駅馬車が停まる時
@2321umoyukaku_2319
第1話
灰色の雲が新マッキンリー星定公園の西方に湧き上がりつつある。第二ベーリング海から吹く風が水蒸気を運んできたのだ。やがて雲は発達し新デナリの山々に大量の雨を降らせるだろう。ガニーガリエス・サリィガースゥは、それが待ち遠しかった。
両生類型人類である彼は乾いた場所が苦手だ。居座り続ける高気圧のせいで、新マッキンリー星定公園の半砂漠は灼熱の暑さだった。湿気も何もありはしない。こんなところに長居をしていると、車の中にいても、だんだん具合が悪くなってくる。
これで死んだら元も子もないので、ガニーガリエス・サリィガースゥは乾燥した頭頂部にオイルローションを振り撒いた。熱中症の予防には一番効果がある、と報じられている方法だった。今回は刺激性の強い成分を含んだ品物を用意していた。不便な場所へ行くから、という理由で水なしボディーソープも購入しておいたが、乾燥しきっているせいか汗が出ないので使う必要はなさそうだ――と思っていたら、隣にいた女が鼻をつまみながら言った。
「ちょっとガニーガリエスさん、頭だけじゃあなく体にも香水をよ~く振りかけてくださいませんこと。言いにくいことなんですけど、少し臭いですわよ」
ガニーガリエス・サリィガースゥは苦情を言った女を見つめた。金髪の若い娘だった。イギリス系フランス人とか聞いたが、名前は忘れた。名前を出して言い返そうと思ったが出て来なかったので、そこら辺はボヤかして答える。
「んんん、いや失礼。ですがねえ、お嬢さん、あなたの方も大概ですよ」
その言葉を聞いて金髪のイギリス系フランス娘こと、マリーゴールド・ハナ・ディングリーは大層ショックを受けた。野暮ったい中年のオッサンからは、絶対に言われたくない皮肉だった。悔しすぎて涙が出そうになったが、どうにかこらえた。泣いちゃだめ、泣いちゃだめよマリーゴールド! あなたは強い子でしょう、こらえなさい、耐えるのです。どんなときも誇りを持って気高く生きるのです……と、心の中で人生の師匠ヨハンナ・ド・カルトロネグロの口調を真似した。すると、気分がスッと落ち着くのが分かった。
マリーゴールド・ハナ・ディングリーがヨハンナ・ド・カルトロネグロを知ったのは三年ほど前だ。たまたま聞いていたラジオの人生相談の回答者がヨハンナだったのである。幼馴染と結婚の約束をしていたが職場の上司と不倫の関係となり、それを知った長年の親友が幼馴染に告げ口したせいで婚約破棄されたことから人間不信となってしまい、不倫相手のことも信用できなくなって関係の解消を伝えたら逆上され、激しい暴行を受けたために長期入院を余儀なくされた病院で知り合った女性看護師がレズビアンで、いつしか愛し合うようになり遂にプロボーズされたが、元婚約者の幼馴染がよりを戻そうと言い出したり、その幼馴染に恋心を抱いている長年の親友が彼女の前に現れて「わたしから彼を取らないで!」と泣き叫んで自分の頭にガソリンをかけマッチで火を点けようとしたり、彼女を暴行した不倫相手の上司が不起訴処分で釈放され彼女の前に姿を見せて「お前のせいで仕事を首になった。お前のために俺の人生は終わってしまったも同然だ。それなのに、お前だけ幸せになろうってのか? 許せない、絶対に許せない。お前も、お前のレズビアンの恋人も、不幸のどん底に叩き落してやるから、覚悟しておけ!」と言い放って再び行方をくらませたのだが、それはそれとして別に深刻な悩みがあって、それは同棲している大学生が飼っているペットの小型ライオンが自分に懐かなくて困っている、こっそり捨てても大丈夫だろうか? というものだった。その悩み相談に対しヨハンナ・ド・カルトロネグロは「保健所に持って行きなさい、次の相談者をお願いします」というザックリぶった切るような回答をしてみせた。それに感銘を受け、マリーゴールド・ハナ・ディングリーは彼女のファンになったのだった。
