第3話 第一の事件

 そんな人生を歩んできたのが、舞鶴佑という男性だった。

 結婚したのは、28歳の時で、離婚が33歳だった。今は、38歳なので、離婚して一人になった時間が、結婚していた時間と同じ時間となったのだった。

 舞鶴が入社した時は、もうバブルが弾けた時期の混乱はなくなっていた。

 結婚した時は、自分がまさか個人至上主義だなどと思ってもいなあったのだが、そのことに気づかされたのは、自分の勘違いからだった。

 結婚して一年目くらいは、女房は専業主婦だった。しかし、一年が過ぎるくらいからだっただろうか。

「私、働いてみようかしら?」

 と言い出したのだ。

 確かに舞鶴の給料だけでは、贅沢はおろか、ちょっとした密かな楽しみすら何も味わえないというのが分かってきたことで、

「女房も働いてくれれば、少しは楽になるんだけどな」

 と、苦しくはないが、精神的に余裕もなく、

「これが普通なんだ」

 と、楽しみが何もないことへの言い訳のように思っていた。

 それを女房が働いてくれるということで、家に入れる、家賃であったり、食費も、折半のようにすれば、精神的にも余裕が出てくるというものであった。

 そのおかげで、趣味の時間を持つことができるようになった。週に2回ほど、仕事が終わってから、市がやっている、彫刻の講座に参加していた。

 そもそも、何もないところから何かを新しく作り出すことが好きだった舞鶴なので、彫刻がどんどん面白くなっていったのである。

 そのおかげで、随分と気分的に余裕ができるようになり、自分一人の時間を大切にするようになったのだ。

 そのおかげで、自分の時間を大切にしている自分のことを客観的に見ることができるようになり、女房とも、新たに向き合えるような気がしていたのだ。

 しかし、女房の方はそうでもなかった。まだ仕事を覚えていなかったこともあって、精神的にそれどころではないようだった。

 派遣社員として事務の仕事をしていたのだが、結構精神帝にきついようだった。

 前の自分なら分かってあげられたのかも知れないが、その時には、自分の時間を大切にする楽しみを覚えてしまったことで、女房との間に、気持ちの隔たりが大きかった。

 そのことを敏感に察知した女房は、舞鶴とのぎこちなさから、何も相談できないでいた。

 そのために、会社の上司に相談するようになり、会社から自宅に帰ってくる時間が次第に遅くなってくるのだった。

 最初は、心配した課長が、食事に誘ったことがきっかけだったが、課長は、それ以上の意思はなかったにも関わらず、

「誰もいいから、縋り付きたい」

 と思っている女房にとっては、渡しに舟であり、思い切りしがみついた。

 実際に不倫をしていたわけではないが、誘われるのが毎日になり、次第に帰宅時間も遅くなってくる。

 せっかく、女房との時間を大切にしたいと思っている舞鶴は少し気になってきた。本当は遅いくらいなのだが、まさか、女房の方で、旦那を避けているとは思っていない舞鶴は、女房の様子に、怪しげなものを感じていたのだった。

 その思いから、ある日、女房を尾行してしまった。本当はそんなことをするつもりはなかったのだが、

「尾行しよう」

 と一度でも思ってしまうと、抗えなくなってしまったのだ。

 実際に尾行してみると、課長と飲み屋で楽しそうにしている姿を見せられることになった。

「あんな楽しそうな女房の顔、見たことない」

 と思ったのだ。

 本当は、交際期間中や、新婚当初にはしていた顔だったのだが、すでに、それも思い出せないと思うほど、女房との距離が開いていたのだ。

 それから、舞鶴は、

「あいつは不倫しているんだ」

 と思い込んだ。

 だからと言って、それを追求する気持ちもない。そして、さらに尾行を続ける気もなくなった。

 もし続けていれば、それが不倫ではないということは分かったはずなのに、そこまでしなかったのは、すでに、自分が冷めてしまっていることが分かったからだ。

「さあ、どうしよう」

 と考えた。

「尾行していたことを、女房に話して、最後通牒を突き付けるか?」

 それとも、理由からちゃんと聞きただして、

「大人の対応をしようか?」

 など、いろいろ考えたが、結局考えがまとまらず、そのまま放置の状態になった。

 考えがまとまらないというよりも、考えることが億劫であり、面倒くさいという考えや、

「何で、この俺が、不倫をした女房のために、こんな思いをしなければいけないんだ?」

 という考えが、頭の中を交錯していた。

 結局、どうすることもできず、不倫の現場を見つけてしまった自分に自己嫌悪を覚え、どうすることもできない自分は、放置するしかなかったのだ。

 だからと言って、自分が不倫をしようとは思わなかった。相手だけが、不倫をしたことを知っているという思いがあることで、相手に対して、いつでも自分が優位だということを感じられる状態でいたいと思っていたのだ。

