コスモス・オーシャン

AcetyleSho_A

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"人類未踏"


この言葉には何故か惹かれるものである。

世界記録樹立、まだ誰も立ち入ったことのない新天地、まだ発見されてすらいない場所・・・

それらはどれも、誰も見たことのない世界だからこそ無限に想像を膨らませ、互いにそれを共有できるため、どれだけ面白い想像ができるかという妄想合戦の如く多くの人々の間で様々な憶測が飛び交う。

それはもう、一種の娯楽を成している。


しかしそうとは言えど、人間という生き物はどうしてもただ一つの真実を知りたがるもので、その「人類未踏の境地」に近い者たちがそこに到達することに時には淡く、時には強く期待する。

そしてそこに到達する者がいれば、人々は感嘆し、その者の存在は世界的に報道され、その者は多くの名声を浴びることとなる。


何故だと思う?

僕にはわからない。


僕は興味が無いからだ。他人が何を成し遂げようが、関係がない。

他人の住む世界と僕の住む世界は違う。他人は僕ではないのだ。


他人が語る世界も、他人が経験した世界も僕がいる世界じゃない。だから関心など持つことはない。……そう思っていた。





ある夏の休日の昼間、僕は所在なくただぶらぶらと何もない道を歩いていた。


ただの散歩であってなんら大した目的はない。

どうせ今日も習い事や中学受験のための塾で夜まで潰されるだけだ。珍しく昼間に多少の時間が空いていたから手持ち無沙汰だっただけ。

友達なんて大層なものはいない。習い事や塾に追われる日々で、人となんてまともに話したことないし、話す必要性もなかった。


そんな空の心が僕に見せる景色は白一色に脱色されている。

"つまらない"…ただその一言に尽きる。

この目に映る、真っ白で、砂利の如く適当に並んだだけの家々や草木が成す景色は僕にとっては物理的な「居場所」を伝えるだけの便宜的な仮初の世界でしかないのである。

この暑さも蝉の声さえも、時期を知らせる記号に過ぎない。


そしてそのまま歩いていると色の無い公園に入った。と言ってもここも通り過ぎるだけ……のはずだった。

「大丈夫?虚ろな目をしているけれど。」

ふと横から呼び止められた。

そこにはベンチに座って本を読む年端の行かない…と言うには少し大人びている少女の姿があった。


「大丈夫です。」

と言って僕は立ち去ろうとした。

「大丈夫?」とは相手が身体的ないしは精神的に正常かどうかということを問いかける際の文言であって、「問う」のだからそれに答える必要はあるが、特段用がある時にかける言葉ではないのでその場に長く留まる必要がないからだ。


しかし少女は、「待って!」と僕の腕をがっしりと掴んで来た。

そして口を開くや否や「暇そうだし私とこの図鑑読んでかない?」と言う。

これは要求である。答えは承諾か拒絶の2択だが、まだ時間もあるし拒否という選択肢を取る理由がなかってので僕は承諾した。


図鑑の中身は宇宙についてのものだった。

だが勿論僕は興味がない。そもそももっと小さかった頃にこんな類の物は無数に読まされてきた。

一方少女は

「ねぇこれ見て!星雲よ。これって太陽みたいな恒星の爆発でできてて…」

こんな感じで熱心に語り語る。

まあ僕は一言も発していないから一方的なのだが。

「銀河の中には星が2000億個もあるんだって、しかもその銀河の数は何兆個もあるって!一体星の数っていくつになるの??しかも人間が観測できる範囲よりもむこうがわにも宇宙って広がってるらしいじゃない!こんなのどうやって調べるのー!?」

