第7話 見えていなかったトラブル
松岡君の情報は、捜査会議でも話題になった。
「なるほど、その松岡君というのは、結構鋭いところを思い出してくれましたね。これで少し捜査の的が絞れそうな気がします」
と、防犯カメラの映像を借りてきた山崎刑事がいうと、
「そうですね。あの建物が法地だったということは分かっていても、それが事件と関係があるかどうかということも何ともいえない状態だったので、その情報を仕入れてきてくれた山崎刑事にも感謝ですね」
と、黒岩刑事は言った。
黒岩刑事は、山崎刑事の後輩であり、何かと山崎刑事を頼りにしている。山崎刑事の後姿を見ながら、刑事としての成長を考えているといっても過言ではないだろう。
「法地というマンションの構造上の問題が、この事件に何らかの関係があるような気がするんだ。今の話を聞けば、ロビー階から見た8階というのは、6階と同じ発想だということだよな? それは、土手と反対側の、車が入るところから見ればの話しだけどな。これが何かの錯覚を利用した、錯誤の世界を作り上げ、犯行を形成しているというのは、見方によっては、そんなに強引なことではないような気がするな」
と、桜井警部補は言った。
桜井警部補も、前にいた署での殺人事件の捜査で、法地のマンションで起こった殺人があったのを思い出した。
あの時は、法地であるとは分かっていたが、まさかそれを利用した殺害計画だったなどというのには気づきもしなかった。
犯人の中途半端な計画のせいで、最初はまったく思いつきもしなかった犯行だったが、一つのことが解明すれば、あとは芋ずる式に、事件の全貌が見えてきた。
「こんなに単純な事件だったんだ」
と、拍子抜けしてしまいそうなほどのものだったのだが、まさかと思った事件の解決に。その時から、
「まさかと思うようなことでも、普通に犯行に利用されるんだ」
ということを、改めて思い知らされたような、そんな教訓のような事件だったのだ。
それを思い出すと、また引き締めた捜査をしなければならないと思い、指揮官として、あらゆる可能性を考えるようになったのだ。
ただ、まだ捜査は、途中であり、一番の問題は、防犯カメラの解析にあるだろうと思ったのだ。
それは、捜査員皆が感じていることで、とりあえずは、防犯カメラの解析と同時に、それを裏付けるようなマンション内の聞き込み、さらに、行方不明者の捜索、そのあたりが問題になってくる。
そこで飛び出した松岡君の証言と、一番今のところ事件に深くかかわっている管理人の証言、それらを元に、再度地道な捜査をしなければいけないということになるのだろう。
捜査会議は、そのことを主に話し合われることになるのではないか?
今集まっているのは、桜井警部補と、黒岩刑事、山崎刑事の班であったが、他の捜査員は、今も聞き込みをしていた、捜査会議と並行して、彼らのもたらしてくれるであろう情報が待ち遠しいところであった。
捜査本部の今は、そういう状況だったのだ。
「まず、考えなければいけないのは」
と口を開いたのは桜井警部補だった。
「被害者が、708号室で殺されていて、708号室の住人が行方不明。それだけではなく、被害者が、元々住んでいた場所の今の住人の行方不明。これは何を意味しているかということだよな? これは本当に偶然なのか? そういえば、708号室の本当の住人の捜査はどうなっている?」
「川崎明美は、まだ行方不明のままです。でも、行方不明になっておいて、人を殺すというのは、解せない部分ではありますね」
と、黒岩刑事が言った。
「川崎明美の店に、殺された山岸が行っていたという話はあるんですか?」
と聞かれて、
「いいえ、その形跡はないようですね。それよりも、殺された山岸という男、調べてみると、どうも、おかしな性癖を持っているというようなことが分かってきました」
と、山崎刑事が言った。
「どういうことだい?」
「彼の仕事は、大学尾研究員なのですが、年齢的にはまだ30代なんですが、研究者としては優秀で、結構若い時点で、准教授に就任したのだそうです。ただ、まわりの意見としては、教授への昇進までには、少し時間が掛かるのではないかということでした」