 だから、ここで慌ててしまって、事を荒立てるよりも、

「自分には、秘密兵器があるんだ」

 という、相手の弱みを握っていることで、精神的な優位に立つことが、これからのためだということを考えたのだった。

 だから、こんな関係が、3年くらいは続いただろうか。

 さすがに女房も耐えられなくなったのか、実家に帰ってしまった。舞鶴も、無理に連れ帰ろうともしない。

「相手がどう出るか?」

 というのを、見守っているだけだった。

 きっと、実家の嫁さんの親も、

「変な家庭だ」

 と思ったことだろう。

 きっと、女房も親には何も言わないはずだ。というのも、女房自身がなぜこんなことになったのか分からないからだろう。

 そのうちに、女房の方がキレてきた。そして、

「離婚しましょう」

 と言って、離婚届を突き付ける。

 離婚の理由はどこにあるのかなど関係ない。舞鶴も、送ってきた離婚届に判を押して、そのまま役所に舞鶴が持って行った。

 離婚に際しても簡単なものだった。

「結婚の時に持ってきたものは、私の方で引き取らせてもらいます」

 と言って、日を決めて、女房が引き取っていった。

 残ったものだけで、生活していくことは別にできるので、困ることはなく、舞鶴は面倒なこともなく、離婚したのだった。

「離婚って、結婚の数倍疲れるというが、俺はそんなことはなかったな」

 と、舞鶴は感じた。

 お互いに慰謝料請求もなく。無事に離婚に至ったのだ。

「こんなに簡単に離婚できるんだ」

 と思うと、なるほど、離婚する人が多いわけだと、感じたのも、無理もないことであった。

 これは、結婚3年目くらいで分かったことだったが、女房が不倫をしていたなどというのは、あくまでも、舞鶴の一方的な思い込みだった。

 だからと言って、一度冷めてしまった思いを引き戻すことはできない。女房の方も、必死で舞鶴にしがみつこうとはしなかった。すでにその時には、課長に相談することもなくなっていて、実際に男性と付き合っているわけでもなく、女房自身も、何か、

「一人の時間に、目覚めたのではないだろうか?」

 と感じたのだった。

 結婚から離婚までが5年。あっという間だったような気がしたが、思い出すと、思い出せない部分が多すぎる。離婚経験のある人が、結婚していた時を思い出す時というのは、こういうものなのだろうか?

 離婚してからの舞鶴は、完全に彫刻の世界に嵌っていった。

 実は、離婚問題が深刻化していた時期、すでに彫刻では、少し才能が開花し始めていた。

 といっても、あくまでもアマチュアという意味でのことであり、彫刻教室のコンクールでは、市の代表の一人に選ばれたりしていた。

 先生からは、

「なかなか奇抜なアイデアが、選出の理由だということなので、その才能を磨きながら、基本をしっかりマスターしていけば、なかなかいい彫刻をどんどん作っていくことができるでしょうね」

