第8話 大団円


 この事件が急転直下したのは、松岡君の、「手柄」だった。

 松岡君は、実はこの事件の真相までは分かっていなかったが、仲間の配達員である平松君が、このマンションで、山岸という男の手玉に取られているということに最近気づくようになってきた。

 いつも決まった時間に、山岸は、508号室に、入っていた。その部屋は別の人の名義で借りさせて、実はそこを、SMの巣窟として使うことにしていたのだ。一度は引っ越していったのだが、自分があのマンションに住んでいた時、自分の情婦でSMの女王様として、風俗界では、名が通っていたのだが、それをSMのプロである山岸がM女であることを見抜き、ゆっくりと調教することで、すっかり、ドM奴隷に仕上げてしまったのだ。

 本人である女王様も、自分のそんな性癖を暴かれた悔しさはあったが、完全に、山岸を崇拝するまでになっていたのだ。その女というのが、川崎明美だったのだ。

 彼女は、今は、スナックに勤めていたということで、それ以上の過去を暴くまではしなかった。なぜなら、彼女は被害者でもなんでもなく、ただの行方不明者であり、犯人としての決定的な事実もなかったので、警察はそこまで踏み込んで捜査するわけにもいかなかった。

 それも、計算ずくだったようだ。

 もっとも、山岸が殺されるというのも、最初から犯人の本意だったのかどうかも分からない。

 二人の関係に接点がないのも仕方のないことで、SMクラブに彼女がいたということは、犯人として確定した時点で、裏付け捜査としてされることであって、ただの容疑者の段階であったとすれば、店側も正体を明かすようなことはしないだろう。それを警察も吐かせるわけにはいかない。特に今のように、個人情報の問題。コンプライアンスの問題を警察が啓蒙しているのだから、深入りしてはいけないのも当然のことである。

 例の主婦が見たというのも、山岸と、明美だった。主婦がすぐに分からなかったのも無理はない。仮面舞踏会ばりの、アイマスクをしていたのだから、それも当然のことだ。だからこそ、大胆になれたのであるし、エスカレートもしたものだった。

 そのうちに二人は、顔を見られることに快感を覚えるようになり、そのためには、さすがにマンションの住民ではまずいと思ったのだろう。

 そこで白羽の矢が当たったのが、平松君だったのだ。

 山岸がたまたま注文したクーパーイーツで配達に来たのが、まだ幼さの残る配達員だ。

「これはいい」

 ということで、明美にも配達させてみると、明美も、

「あの坊やならいいわね」

 ということで、その瞬間に、平松君は、

「二人のおもちゃ」

 になってしまったのだ。

 いろいろなシチュエーションを見せられた。そのせいで、平松君は悩み。一人の女の子を襲うという暴挙に出たのだ。

 その時は、未遂に終わって、幸いにも彼は顔も見られておらず、女の子も自分の胸の中に隠していたので、大事に至らなかった。しかし、女の子の父親が、それを知り、平松君の正体を知ろうとして尾行していたところで、例の露出という変態この上ない状況を見せられた。

 平松君に脅しをかけると、平松君はさすがにまずいということで、こともあろうに、山岸にそれを報告した。山岸は、SMが露呈することで、せっかく准教授にも順調になることができ、あとは教授の椅子をというところまで来ていたのに、それを犠牲にすることはできないということになった。

 そこで、尾行しているやつに罠をかけ、明美を囮にして、明美の露出をその男がじっと見ているのを写真に撮って、逆にゆすりを掛けてきたのだ。

 状況は、女の子の親に圧倒的に不利だった。なんと言っても、女が露出狂だとはいえ、それを盗み見ているのだから、どうしようもない。しかも、

「平松君に揺さぶりをかけているということも一緒に露呈すればどうなるか?」

 と言えば、完全に男は揺すりの対象に成り下がってしまったのだ。

 そこで考えたのが、殺害だった。

 幸い、自分と山岸の間にかかわりが露呈はしていない。しかも、平松はこちらが弱みを握っている。明美の方でも、身体は山岸を求めていても、気持ちは嫌悪と憎悪に満ちていた。できれば殺害してほしい。

 それだけの条件が揃っていながら、このまま自分が脅されたままでいるというのは、宇準している。

「一思いに殺してしまいさえすれば、俺が疑われることもない」

 と思った。

 明美は直接表に山岸と関係が出るわけではない。だから安心だったが、念には念をいれて、隠れているように指示をした。

 ただ計算外だったのが、やつが、明美の部屋で死んでしまったことだった。

 本当は508号室で死んでほしかった。クーパーイーツで呼び出したのは、508号室の、住民だったが、それも、元々、

「SMの巣窟」

 として借りた、架空の人物だったのだ。

 708号室で死んでしまったことで、明美の名前が表に出てしまった。

 どうしてそうなったのか、山岸は山岸で何かの計画があったようだ。それが、

「法地による錯覚を利用した犯罪」

 を計画していたのだ。

 だから、予行演習なのか、それとも、犯罪計画を練っている最中だったのか、5階と7階を行ったり来たりしていた。そして、その途中で、8階も利用するつもりだったのだろう。

