第4話 さようなら



 俺は急足で山を登っていた。


 今日の授業はまるっきり頭に入らず、ずっと上の空。


 おかしい、馬鹿げている。四日目に出会ったばかりの人間なのに、離れる事がなんでこんなに不安なのか。また会う事がない訳でもないのに。


 考えるほどに歩速が早くなり、果てには駆けている。


「はぁ、はぁ、はぁ、ユカ!」


 そしてついに、息絶え絶えになりながらも公園に入る。


「どうした?いきなり人の名前を叫んだりして」


 そこにあったのはこの四日間見ていたものと全く同じ光景。沈みゆく夕日をバックに輝く公園とその奥の街。


 拍子抜けするほど普通のものだった。


「早く座ってくれ。今日は話したい事がたくさんある」

「あ、あぁ」


 しばらくぼーっとしていたのを見かねたのか、ユカが着席を急かしてきた。


「で、話したいことってのは?」

「彼女のことだ」


 そう言ってユカは顎をクイっと前に向けた。


 そこにあったのはあの墓。“彼女”とはあそこに眠る人のことだろう。


 俺が話を促す様に視線を向けると、回想するかのように懐かしいものを見る眼差しを遠くに向けたユカ。そして彼女の言葉が紡がれた。


「この墓はね高校生の時に自殺した少女のものなんだ」


 この知らせには少し驚いたが、話を優先する。この話の邪魔をしてはいけない気がしたのだ。


「学校でいじめられていた訳でもなく、親に虐待されていた訳でもない。比較的恵まれていた少女だったんだがね。彼女は自分が見つけられなかったのだよ。学校では知り合いはいたが、友達とまでは言えなかった。彼女には好きな子がいたが、結局気持ちを伝えられないまま離れていってしまった。彼女はね、自分を偽り、人生から逃げていたのだよ。果てには人生に意味が見つからず。自分が誰か分からないまま途方に暮れて……死んだ」


 するとここっまで一人語りをしていたユカが話を止め、深呼吸をした。まるで覚悟を決めるかのように。


 そして俺に向き直って、言葉を放った。


「その少女の名前は、吉田由香だ」

「––ッ!」

 

 瞬間、頭の中で点と点が線で結ばれ、そして導かれた結論に目を見開いた。


 俺の名前は吉田翔樹。そして数年前に自殺した叔母の名前は、吉田由香なのだ。


 叔母といっても由香は若かった。


 俺の父さんとは歳が10以上離れていて、俺自身も父さんが若い時に生まれている。


 確か、俺がまだ小さい頃は由香も高校生ぐらいだったはずだ。


 親からは、よく遊んでくれていて仲良しだったと聞いていたが。俺自身はよく覚えていない。


 俺が持ってる由香の唯一の記憶が、の制服で「翔くん」と呼んでくれたものだけだ。顔もモヤが掛かっていてよく見えない。


 でもその声、その仕草はまるで…………いや、そうなのだろう。


 頭では分かっている。本来は不可能なはずだ。それでも、彼女を見ていると確信が増すばかり。ユカと言う名前。そして由香に関するその知識。


 俺の隣に座っている女性に目を向ける。


 そして彼女にも伝わったのか、彼女は今にも消えてしまいそうな笑顔で


「ようやく思い出してくれたのか、翔くん」


 応えてくれた。


 その瞬間、ダムが決壊したように疑問が流れ出てきた。


「なんで、いや、どうやってここにいるんだ。確かに由香は死んでいる。俺は、葬儀にも出席している。まさか擬装?でも、なんでそんなことを––––」

「おっと、質問が多いね。全て答えてあげたいけど、正直私もよく分かっていない。気づいたら自分がここにいて、君がいたんだ。そして君から不安や悩みを感じて、自分がここにいる理由を察した」

「理由?」

「あぁ、君を助けるという理由。……あの日、君は自殺するつもりだっただろう?」


 バレていたのか……


「その表情は図星か。……君は自殺しようとした。偶然か運命か、私と同じ悩みを抱えてね。知っていることは、私が顕現していられるのは日が沈む時間帯だけで、日に日に力が弱まっていっていること。だから、今日が最後なんだ。感覚的に明日はない」

「そんな……」


 もっと話したいこと、もっと聞きたいこと、もっと相談したいこと。まだまだ、あると言うのに。


「そう悲しむな。私は翔くんが大きくなった姿を見れて嬉しかったぞ。少しは男らしくなったんじゃないか」


 涙が、出そうになる。が、男らしくなったと言われたばかりなんだ、ここで泣くわけにはいかない。


 柿色に染まった天を仰ぎ、押さえもうとした。


 しかしもう一度目を戻した時、そんな悪足掻きなんてすぐに崩れ去った。


 そこにいたのは、いつもの喪服のような黒いワイシャツとジーンズを着た由香ではなかった。


 一転、シンプルな白のワンピースを身につけ、手には一輪の花。あの花は……


「このアスター、花言葉は『追憶』––––」

「そして『甘い夢』だ」


 ……『甘い夢』


 もし、これが夢なのならば。神よどうか、終わりが来ませんように。


 しかし、祈りも虚しくその時は来た。


「もう時間だ」

「……」

「そう悲しそうに……翔樹、これからは前を向いて進んでくれ。そして、これは私のわがままだが、頭の隅でいい私の記憶を留めておいてくれ」

「ッ!もちろんだ!」

「じゃ、さようなら。幸せになってくれよ、翔くん」

「あぁ、さようなら」


 死装束のような真っ白なワンピースを着た由香が山の奥に消える夕日と重なる。

 俺は涙ぐむ眼で彼女を脳裏に焼き付た。美しいその体も顔もそしてその笑顔を。


 そして、暗闇。


「…………彼女と話せたこと、報告できなかったじゃないか」


 俺がこぼした言葉は虚しさに溢れていた。







 その日から町を出る時まで、俺は公園に毎日行く様になった。アスターに水をやり、由香に挨拶するため。



 今ではあの墓には無数のアスターが咲き誇っているという。




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花言葉 ゴジゴジ @G0JIG0JI

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