 と言ってもらっていた。

「ありがとうございます。頑張ります」

 ということで、自分のやってきたことが間違っていなかったという思いを再確認できたことと、離婚問題を抱えていることで、

「このまま、離婚しても、俺には彫刻の道があるんだ」

 という思いがあることで、

「俺としては、どっちに転んでも悪いようにはならないさ」

 と思っていた。

 だから、女房に未練はなかったし、逆に、勘違いではあったが、あの時、確認しようと思わなかったのは、事実を知るのが怖かったからだと思っていたが、よく考えれば、

「女房のことを、それくらいにしか思っていなかった証拠ではないか?」

 と考えると、女房を疑ったことを、悪かったとは思わなかった。

「そもそも、相談事があるなら、俺になぜしないんだ?」

 と思ったのだ。

 もっとも、一番できる相手ではないのが、夫である自分だったのだということに気づかない自分が悪いのだろうが、それも、結果論である。

 離婚が成立した時も、女房に対しての思いは何もなかった。相手もまったく表情を変えていなかった。気持ちの上ではスッキリしていたのかも知れない。

 なぜなら、それは自分も同じことで、

「俺は自由なんだ」

 と、思ったが、そう思った瞬間、妙におかしな気持ちになった。

 だから、離婚をして自分が自由にはなったが、

「自由なんだ」

 とは、思わないことにしたのだ。

 とりあえず、彫刻を頑張ることにしたのだった。

 舞鶴は、一日のうちの一時間を彫刻に費やすようにした。

 最初は、

「休みの日だけ、数時間費やせばいいか?」

 と思ったのだが、離婚してから、毎日無為に時間を過ごしているのを感じた。

 それは、自分が自由であるはずなのに、自由であるということを感じると、おかしな気分になるからだった。

 だから、一日の終わりに、充実感を味わって終わるようにしようと思うと、ちょうど、仕事から帰って、諸々の用事を済ませてから、一時間ほど彫刻をすれば、寝る前の一日の終わりを、充実感で終われるようになった。

 その思いがそれまでになかった、自由だという思いを名実ともに、証明してくれているようだ。

 つまりは、充実感がなければ、自由というのが、中途半端でしかないということに気が付いた。

 自由というものを、離婚という代償を払って手に入れたからなのだろう。そう思うと、自由というのは、

「必ず何かの代償を伴うものであり、自由だけではない充実感を得ることができなければ、自由というのは、本当の自由とは言わないのではないか?」

 ということだと感じたのだ。

 確かに考えてみれば、自由だけがあっても、ただの空白の匣ではないか。その匣の中に、何を入れるかというのが大切であって、匣の中に何が入っているかということや、匣を持ってみて、重みを感じることで、自由を得ることができたという思いを、初めて感じることができるのであろう。

 それを思うと、彫刻に勤しんでいる自分の姿が、まるで影絵のように見えてきて、後ろの背景が明るくなってくるのを感じた。

「この明るさが、俺のこれからを暗示しているんだ」

 という妄想を抱くようになったのは、それが、

「個人至上主義」

 だという証明なのだと思ったからだった。

「人と一緒にいるのが嫌だ」

 と感じた時期が、今までにもあったような気がした。

 今は、嫌だというよりも、億劫だという感覚なのだが、以前に感じた、嫌だという思いとは若干違っているように思う。

 その感覚は、身体がムズムズする感覚だった。だから、誰かがそばに寄ってくると、感覚がおかしくなるのを感じたからだ。

 それが性欲だということを知ったのは、それからしばらくしてからだったような気がする。

「そうだ、あれは思春期だったんだ」

 ということを思い出した。

 性欲という言葉で思い出したのだが、自分の中では、思春期と、性欲というのは、ほぼ同意語に感じられた。

 つまりは、

「思春期とはどういう時期なのか?」

 と聞かれると、

「性欲を身体全体で初めて感じられるようになった時期だ」

 と答えるだろう。

 自慰行為をしたのも中学時代。白い液体が出てきて、ビックリしたものだった。だが、まるでサルのように、痛くなるまで自慰行為をしたのを思い出す。果てた後の憔悴感が、身体のだるさを感じさせ、身体のだるさは、全身が性感帯になってしまったことを思わせる。

 それが思春期であり、性欲と同意語だ」

 と思わせるゆえんであった。

 授業中に、クラスメイトの不良と呼ばれる連中が、聞きたくもないのに、まわりを囲むように、先生から見えないようにして、頼んでもいないのに、性教育をしてくれた。

 先生も、見えているのに何も言わない。不良が怖いのだ。舞鶴も、そんなヘタレな教師に気を遣う必要もない。不良も教えてくれるというのだから、素直に聞こうと思った。ハッキリいえば、興味があるから聞きたいのだ。

