第5話 個性至上主義と耽美主義

 深沢刑事が捜査本部に戻ると、そこで鑑識からの報告が上がってきていた。司法解剖も済んで、その報告も入っていたのだ。

 死因は、胸部をナイフで刺された時の、ショック死だという。出血多量ではあったが、ナイフが刺さったままだったことで、即死だったわけではなく、しばらくは生きていたかも知れないという見解だった。

「むごいことをする」

 と正直思った。

 このむごさは、返り血を浴びたくないという思いが、即死しなかったことに繋がっただけなのか、犯人も即死しないことを知っていて、少しでも苦しめてやろうという思いがあったということで、もし、動機が怨恨によるものであれば、その考え方も、無理のないものに違いないと思えるのだった。

 そして、死亡推定時刻だが、発見された時点で、6時間くらい経っていたのではないかということで、午後10時前後、つまり、9時から11時の間くらいではなかったかというのが、初見であったが、ほぼそれと違わない結果が司法解剖からも得られたのだ。

 さらに、被害者の胃の内容物の消化具合から、食後、3時間くらいだろうということで、夕食は、7時から8時くらいだったのではないかと推測される。別におかしな時間でもなんでもない普通の時間だったのだ。

 内容物には、魚介類に脂っこさがあるということから、

「天ぷらのような日本料理ではないか?」

 ということであった。

 その裏付けを別の刑事が取りに行っているようで、それもすぐに判明することだろう。

 だが、今回の解剖の結果、少し不思議なことがあるようだった。

 というのは、食事の後に、どうも被害者は、睡眠薬のようなものを服用しているのではないかということであった。

 だが、睡眠薬と言っても、そんなに強いものではない。即効性のあるものではなく、検出されたのは、微量だったという。

「これくらいなら、風邪薬などにも入っているくらいの微量なんだけど、風邪薬を飲んだという形跡はないんですよ。微妙な量の睡眠薬の成分ということだけが分かっているので、ひょっとすると、食事の中に入っていた可能性も無きにしも非ずというところであった。

「じゃあ、この睡眠薬が効いている間に、被害者は殺されたということになるんですか?」

 と聞かれた鑑識の人は、

「そうかも知れないけど、何しろ微量なもので、死体の発見がもう少し遅れていると、睡眠薬の成分を見逃していた可能性は非常に高いですね」

 というではないか。

 深沢刑事は、

「じゃあ、あの時間に死体が発見されなければいけない理由があったということですね?」

 と聞くと、

「そういうことになりますね」

「そう考えると、扉や窓が開いていたというのも分かる気がする。それより前だと、死亡推定時刻が完全にハッキリして、逆に遅いと、睡眠薬の成分が分からなかったということになる。考えすぎかもしれないが、計算された犯罪に思えてならないんだ」

 と、深沢刑事は言った。

「雁字搦めの時系列ということになるんでしょうか?」

 と若い刑事がいうと、

「うーん、そこにどういう意味があるかということなんだろうけどね。でも、あまりにも雁字搦めにして秒刻みで、事を行うと、どこかにひずみが出てくる気がするんだけど、どうなんだろうね?」

 と、深沢刑事は、どこまで捻くれて考えていいものかどうか、考えてしまうのだった。

「それにしても、睡眠薬というのはどういうことなんでしょうね?」

 と聞かれたので、

「被害者の部屋や荷物を見た時、薬のようなものは発見されたかい? それが風邪薬であってもいいんだけど」

 と深沢刑事が聞くと、

「いえ、これと言って処方された薬は見つかりませんでしたけど。まさか睡眠薬というものを意識していなかったので、常備薬の薬箱があるのは見ましたけど、中身を一つ一つ確認したわけではないですね、だけど、常備薬であれば、風邪薬くらいは、普通にあると思いますけどね」

