第4話 聞き込み


 早朝のまだ、どこも目を覚ましていない状況において、パトカーのサイレンと、パトランプの真っ赤な照明は、あまりにもセンセーショナルであった。

「二人きりの不気味な時間が終わったことで、ホットしている」

 という思いと、

「これから始まる警察による事情聴取への心構え」

 とで、複雑な心境になっている配達員は、待っている間に、一度だけ何とか放心状態の自分を奮い立てて、その場にいなければいけないこと、警察に通報したことを手短に連絡し、今日の業務が遂行できないことを知らせた。

 だから、この日の彼のその後の配達は、少し遅れることになるが、他の人が交代することになった。

 さすがに、死体の発見者ということであれば、そのまま仕事のために、立ち去れといえるわけもなく、

「そうか、分かった。後は警察の指示に従ってくれ」

 と、会社側はいうしかないだろう。

 一瞬だけ、我に返った配達員だったが、そこからまたすぐに放心状態になったことで、今度は、

「誰かに声を掛けられなければ、我に返ることはないだろうな」

 と感じた。

 このような精神的に極限状態のような雰囲気の場合は、我に返ることがどれだけ恐ろしいのかということを、完全に感じていたのだった。

 それからどれくらいの時間が掛かったというのか、やっと表が喧噪としてきた。ほとんどの家庭がまだ皆夢の中だろうと思ったので、パトカーのサイレンでも、起きてくる人はいなかった。

 扉が開いていることもあって、パトカーから出てきて、車の扉の音が閉まる音、さらに、階段や通路を歩く、乾いた靴音、数人の者だと感じた。

「2,3人というところだろうか?」

 と感じたが、

「いや、その後ろから、また違う集団がいるような気がする」

 と感じた。

「おそらく、最初は刑事さんで、後ろが鑑識の人ではないだろうか?」

 と、刑事ドラマをよく見る配達員は、放心状態の中で、冷静に考えた。

 冷静に考えることができたのは、これから自分が事情聴取を受けることが分かっているからで、何と言っても、死体の第一発見者という立場は、実に微妙なものだということを感じていたからだった。

 死体の第一発見者というと、ミステリーを見る人であれば、

「第一発見者を疑え」

 という法則があるのを知らないわけではない。

 しかし、自分とこの部屋の住民、そして目の前で断末魔の表情を浮かべているその人とは面識があるわけではない。

 自分が営業であるなら、面識はあるかも知れないが、基本的に、誰もが寝入っている時間に新聞を投函するだけのただの配達員である。そう思うと、

「基本的に疑われるということはないだろう」

 ということで、胸をなでおろした配達員だった。

「俺を疑うようなのは、無能な刑事だと言ってもいい」

 と思うと、放心状態でありながら、警察が到着したことで救われた気分になったと言ってもいいだろう。

 警察は、扉が開いていることで、ズケズケと中に入ってきた。やはり後ろから少し遅れて、鑑識の集団が迫ってきていたのか、鑑識は即座に初動捜査に入った。

 刑事の方は、すぐには入ってこなかった。どうやら入り口のところを見てから、扉が開いているのを不審に感じたのだろう。少し見ていたようだが、すぐに中に入ってきて、配達員を見つけた。放心状態で座り込んでしまっている配達員を見て、無表情で見下ろしているのを感じると、ゾッとするのを感じ、たった今、救われた気分になった思いが、一度リセットされたかのように感じたのだった。

 それでも。刑事と思しき二人のうちの一人は、すぐに中腰になって、目線の高さを合わそうとしてくれた。さすがそのあたりは警察もよく分かっているのか、またホッとしたような気分になった。

 こう何度も、心境の変化に見舞われ、同じような心境に陥るというのは、まるでらせん階段を下りていくようで、

「このままでは奈落の底だ」

 と感じながら、目の前にいる刑事が救世主のように、自分を恐怖から立ち直らせてくれるのを待ち望んでいるのを感じたのだ。

「あなたが、110番してくれた、新聞配達員の、灰谷君ですね?」

 と、刑事に言われた。

 刑事はそういいながら警察手帳を提示したが、何と言っても、あたりが真っ暗だったので、見ることはできなかった。

 もう一人の刑事が、

「電気つけていいですか?」

 と、おもむろに言ったが、基本的には鑑識に言ったということには違いないだろう。

 鑑識は、その声を聞いて、

「いいですよ。電気をつけてください」

 と答えたのは、いつもの刑事と鑑識の息が合っている証拠なのだろう。

 鑑識は、5人ほどいるようで、刑事は二人だった。金属のジュラルミンケースとでも言えばいいのか、

「鑑識セット」

 と呼ばれるのであろういろいろな検査キットのようなものが入っているようで、その中から取り出したもので、いろいろ捜査していた。

 被害者には二人が張り付いていて、もう一人の刑事が、覗き込んでいる。

「死因は、見ての通りの刺殺ですね。数か所刺されているようですが、致命傷は、最後に突き刺さっているこの傷ではないでしょうか? ナイフが刺さったままなので、それほど目立ちませんが、引き抜いたりすると、かなりの返り血を浴びることになると思いますね」