「そうそう、手でこすれば、どんどん、気持ちよくなってくる」

 と言われ、触ってもいないのに、ゾクゾクしてくる。

 何に反応したのかというと、

「気持ちよくなる」

 という言葉に反応したのだった。

 今でも、エッチをした時、女がいう言葉で、一番興奮するのは、

「気持ちいい」

 という言葉であった。

 そんな思春期の性欲は、元々自分の中にあったものを証明しているかのようである。

「俺って変態なんじゃないか?」

 と思い、

「人に言ってはいけないことなんだ」

 と思うことを自分の中で隠していることが、興奮するのだ。

 そんな思いを、面白い言葉で表現しているクラスメイトがいた。

「変態であっても、それは個性なんだ」

 と言っていたのを今でも思い出す。

 そういえば、

「不倫は文化だ」

 と言っていた、どこかのトレンディ俳優がいたが。さすがに最近は、少しくどい気がしてきたが、その言葉を言った時は、まだまだ恰好いいと思っていた。

「男前やイケメンは得だよな」

 と思ったほどだが、自分が男前やイケメンにはなりたいとは思わなかった。

 というのは、

「男前やイケメンというのは、その素質を備えていないと、いくら、顔が格好良くても、頭でっかちのようで、バランスが取れず、最終的に突き詰めると、格好悪い方に行ってしまう」

 と、思うのだ。

 そして、これはあるギャグマンガで読んだセリフだったが、主人公が、まわりから、

「お前は変態だな」

 と言われて、

「変態だって、立派な個性だ」

 と言っていたのを思い出し、思わず、

「恰好いい」

 と思ったのだ。

 それこそ、言葉が似合っているのは、男前の証拠なのではないだろうか?

 以前から、個性という言葉に、一種の親しみのようなものを感じていたのは、自分が、

「何か新しいものを作り出すことが好きな性格」

 だったからである。

 これは彫刻に限らず、できることであれば、マンガを描いたり、絵を描いたり、小説を書いたり、ゲームを自分で作ってみたいと思ったこともあったくらいだ。

 そのほとんどが芸術的なものであることから、個性という言葉や、文化という言葉には敏感だったのだ。

 大学時代は、小説を書こうと思い、本をいろいろ読んでみたりしたが、挫折した。ミステリーなどの推理小説を書いてみたいと思った。当時の学生時代の数少ない友達に、推理小説が好きなやつがいて、彼は小説を書いていて、

「いずれは、ミステリー大賞を受賞してみたいな」

 と言っていた。

 しかし、その友達に、

「プロを目指すのかい?」

 と聞いてみると、

「いやいや、俺はプロは目指さない」

 という、謙虚な答えが返ってきた。

「どうしてだい? 大賞を狙うんだったら。プロになる登竜門だと思っているんじゃないのかい?」

 と聞くと、

「最初はそんなことを考えたこともあったけど、プロになって、仕事にしてしまうと、これほどきついものはない。缶詰にされて、プレッシャーと息苦しさの毎日、一作品できたとしても、また次の日から同じことの繰り返しだよ。もっとも、それくらいでなければ、売れっ子作家ではないので、売れっ子でなければ、作家と言っても、ほとんど金にならない惨めな生活をすることになるのが目に見えているだろう。そんな生活、どっちも嫌なんだ」

 と、友達はいうのだった。

「そうなんだね?」

 と聞くと、

「それにね。自分の書きたい作品が書けなくなる可能性があるじゃないか。プロになると、出版社には、どうしても勝てない。こちらが書きたい作品ではなく、売れる作品しか書かせてくれない。缶詰になって必死に描く作品が、そんなんじゃあ、たまったものじゃないだろう?」

 というのだった。

 確かにそんな状態であれば、何のためにプロになったのかって思うことだろう。

「趣味と実益を兼ねた」

 という言葉があるが、今までは、

「趣味を仕事にできれば、どんなにいいか」

 と思っていたが、現実はそうではない。

 趣味だから、やっていて楽しいんであるし、それが仕事になってしまうと、何と言っても、相手からお金をもらうのだ。もらえなければ、食べていけない。そのためには、自分の気持ちは完全に犠牲にしなければいけない。そう思っても、

「じゃあ、もう、趣味だけで行きます」

 といえるだろうか?