 と、言うのだった。

「ということは、どういうことになるんだ? 睡眠薬で眠らせておいて、刺したということなのかな?」

 と、深沢刑事が聞くと、

「いいえ、それほど強い睡眠薬ではありません。だから、これは、犯人が飲ませたというよりも、本人が飲んだか、あるいは服用した薬に睡眠薬の成分が含まれていたかというっことになるんでしょうが、後者であったとしても、今のところ、鑑識では判別はできないですね。成分量が少なすぎます」

 と、いう鑑識の話だった。

「分かりました。とりあえずは、我々も、聞き込みなどでも、そのことを頭の片隅において、捜査していこうと思います。と言っても、なかなか難しそうですけどね」

 と、深沢刑事が言った。

「どういうことだい?」

 と、捜査本部長が聞くと、

「どうも、被害者の舞鶴という男は、あまりまわりと会話をすることもなく、いつも一人のようです。一人暮らしをしているので、家族からも聞けないし、マンションの住人も、ほとんど被害者のことは知らないようですね」

 と、深沢刑事が話した。

 すると、その横から別の刑事が口を挟んだのだが、

「舞鶴という男ですが、部屋の中を捜索しているとですね。預金通帳が出てきたんですが、ずっと貯金をしていたのに、ここ最近、毎月100万単位のお金をひきだしているんですが、これがちょっと気になるんですよ。どこかに振り込んでいるというわけではないので、まさか誰かに脅迫でもされていたのではないかと思ってですね」

 というのだ。

「それは興味深い話だけど、100万単位のお金をおろしているということは、それだけ貯金もあったということなんだろうね? そのお金も一体どうしたんだろう?」

 と深沢がいうと、

「そのあたりを含めたところも、捜査する必要がありそうだね。そうなると、殺害動機は、金銭トラブルということも考えられるからね。いろいろと幅を持たせて、今は考えられるだけの範囲で捜査をしてみてくれ」

 と本部長はいうのだった。

 とりあえず、捜査の順番として、彼の会社を攻めてみることにした。

 彼の会社は、小さな事務所での、少数精鋭という感じであったが、そこでは、六人の社員がいた。母体は、地元大手企業の営業所ということになるのだが、営業所としては、会社で一番の売り上げを誇っているという。

 舞鶴は、前の会社をリストラ対象にずっとなっていたのを、何とかしがみつく形だったのだが、この会社の存在を知り、所長の考え方に陶酔したことから、前の会社をさっさと辞め、この会社に再就職したのだ。

 ある意味、引き抜きだったという。

 実際に、この会社に移ってきてからの、舞鶴の仕事ぶりは、今までとはまったく違っていたようだ。

 再就職してから、10年になるが、その営業成績は、いつもトップクラス、全営業所を通じても、優秀な成績で、臨時ボーナスも結構もらっていたという。

 そんなだから、当然、他の会社からの引き抜きの話も結構あったようだ。

 しかし、この会社の所長を慕っているということで、少々の金を積まれても、移籍しようとはしなかった。それだけ、思ったよりも、律義な男のようだった。

 意外と、孤独な男ほど、一人の人間に対して律義にできているのかも知れない。それが、舞鶴という人間の本当の姿であれば、捜査方針も、少し変更した方がいいかも知れない。

 絶対とは言えないが、人から恨みを受けるような人間ではないのかも知れないと思うと、どうしても、イメージを変えざるおえないようだった。

 会社に行ってみると、なるほど、会社はこじんまりとしていた。何やら、デザイン関係の仕事をしているようで、舞鶴は営業をしていた。

 舞鶴は、趣味で彫刻をしていたので、その作品を一度、フリーマーケットに持って行ったところ、ここの所長から、

「買いたい」

 と言われ、そこで、デザインや彫刻、ひいては、芸術の話へと話が大きくなってくると、お互いに意気投合して、話が尽きなかったという。

 そんな二人に、他のデザイン担当が4人という会社であった。

 デザイナーも、男性2人、女性2人と、それぞれバランスよくいることが、少数精鋭でも、うまく行けている理由なのかも知れない。

 仕事は通常業務をしていたが、一つの机の上に花が飾られていて、そこが、そもそもの舞鶴の机だったことが見て取れた。彼がどんな人間だったのかは別にして、仕事はきちんと進まないと、自分たちが困るのだ。当たり前のことだが、そんな様子を見ているうちに、次第に複雑な気分になる深沢刑事だった。

