小説を書く奴なんか、全員死ねばいい

@maitakemaitakem

小説を書く奴なんか、全員死ねばいい

「私、小説家になるんだ」

「泣ける話だから読んでね」

「アニメも漫画も映画も決まってるよ」

 教室の隅から彼女の声が聞こえる。続いて、彼女の友達が驚くような声を上げる。

 彼女は僕と同じ十八歳の高校生で、僕と同じ文芸部に所属している。そして、来月から晴れて小説家としてデビューするらしい。

 死ねと思う。彼女だけじゃない。小説を書く奴なんか、小説家なんか、全員死ねばいい。

 窓の外に目をやる。冬の寒空は、もうすぐで雪を降らすらしい。今朝の天気予報で言っていた。


 初めて彼女と会った日も雪が降っていた。文芸部への入部届を片手に、部室の扉を開ける。

 部室の中央に置かれた椅子に腰かける彼女は、確かに綺麗だった。まるで、死に損ないの雪女みたいだった。

「綺麗ですね」

 彼女は窓の外に降る雪を見ながら言った。僕は少し躊躇い、「そうですね」と言いながら部室に入った。まだ四月だというのに、世界は何かの警鐘を鳴らしているかのように寒かったのだ。

 彼女と少し話をした。僕と同じ新入生で、小説を書く為に文芸部へ入部したらしい。小説を書く奴なんて、根暗で、死にたがりで、いつでも世界の終わりを願っているような、僕みたいな人種しかいないと思っていた。だから、不思議に思って僕は訊ねた。

「どうして小説を書いてるの?」

 すると、彼女は少し難しい顔をした。別に、理由が無いなら無いでいいとは思う。でも彼女のように、地球の真ん中でも生きていけそうな人間が何かを文字にしたがる理由が思い浮かばなかった。

「例えば、『雪が綺麗だったから死のうと思いました』。綺麗な死に様だとは思うけど、雪を理由にできるほど私は強くない」

 彼女につられて窓の外を見る。冬の香りは、雪の匂いは、多分、死のそれに近い。

「でも、『完璧な小説が書けたから死のうと思いました』なら、納得すると思う。自分の全てを誰が見ても完璧な文字にできたら、それ以上生きる理由は無いから」

 彼女は多分、死ぬ為に小説を書くのだろう。その時はそう直感した。それはそれで悪くない気がした。

「どうして君は小説を書くの?」

 今度は彼女が僕に訊ねる。僕も考えてみた。自分の生死に頓着の無い僕は、小説を理由に死んだり生きたりできない。でも例えば、完璧な小説を書いて、それを読んだ誰かが、「貴方の小説に救われました」「貴方の小説のせいで死のうと思いました」と言われたらどうだろう。どこの誰かも知らない人間の生死が、たかが僕の小説で決まってしまう。それはとても、気持ちいい事のような気がした。

「誰かを生かす為、あるいは、誰かを殺す為。僕は小説を書く」

 僕がそう言うと、彼女は笑った。「いいね」と言ってくれた。心温まるような笑顔、なんかじゃない。死に損ないの死体が浮かべるような、とても冷たい笑顔だった。


 彼女はいつも、手書きで小説を書く。それが彼女なりのポリシーらしい。まさかそれを恨む日が来るとは思わなかった。

 学校の端には、もう使われなくなった焼却炉がある。誰も近寄らないような場所だ。だから、放課後に誰かが何かを燃やしたとしても、火事のレベルで煙が上がらない限りは誰も気付かない。

 彼女にとって何よりも大切であろう原稿に軽くガソリンを撒き、点火したマッチ棒を放る。火はあっという間に燃え上がってすぐに火の粉を上げた。USBのデータか何かなら、叩き壊して終わりだったのに。

 小説を奴なんか、全員死ねばいい。

 最初は、何かを文字にしたくて、何かの理由にしたくて、小説を理由にしたくて、小説を書いていたんだ。たった二文字でも四文字でも伝わるような想いをわざわざ十万字にして、それがどれだけ美しい事かと思いながら書いていたんだ。

