を覚えたから、相手を好きになるのか、それとも、好きになった相手に対して、初めて性的興奮を覚えてしまったことで、自分がまるで変態にでもなったかのように思うのであろう。前者であれば、それは自分が最初から変質者であったということであれば、
「遺伝からきているのかも?」
という言い訳をすることができるが、後者であれば、急に性的感情を抱いたことで、
「私は、今まで正常だったのに、急に変態になってしまったのは、何かの病気なのだろうか?」
と考えてしまうに違いない。
「病気であれば、仕方がない」
と思えたのだとすれば、それが言い訳となって納得できるのだろうが、融通が利かないほどに真面目であれば、変態になった理由を自分で納得させることができなくなるのだ。
「一体、君は誰に嫉妬心を抱いているんだい?」
と聞かれて、一瞬口をつぐんだが、自分から話すと言ったのだと思った敦子は、しっかりと答えた。
「さくら子さんにです。たぶん、さくら子さんは、舞鶴さんとお付き合いをしているんじゃないかと思うんです。もし、これが以前の私だったら、遠慮して譲っていたかも知れないんですが、今回はそれができなかったんです、たぶん、一番の理由に、個性至上主義の舞鶴さんと、耽美主義を掲げている二人が、普段は喧嘩しているように見えて、実際に付き合っていると知ったからです」
というではないか。
「じゃあ、二人が表向きには喧嘩をして、世間を欺いていると、君は思ったんだね?」
というと、
「ええ、そうです」
「じゃあ、二人がただ仲良かっただけなら、自分は身を引いたと?」
「ええ、今までの自分だったら、そうだったんです。私は好きになった人にもし、彼女がいたのだということが分かれば、諦めてきたんですよ。だって、もし、付き合うようになったとしても、ずっと私のことを愛してくれるという保証がないからですね」
「でも、それは誰にでも言えることではないんですか?」
「ええ、そうなんですよ。でも、それだけに、少しでも怪しい素振りが見えているわけなので、かなり裏切られる信憑性は高いわけではないですか。つまり、分かっていたことでダメになったとすると、後悔をするのは、分かっていた場合じゃないですか? そうなると、もう次にはいけないんですよ。自分が信じられなくなってですね。それが私には一番怖いんですよね」
というではないか。
それを聞いた深沢は、
「なかなか、奥深いところで、しかも、リアルな想像をしておられる。そんな深くまで考えることができるのは、相当冷静でなければできないでしょうね。そういう意味では、すごいと思いますよ」
と深沢刑事が言ったは、それは、ある意味皮肉が籠ったセリフであった。
裏を返せば、
「私には、そんな恋愛は、決してできない」
ということを、言わんばかりだったのだ。
「ということは、あなたたち3人は、三角関係だったということなのかな?」
と言われたので、
「そういうわけではありません。私が考えていただけですが、確かに二人は付き合っていたんだと思います」
と敦子が言ったのを聞くと、
「じゃあ、二人が付き合っているというのは、あなたの妄想かも知れないと?」
と聞くと、
「いえ、限りなく付き合っていると言ってもいいと思います。以前、舞鶴さんの後を付けた時、二人が楽しそうに待ち合わせをした場面を見てしまいましたから」
というのを聞いた深沢刑事は、
「ということは、あなたは、舞鶴さんに対して感情を抑えられずに、ストーカー行為をしていると、結果的に二人が待ち合わせをしている場面にぶつかったというわけですね?」
と言われ、敦子は、ストーカー行為を自分から白状してしまったことに、ハッとしてしまったが、
「言ってしまったものは、しょうがない」
と思い、開き直った気持ちで、
「ええ、そうです。そんなものを見せられると、嫉妬心が燃え上がらないわけはないじゃないですか」
と、あくまでも、
「自分は悪くない」
と言わんばかりにわめきたてている。
完全に、自分を正当化することに必死になっているが、その時は、自分のストーカー行為は棚に上げていた。ということは、彼女は、話をする時、
「簡単に、自分のことを棚に上げることができる人だ」
ということなのだろう。
それを思うと、
「どこまで彼女の証言を信じていいのか見極めないといけない」
という思いと、
「思いつめているだけに、意外と勘が鋭くなっているのかも知れない」
という思いが交錯しているように思えるのだった。
「ところで、今回、舞鶴さんが殺されたことで、何か心当たりがありますか?」
と深沢刑事が聞いてみた。
その趣旨としては、
「自分が激しい嫉妬を覚え、ストーカー行為に及ぶほどの相手が殺されたというのに、平然と仕事に来ているという心境を考えた時、何かを知っていると考えるのは、自然なことではないだろうか?」
と案じることであった。
ストーカー行為を続け、他の女性との仲を疑って、嫉妬の炎を浮かべてしまうだけの女が、その大好きな相手が死んで、しかも、殺されたということになれば、普通であれば平常心ではいられないだろう。
そうなれば、考えられることとして、彼女の中で、大好きだった彼への弔い合戦を自分が演じようと考えるのではないだろうか?