少女はきゃっきゃとはしゃぎながら図鑑の情報と合わせて1人ずっと喋っている。

目を輝かせて本を見たり僕の方を見たり虚空を見たりと忙しなく。

そんな世界どうせ僕らが触れる世界じゃないのだからどうでもいいのに。彼女の世界は未知の世界への想像と期待で満ちていた。


すると突然彼女ははしゃぐのを止めてこちらを睨みつけてきた。

「貴方さっきから一言もしゃべらないわね…。」

なんと僕にも何か話して欲しかったらしい。そんなこと先程までの彼女の態度から分かるはずもなかった。

そもそも本は読むためにあるもので、その最中に喋る必要などない。

「…もし興味がないならこれならどうかしら?」

そして彼女が取りだしたのはまたしても図鑑だった。今度は海洋生物。

言っていなかったが僕はこれでも一応11歳の子供だ。身長は低い方だからもっと下に見られているかもしれない。こう言うものにまだ興味があると思われているのだろう。


本を開けばこの夏に似つかわしくない程暑苦しいくらい膨大な様々な海洋生物の情報が目に飛び込んできた。

これは僕が昔読んでいたものよりも詳しいかもしれない。そう思っていると、顔に出ていたのか

「ふふ、すごいでしょう?」

と少女がやわらかく言った。そして続けて、母が子をあやすようにゆったりと話す。

「人間って実は、世界中の海の5%くらいしか探索できてないらしいわ。しかもここに載ってるのはその中の一部だけ。遠い宇宙じゃなくて、私たちのすぐそこにある海でさえ、分からないことだらけなのよ。分からないことなんてたくさんあって、でもそれを見てみたくて、想像を膨らませながら一生懸命勉強して研究する。それって素敵じゃない?すごいことよね。」

僕は驚いた。知らなかった。海なんて、すぐそばにあって、人間は何百年何千年も海上をなんども渡った筈なのにまだそんなに未探索の場所があるなんて。…あれ?驚いた?

「素敵でしょう?」

すると彼女が聞き返してきた。ああ、これは僕に答えを求めているのか。

「うーん、きっとそうなんですかね。」

僕はなんと言えばいいか分からなくて、言葉を濁した。

そうしてふと公園内に聳え立つ時計に目をやると、照りつける日の光で見にくかったが、もう塾の時間がかなり差し迫っているようだった。

不意に「やべ」と声が漏れてしまう。

「どうしたの?」と少女。これは理由を言って立ち去る形式だろう。

「もうすぐ塾があるんです。だから今日はこれで失礼します。」

そうとだけ言って僕は立ち上がった。しかし瞬間、彼女が放った言葉に耳を疑った。

「あら、そうなのね、行ってらっしゃい、頑張ってね。」

頑張ってね…とは何故こう言ったのだろうか。僕は特に何か汗水垂らして息を切らしてしがみつくようなことはしないのに。ただ親に言われて、それに忠犬の如く機械的に従って行ってただ適当に問題を解いてくるだけなのに。

僕はこの「大丈夫」の意味が分からなくて返す言葉も見つからぬまま無言でその場を立ち去った。



歩きながらふと思うことがあった。

あの場では普段の僕であれば感じないことを感じていた、ということだ。

まず一つは、あの少女を見たときにしっかりと彼女は1人の少女であるという彼女の個性を感じ取ったことだ。普段の僕ならば他人のことなど興味が無さすぎて相手をただの人間としか捉えず、それ以上でもそれ以下でもない。しかし今回は違った。しかもどうして大人びているとまで感じることができたのだろうか。

また一つは、多少なりとも眼前にあるものの詳細を意識したということだ。そう、今も、色彩が見えるとまで行かずとも、先程まで真っ白に見えていた景色に僅かながら濃淡があるように思える。

