毎日一緒に寝てる彼女に身体を預けてもらいたい

しぎ

彼女のために

「兄貴、今日はこれで失礼します」

「何だ早いな。明日から一週間東京出張だからか? でもそんな準備に時間いらないだろう」


 目の上の切り傷を隠すグラサンが、いつ見ても格好良い兄貴が尋ねてくる。


「いや、ほら、彼女を組長のところに預けなければいけないから、それの準備が時間かかるんですよ。組長から『しつけ、お願いしますわ。おおきに』って言われてるので……」

「組長、そんなにあの子気に入ってるのか」

「みたいです。組長にあんなに可愛がってもらえる彼女、羨ましい……」


 彼女を前にした組長は、本当に別人だ。

 興奮のあまり、服を脱ごうとしたのを慌てて止めたのも一度や二度じゃない。


「そんなこと言って、お前毎日あの子と一緒に寝てるって聞いたぞ」

「いやあ、向こうから布団に潜り込んでくるんだから仕方ないじゃないですか」

「ってことは、組長の布団にも潜り込んでいくんじゃないか? あの広い組長の部屋で、深夜、他の存在はいない……」


 俺は思わず想像する。

 服の上からでもわかる、均整の取れた体つきの組長と、可愛らしい中にどこか魔性の魅力を持つ彼女。



 ……



「ははは、そんな顔つきになるぐらいなら、一緒に出張、連れていけばいいじゃないか」

「さすがにだめですよ。新幹線も、向こうのホテルも、彼女が一緒だとまた勝手が違ってくるんですから。それに新大阪のあの混雑の中で、赤の他人に迷惑をかけるわけには……」


「ああ……でも、あの子ってあれで結構年いってるんじゃなかったっけ?」

「年齢は関係ないですよ。……それに変じゃないです? 一応俺ら、ヤクザですよ?」



 ――俺は、世間的にはヤクザと言われる組織に属している。

 表向きには組長が店長を務めるバー――美人バーテンダーのいるバーとして、関西ではそこそこ有名らしい――の裏方として働きながら、シマの周りの他の組の監視や、活動資金・武器の調達、必要とあらば汚れ仕事もこなす。


 ……と書くとなんだか人の心が無い悪いやつのようだが――実際、犯罪まがいのことをやってる自覚はある――俺だって大事にしている彼女というのがいる。彼女のためなら、俺は組長にだって反抗できる自信はある。


 愛するというのは、例えヤクザであっても……いや、仁義を大事にするヤクザだからこそ、持たなければいけない感情のはずだ。



「別にいいと思うけどな……まあいいか」

「それに今日は、彼女を手に入れて丸二年の記念日なんです。最近は声も甲高くなって、ますます成長著しいんです」


 そうなのだ。

 明日から出張でしばらく彼女に触れることは無くなるが、その分良いものを彼女には与えることにしよう。


「そうか、俺も今度抱かせてくれよ」

「あれ、兄貴のところにもいるじゃないですか」

「バカ、あいつはもう重すぎるんだよ。うっかり変な姿勢になったら押しつぶされちまう。まあ、それも良いんだけどな」

「そういう点ではうちの彼女は安心ですね……じゃあ、失礼します。また次の仕事で」



 兄貴と別れて、すっかり日が暮れた商店街を歩く。

 途中、品揃えが豊富なことで有名な地元のケーキ屋に立ち寄る。

 小麦アレルギーのある彼女用の米粉チーズケーキと、俺用のチョコレートケーキを買う。

 彼女は米粉を使ったここのケーキが大好きなのだ。


 そういえば、最初に見たときの彼女は、アレルギーで身体を赤くしていたんだっけか。



 ***


 

 ちょうど二年前。


「おい! せっかくお前のために用意してやったケーキを食えねえっていうのか!」

 仕事の合間にこの商店街を歩いていたとき、そんな罵声が裏路地から聞こえてきた。


 声のした方にいってみると、隣のシマの組の男たちが数人で彼女を足蹴にしているところだった。

「うちのシマで何やってんだ勝手に!」

「ん? ……誰だてめえ」


 言うが早いが、男たちの一人が殴りかかってきた。

 かがんで避けるが、二人目の男に足払いを食らって身体がよろける。


「ああ、お前犬山組のやつか? 犬山組ってのは、こんなどうでもいいやつのために他に突っかかっていくようなバカばかりなのか?」

「どうでもよくはないだろ。第一、このままじゃこの子死ぬぞ?」

「それがどうした?」

 その言葉とともに、膝蹴りが飛んできた。

 