ヨハンナ・ド・カルトロネグロは社会学が専門の大学教授だった。マリーゴールド・ハナ・ディングリーは、その著書を買いあさった。本を読んで、さらに興味が強くなった。ヨハンナが講座を持つ女子大が近かったので、その聴講生となり、講義を聞くほどになった。
何度か会話をする機会にも恵まれた。そのときを思い出すと、とても幸福な気分になるのだった。そんな彼女にガニーガリエス・サリィガースゥは鞄から取り出した香水の小瓶を差し出して言った。
「試供品で悪いんだけれども、良かったら使って」
前に座った金髪美女の頬が神経質そうにビリビリ震える様子を見て、風車のキキルヒコノヒアイスは思った。駅馬車の旅も、案外悪くないんじゃないか? と。
新マッキンリー星定公園空港にスペースシャトルで降り立ち滑走路脇のバスに乗り込んで近代的な空港ビルでビールと葉巻で一休みしてリフレッシュ、さあ出かけようかとなったら力が抜けた。空港ビルの地下駐車場に待っていたのは旧式の駅馬車だったからだ。
動物愛護に熱心すぎて身代を潰した貴族の両親が見たら、頭に血が上って何をしていた分からない……と思いながら御者の中年女性に話しかけた。
「立派な馬だけど、この星は牧場が盛んなのかい?」
機械の馬だとの答えを聞いて、納得。そういうもんやね、と考えつつ馬車に乗り込む。誰もいない。独り占めだ、と喜んでいたら両生類型人類の男が乗り込んできた。向かい合わせの座席の、斜め前に座った。挨拶を交わす。長旅になる、自己紹介を、という流れで二人は互いの名を名乗った。その後に入ってきたのがマリーゴールド・ハナ・ディングリーだった。彼女は両生類型人類の中年男性と、人相の良くない東洋系の青年のどちらに座るか一瞬考えて、ガニーガリエス・サリィガースゥの横に収まった。そういうことですかい、と風車のキキルヒコノヒアイスは心の中で苦い笑みを浮かべた。再びの自己紹介、そして出発かと思いきや、直前になって一人の女が客室へ入ってきた。西洋風にも東洋的にも見える顔立ちで褐色の肌をした深い緑色の眼の持ち主だった。
若い頃は美人だったろうな、と車内の三人は口には出さないが同時に思った。マリーゴールド・ハナ・ディングリーは安堵の表情を浮かべた。素敵な笑顔で挨拶をする。そして彼女は名前を尋ねた。
「ミールコーサル・ヴァージニアと言います」
それを聞いてガニーガリエス・サリィガースゥがすぐさま反応した。
「小説家の? あのミールコーサル・ヴァージニアさんですか?」
風車のキキルヒコノヒアイスとマリーゴールド・ハナ・ディングリーは目を見合わせた。二人とも知らなかったのだ。ミールコーサル・ヴァージニアは微笑んだ。
「その通りです。私をご存じの方がいらして嬉しいですわ。お読み下さって、本当にありがとうございます」
ガニーガリエス・サリィガースゥは小さな吸盤の付いた両手の指先を何度も組み合わせながら言った。
「本当にそうなのですね? いや~嬉しいですよ。大ファンなんです。よく読んでいますよ。娘も大ファンなんです。うわ~本当に嬉しいです」
どんな小説を書いているのか、と風車のキキルヒコノヒアイスが尋ねた。ミールコーサル・ヴァージニアは、隣に座るヤクザのような外見の若者に染み入るような笑顔を見せて、自分の作品についての説明を始めた。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § §
キャッキャウフフ、と美しい少女たちが笑いながらバスに乗り込んだ。彼女たちを乗せたバスはニュー・マッキンリー星立公園の宇宙港ターミナルビルを出発し、滑走路をしばらく走って、やがて水平離発着型のスペースシャトルの横に停車した。キャッキャウフフ、と可愛らしい少女たちがはしゃいでバスを降り、タラップを駆け上がって機上の人となる。タラップがスペースシャトルから外された。牽引車がスペースシャトルを滑走路の端へ移動させる。スペースシャトルのメインエンジンのノズルから後方へ炎が吹き出した。やがて機体は滑走路を緩やかな速度で進み始め、次第に加速していって、とうとう空中に浮かび上がると、そこからさらに速度を速めて上昇し、惑星の大気圏外へ出た。向かう先は軌道上に建設された宇宙ステーションである。そこには他の星々へ向かう大型の宇宙船が停泊している。そこでスペースシャトルの乗客は他の宇宙船に乗り換えるのだ。
