第6話 本当の花嫁になった忌み子の幸せ

菊は嗚咽を上げ首を横に振った。



「頼む、これ以上俺を狂わせてくれるな」



菊に向けられた、烏王の今にも消えてしまいそうな弱々しい笑みは、もはや笑みでも何でもなかった。それは明らかな諦念。

自分がこれ程までに愛されていたとは。そしてそのような相手をこれ程までに傷つけてしまったとは。菊は涙を拭うと、すっくと立ち上がり、着物の帯をほどきはじめた。

どのみち捨てられるのなら、彼への誠意だけは守りたかった。彼に嘘をついた、嘘の自分のままでいたくなかった。



「確かに、私は烏王様を騙しておりました」



シュルシュルと床にわだかまっていく帯達を、烏王が凝視する。一体何をしているのか、と。



「私が誰にも身体を見せなかったのは――」



纏っていた最後の一枚が床に落ちれば、烏王は息をのむ。



「――この身体を、見られたくなかったのです」

「その……身体は……」



菊の身体は至るところに痣や傷があった。古いものから最近できたであろうものまで。決して転んだり、自ら怪我をしただけでは出来ない場所にまで傷痕があった。それは故意に傷つけられたという事。



「このような汚い身体、烏王様にも……誰にもお見せしたくなかったのです。汚い娘だと、烏王様に相応しくないと言われ、捨てられるかもと」

「……すまない、辛い思いをさせた」



烏王は自らの羽織を脱ぐと、菊の身体を覆いその上から抱きしめた。



「レイカが、俺や侍女にさえ身体を見せない理由は分かった。だが……」



烏王は菊の身体を見て、その傷の多さだけでなく、もう一つ驚いた事があった。



「その腹は……まるで……」



まるで妊娠していない女のものだった。

膨らみは微かもなく、手の細さから想像した通りの華奢さだった。村を出るときに既に妊娠が分かっていたのなら、それから一ヶ月も経つ今頃には、多少なりの膨らみがあるはずだ。



「私は、古柴レイカではないのです」



烏王は『やはり』と、どこか腑に落ちるところがあった。



「申し訳ありません、烏王様や皆さんを騙してしまって」

「では、身籠もってもないのだな?」

「もちろんです。それどころか、この身に触れる者さえ、誰もいませんでしたから……」



「はぁぁ」と烏王は長い息を吐き、菊にしな垂れるようにして抱擁を強くした。菊の耳元で「良かった」と囁かれる。その声の細さは、彼の心の底からの安堵を表わしていた。

しかし、菊が告げなければならないのは、これだけではない。まだ一つ残っている。身代わりよりもずっと重い罪。この身体に印された傷も元はそれが原因だ。



「烏王様、私は元より……花御寮になる資格を持たないのです」

「資格? どういう事だ」

「私は、母が村の外の男との間につくった忌み子です。村の者の血を半分しかもたなく……」



烏王は全て理解した。


彼女が手を伸ばせば怯えた理由も、いつもどこか不安に目を揺らしていた理由も、笑いあおうと、必ず取り除けない壁があった理由も全て。そのどれもが、彼女の意思に反したものだったという事も。

声が尻すぼみすると一緒に俯いていく菊。自分の胸下までしかない菊の小さな頭に、烏王は腰を折って口を寄せた。



「なあ、本当の名を教えてはくれないか?」

「菊……と、申します」

「とても似合う名だ」



烏王は身に染み込ませるように、「菊」と丁寧に口ずさんだ。この先、何百何万と口にする名だからこそ、その最初は心を込めて呼びたかった。今度こそ本当の名を。

「はい」と返事する菊の声や表情に壁は一枚もなかった。



「何も心配しなくていい、菊。あとは俺が片付けるから……素出」



烏王は漸く、本当の意味で菊を呼べた気がした。





        ◆




「突然の来訪を許せ、村長」



夜中に戸を叩く者があり、腹立たしさを感じつつも出てみれば、妖しい瞳をもった真っ黒な巨烏がいた。驚きに寝惚け眼を何度もこすれば、それが大きな烏ではなく人だと分かる。