 ……俺もヤクザの端くれ、腕っぷしが無い訳では無いが、多勢に無勢。

 途中からはほとんど一方的に殴られるだけになってしまった。


 でも俺は全く逃げる気は無かった。


 他の組のやつらを前に犬山組のプライドを示す……というのもあったが、それ以上に彼女をこの場から救い出したい、という気持ちで必死だった。

 それほどまでに、やつれている彼女は哀れで、また可愛かったのだ。



「しつけーな!」

「だったらくれてやるよ!」


 数分して、男たちはそう吐き捨てて去っていった。

 ふん、根性なしが。あんなのヤクザの風上にもおけん。



「君、大丈夫?」

 殴られた頬をさすりながらそう言って振り返ると、弱っていた彼女は消え入りそうな声で何か言った。

 ……多分、ありがとうと言ったのだと、そう信じている。



 ***



 それから、身寄りのない彼女と、俺のアパートで一緒に暮らすことになった。

 最初は何が好みか分からなかったり、距離もあるように感じた俺と彼女だが、少しずつだけど確実に、俺と彼女との距離は縮まっていった。

 

 彼女は名前を示す物を何も付けていなかった。聞いても教えてくれなかったので、俺は勝手に『さくら』と名付けることにした。十年前に亡くなった母親の名前だ。


 せっかくそんな名前にしたのだからと、ちょうど一年前、今みたいな春の陽気に、俺はさくらを組長主催のお花見会に連れて行った。


「こ、これは……可愛すぎますわ……」

 そしたら、さくらは組長にめちゃくちゃ気に入られた。

 実は意外に可愛いものには目がない、というのは聞いてはいたのだが。


 一瞬、組長ならさくらを我が物にしようとするのではないか、という考えもよぎったが、組長と一緒になったり、桜の花びらを見つめながらはしゃぐさくらを見たら、それでもいいかと思えてきた。


 さくらが幸せなら、それで充分だった。



 ***



 そんなことを思い出していたら、ふと花屋の店先にあった桜の枝に目が留まる。

 これがあれば、いつでもお花見できるのだろうか。


 そう思って一枝買うと、自然と心が躍り出す。


 ヤクザというのは、まあイメージ通り薄汚い仕事ではある。

 さくらの存在は、そんな仕事に勤しむ俺の中で、彩りとして機能しているのだ。


 ゆくゆくはさくらも更に成長するだろう。

 そうなったとき、あの可愛らしさはどうなるのだろうか。

 やはり大人の魅力を身につけるのだろうか。



 ――そんなことを考えていたから、赤信号に気づかなかった。


「気をつけろ!」


 急ブレーキを踏んだタクシードライバーが大声を響かせて去っていく。



 ……同時に、自分の命の儚さが、改めて思い起こされる。

 ヤクザというのは、これもまあイメージ通り、命の軽い仕事でもある。


 俺がいなくなったら、さくらは組長が引き取るのだろうか。もしくは兄貴か。

 いや、それよりも。


 ……万一、さくらの身に何かあったら。



 そう思うと、急に不安になった。

 帰宅するためには左へ曲がるところを、右に曲がる。


 その先にはホームセンター。



 ……あったあった。

 頑丈な金属製のチェーン、それにこちらも金属製の首輪。


 ちょうど今使ってるやつが古くなってしまったところだが、これで安心。


 さくらとの距離はここ二年でかなり縮まった……とはいえ、彼女のような存在は時々よくわからないことがある。

 話が通じていると信じたいけど、こればかりは神のみぞ知る。


 でも、物理的に繋ぎ止めていれば大丈夫だろう。

 これでもう、さくらが逃げ出してしまう心配はない。


 俺の知らないところで、さくらがまた誰かに襲われる心配もない。


 兄貴は自分の子に鎖も首輪も付けてないらしいが、俺はまだその領域には達せていない。

 いつかさくらが完全に心を開いて、自分から俺に身体を預けるようになるまでは、これが一番正しい選択なはずだ。

 


 ……さくら用のやつを他にも色々買って、帰宅する。


「さくら、明日から一週間組長に可愛がってもらえ」

 帰るなり俺がそう言うと、さくらは走ってきて嬉しそうな声を上げた。



 ***



「じゃあ組長、さくらをよろしくお願いします」

 翌日、俺は新大阪駅へ向かう前に勤務先のバーへ。開店準備をしていた組長と落ち合う。


「さくらー! わたくしと一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たり、一緒にイチャイチャしましょうねー!」

 ケージから出たさくらは、嬉しそうに組長の胸の中へ。


「組長、間違っても普通のケーキあげないでくださいよ? 前は大変だったんですから」

「わかってますわよ。あれはさくらが勝手に食べちゃったの」


 組長はカウンターの中から高そうなドッグフードを出してくる。

 陶磁器の皿に一食分をザラザラと出すと、さくらは全力で食べ始めた。


「それ小型犬向けです?」

「いいのですわ。こんなに美味しそうに食べてるんだから」


 ……まあいいか。


 俺はドッグフードのパッケージに書かれている商品名をスマホで検索する。


 ……うわっ、普段あげてるやつの倍以上の値段しやがる。

 さすが元ガチの社長令嬢である組長だ。


 

 ……『ある令嬢とポメラニアン』、なんて絵画のタイトルありそうだな。

 白い尻尾をフリフリするさくらを見ながら、俺もしばし癒やされるのであった。

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