キャッキャウフフ、と笑っている少女たちも、それは同じだった。
女子中学生の彼女たちは、修学旅行で他の星へ向かう途中なのだ。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § §
風車のキキルヒコノヒアイスが鼻の頭を掻きながら言った。
「ミールコーサル・ヴァージニア先生は、サイエンス・フィクションを書かれているのですね。いや、ロケットが出てくるからサイエンス・フィクション、というのは古臭い考え方かな。現代小説ですかねえ、そうですよねえ」
マリーゴールド・ハナ・ディングリーは軽い軽蔑の色を瞳の隅に宿して言った。
「ロケットじゃなくて、スペースシャトルでしょう。それか、準軌道宇宙飛行タイプの極超音速旅客機かしら」
ミールコーサル・ヴァージニアが尋ねた。
「ディングリーさんは宇宙航空輸送機器にお詳しいのですね。そちらがご専門なのですか?」
「その分野を大学院で研究していました」
ガニーガリエス・サリィガースゥは少々、驚いていた。そんなにインテリだとは思わなかったのである。
同じように風車のキキルヒコノヒアイスも吃驚していた。派手な格好だったので、金髪ビッチだと勝手に思い込んでいたのである。いや、やはり金髪ビッチなのかもしれないが、どっちなのか彼には分からない。ガニーガリエス・サリィガースゥにも見当が付かない。しかし、それよりも気になることがある。
「ヴァージニア先生、一つよろしいですか?」
「何なりとどうぞ」
「それが構想中の新作なのですよね?」
「ええ」
「いつもの先生の作風と、少し違いませんか」
天真爛漫な女の子たちがわちゃわちゃと日々を暮らすお話や、異世界転生などを経たりして、色んなトラブルに巻き込まれ、悩みながらもめげずに突き進む女の子たちのお話など、明るく、時にハラハラするような、エンターテインメント作品。それが普段のミールコーサル・ヴァージニア作品だと、ガニーガリエス・サリィガースゥは感じている。そういった、とてもにぎやかで、読んでいると元気が出てくる小説とは、雰囲気が違う。そう思えてならないのだ。
そういう趣旨の発言をすると、マリーゴールド・ハナ・ディングリーは、やんわりとした口調で言った。
「そう感じるのはプロットだけを簡略に説明しているからじゃないかしら? 実際に書くと、わちゃわちゃとしていて賑やかな会話が出てくるんじゃないのかしら?」
風車のキキルヒコノヒアイスが腕組みをして言った。
「ま、話の途中ですしねえ」
出発の時刻が来たので駅馬車はビルを発車した。そして赤い土と大小様々な岩石が転がる新マッキンリー星定公園の半砂漠を進んで行く。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § §
キャッキャウフフ、と騒がしい少女たちを乗せたスペースシャトルが準軌道上まで上昇した頃に事件が起こった。宇宙に不法投棄された塵芥つまりスペースデブリがスペースシャトルに衝突したのだ。超高速で飛ぶスペースデブリは、とても小さな
物体であっても危険だ。それに直撃されたスペースシャトルはコントロール不能となり墜落した。幸いなことに、地表に激突する寸前に機体はコントロール可能となり、どうにか地上に着陸することに成功した。乗員乗客共々無事だったのである。不時着地点は出発した宇宙港のあるニュー・マッキンリー星立公園内だった。ただし公園内といっても、百キロ以上の距離がある。宇宙港まで歩いて戻るわけにいかず、救援の飛行機を待つことになった。
そんな状況であっても、女子中学生の御一行は元気だった。
キャッキャウフフ、と明るく元気よく過ごし、他の乗客たちの不安を和らげた。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § §
そこまで話を聞いて、ガニーガリエス・サリィガースゥは頷いた。
「なるほど、先生が今お話しして下さっているのは、話の骨格部分なのですね。これに具体的な会話を肉付けしていくと、いつもの先生の作風になるわけですね」
少しだけ俯いて、何やら考え込んでいたマリーゴールド・ハナ・ディングリーが顔を上げた。ミールコーサル・ヴァージニアの顔を覗き込むようにして質問する。
「お尋ねします。先生は昔、別のペンネームで小説を発表なさっていませんでしたか?」
ミールコーサル・ヴァージニアが小首を傾げた。目をぱちくりする彼女に、マリーゴールドが続けて訊いた。
「作風は今と異なります。現在の作品はライトノベル風ですけど、昔は文芸寄りでした。たとえば……女二人、時に喧嘩や仲直りなどの浮き沈みもありながら、一緒に暮らしていく日常、自分を「友達」としか思ってくれない、恋しい女性への苦い片想い……そんな色とりどりの百合模様がじんわりと滲んでくるような作品。そんな感じでした」
ゆっくりとミールコーサル・ヴァージニアが首を振った。
「それは違うわ。私の作品じゃない。私の筆名は、今も昔も本名のミールコーサル・ヴァージニアのままよ」
そこでミールコーサル・ヴァージニアの作品に関する話題は終わった。しばし雑談をして、それから全員、黙って思い思いの思索や窓の外の景色を眺めて過ごした。半砂漠を進むにつれて、車内の温度が上がっていく。乗客たちは次第にストレスを感じるようになった。ガニーガリエス・サリィガースゥは乾燥した頭頂部にオイルローションを振り撒く。マリーゴールド・ハナ・ディングリーが苦情を述べる。前に座る二人のそんな様子をチラチラ見ながら、風車のキキルヒコノヒアイスがスマートフォンをいじる。何を見ているのか、ミールコーサル・ヴァージニアがスマートフォンの画面を盗み見た。駅馬車の終点である新デナリ山麓の入植地の地図が表示されていた。その中心にあるのは入植地唯一のホテル、新デナリ山荘だった。
この男も、そこが目的地なのか。そう考えてから、ミールコーサル・ヴァージニアは心の中で笑った。こいつだけじゃない。カエルの仲間の男も、ケバいキャバ嬢みたいな娘も、他に泊まる当てが無ければ、あそこに泊まるしかないのだ。何の目的があるのか知らないが。
ミールコーサル・ヴァージニアが新デナリ山荘へ向かう理由は二つある。一つは構想を練っている作品の舞台が新マッキンリー星定公園なので、取材しておきたかったからだ。もう一つは、自分の元を去っていた同性愛の恋人に会うためである。その女性が新デナリ山荘に長逗留しているのだ。
先ほどのマリーゴールド・ハナ・ディングリーの質問は的を得ていた。ミールコーサル・ヴァージニアは、かつて別の筆名で作品を出していたのだ。ただし、それは二人の合作だった。彼女と、彼女の恋人、二人の共作ペンネームだったのだ。
その女性と別れてから、作風は変わった。ライトな読み物になったのだ。
よりを戻したい、という思いは、ない。そう思っている。しかし、彼女の顔を見たいと無性に思う。それはつまり、未練があるということなのか? 今の彼女には、それが分からない。相手と顔を合わせれば、答えが分かるのだろう。
ミールコーサル・ヴァージニアは他の客を眺めた。皆、何かの用事があるのだろう。あるいは、特に理由も無く旅に出ている者もいるのだろう。それも彼女には分からない。
駅馬車が目的地に着けば、何もかも判明する可能性はある。しかし紙面が残されていない。推奨文字数の六千字を、既に越えているのだ。新デナリ山麓の入植地に到着してからの話は、別の形で発表することになるだろう。
新デナリ山麓の入植地へ向かって、駅馬車が半砂漠の中を行く。
トイレ休憩以外では、決して停まらない。
駅馬車が停まる時 @2321umoyukaku_2319
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