「どうやら、この烏王を謀った阿呆どもがいると聞いてな」

「う……烏王……様……っ!?」



長は声をわななかせ、尻から地面に落ちた。



「そ、その件は、わ、わたくしもつい先日知ったばかりで……!」

「ほう、どうやら噂は長の耳にも届いていたか。ならば話は早い。もちろん何らかの沙汰を下しても文句はあるまい?」






 

枕元に現れた、浮世離れしたろうたけた面ざしの青年に叩き起こされ、レイカの両親は目を覚ますと一緒に腰を抜かした。

青年の口元は柔和な線を引いていたが、その真っ赤な瞳は色に反して驚くほど冷たい。間違いなく村人でもなければ人間でもなかった。



「よくも俺をたばかったな」



その一言で、レイカの両親は瞬時に、誰が何の為に訪ねてきたか察した。



「ち、違います! こ、これは、わたくしどもの意思ではなく……そ、そう! 我が家で養っていた忌み子がどうしてもと言うものでして、わたくしどもも渋々――」



烏王は「ほう」と目を細める。

すると、部屋の外から気怠い声が入ってくる。



「お父さんったら、夜中になぁに~? うるさくて目が覚めちゃ――ッヒ!」



真っ先にレイカの目に飛び込んできたのは、両親は布団の上で土下座する姿。そして、その頭の先には暗闇に紛れた男が立っており、その眼光にレイカは喉を痙攣させた。しかしそれも一瞬。目が闇に慣れ、男の容貌が一際優れていると分かると、レイカの眉はたちまち垂れる。



「ああ、お前が本物のレイカか。会いたかったぞ」

「本物……って、もしかして烏王様!? ああ、やっぱり! 私を迎えに来てくださったのですね」



レイカは嬉々としてはしゃぐが、烏王は冷ややかに視線を下げた。



「その腹……やはり身籠もっていたか」



レイカの腹は丸みを帯びていた。



「あ、こ、これは……村の男に無理矢理……わ、私は花御寮になりたくて純潔を守ってきたのですが……それで妹が、花御寮を変わらなければ掟破りを長に言いつけると……っ」



烏王は片口をつり上げた。この娘は、こちらが何も知らないと思っているのだろうか。立派に泣き真似までして、己の罪をまだ菊に被せようとしている。しかも無理矢理とは、どこまでも厚かましい。



「あははは! 実に立派な親子だ! こうも同じ事を言えるとは――」



実に滑稽で、笑わずにはいれなかった。


「――親子共々腐っている」



底冷えするような烏王の声音に、三人の肩が跳ねる。



「勘違いするな。俺はお前達に罰を与えにきただけだ。誰がお前のようなウジ以下の女を迎えに来るか」



吐き捨てるように言った台詞に混ざった、『罰』という言葉を三人はしっかりと聞き取った。暗闇で三人の顔は青白く浮かび上がり、カチカチと歯が揺れる音が響く。



「数百年と同じ村の中で婚姻し続けても、病が出なかった理由が分かるか? その滅伐の力が血の悪も抑えていたからだ。では、その押さえていた力が無くなればどうなると思う」



レイカはイヤイヤと首を振りながら後退る。



「っ何でよ!? 菊が気に入らなかったからって、どうしてあたし達に意地悪するのよ!」

「そ、そうです! やはりあのような娘はお気に召さなかったのですよね!? だから罰などと」

「娘はこの通り器量よしです! 腹の子はこちらでどうにかしますので――」



この期に及んで何も分かっていない三人に、烏王は憐れみさえ覚えた。口々に「やめてくれ」と、餌を欲しがる雛鳥のように喚いている。雛鳥と違ってまるで可愛くはないが。



「菊も、お前達に何度やめてくれと思っただろうな。それでお前達はやめたのか?」



そこで三人は漸く烏王が何に怒っているのか理解した。そして今までの自分達の発言が彼を逆撫でするようなものだった事も。



「お前達が生きている限り、俺の菊は苦しんでしまう」



烏王が手をかざせば、三人の身から何かが抜け出す。と、同時に三人は糸の切れた操り人形のように、グシャリと床に不細工に突っ伏した。



「これからお前達は急激に老衰し、この世に存在する数多の病がその身を蝕む。疼痛尖痛楚痛酷痛様々な痛みに苛まれ、早々に死ぬ。運良く生き残っても、一生病の苦しみを背負うことになる。死んだ方がマシだと思うだろうな」