そもそも彼女から話しかけてきたこともおかしい。いくら気になることがあろうともあんな軽率に他人にはなしかけるものだろうか。

そう考えると、僕にはあの少女がまるで人知を超越した運命の導き手か何かのように思えた。


その日は塾の授業には大して集中できなかった。結局彼女は何だったのだろうかと気になって。そして、他人を気にする自分のことも然り。


次の日、気がつくと僕はまたあの公園に来ていた。

今度は入ってすぐに少女を見つけた。当たり前のことなのに、他人とは意識すれば認識できるものだということを僕は初めて知った気がした。

彼女は食い入ったように本を読んでいた。そこには彼女にしかなく、彼女の為だけにある一つの世界が成り立っているように見えた。

「あら、こんにちは、またここに来たのね」

暫く彼女を遠目で眺めていると、こちらに気づいた彼女が純真ながらも何か不思議な笑顔で微笑みかけた。

目があった僕はその表情に引き込まれるように歩き出した。

彼女の横にちょこんと座ってみると、「じゃあ始めましょうか」と少女は先日のように本を読ませてくれた。

今度は不思議なことに自然とその世界に取り込まれていった。

彼女がある一節を指差してこちらの方を見て、「どう?」と尋ねる。これは僕の考えを期待しているのだろうか、子猫が甘えたがるように稚けない視線をこちらに向けてくる。

そして僕は今度はそれに言葉に詰まることなく答えることができた。

それを聞いた少女が微笑む。人の表情の変化さえ楽しかった。




その次の日から僕は好奇心というものに目覚めた。図書館に足を運ぶようになった。流石に朝は予定が空くので、勉強するという名目で。

しかし僕はそこで様々な本を読み漁った。好奇心の赴くままに。昨日あの少女に読まされた図鑑などでは飽き足らず、もっと専門的な、限定的な書物に手を伸ばした。宇宙のこと、海のことは勿論、植物や化学、数学、ましてや政治経済まで。

もう既に知っていることもあった。けれどそれは、昨日までの僕が勝手に壺に入れて蓋をして、地中に埋めてしまって忘れたいたものなのだ。再び掘り返して見るそれは、タイムカプセルや骨董のような本来と違う側面での輝きを放っていた。

僕にはまだ理解できない難しいこともあった。けれどそれはきっとこう言うものだ、あれがこうだからこうなのかもしれない…と、次々に想像を膨らませることができた。

ああ、彼女が言っていたことはこう言うことだったのか。

「…素敵じゃない?」

確かにその通りだ。

未知の世界を想像することは心地よかった。何度かつい夢中になって昼食の時間に帰りそびれたり、昼食を持って行っても塾に遅れかけたりしてしまったくらいだ。

これぞ春眠暁を覚えずとでも言ったところであろうか。


そうして僕の世界は急激に色彩を帯びていった。


散策する頻度も増えた。以前通った道の景色はなんら変わりない筈なのに、無機質な無地のカンバスに絵の具の海が広がりただの板がひとつの芸術に生まれかわったように、今の僕にはまるで違う世界に見えていた。

けれどいつの間にやらあの公園から少女の姿は無くなっていた。どうせまた来るだろう、そう思っていた。しかし数日経っても姿を見せなかった。

「君のお陰で、僕はこんなに世界の美しさを知れたよ。」

そう彼女に伝えたかったが、無いものは無い。

彼女は流れ星のようだった。


それから夜こっそり外出することもあった。

僕は月が好きだった。この短期間で見てきた風流な物は数少ない、それでも僕にとっては十分だったが、その中で一番好きなものだ。

ある虚空に白金の浮かぶ夜、僕は家からさほど離れていない海岸に来ていた。

しかし夏真っ盛りのこの時期、夜とはいえ十分に暑く、僕は多少汗をかいている。

しかし海岸まで来ると波の音が心地よく、そんなことも忘れるくらいだった。


不意に涼しい夜風が体を撫で、火照った身体を冷ましてゆく。

真っ黒に渦巻く海と、星の光をもかき消す街灯にさえ干渉されぬ力強い月の煌めき。そしてその白銀の光を飲み込む暗黒、その様はまるで恒星を飲むブラックホールのようで。

しかしその光が僅かに照らす波の形とその音が、眼前の暗黒がただの無限に続く漆黒の奈落でないことを確かなものにする。

ちなみに今はもう既に日付が変わった後である。親が寝ている間に出たのだし、誰かに見つかれば不味い。そのため僕は足早にそこを去った。

かと言って家に戻るわけではない。実はこの海辺からもう少し行くと途端に陸地が狭くなり徐々に山道に入っていくのだ。そしてその先で見るべきものと言えば一つしかないだろう。僕は持参していた懐中電灯の電源を入れてわざと俯いたまま暫く歩く。