「それが、その性癖によるものだというのかい? そんなに大学の教授というのは、厳しい職業なのかね?」
「それは確かにそうなんですが、それだけではないそうです。山岸という男は、変態的なところがあり、それを隠そうとはしていなかったとのこと。普通なら出世のために隠そうとするじゃないですか? でも、彼は隠そうとするよりも、却って露出する方に燃えるとのことで、だからこそ、まわりから異常な目で見られているそうです」
「うーん、頭がいい人というのは、えてしてそういう性癖を持っているものなのだろうか?」
と桜井警部補はそういったが、実際には到底理解できるものではないだろう。
「山崎刑事はどう思う?」
と、差し返した。
「私にはアブノーマルな世界はよく分かりませんが、今まで扱ってきた事件の中に、猟奇的な犯罪や、耽美主義のようなものもあったので、理解はできないけど、そういうものが存在するということを否定はできませんね」
「耽美主義というのはどういう意味なのかな」
と桜井警部補が聞いた。
「これは一種の芸術用語と言ってもいいのでしょうが、道徳や秩序のようなことではなく、とにかく、美というものを最優先として求められる芸術のことを言うんだそうです。私は高校時代に、昔の探偵小説などをよく読んでいたんですが、犯罪をまるで芸術作品のように、見せびらかすような話があったりしたんですね。それはあくまでも、犯人の陽動作戦だったんですが、被害者を花で飾ってみたり、博物館の造形作品のように大衆に見せびらかせたりする、そういうやり口です。美を皆に見せびらかせるわけなので、露出狂ということでもあるでしょうね。そのような犯罪を、耽美主義的な犯罪として、昔の探偵小説には多かったですね」
と、山崎刑事は言った。
「そういう小説を私も読んだことがある。ただ、私には理解を超えていたけどね。でも、昭和の時代などでは、そういう犯罪を真似た、模倣犯のようなものも流行ったような気がして、私はその時、元々のそういう小説が書かれたことが、犯罪に結びついたんだって、単純に考えたものだったよ」
と桜井警部補がいうと、
「私もそう思うんですが、他に考え方ってあるんですか?」
と山崎刑事がいうのを聞いて、
「その考え方を表に出してしまうと、小説の世界を冒涜してしまうような気もするんですよね。娯楽小説なのだから、本来であれば、真似をするやつが悪いのであって、犯罪が起きなければ、この小説は面白いといって、評価されると思うんですよ。あくまでも、犯罪が起こるか起こらないかというのを、作家が責任を負う必要があるんでしょうか?」
と今度は、黒岩刑事が言った。
「まあ、確かにその通りだと思うけど、科学者などは、開発したものを実際に使用する政府が、平和利用で作り出したものを、兵器として使えば、その責任は科学者にあるといえるのかな? 生み出した人に責任はないとはいいがたいが、それを実行した人にすべての責任があるのではないか?」
と桜井警部補が言った。
「世の中には、我々の思いもしないような性癖の持ち主がいたりするので、気を付けないといけない。でも、実際に定期的と言っていいのか、猟奇犯罪などが、多発する時期というのはあるからな」
と桜井警部補は続けた。
「猟奇犯罪の中には。快楽殺人なるものもあったりして、そういう人は動機という点において、分かりにくいところが多く、しかも、連続して反応に至るという性質もあるんじゃないでしょうか?」
と黒岩刑事がいうと、
「それはそうでしょうね。なんと言っても、猟奇殺人を行う人の多くは、自己満足を得ようとするわけですよね、そして、その自己満足がエスカレートして、一度犯行を犯して満足しても、すぐにまた我慢できなくなって、犯行を行う。しかも、一度目で感じた快楽を求めるには、さらなる興奮が必要になるので、連続すればするほど、犯行はエスカレートしてくる。これが猟奇犯罪のパターンじゃないでしょうか?」
と山崎刑事が続けた。
「ところで、山岸の性癖というのはどういうものなんだい?」
というのを桜井警部は聞いた。