 だから、松岡君が、エレベータを呼んだその時、8階にエレベーターはいたのだった。

 つまり、今回の犯罪に、直接艇に法地の問題が関係していたわけではないが、被害者が何かを企んだために、まるで、今回の犯罪に法地が利用されたかのようになり、複雑になったのだった。

 しかも、偶然というべきか、松岡君が絡んでしまったことが、ある意味犯人に命取りだったのかも知れない。

 今回の事件で、管理人が巻き込まれたのは、別に管理人が今回の犯罪に利用されたとか、犯人の思惑の中にあったとかいうわけではなかった。

 これも、山岸が何かの計画のために管理人を利用できないか?

 というところから来ていたようだったのだ。

 これらのことは、明美からの証言に出てきた。

「山岸という男、実は私を使って、今回の犯人であるあの人の殺害を考えていたんじゃないかと思ったんです。そのための証人ということで、管理人さんを利用しようと言ったのも、あの山岸だったんです。あいつは悪魔でした。そんな悪魔から逃れられない私は、一体何なんだろうと、絶えず自問自答していました。逃れられないわけではなく、私の本性を見抜かれて、しかも、私の操縦法をすべて熟知していて。さらに、私が逃げられないように、二重にも三重にも縄で蹂躙するんです。私は自分の身体を恨みました。自殺すら考えたんです。でも、それを彼に救われました。自殺なんて君がする必要はない。一緒にあいつを葬ればそれでいいんだってね。私もそれがいいと思いました。彼だって、すべてを捨てる覚悟でこの事件を考えたんです。だって、彼は自分の娘を私たちのせいで狂ってしまった少年にいたずらされたわけでしょう? 今回のことで、皆が不幸になる。たった一人、一番の極悪人である山岸が平気な顔をして生き続けるんですよ? こんな理不尽あったものではないじゃないですか」

 というのが明美の証言であった。

 また、同時に、平松も尋問を受けた。

「僕は、本当に苦しかったんです。でも身体がいうことをきかないんです。女の子には悪いことをしたと思っています。そのせいで、そのお父さんまでひどい目に遭って。だから、協力は僕の罪滅ぼしなんです。僕も正直、自殺が頭をよぎりました。でも、実際にできるわけもない、そんな意気地なしの自分がさらに憎かったんです。それもこれも、山岸という男と、明美という女のせいだと思ってね。でも、明美さんが後悔して、あの男の殺害を計画していると聞かされた時、僕は何かの呪縛から解き放たれた気がしたんですね。だから、今回の事件に協力しました。ただ、電話するだけの役目だったんだけど、僕はそれを松岡君に話しました。すると松岡君も協力してくれることになったんです。松岡君の証言で、きっと、犯人はまったく違ったイメージが警察にできて、捜査が混乱するということでね。でも、それを話したのは、本当は事件が起こった後だったんです。だから、犯行当時は知らなかったと思います。でも、彼ならきっと分かってくれると思いました。それが私は感じた真実だったんです。ただ、僕もバカですよね。松岡君を巻き込んだことで、警察が松岡君をマークするということに気づかないという凡ミスをしたために、僕が警察に疑われ、しかも、明美さんを発見させる手助けをしてしまうなんて、やっぱり僕は悪魔なのかも知れない」

 と言って、平松は完全に打ちひしがれた状態になり、カウンセラーが入っての取り調べになったのだった。

 犯人である男は、すでにこの世の人ではなかった。

 彼は自殺を試みて、本当に死んでしまったのだ。使われたのは、奇しくも殺人に使った青酸カリだった。

 この青酸カリは、元々山岸が持っていたものだ。

 これは、犯人を脅すために、研究室から持ち出したものだった。

「俺くらいの優秀な人間になると、こんなものは簡単に持ち出せるのさ」

 などと言っていたが、本当はそんなことができるはずがない。どこまでも、自分を正当化し、虚勢を張ることが、山岸という男の

「山岸たるゆえん」

 だったに違いない。

 犯人は遺書を残していた。

 一人は娘と奥さんに、そして、もう一人は明美に、そして、もう一つは平松にであった。

 内容は、明美と平松が話したこととほとんど変わりはなかったが、家族に対しては、徹底的にウソをついていた。

 仕事の上での自殺を書いていたのだが、そんな遺書があろうがなかろうが、事件は殺人事件だったので、犯人を公表しないわけにはいかない。マスコミがこぞって面白おかしく書きたてる。