 と鑑識は言った。

「ということは、ナイフを刺したままだというのは、返り血を浴びたくないから?」

「そうですね。数か所刺したのは、それが致命傷になっていないことが分かったからでしょう。点々と血の痕がついていますが、それは致命傷までに刺された傷から出たものでしょう。つまり、致命傷を負わせることが最初からできなかったことで、結果的に何か所かあを刺してしまうということになったんでしょう」

 と鑑識がいうと、

「ということは、犯人の怒りが、数か所の傷になっているというよりも、犯人が殺害の素人だということで、結果的に数か所に傷が残ったということですか?」

 と刑事が聞くと、

「その可能性の方が高いと思います」

「なるほど、この事件の犯人は、ある意味、素人なのか、それとも、殺害は決意したが、実際に殺そうとすると、戸惑ってしまうというのか、根性なしの犯人だということも言えるかも知れないということですね?」

 と刑事がいうと、

「あくまでも、現場の状況を見た上での可能性からですね」

 というのだった。

 それを聞いた刑事は、今度は、被害者から離れて、別のところを物色し始めた。鑑識の話を聞く限り、間違いなく、これは殺人事件ということになるだろう。刑事はそう信じて疑う余地はなさそうだ。

 配達員を覗き込んでいた刑事は、

「灰谷さんは、いつもこのマンションを配達しているんですか?」

「ええ、そうです。でも、いつもこの時間なので、マンションの人と顔を合わすことはないです。他のマンションや一軒家も一緒で、それは、新聞配達員は、ほとんど一緒なのではないでしょうか?」

 という。

「それはそうでしょうね? でも、どうしてあなたは、この部屋で死体を発見することになったんですか?」

 と聞かれたので、表の扉が新聞を投函した瞬間に、フッと重たい扉が自然に開いたこと、そして開き終わってから中を見ると、窓も開いていたということ、

「こんな寒い時間に、扉も窓も開いているなんて、どう考えてもおかしいじゃないですか? 大丈夫ですか? と声をかけてみたんですが、中から返事がなかった。だから、中に入ってみたんです。案の定、窓は開いていて、真っ暗な部屋のそこのソファーに、ナイフで刺された人が座っているじゃないですか。これほど恐ろしいものはなく、とにかく急いで110番したわけです。警察の人に早く来てほしいと思う一心でしたね」

 というと、

「その間、他の部屋からの反応は?」

「皆さん。寝静まって言うようで、誰も反応がありません。だって、警察が来られている今でも、誰もこの部屋を覗こうとするような人はいないでしょう?」

 と言われて、刑事は時計を見た。

 時間とすれば、4時半くらいである。本当に早起きの人でも、まだ起きてくる時間ではない。一軒家で、年配の人がいれば、早起きの人もいるだろうが、マンションの構造から考えて、一人暮らしか新婚さんくらいの若い人しか住んでいないようなマンションなので、早起きの人がいないとしても、無理もないことであろう。

 しかも、マンションというと、特に隣人のことに誰も関わろうとしない。パトカーや救急車のサイレンの音が鳴っても、わざわざ意識して出てくることもないだろうと、刑事は思っているようだった。

「ということは、このマンションの人のことは、あなたに聞いても分かるわけではないということですね?」

 と刑事がいうと、

「ええ、そうだと思っていただいていいと思います」

 と言った瞬間、灰谷配達員は、

「そっか、ひょっとして犯人が窓を開けたり扉を開けたりしていたのは、第一発見者を、配達員であるこの俺にしたかったということかも知れないな」

 と感じた。

 犯人は、自分のことやマンションのことを知らない、あくまでも第三者に発見させたかった。そこにどんな理由があるのか分からないが、作為的なものを感じた。

 その答えを与えてくれたのは、実は刑事だったのだが、

「灰谷さんは、いつも同じ時間にここに配達に来るんですか?」

 と聞かれ、

「ええ、よほど、出発に戸惑いでもない限り、いつも配達コースは決まっているので、たぶん、前後10分くらいの誤差しかないと思っています」

 と言って、刑事が何を考えているのかを探っていると、

「ということは、ここの窓や扉を開けていたのは、配達員であるあなたに発見させたかったんでしょうね」

 というではないか。

「どういうことですか?」

 と、灰谷がいうと、

「それはね、なるべく早く死体を発見させたかったからなのかと思っただけど、それだけではなくて、どんな理由があるのか分からないけど、発見させる時間を特定させたかったんじゃないかな? 他の人だったら、ここまで正確に、犯人が考える時間に死体が発見されるということはないはずだからね」