 奥にいる所長に、

「すみません、警察の者ですけど」

 というと、相手は待ち構えていたかのように、表情が少し怖っているかのように見えたのだ。

「いよいよか?」

 と思ったのか、身構えたかのように一瞬見えたが、すぐに、

「こちらにどうぞ」

 と言って、奥の打ち合わせスペースに入った。

 そこはパーティションがあるだけで、完全個室ではない。会話の内容は、事務所に丸聞こえではないかと思えたのだ。

「さっそくですが、お聞きしたいのは、他でもない。先日殺害されました舞鶴さんのことなんですが」

 と切り出すと、

「ええ、何でしょう?」

 と、前のめりではないが、待ち構えていたのが、ありありに分かるのだった。

「舞鶴さんというのは、どういう人だったんでしょうかね?」

 と聞かれた所長は、

「そうですね。真面目な人でしたね。ただ、いつも一人でいるので、たまに何を考えているのか分からないところがありました」

 と、今まで聞いてきた内容をさらに裏付ける話に、

「いつも一人でいるタイプの人間だということは、ほぼ間違いないようだな」

 と感じた、深沢だった。

「なるほど、真面目過ぎるところがあるということでしょうか?」

 と聞かれると、

「そうですね。真面目過ぎというのとは、若干違うような気がしますね」

 というのを聞くと、

「とりあえず、無難にまじめだと答えておいたが、それを、真面目過ぎると言われると、さすがに否定したくなるような、そんな真面目さだったのだろう」

 と、深沢は考えた。

「真面目だというのは、真面目に見えるということでしょうか?」

 と聞くと、

「そうですね。本当のところの性格的なものは、本人ではないと分からないところだと思いますが、真面目に見えるということは、やっぱり真面目なんじゃないでしょうかね?」

 と言ったのは、

「死人に鞭打つような罰当たりなことはしたくない」

 という気持ちの表れなのかも知れない。

 深沢刑事は、そこで少し会話をやめてみた。相手がどんな表情をするのかを見てみたが、完全にこちらの様子を見計らっているのが、あからさまに感じた。

「どうやら、臆病風に吹かれているようだ」

 と感じ、これから、どんな質問をされるかを怖がっているのだろう。

 自分は別に悪いことをしているわけではないが、下手なことをいうと、自分が犯人にされてしまうかも知れないという思いがあるのかも知れない。

 それよりも、ひょっとすると事件以外でも、何かあるのかも知れない。それを考えると、余計に変なことを言えないということになるのだろうが、彼らにとっては、舞鶴が殺されたことよりも、さらにひどい何かを隠しているのかも知れない。

「舞鶴なんか、どうでもいいんだ。警察に知られると、自分の立場がなくなってしまう」

 とでもいうような、明らかな保身が、所長の頭の中には漲っているのかも知れない。

「舞鶴さんは、お仕事の方はどうでしたか?」

 と聞かれると、

「ええ、真面目にやってくれていたので、おかげさまで、彼の営業努力のおかげで、業績は右肩上がりで伸びていってくれていました。そんな彼がいなくなって、実に寂しい限りです」

 と所長は言った。

 これは、社交辞令なのか本心からなのか、ハッキリと分からない。そもそも、知らない相手を、こちらが知らない人と話をしようというのだ。そもそも、その考え方が間違っているのかも知れない。

 とりあえず、所長の話は、どうしても、一つの皮が結界のようになっていて、

「話をするだけ無駄」

 ということが、分かってくるだけであった。

 そう思って、早々に切り上げて、同僚に話を聞いてみることにした。

「全員一緒だと業務に影響するので、一人ずつか、2人ペアくらいでお願いします」

 と所長から釘をさされたが、こちらも、最初から皆一緒になどと思っているわけでもなかった。

「じゃあ、2人1組でお願いしましょうか?」

 と言って、ペアとすれば、男女も組み合わせの方がいいような気がした。

 女性同士、男性同士だと、お互いにけん制し合って、正直に言えなかったり、逆に同性同士ということで、こちらが聞きたいことと違う発想をされてしまいそうだった。一種の相乗効果のようなものではないだろうか。