 確かに犯人への同情は書かれているが、

「他に方法はなかったのか?」

 などと書かれると、家族の心境を思うとやり切れない気持ちになる。

 しかも、娘は、

「お父さんは、私のために」

 と思い続けて生きなければならないだろう。

 それを思うと、犯人の気持ちがさらに気の毒であった。

 やはり、今回の事件において、幸せになる人は一人もいない。

 なんと言っても、一番の原因は、SM、露出などという、人間の中に潜む、

「精神と肉体との歪」

 が引き起こした事件だといえるのではないだろうか。

 事件を解決した桜井警部補も、

「できれば、こんな事件、解決したくなかった」

 と本当はいいかいくらいであった。

 松岡を尾行させた理由は、松岡が何かを隠していると感じたのと、その隠しているのは「ものだけに限らず人間かも知れない」

 ということであった。

 桜井刑事は、松岡をよく知っていた。松岡を改心させた老年の刑事が、よく言っていたものだ。

「松岡君のような青年を、これからは作らないような世の中にしないといけないよな」

 という言葉だった。

 その人は松岡にいろいろ指導していた。その中で、

「仲間を作れ、自分がその人のためなら何でもできると思うようなそんな仲間だよ。そうすれば、お互いに助け合うことで、生まれてくるものは、どんどん大きくなっていくはずだからな」

 と言っていた言葉が印象的で、その隠している人間が、そういう仲間だと思ったことから、

「この事件の関係者に、クーパーイーツの配達員がいるかも知れない」

 と感じたのだった。

 それから、松岡に接近してきた男が平松だったのだが、いかにも怪しい素振りを見せれば、もう彼が事件に関わっているのは、一目瞭然だったのだ。

 松岡が自分から接近することはないと思っていた。彼は、実際には頭がいい。前のまま成長していれば、きっと、

「知恵ある悪魔」

 になったかも知れない。

 そうなると、完全に敵対することになり、容赦するわけにはいかなかくなる。

 松岡が自分から近寄らなかったのは、彼なりの頭の良さだったが、まさか相手の方から出てくるとは、まさに、

「飛んで火にいる夏の虫」

 と言ったところであった。

 だが、この三人は実に潔い三人だった。

 それを話してくれたのは明美だった。

「主犯は、あの人なのかも知れないけど、私たち三人は、血判した仲間なのよ。だから、誰が悪いとかではなく、三人は一つの同じ十字架を背負っていくことになるの。それは誰か一人が命を落としたとしても同じこと。だから、それを仕方のないことだということで乗り切っていけるだけの人間に、二人にはなってほしいって、言っていたわ。本当にこの人ともっと早く会っていればって思うの。少なくとも、山岸なんかに会う前にね」

 と明美は言った。

 さらに明美は続ける。

「平松君があんなになってしまったのは、私の責任。そしてあの人を殺人犯にしてしまったのも、そして。あの人の残された家族に対しても私には拭い切れないほどの責任がある。だから、本当は私が死ななければいけないんだけど、先にあの人が死んでしまったから、私は死ねなくなっちゃった。世の中には、死んで償うよりも、生き続けなければいけないことの方がつらいことがあるんだって、今痛感しているの。今の私に何ができるのか分からないけど、せっかく生きているんだから、彼に貰った命だと思って大切に生きていこうと思う」

 というのだった。

 平松も似たようなことを言っていた。

「あの人も、明美さんも、もう僕にとっては同志なんです。明美さんには恨みもありましたが、もうありません。僕たち三人で成し遂げたことなので、後悔はないです」

 と言っている。

 桜井警部補は、最初から気になっていたことだったが、

「どうして、5階と7階で小細工なんかしたんだい?」

 というのを聞いた平松は。最初何が聞きたいのか分からずに、桜井警部補の方をじっと見ていたが、

「ああ、あれは、あの人が言い出したんです。どうせ逃げも隠れもしないのだから、せっかくなので、法地を意識した犯罪にしたいってね。すべて覚悟の上だったということですよ」

 と平松は言った。

「じゃあ、508号室の猫の声は?」

「あれは、松岡君に疑惑を持たせるためですよ。彼が警察にいいに行くことは分かっていたので、松岡君の証言で少し捜査が明美さんから離れるでしょう? ここは本当は難しい判断だったんですけどね。ただ、もう一つは、あの部屋で、死体を発見させたいという思惑もあったんだけど、山岸は猫と同じで私たちのいうことを聞かないの。頭がいいからずる賢くて」

 と、平松は含みを持たせていった。

 桜井警部補には、まだ謎な部分が残っている気がしたが、今の平松の言葉を聞いて、

「どうでもいいか?」

 と感じるようになっていた。

 これほど真実というものを突き詰めるということがどれほど辛いということなのかということにキス化されるとは、

「本当に事件というのは、得をしたり幸せになれる人なんていやしないんだ」

 ということを思い知らされる、後味も悪い事件であった……。


                 (  完  )

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後味の悪い事件 森本 晃次 @kakku

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