烏王が言い終わると同時に、レイカ達の手が干からびたように皺が刻まれ始めた。



「いやあああああ!」



実に耳障りな悲鳴だ、と烏王は不快に眉根を寄せたが、その叫喚もすぐにしわがれ、耳にも届かなくなった。




        ◆



 

菊は薄紅より緑が多くなった景色を、縁側から静かに眺めていた。



「そんなに桜が珍しいか」



春風のような温か含んだ心地良い声が、菊の背にかけられる。

振り返れば烏王が、微笑みを浮かべ立っていた。



「烏王様!」



 菊は、縁側の向こうに広がる綾なす景色にも負けぬ鮮やかな笑みで、彼を迎え入れた。






「それにしても、まさか長が古柴家の者達が村から出て行くのを許すとは……」



忌み子である自分さえも、村の内で抱えたというのに。



「二度と会うこともないから、もう気にするな。忘れろ、菊」



「はい」と答えれば、烏王の唇が額を掠めた。くすぐったさに菊は烏王の肩口に頬を寄せる。

菊は胡坐の上に乗せられる形で、すっぽりと烏王の腕の中に収まっていた。近頃はこの体勢が彼のお気に入りらしい。その前は、背後から烏王が覆うような形だった。

重ねられた二人の手は、指先まで絡んでいる。



「もう俺の手は怖くないか?」



菊は苦笑した。



「意地悪ですね。あれは一種のクセですから。ぶたれる時以外、私に手が差し伸べられる事はありませんでしたから」



ほんの二ヶ月ほどしか経っていないというのに、はるか昔の事のように思えた。



「今、私は烏王様の腕の中にあれて、とても幸せです」

「俺もだ」



陽だまりの中にいるように、二人の表情も穏やかなものだった。



「今なら分かる。村と契約を交わした最初の烏王が、なぜ村娘を欲しがったのか」

「どうしてです?」

「烏の翼は、愛しい者を雨露から守る傘になってはやれるが、このように抱きしめることはできないのだ。きっと烏王は、愛する者を温める腕が欲しかったのだろうな」



真っ黒の着物を着た烏王が菊を抱きしめれば、まるで烏が抱きしめているようだ。



「それにしても、私は本当に花御寮のままでいても、良かったのでしょうか」



何よりそれが一番の問題だと菊は思っていたのだが。もし烏の郷の掟を、彼に破らせているのなら申し訳ない。



「ははっ! 勝手に村が決めた掟など知らんな。元は秘密保持のために村娘と指定したのだろうが。別に花御寮に滅伐の力は必要ないし、人間であれば構わないさ」



案外とあっさり解決したことに、菊は拍子抜けした。



「まあ、そうだな。花御寮の資格というのなら……」



顎を撫でながら思案に天を仰いだ烏王。何やら思いついたのか、ニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべ、菊に目を向ける。



「俺の事をどう思っているのか、答えて貰おうか」

「は……っ! そ、それはあまりにも……恥ずかしいと言いますか何と言いますか……」



菊はごにょごにょとアレコレ言うが、烏王は目を細めながら「んー?」と待っている。

「もう」と、菊は恥ずかしそうに耳元で囁いた――「お慕いしております」と。

くすぐったそうに肩をすくめて、烏王は笑った。



「俺の花御寮! 覚悟してくれ。もう、到底お前を離せそうにない!」

「はい。離さないでくださいませ、

「愛しているよ、菊」



 宝物を扱うように丁寧に優しく、されど強く強く抱きしめた烏王の腕の中で、菊は一等きらきらしく笑った。



【了】


――――――――――――

短編ということで、少し駆け足気味でしたが

楽しんでいただけましたら、作者冥利に尽きます。

菊と烏王の今後の幸せを祈ってくださると嬉しいです。

よろしければ、下部にある★から評価していただければ、

作者もより嬉しく思います。


今後はひとまず『ごめあそ』を更新していきますので、また楽しんでいただけますと幸いです。

新連載する場合、近況ノートでお知らせいたします。

新連載のネタは固まっていますので、できるだけ早くお届けできるよう頑張りたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。


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《短編》身代わりの花嫁は、あやかしの愛妻 巻村 螢 @mkei

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