 というのだった。

 それを聞いた鑑識は、

「そうかも知れないですね。我々もそのつもりで捜査しましょう」

 と、後ろから声を掛けた。

 殺人事件だから、当然、司法解剖に回されることだろう。

 灰谷はただの、

「死体の第一発見者」

 というだけのことなので、それ以上首を突っ込むことができないが、さっきの、

「第一発見者を自分にしたことに、犯人の意図がある」

 と刑事が言ったことで、それが、

「第一発見者を疑え」

 という、推理小説の鉄則のような話にはなっていないということを言っているようで、灰谷は安心していた。

 刑事がそのことを暗に示しているのを無意識なのか、それとも、わざとなのかは分からなかったが、少なくとも、ホットした気分になった灰谷だった。

「それにしても、へんてこな事件だ」

 と、テレビの2時間サスペンスなどが好きでよく見ていた灰谷だったが、このような展開は、まるでドラマのようで興味があったが、このように、わざと死体を発見させる相手を決めるというような話は、あまりないような気がした。

 逆に、本などの、推理小説の方が多いのではないかと思ったが、いろいろ考えてみると、犯人にとって、第一発見者を決めておくための何かの思惑があるとすれば、

「アリバイトリックのようなものではないかな?」

 と、灰谷は考えていたのだった。

 第一発見者という立場を忘れて、すっかり探偵気分になっている灰谷だったが、自分が事件にまた関わることになるのかどうか、考えただけで。ドキドキしてくるのだった。

 灰谷が発見したことで、自分の中で、

「何か、犯人にしてやられた気がして、癪に障るな」

 と思っていた。

 こんなことなら、自分が犯人逮捕に少しは協力してやるというくらいにすら、感じているほどだった。

 しかし素人が探偵ごっこのようなことをしても、却って警察の足を引っ張ることになるし、何よりも自分が危険である。癪に障った気持ちを抑えて、冷静になることが必要だった。

 どちらにしても、この事件は、捜査本部が置かれるような事件なので、新聞に載ったり、ネットニュースになることは間違いない。

 灰谷は、そのあたりを少し気にして見ることにした。

「新聞配達員だということを忘れるところだった」

 と思わず笑ってしまうところだったが、とりあえずは、今は、第一発見者としてのこと以外に、何もできるものではないのだ。

 遺体は、このマンションの住人である、舞鶴佑だということはすぐに分かった。隣人や、管理人の証言で分かったものだった。

 だが、誰なのかということは分かっても、舞鶴という人間がどういう人間なのかということまでは、隣人や管理人などのマンションの人からは得ることはできなかった。

 部屋を捜索していても、友達とのやり取りも、ほとんどない。

 舞鶴の過去を調べてみると、結婚歴が一度あることが分かった。そのことについて管理人や、隣人に訊ねてみたが、

「舞鶴さんが、結婚されていた時期があったという意識は相当昔だったという感覚しかなくて、もう、ほとんど覚えていないくらいですね。何しろ、結婚している時も、一人になってからも、ほとんど声をかけることもないほどに、近所づきあいのない人だったですからね」

 と、いうのは管理人の話だった。

 ご近所に至っては、

「結婚? あの人が? まったく意識はなかったですね。何しろ、顔を見ても、向こうから視線を逸らすような、本当に人と関わりたくないというほどの人で、人と関わると、急に怒り出す人がいるじゃないですか。ひょっとすると、あの舞鶴さんという人はそういう感じだったんじゃないかと思うんですよ」

 という。

「どういう意味ですか?」

「だからね、人と関わることで、自分が怒りの感情を出さないと、時間が無駄だったかのように思う人がいるらしいんです。以前自分の知り合いに、そんな感じの、面倒臭い人がいたんですが、舞鶴さんというのは、よく見ていると似ているんですよ。特に、視線のそらし方なんかそっくりなんですよ、視線をそらしているくせに、顔を背けながら、チラチラこっちを見ているんですよね。つまり、わざと相手を怒らせようとしているかのようなですね」