 とりあえず、ランダムに選んだ二人からだったが、二人の様子にぎこちなさが感じられたことから、

「この二人は付き合っているのではないか?」

 と深沢刑事は感じた。

 だが、まずは、彼らから見た舞鶴がどんな人物なのかということが知りたかったので、何も気づいていないふりをしたのだった。

「君たちから見た舞鶴さんというのはどういう人だったのかな?」

 と聞くと、まず、男性の方が、

「そうですね。一言で言って、個性至上主義という人ですかね?」

 というではないか。

「個性至上主義?」

「ええ、個性というものを、何よりも大切に考えるということですね」

「個人主義とは違うんですか?」

「個人主義というのは、団体に対しての個人ということですね。個性というのは、切り口が違います。個人であるその人が、もっとも輝ける場所がどこかというのを追求するというんですかね? 要するに、他の人と同じではない。自分だけの世界を追求することなんです。個人であれば、そこに寂しさというものが孕んでくるんでしょうが。個性至上主義は、一人でいても、決して寂しいとは思わない。一人でいることの何が自分にとって一番いいことなのかということが分かれば、それに対して決して努力を惜しまないような人、個人でいても、寂しさがあれば、寂しくないようにするにはどうすればいいのかということを考えぬく人、それが、個性至上主義なんですy」

 と男性の方はいうのだった。

 横で女性は微笑んでいたが。

「確かに、今の彼のいうことは正しいと思う。私も、舞鶴さんのような、個性至上主義に近いんだと思うんですが、舞鶴さんを見ていると、私も何か違うような気がするのよと思ええるようになっていったのよね」

 と彼女は言った。

「じゃあ、あなたはそれを何だと思っているんですか?」

「最初は自分でもよく分からなかったんだけど、その正体が、どうやら、耽美主義というらしいと言われて、本当に言葉の意味も分からないくらいだったので、完全にキョトンとしてしまって、意味を聞きなおしたくらいでした」

「どういう意味だったんですか?」

 と聞かれた彼女は、

「耽美主義というのは、道徳やモラル、秩序などというものよりも、美というものが優先する考え方なんですよ。今ここでいうのは不謹慎かも知れないんですが、これが殺人であっても、殺された人間を美しく、大衆の面前で着飾ることができれば。それは殺人ということよりも、美を追求したということで、自分の中で正しかったと思うことなんですよね」

 というのだった。

「なるほど、以前、ミステリードラマで見たことがあるような気がしました。人を殺して、お花畑の中に晒してみたり、菊人形の首を挿げ替えてみたり。他の人が見れば、気持ち悪くしか思わないが、犯人にとっては、一つの芸術作品になったようなもの」

 だったのだ。

 美しいというものを作るのに。

「他の人の手を煩わせてはならない:

 という考えがあるが、少しでも情を感じると、いくら耽美主義でも、罪悪感が入り込んでしまうことになり、完全な耽美主義が完成しないということになるのではないだろうか。

「個性至上主義」とは、どこか似てはいるが、完成された作品ではまったく違うものに感じる。

 見たこともないくせに、似せようとして、強引に自分の考えを人に押し付けることになってしまうのではにないか。

 彼女の名前は、敦賀さくら子と言った。

 彼女の耽美主義と、殺された舞鶴の個性至上主義とでは、よくケンカになっていたという。

 もちろん、ただの言い争いで、主義主張をぶつけ合っていただけなので、よほど声が大きくて近所迷惑になったり、まわりの人に迷惑が掛かりでもしない限り、まわりの人が止めようとすることもなかったようだ。