そして街頭もなくなったあるポイントに来た時点で、懐中電灯を消してパッと上を見上げる。


瞬間、目の前の世界を埋め尽くすのは瞬く星羅。その並びは不規則でありながらも違和感を持たせない。

無数の煌めきは第二の海を成していた。

不規則なのに秩序があると感じるのは何故なのか。不規則に波打つ海だって、秩序立って整った世界に思えてしまう。

また海も星空も、一面に果てしなく広がり美しく整った世界でありながら、細部は不規則で荒れていてむさくるしい点だってある。なんと不思議なことだろう。


天動説を支持した人たちは、この星空が天高く貼り付けられた板に描かれたようなものだと考えたらしい。今でこそ天動説は過去の遺物だが、例えば現代科学を何も知らない者がこんなものを見て、こんなにも、絵画のように美しい世界を見て、そう思わないことがないだろうか。

海も全く同じことが言えるのではないか、仮に海を持たぬ星に住む異星人が初めて地球を外から見たとき、この青さは大地の色と錯覚するのではないか。

海が絵画ではないと言わしめるのは星空と違って表面を見た次の瞬間には中に入って内部を確認できるからである。先程の異星人の場合なら彼らは宇宙から地球を見ていたのだから逆に星空が絵画でないことは彼らにとって明白である。

見方によって世界は変わるし、そこの正しさも変わる。人が見る世界など、理由が分からない世界の空白に独断や偏見という自作のピースを勝手に埋めてパズルを完成させた気になっている。他のピースは自分で作ったものではないのにだ。


けれどそんな日々を過ごし続けるには邪魔なものがひとつだけあったらしい。

夏が終わりを迎えんとするある日、家に帰ると突然両親に呼び出された。鬼か悪魔か、他人を妬み恨む時か、そのような非常に険しい雰囲気を纏っていた。

「ちょっと、何よこの点数」

母親が塾の夏季実力テストの答案を掲げて軽蔑の眼差しを向けて言い放った。

「一体どれだけの金を払っていると思っているんだ。それなのにこの程度の点数しかとれないのかお前は。」

父親が憎悪の篭った声色で言い捨てた。

そこからは只管罵詈雑言の嵐。

しかし僕は一切口を開かなかった。

「なんとか言ったらどうなんだ!」などと怒鳴られることもあったが僕は勿論何も返すことはない。これは僕の意見を聞きたいものではないと判断できたからだ。


両親の説教は長かった。いや、説教というには度がすぎるかもしれない。

以前目の前に映るモノの詳細を無き物としていた時のように聞き流せばいいのだろうが、既に僅かにでも色彩を帯びてしまった僕の中の世界がそれを許さない。

僕はただただじっと座って無心でいようとする。しかし心の中では何か不穏なモノが渦巻き続ける。僕はそれを表現する言葉をまだ知らなかった。

ずっとそれを堪えているある時点で、一段と大きい父の怒号が飛んだ。

「親の言うことを全て無視か!いい度胸だお前のような虫螻はもういらん!!」

それに続けて母親が蔑視とともに吐き捨てる

「もう出て行きなさい!!我が家の恥晒しが!!」

その2つの台詞を聞いた途端、かの渦巻きはふっと流れを止め、これまでの記憶が霞み、俺の中の全てが消滅した。

そして気づいたときにはぐしゃぐしゃの置き時計を右手に持っていて。

それを投げ捨てて、今度は真紅に染まった世界をぼんやりと眺めていた。

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