「彼の場合は、いくつかあるようなんですが、話を聞いている限りでは一番の共通点としては、どうも、露出にあるようなんです。いわゆる、わいせつ物陳列罪や、公然わいせつ罪に当たるというようなものだといっていいのでしょうか? 最初の頃は、夜に裸でコートを着て、女性が歩いている前に立ちはだかり、コートの前をはだけさせるという、いわゆる露出狂の一番多いパターンだったようです」
「なるほど、それくらいなら、まだ幼稚だといえるだろうね」
「ただ、そのうちに、そんなのでは我慢できなくなり、犯罪とは少し遠ざかったのですが、SMクラブに通うようになったようです」
「彼は、露出だけではなく、SMもあるのか?」
「露出というのも、一種のSMのようなものですからね。SMというと、プレイのイメージが強くて、ムチやロウソクなどの道具を使って、相手をいたぶったり、女王様から羞恥プレイを受けたりというのが一般的ですが、そもそもは、サド、マゾの性癖が発展したものだから、露出もSMの一種だといってもいいのではないでしょうか?」
「SMというのは難しいな」
「でも、人間誰しもが、SかMのどちらかを持っていると言われていますからね。もっとも、両方いける両刀使いという人もいたりして、そういう人が、SMクラブの女王様だったりするんじゃないですか?」
「言われてみれば、自分に置き換えてみると、確かにどっちかに寄っているような気がするな。ただ、それを抑えるのが理性であり、理性があるから人間なのだといえるのではないだろうか? この山岸という男はどうなんだろうね? 気が弱い性格なのだろうか?」
と、桜井警部補は感じた。
「彼のことを、常連のSMクラブで聞いてきたんですが、彼の場合は、S性からの露出が強いのではないかと言っていましたね。でも、露出がひどいのは、Mに目覚めたからではないかというのも彼女の意見で、女王様の自分の言葉に従順になるのは、自分に自信がないからではないかと言っていました」
「自分に自信がない?」
「ええ、えてしてそういう人も多いらしいんですが、自分に自信がないから、Sになりきれない。Sになりきれないくせに、Sではないと思われたくないという気持ちから、露出を求める。つまり、露出というのが、一番自分の性癖を表しやすいということのようなんですよ」
「なるほど、気が弱いやつほど、よく吠えるというやつだな。だとすると、本当のSなのかどうかというのを見抜くのって結構大変じゃないか?」
「ええ、もちろん、そうです。だから、SMプレイというのはm素人が簡単に手を出すと危ないとよく言われるでしょう? SMプレイをうまく操るには、どちらかが、絶対に従順であり、その従順な相手に対して絶対的な自信を持っている人でなければ、プレイの内容がきわどいだけに危ないということなんですよ」
「なるほど、紙一重のところで、お互いが意思の疎通をしていかないといけない関係だということだな?」
と、桜井警部補がいうと、
「そうです、まさにその通りです」
と黒岩刑事が言った。
彼も、SMクラブでの聞き込みの間に、かなりショッキングな話を聞いたのかも知れない。実際に、プレイも見たのかも知れない。しかし、それだけに、アブノーマルなプレイは、少なくともどちらかがプロで、プロでない方は、相手に全幅の信頼を置いていないといけないという難しい関係なのだろう。
「だから、SMクラブのプロの人から言わせれば、素人がプロの真似をしたり、小説や映画で表現されているようなことを、自分にもできると思って、安易にやってしまうのが一番怖いと言いますね。生命の危険もそうなんですが、もしうまくできたとして、その人が理由もなく、自分がSなんだと思ってしまい、相手は誰であってもうまく行くなんて思ったり、次第いエスカレートしてしまって、収拾がつかなくなってしまうことで、自分を抑えられなくなるというのが一番怖いと話していましたね」
と山崎刑事がいうと、
「じゃあ、そういう傾向に、山岸という男は傾いているということなんでしょうか?」
と、黒岩刑事が聞いた。
「そういう感じではないかとSMクラブの人は言っていましたが、山岸を見る限りでは、どの部分が突出しているのか、ハッキリと分からなかったというんですよ」