「私も別に個性至上主義という、あの人の意見を頭から否定しているわけではないの。ただ、あの人が耽美主義に対して、犯罪だったり、人間のストレスなどのはけ口として使われることが、許せないというような話をしていたんだけど、私からすれば、彼の主張する個性という言葉だって、似たようなものじゃないって言っていたんですよ」

 と、少し舞鶴との会話を思い出したのか、少し興奮しているかのようで、本当は会話を一度止めなければいけないのかも知れないが、こういう時ほど、本音をいうのが女性ではないかと思い、少し様子を見ることにした。

「というと、どういうことなのかな?」

 と、話を続けさせた。

「個性というのは、個人至上主義というものの派生型ではないかと私は思っていて、そこは、舞鶴さんと意見も一致しているんですよね。つまりは、皆が一つの方向に向かって進んでいる団体主義と違って、その反対というだけの意味から個人至上主義というものがあるんです。つまり、意味とすれば、団体ではない一人一人という意味で解釈すればかなり広く考えられるわけです。だから、個性至上主義というのは、個人至上主義の中に含まれるともいえるでしょうね。でも、その個人至上主義というのは、狭義の意味で考えると、団体というものが、一つのものに向かって進んでいるのだとすれば、個人主義というのは、あくまでも、個人中心なんですよ。団体というものが、個人個人を殺してでも一つの大きな塊となって、塊だけを見ていると、決して、その中の一人一人は見えてこない。それこそ、何かを形成する大きな機械の歯車の一つでしかないんですよね。せっかく生まれてきたのに、死ぬまで歯車の一つとして、認識されることもなく生きていくということを人間である以上、本当に容認できるのだろうか? と考えるのが個人主義だと思うんです。そこまでは私も賛成なんですよ。個人が集まって、皆が皆、一つのところに何の疑問も持たずに進んでいく。平和に見えるけど、その頭にいる人が間違っていれば、一蓮托生で皆、下手をすれば、潰されてしまう。誰も、一つのことしか信じていないので、洗脳されてしまえば、誰も戒めてくれる人はいないわけですよね。それが、団体という考え方のもろ刃の剣の部分ではないかと思うんです」

 と言って、いったん話を切った。

 深沢刑事はここまで聞いていて、

「何かこれではまだ中途半端な気がする、これではただの個人主義の定義について、一部に触れただけではないか」

 と思っていると、少し休憩したあと、また彼女が話始めた。

「個人というものを構成しているものに、個性というものがあるんです。だから、個人という考え方あ、その中の個性を認めることから始まるんじゃないかとも思うんですが、その個性には、いいものもあれば、一般的に言われている悪い部分もあると思うんですね? それが、性的欲求であったり、性的犯罪に絡みそうな部分だったりですね。そういう意味で、耽美主義の耽美というのは、人間の個性の中に含まれると思うんです。そして、私はその耽美主義も個性の中の他の部分の、変質的なものがあったりするじゃないですか。例えば、SMプレイであったり、覗き趣味であったり、ストーカー気質であったりですね。その中で、耽美主義だけが、一種の別物のように言われてきたと思うんですが、私の中では、耽美主義も、個性の中の一種だと思っているんですね。SMプレイであったり、変質的な趣味と同じレベルというかですね。もちろん、犯罪になってしまうと、個性では済まなくなってしまいますが、個性である間は同じレベルのものだと思っているんですが、どうも舞鶴さんの中では、そうではない発想があるようなんですよね」

 とさくら子は言った。

「どうして別物だと思っているんでしょう? そのあたりは、話されたことはありますか?」

 と聞かれたさくら子は、

「ええ、話をしました。でも、舞鶴さんとしては、他の変質プレイに対しては、主義という言葉をつけて別に存在するわけではないが、耽美主義というのは、別に言葉があって、主義とついた時点で、個性とは別のレベルだというんですよね。実は私は最初、その意見に真っ向から反対していたんですが、最近になって、あの人の言う通りだと考えるようにもなったんです。それは私が耽美主義というものに少し考えが変わってきたということもその一つなのかも知れないですが、個性というものを、別の角度から見てみるようになったというのもあるかも知れませんね」