 という、

「ほう、それは興味深いですね」

「そうなんですよ。わざと相手を怒らせて、自分がその後怒ることを正当化するかのような感じなんですよ。まるで、後出しじゃんけんのような感覚がするので、それだけでも、怒りがこみあげてくるじゃないですか。だから、相手がどこまで計算ずくのことなのか分からないので、すべてが、相手の思うつぼに嵌っているような気分にさせられるんですよ」

 というのだ。

 この刑事は、通報があって、最初に駆けつけた刑事で、灰谷に事情聴取を行った、名前を、深沢刑事という。

 深沢刑事は、第一発見者の灰谷配達員のことが少し気になってはいたが、事件に直接の関係はなさそうだったので、その日は、すぐに帰ってもらった。そして、そのまま、一度署に帰ってから、また出かけてきたのは、早朝であまりにも早い時間だったからだ。

 午前10時頃に、再度現場に行くと、事件現場はしっかりと、縄が張られていて、さすがにその時間は、近所も事件のことで、喧噪とした雰囲気になっていた。

 それくらいの状態の方が、事情聴取しやすい。しかも、聞く相手も、興奮状態が少しずつ収まってくる頃なので、質問をすれば、一番聞きたいことを得られるくらいであったのだ。

 奥さんたちが集まって、ウワサ話をしているところに、深沢刑事が入っていった。

「すみません。K警察のものなんですが、よろしければ、お話を伺えますか?」

 と言って、恐る恐る話しかけると、皆、それぞれ微妙な顔をしていた。

 こういう時に話しかけると、

「話しかけられて億劫だ」

 というような気持になる奥さんと、反対に、

「面白くなってきたわ」

 と、普段のマンネリ化を打破してくれることでの、刺激を楽しみにしている人がいる。

 しかし、警察に話し掛けられると、皆、似たような顔になり、それぞれの本当の心境が分かりにくくなるのはなぜだろうか? 苦虫を噛み潰したような表情に皆なっていることで、素人が見ると、誰がどういう性格なのかまったく分からないのだろうが、百戦錬磨の刑事であれば、それくらいのことは、すぐに分かるというものだった。

 3人ほど奥さんがいたが、井戸端会議をするにはちょうどいい人数なのかも知れない。二人だと、意見がぶつかってしまうし、4人以上だと、集団という印象が強くなり、話をしない人が出てくるので、井戸端会議は、たぶん、3人がベストなのではないだろうか。

 さっきの管理人の鋭い指摘を頭に思い浮かべ、

「殺された舞鶴氏というのは、ああいう感じで、怒りをその場に引き込もうとするおかしなところがある人だ」

 ということを、思い出していた。

 奥さんたちには、そういうことを管理人が話していたとは言わない。

 その方が新しいシートに新しい事実が出てくるということもあるだろうし、管理人がそう思っているということで、

「私たちもそういう目で見られている」

 という先入観を植え付けてしまうと、

「警察が、このマンションの平和をかき乱していった」

 ということになり、今後一切、協力を得られなくなってしまうということが怖かったのだ。

 奥さんたちの井戸端会議は、さすがに殺人事件ということもあり、皆、口数が少なかった。

 それは二つの理由が考えられる。

「殺人事件ということで、恐縮しないといけないと皆が感じていて、余計なことを言わないようにしないといけない」

 と感じていること。

 さらにもう一つは、余計なことをいうという以前に、そもそも、隣人である舞鶴氏のことを、

「まったく知らない」

 ということで、話題にしても、すぐに終わってしまうということになるからであろうか?

 それを思うと、奥さんの井戸端会議というのは、その会話の中身というよりも、その場の様子からの方が、えてして、真実に近づけるのではないかという発想もあるのではないだろうか?

 奥さんたちを見ていると、

「後者ではないか?」

 と思えてきた。

 つまりは、

「舞鶴という男は、近所づきあいが苦手なのか。それともわざと近所と接しようとしないのか、近所の人からあの男の詳しい話を聞きこむことは、最初から無理だった」

 ということであろう。

「皆さんは、こちらは長いんですか?」

 と聞くと。

「私は、もうそろそろ10年になるかしら? でも、他の二人はそこまで古いわけではないですよ」

 と、3人の中で、リーダー格の人がそう言った。

「そうね、私は、5年とちょっとくらいかしらね、こちらの奥さんは、まだ2年くらいだと思うわ」

 ともう一人がいうと、一番若い奥さんは、頷くだけだった。

「じゃあ、奥さんは、殺された舞鶴さんの奥さんというのをご存じなんですか?」

 と聞かれたので、

「ええ、知っていますよ。あの二人は最初の頃は、本当に新婚さんという感じで、ラブラブに見えたんですが、3年目に入るか入らないくらいから、なんかぎこちなく見えてですね。離婚は時間の問題だって思いましたよ」