「分からないなどということ、あるんですか?」
「ええ、あるみたいですよ。稀だとは言っていましたが、だからこそ、怖いじゃないかっていう話でしたけどね」
と、いう二人の刑事の会話を聞いていて、
「山岸が、大学の准教授で、何かを研究している研究者だということを考えると、こんな言葉を思い出したんだがな」
という桜井警部補を見ながら、二人は同時に、
「どういう言葉ですか?」
「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作るものなりという言葉なんだけどな」
と、偶然か、松岡君の大学に飾られている教訓を桜井警部補は口にした。
「聞いたことないですね」
と、二人とも頭を傾げた。
「神なき知恵というのは、モラルや秩序のない知恵という意味さ。要するに、モラルや秩序のない知恵は、どんなに便利なものであろうとも、それを使うと、悪魔にしかならないということなんだ。科学がどんなに発展しようとも、それを平和利用しなければ、悪魔しか作り出せないということさ。まるで核開発や禁止兵器の開発のようではないか?」
と、桜井警部補は言った。
「そうですね。知恵ある悪魔というのは、知恵があるだけに、対抗しにくいですよね」
「そうなんだ。だから、上ばかり見ていて、足元を見ていないと、動いていないつもりで、お、気が付けば、底なし沼に足を踏み入れている可能性だってあるということさ。だから、神なく知恵と言われるモラルや秩序のないものは、一方向しか見ずに、気が付けば、底なし沼に嵌っていて抜けられなくなるようなものなのさ」
と、桜井警部補は言った。
「それは我々にも言えることではないですか? 我々には警察としての公務であれば、逮捕であったり、人を拘束だってできるわけだけど、だからといって、感情に任せると、とんでもないことになる。それだけ厳しい商売ということですよね? だから、二親等までの間に犯罪者がいれば、警察官になれないなどという、普通の人が考えれば、なんとバカバカしいと思えるような話になったりするんですよね」
と、黒岩刑事が言った。
「そうなんだよな。権力をかさに着るというのは、ある意味、神なき知恵を持っていることであり、そんな連中ばかりになると、知恵ある悪魔が増えてしまうということ、そのためには、行き過ぎを戒める必要がある、そういう意味で、あまり厳しすぎる規則は却って反発を生み、知恵ある悪魔が生まれる土台を作ってしまうのだろうな」
と、桜井警部補は言った。
「ところで、そんな山岸が殺されたわけだが、そのことについて、何かクラブの人たちは言っていなかったかい?」
と聞かれた黒岩刑事は、
「言っていたというか、最初からSMクラブの人は、山岸だったら、何をやってもおかしくないと思っていたようです。そもそも、SMクラブに来るようないわゆる素人のSM愛好家というのは、そういう危険性を裏に持っているものだということなんですよね。その感情をうまくコントロールして発散させてやっているのが、SMクラブであり、ここにきていることが悪いということではないというんです。ここにきている人は、ある意味リハビリのようなもので、意識もなく、予備軍のような人が一番怖いのだといいますね」
と、いうのだった。
「じゃあ、山岸という男がSMクラブにはストレス解消で行く分には問題ないと?」
「そういうことになるでしょうね。でも、クラブの人でも、時々、山岸が怖くなると言いますね。女王様の中には、真剣山岸にNGにしている人もいると言います。本当に怖いことだと思います」
と、黒岩刑事は、くわばらくわばらと言ったところであろうか。