 と、さくら子は言い始めた。

「というのも、彼が言う個性というのは、結構幅が広いんです。一歩間違えれば犯罪になってしまいそうなことも個性として認めているので、特に女性である私は、とても許容できない部分が多かったんですが、ある日、彼が言ったんです。さくら子さんの言い分には、矛盾していることがあるってね」

「ん? それはどういうことで?」

 と聞き返したが、さくら子が、自分のことを、

「さくら子」

 と、舞鶴が読んでいたということを、公言しているということを気づいているのかいないのか、深沢には気づいているように思えてならなかった。

「私は、男女平等ということには、この会社でも結構厳格に考えている方なんです。だから、ここ数十年で盛り上がってきた男女平等の考え方を全面的に支持しているんですね。たとえば、呼称などがそうじゃないですか。職業などの場合で、今まで女性だけの仕事のように思われていたものは、わざわざ女性の接続詞をつけて呼んでいたでしょう? 看護婦だったり、スチュワーデスだったり、婦人警官であったりね。それをやめたじゃないですか、それを私は支持していたんです。でも、男性の中には、そこまでしなくてもと思っている人は若干名いると思うんですよね。舞鶴さんもその一人だったので、私はあの人と真っ向から衝突していたんですが、彼が考えている、男女平等の話を聞くと、どこか私の考えが違っているのではないかとも思えてきたんです。彼がいうには、男女平等だっていうけど、女性と男性では、埋めることのできない肉体の決定的な違いがある。男には子供が生めないので、それにかかわるような、生理であったり、体調だって、基礎体温が違ってみたりするわけでしょう? だから、女性に生理休暇を与えたりすることになる。それを女性は男女平等だと言いながら、黙認しているわけでしょう? それだって、矛盾だっていうんですよね。私もさすがにそれを言われると、何を言っても言い訳にしかならないという風に感じるようになったんですが、耽美主義を認めているのに、性的欲求の部分は許容できないというのは、確かに矛盾しているということを、肉体的な観点から指摘されると、理解できないとは、どうしても言えないんですね。いわゆる、敵に背中を向けてしまうことになり、そうなると、あっという間に一刀両断で殺されてしまうということになりますからね」

 と、さくら子は言った。

 さくら子がここまで熱く語っているのだから、なるほど、舞鶴という男が、彼女と喧嘩になるというのも分かる気がするが、さくら子の話を聞いている限りでは、いつも興奮しているのは、さくら子であって、どちらかというと、落ち着いているのは、舞鶴の方だったということを、自覚していたように思う。

 さくら子の言い分は、聞いていれば、

「舞鶴という人を誤解しないでほしい」

 と、必死で訴えているように思え、とても喧嘩の相手だとは思えない。

 もっと言えば、舞鶴を慕っているようで、喧嘩になるのは、慕っている気持ちが少し歪んだ形として、甘えたい思いが、何を言っても受け止めてくれる舞鶴に対しての、思いを甘えとして出したくないことでの、一種の、

「テレ隠し」

 のようなものではないかと、言えるのではないだろうか。

 それを思うと、さくら子が提唱している、

「耽美主義」

 というのは、ある意味、

「自分には到底できることではないが、そういう世界を認めるのは、舞鶴の考え方に対して自分も傾倒しているということを、本当は分かってほしいと思っている気持ちの裏返しだ」

 ということではないかと思えてきたのだ。

「ひょっとすると、このさくら子という女性は、舞鶴のことが好きだったのかも知れない」

 と思った。

 それが女としてというだけではなく、精神的のよりどころとしての、どちらかというと、認められる気持ちではないかも知れないが、

「男女の友情」

 というものが、恋愛感情とは別に存在しているのではないか? と感じているのではないだろうか。

 それが、さくら子と舞鶴の関係だったとすれば、平気な顔をしてはいるが、心の底では、耐えられないほど、心に余裕がない状態なのかも知れないと感じたのだった。

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