 とベテランの奥さんは言った。

「このマンションに引っ越してきた時、ちょうど結婚してから部屋を探したという感じなんでしょうか?」

 と聞かれると、

「ええ、そうです。その件に関しては、奥さんから直接聞いたので間違いないと思いますよ。旦那が一生懸命に探してきたって、自慢げに話をしていましたね」

 というと、もう一人の奥さんが、

「へえ、あの奥さんがそんな殊勝なことを言っていたんですね。私は離婚寸前くらいからしか知らないので、まさかあの奥さんにそんな時代があっただなんて、信じられないわ。ということは裏を返せば、どんなに仲がいい夫婦だって、一歩間違えれば、離婚ということになるということなんでしょうね?」

 というと、

「それはそうよ。離婚というのは、前の日までは、自分の唯一の味方だと思っていた人が、たった一日で、話しかけるだけでも怖い存在になってしまうのが、男と女というものなのよね。だから、そのことを感じた時、離婚が頭をよぎるんだと私は思うわ」

 と、ベテランの奥さんが、しみじみと語った。

「すごいですね。奥さんは、離婚経験がないのに、よくその心境がお分かりになられますね」

 ともう一人の奥さんがいうと、

「私のところは、いつもが離婚の危機なのよ。でも、いつもギリギリのところで離婚を回避する、おかしな夫婦でしょう?」

「でも、今、そういう夫婦多いみたいですよ。自分のところだけかと思っていたら、皆同じだったというような話を結構聞きますからね」

 と、3人はそれぞれ目の前に刑事がいるのを分かっていて、敢えて話しているようだった。

 深沢刑事も敢えて、井戸端会議を邪魔するつもりはない。むしろ、奥さん同士のこういう会話の中から、真実が聞かれるのではないかと思い、笑顔を浮かべながら、話をしっかりと聞いていたのだ。

 奥さんたちの話は、それなりに的を得ているような気がした。実際に聞きたいことにまでは辿り着いているような気はしないが、

「どこかでニアミスが発生すれば、そこから、派生するものが絶対に出てくるはずだ」

 と思っている。

「1足す1は2」

 だという答えが本当なのか、本当は本当であるだろうが、他に答えがあるのではないか?

 という思いに至るのであった。

「ところで、舞鶴さんというのは、どういう人だったんですか?」

 と、話が佳境を通り超えた頃、思い出したように、深沢刑事は聞いた。

「ああ、そうね。あの人はとにかく、まわりに関わることのない人だったかな? でもね、一人で部屋にいる時、勧誘とかの営業が呼び鈴を鳴らしたりするでしょう? そうすると、ここまでしなくても、というほどに、怒り狂って叫んでいるのを、何度か聞いたことがあるわ。あれは、きっとたまった鬱憤やストレスを、一気にはじき出すとしているのではないかと思うのよ」

 と、ベテランの奥さんが言った。

「それは分かる気がするわ。でも、私はそういう人って、よほど若いか、年配の人にあるんじゃないかって思っていたんだけど、まだ、中年にも差し掛かっていない舞鶴さんに、そんなところがあるというのは、少し意外だったわ。それも、家族があって、家族の不満をぶつけているなら分かるんだけど、家族もなくていつも一人のあの人が、何に対して鬱憤があるのかしらって、不思議に思っていたのよね」

 と、一番若い奥さんが言った。

「なるほど、奥さんたちがたぶん、感じていることは、それぞれに説得力があるような気がしますね。我々も今の話を考慮に入れて、捜査してみることにします。もし、また何かを思い出したりしたら、K警察の、深沢といいますので、こちらにご連絡ください」

 と言って、深沢刑事は、井戸端会議を早々に切り上げた。

 井戸端会議というのは、両極端で、開放的なグループは、最初にすべてを明かしてくれるので、ある程度まで聞けば、もう後はいいのだ。今回がそうであった。しかし、逆になかなか本題を切り出さないグループは、どうでもいいような話に終始して、最後のどさくさに紛れて本音をいうようだ。

 それがわざとなのか、習性のようなものなのか分からないが、今までの経験がそうであった。

 それを思えば、今回の聞き込みは楽な方だったといえるだろう。

 奥さんたちに礼を言って、深沢刑事は、その場を後にしたのだった。

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