「そういえば、SMというか、異常性癖ということについて、一つ小耳に挟んだことがあったんですが、例の508号室で、一度、変な声が聞こえたということで、近所の奥さんが、それを聞いて怪しく思ったんだそうです。その時、扉はロックを掛ける金具で抑えていて、半分開いた状態だったらしいんです。そのうちに、まるで首でも絞められて苦しんでいるような声に聞こえたので、これはいけないと思い、衝動的に入ってみると、そこで全裸の男女が、性行為をしていたというんです。それも普通の状態ではなく、まるでSMクラブのような光景だったというんです。もちろん、実際には見たことはないけど、テレビなどで見た光景を思い出したというんですね。その時は顔が真っ赤になって、羞恥心で考えが回らなかったけど、後から思えば、見せつけようとしていたように思えたというんですね」
と言いながらも、どこか苦虫をかみつぶしたようにいう山崎刑事だった。
聞いている方も、正直、
「こんな話はなるべくなら聞きたくないな」
と思っていることであり、
「一体どういう育ち方をすれば、そんなことができるような人間になるのだろうか?」
と考えてしまうほどであった。
その時に見たのは隣の奥さんだというが、その奥さんが、詳しい話を覚えていて、詳細に話してくれたのだが、さすがにこの操作本部でそこまではいえないということで、黒岩刑事の頭の中だけに収めておいたが、その内容はリアルすぎて、頭の回転が鈍ってしまうほどであった。
男が女を、椅子に縛り付けていたという。その椅子というのは、籐椅子と呼ばれるもので、後ろの背もたれがやけに大きく、まるで蝶が羽根を開いているかのような、バタフライを末広がりにしたような模様に見える椅子だったという。
そこに全裸で座らされ、女は足を大きく開いて、腕を置くところに両腿を縛り付けられ、
「これ以上恥ずかしい恰好はない」
と言わんばかりだった。
女である主婦が見ても、同じ女としてよく分かっているはずの陰部も、まるで初めて見せつけられたような感じで、下手をすれば、男性器よりも露骨でいやらしいものだったようだ。
ただ、それだけならまだいいのだが、男が、主婦の見ているにも関わらず、
「このメス豚が」
と言って、陰部をまさぐっていたというのだ。
主婦の方では、見てはいけないと思っても、ここまで露骨に見せられると、脳内で破壊されたものがあるのを感じ、思わず見てしまう。
すると、女は涙を流しながら、
「見ないで」
といったのだそうだ。
そうなると、主婦の方も、見ないわけにはいかない。
「嫌々するのも好きうち」
と誰かが囁いているのが聞こえてくるようだった。
ここでの登場人物は三人が三人とも、実に恥ずかしい精神状態に包まれているのだが、それが分かってきたのか、主婦も開放的に感じるようになったという。
「恥ずかしい」
であったり、
「見ないで」
というのは、心とは裏腹な心境が叫んでいるだけのことである。
そして、奥さんは言った。
「あの雰囲気は相手に見せつけるということによって、自分の本性をあらわにすることも否めないことを証明するようなものだ」
というのだ。
それを聞いていた黒岩刑事は、
「あの二人のプレイは、自分の本性をさらけ出すことで、余計に感覚がマヒし、さらにエスカレートに歯止めがかからなかったのではないでしょうか? それが何かの犯罪を起こし、さらにまたエスカレートが絡まってくるかのような負のスパイラルとでもいえばいいのか、今回の犯罪は、何かそんなものが裏に潜んでいるような気がするんです」
というのだった。
「確かにそれは言えるのかも知れない。そして、それが、知恵ある悪魔だとすれば、今回の犯行も、何かの意図が働いているのかも知れないな」
と、桜井警部補は言った。
「カギを握っているとすれば、誰なんでしょうか?」
「今のところの登場人物の中では、管理人くらいしか思い浮かばないですけどね」
といいながら、管理人から借りてきた防犯カメラの映像の解析を今、他の刑事がしているのを話した。
「管理人が何かウソをついているとでも?」
と桜井警部補がいうと、