 小説家になるために、それまでしていた仕事を辞めて、小説家一筋にしてしまうと、すでに退路はないわけだ。

 それに、趣味であれば、

「やりたい時にやりたいようにすればいいんだ」

 というものが、プロであれば、注文がなければ、書いても発表することはない。

 まったくの無駄になってしまうのだが、プロになる前に、そんな惨めな思いを想像したこともなかっただろう。

 それを思うと、

「趣味は趣味なんだ」

 と思うようになり、小説は、好きな時に好きなように、と思うようになったのだ。

 そんな舞鶴氏が住んでいたのは、K市中心駅から、徒歩10分ほどの小さなマンションだった。エレベータもない4階建てのマンションで、その3階部分の一番奥の、305号室だった。

 その日は金曜日の週末の早朝、新聞配達員が、朝刊を配達していた時間だったので、午前4時魔くらいだっただろうか。新聞を投函しようとして扉の投函口にいつものように投函したその時、配達員は、

「わっ」

 と言って、思わずビックリした。

 そんなに大きな声で叫んだわけではなく、深夜のことで、誰も気づくこともなかった。入り口側の後ろには鉄道の線路が走っているのだが、まだまだ始発列車にも時間があり、早起きをする人でもまだまだ、夢の中の時間であった。

 新聞配達員が驚いたのは、当然閉まっているはずの扉が開いていたからだ。中からロックがかかっているわけでもなく、軽く扉を引くと、どんどん開いてくる。まったく圧力を感じないのは、違和感しかなかった。

 しかし、まるで自動ドアのように、ゆっくりであるが、スピードが緩むこともなく、いったん開き始めると、どんどん開いていくのが分かったことで、新聞配達員にも、その、

「カラクリ」

 が分かった気がした。

「大丈夫ですか?」

 と思わず、開いた扉に触れることなく、玄関から声を掛けるが、声が聞こえない。

 部屋の奥からは、冷気しか流れてこず、しかも、その冷気は結構な風の流れであった。

 中を覗き込むと、

「やっぱり」

 と感じた。

 通路から、リビングに通じる扉は最初から開いていて、開いたまま固定されている。風が強くなって、大きな音がしないような工夫がされているのだろうか。

 中に入りながら、

「おじゃまします」

 と声を掛けるが、やはり返事は返ってこない。

 想像通り、リビングから、ベランダに抜ける窓は全開ではなかったが、一部開けられていた。そのおかげで、玄関の扉は引っかかっていた状態で、ちょっとした刺激で、開くようにセットされていたようだ。

 後から考えてみると、

「あまり早く見つかるのを恐れ、発見を新聞配達に絞ったんだろうな?

 ということのようだった。

 新聞配達員は、

「できることなら、誰もいないことを願いたい」

 と思った。それだけ、この場における雰囲気は喧噪としたもので、誰が見てもおかしな感じだったのだ。

 リビングに入ってみると、何となく想像はしていたが、

「妄想であってほしい」

 と感じた思いは、完全に裏切られた。

 今度こそ、悲鳴が出てしまったのだ。だが、それでも、他の部屋には響かないのは、扉や窓が自然な形で開いているので、あたかも、犬の遠吠えのようなものと同じ現象なのかも知れない。

 新聞配達員が見たものは、胸にナイフが刺さった、刺殺死体であった。その人が誰なのかすぐには分からないほどの断末魔の表情が、真っ暗な部屋に差し込んでくる向かいのマンションの通路の明かりが不気味だったことで、これ以上ないと言わんばかりの恐ろしさに、新聞配達員は、ビビッてしまった。

 どれくらいの放心状態だったのか、誰も駆け込んでくることのないことに、安心がある反面、この死体と二人きりという恐ろしい状態を、なるべく早く脱したかった。我に返った配達員は、すぐに110番をして、腰が抜けて動けない状態が、さらに金縛りに遭ってしまったかのようなこの状態を、自然と震える身体が、寒さから来るものなのか、恐ろしさによる震えなのか。まったく分からなかったのだ。

 まったく身動きができない状態で、ただ、前を見ていた配達員は、ここに来るまでに走ってきた道で、

「今日は月がきれいだな」

 と、満月の早朝に風流な気分になっていた自分がいたことを思い出した。

 しかし、今では、この世のものとは思えない状況のまま警察が来るのを待たなければいけない状態に、さらに止まらない震えも手伝って、何をどうしていいのか分からなくなっていたのだった。

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