そうなれば、まず犯人を知らなければいけない。犯人を知ったうえで、
「その犯人をいかに懲らしめてやろうか?」
ということを考えるに違いない。
だから、まずは犯人が誰かということが分かるまでは、少なくとも平静ではいられないのではないかと思うのだ。
ここまで落ち着いていられるのは、やはり少なくとも犯人についての心当たりがあって、しかも彼女の中で、自分が安心できるほど、信憑性があるものでなければ。ここまで落ち着いてなどいられるはずもない。
彼女は、見た目の大人の雰囲気と違って、一つのことに集中すると、自分を忘れてしまうほどになってしまうことを、自覚しているのだろうか?
冷静でいる彼女と、ストーカー行為を悪いことということを分かっていても、衝動に負けてしまうほどの弱いところのある彼女のどちらが、本当の彼女なのであろう?
だが、それは、あくまでも警察の勝手な理屈であって、何も人の性格が一つだとは限らない。
頭で考えていく中で、抑えられない感情を隠そうとしても、湧き上がってくる感情が冷静さを凌駕する結果になってしまうことだってあるに違いない。
それでも、冷静でいられるというのは、自分を納得させられるだけの根拠がなければいけない。
それが、彼女の中で、
「自分を納得させられるだけの根拠を持った。彼を殺したと思える人物を自分が納得できる形で思い描いている」
ということであろう。
しかしそれは、今だから冷静でいられるのだろうが、もし、冷静でいなければいけないと思っている状態であっても、犯人と思っている人物が自分の見える範囲にいたとすれば、そう簡単に平静でいられるだろうか?
ということは、
「少なくとも会社の人間であるわけはない」
ということが言えるのではないだろうか。
ただそれは実行犯という意味である。
もし、敦子の想像もつかないような人間は、本当の犯人であり、その場にいたとしても、分かるはずのない相手だったとすると、
「ニアミスではあるが、偶然とはいえ、その偶然は、本当の偶然ではなく、自分のために起こった必然なのではないか?」
と、後になって冷静に考えなければ、ここまで冷静になれるわけもない。
そんなことまで、敦子は考えを巡らせていた。この感覚は、夢でも見ていない限り、落ち着いて考えられるものではない。
あくまでも、夢を見ている時、
「本当の自分が第一人者として見ているわけではない。誰かもう一人、書記のような人間がいて、記録を取っているとして、それが夢の場合は、夢を見ている自分が自分のことでありながら、あくまでも第三者としての目線で見ているのが夢というものである」
と考えていた。
たぶん、彼女にとっての最近の夢見はいいものではなかったかも知れないが、自分が最悪の状態にいる時や、躁鬱症の鬱状態にいる時など、
「楽しいはずはないのに、しいて言えば、一日の中で一番楽しい時間があるとすれば、それは眠りに就く時であり、逆に一番つらいのは、目から覚めようとする瞬間」
であるといえるだろう。
つまりは、
「夢を見ている時が、一番幸せだということをハッキリと感じることができる瞬間なのであった」
といえるのではないだろうか?
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