「ハッキリとは分かりませんが、犯行のあった部屋にですね。カギを開けて入ったということですが、それも怪しい気がしませんか? 今のところ、まだ話が出てきていませんが、管理人がカギを開けたのだとすれば、部屋は密室だったわけです。いくら毒殺とはいえ、毒に関わるものがまったく発見されなかったというのはおかしいですよね。確か、リビングではもう一人誰かがいた形跡があったんですよね? それなのに、毒に関係するものも何も出てこなかった。そう、そもそも誰かが救急車を要請したわけでしょう? それが誰なのかということもありますよね? 今のところすべての証言が管理人の証言でしかないわけで、それをすべて鵜呑みにしてしまうと、完全犯罪になってしまいませんか? そんなことがありえないとすると、管理人が何かを握っているといってもいいと思うんです。何か些細なウソを言っているだけなのかも知れないし、管理人すら気づいていないこともあるかも知れない。それを思うと、どんどん怪しくなってくるんですよね」
と、山崎刑事は言った。
「まあ、そうだよね。ミステリーなんかでも、第一発見者を疑うというのが、定石だったいするからね。それに、僕が気になっているのは、もう一人の証言者の松岡君というのも、何か怪しい気がするんですよ。いくら事件をニュースで見たからと言って、どこまで事件に関係があるか分からないことを、普通なら、関りになりたくないから、自分からは言わないですよ。特に彼は、桜井警部補の前でいうのは忍びないのですが、警察に恨みを持っていてもいいくらいの人間でしょう? その言葉をすべて鵜呑みにするというのは、まるで犯行の攪乱が目的でもあるかのようで、何か嫌なんですよね」
と、黒岩刑事は、桜井警部補に、申し訳なさそうな顔を見せていたが、それでも、目は毅然としていた。
「二人のいうことはもっともだと思う。今のところは、二人の証言と、先ほど出てきた主婦の証言しか手掛かりがないわけだからな。そういう意味でも、もう一度事件を洗い直す必要はあるだろうな」
と、桜井警部補は言った。
話をしているうちに、防犯カメラの、犯行時間前後の状況が解析された。
その内容は、今までに分かっていることとほぼ変わりのないものでしかなかった。そういう意味では肩透かしであったが、
「落胆することはない。これでハッキリとしたことだってあったわけだろう? 証言が証明されたわけだ。それを落胆するということは、君たちが完全に管理人や松岡君の言っていることを、端から信じていなかったということなんだよ。今度は、証言は正しかった ということを前提にして、その中から、矛盾であったり、今まで気づかなかった部分を洗い出すことが、事実に近づくことになるんだ。私がよく言っていることだが、真実よりもまずは事実を解明することが大切なんじゃないかな?」
と、桜井警部補は言った。
「一つ気になったことがあったんですが」
とふと山崎刑事が思い出したように言った。
「どういうことだい?」
「あのマンションというのは、川の土手のようなところに建っているんですよね? いわゆる法地というんですか? あそこって、正面が土手側になっていて、いわゆる正面玄関がロビー階の、3階ですよね? 8階建てということになっているから、正面から見ると、6階建てのマンションに見える。だから、正面から見れば、5階に配達しようとすると、7階に行ってしまうでしょう? しかも、通路は、マンションの正面とは反対だからね。その高さに錯覚を覚えて、自分がどこにいるのか分からなくなって、とりあえず708号室に行くと、何か見てはいけないものを見てしまい、それが毒で死ぬところだったのかも知れない。ちょうどその時、5階には松岡君がいる。それも分かっていて松岡君に、見てもらおうと考える……」
とそこまで行って、山崎刑事は暗礁に乗り上げたようだ。
「山崎君、君は非常に核心部分を掴んでいるようだけど、まだ整理できていないのか、情報が少ないのか。とりあえず、もう少し整理して考えれば、もっと真相に近づくことができるかも知れないね。ちなみに真相というのは、真実と事実の間の、まだ事実に近い方ではないかと、私は思っているんだ」
と、桜井警部補はそういった。
一つだけ正しかったのは、例の救急車を呼んでほしいと言ったのは、配達員だった。彼は、目撃者にされてしまったのだが、後ろめたいことがあるので、その場から立ち去った。それも、犯人の計算だったのだ。
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