 自分勝手な独りよがりの言葉だろうと、この世界のたった一人の誰かにだけ向けた文字だろうと、自分以外の全ての人類に届いて欲しい物語だろうと。最初は、それだけでよかったんだ。それさえあれば、他には何もいらなかったはずなんだ。

「なのに、君は」

 足音が止まった。

 しばらく無言が続き、やがて僕の数歩後ろで「私は、なに?」と彼女が声を上げた。何にも知らないような、あるいは、全てを知ったかのような顔と口ぶりで。それが、気に食わない。死ねと思う。

「君は、死ぬ為に小説を書いてたんじゃないのかよ」

 振り返りながら言った。自分が泣いている事に、その時になって気が付いた。彼女は「あー」と、どうでもいいように言った。

「私、そんな恥ずかしいこと言ったっけ」

 彼女の頬が赤らんでいるのは、目の前で火が上がっているからと思うようにした。そうじゃないと、本当に殺してしまいそうだったから。

「でも君も大概でしょ。誰かを生かすとか、誰かを殺すとか、そんな事の為に小説を書くなんて。子供だったんだよね」

「大人になるんだよ、私達は」。彼女はどこか清々しい顔で言った。違うだろ。君は、君だけは、それを言っちゃいけないだろ。

「じゃあなんで小説なんか書いてるんだよ。金とか名声とか、そんなものの為に書く小説なんか、もう止めろよ」

 知りたくなかった。どれだけ信念を持っているつもりでも、どれだけ強い想いや執着があろうと、彼女でさえ変わってしまうなんて。死ぬ為に小説を書いていた彼女が、薄っぺらな生きる希望とか命の尊さとか、そんなものを謳う為の小説を書くなんて。

「君だけは、違うって思いたかったんだ」

 小説を書く人間は、大概馬鹿だと思う。

 アニメ、漫画、映画、イラスト、音楽。どんなコンテンツを含めても、ただ文字を追いかけて楽しむ人間がどれだけ少ないか。そんな非効率的な人間達の為に数か月も数年もかけて文字を綴るという行為に、どれだけの意味があるか。

 意味なんか無くてもやるんだと、そう言えればよかった。馬鹿なのは承知でやるんだと強く叫べたならよかった。でも、実際はどうだ。目の前にいる彼女は、アニメとか漫画とか映画とか、小説を食わせる為に小説を書くのだ。小説を侮辱する為だけに小説を書いているのだ。

「もう君には小説を書いて欲しくない。君の小説には、君という小説家には、死んで欲しい」

 それが僕の全てだ。彼女という小説家が死んでくれれば、僕は何も望まない。

 彼女は少し考えるような表情を見せた後で、「でもさ」と口を開いた。

「君が何言ってるかちょっと分からないけど、君よりはマシだって事くらいは私にも分かるよ。勝手に自分に失望して、勝手に書くのを止めて、勝手に悲しくなってる君よりは。死んだ方がいいのはどっちだろうね?」

 少なくとも僕は、その言葉の節々から楽しそうな感情が見え隠れしているように思えた。分からない。僕の被害妄想かもしれない。どっちでもいい。

 先に小説を止めたのは、僕だった。

 彼女の言う通りだ。勝手に自分を見失って、自己嫌悪に陥って、こんな小説を書くくらいならもう死んだ方がいい。そう思ったのだ。

 僕だってあったはずなのだ。小説を書き始めた理由とか、きっかけとか、好きだったものとか、大切にするべきだったものが。文字にしたい想い、言葉にしたい理屈、届いて欲しい感情。誰かを救いたくて、誰かを殺したくて、誰かに届いて欲しくて、小説を書いていた。そのはずだった。

「可哀想に。誰を救っても殺しても、自分が苦しくなるだけなんて。結局どんな小説でも、必要としてる人間に届かないと意味が無いんだよ。それが嫌なら、私みたいになるしかない。ただ読まれる為の、ただ消費される為の、誰かがインスタントに感動する為だけの小説。まあ、君には無理だろうけど」

 結局僕は、何の為に小説を書いていたんだっけ。もう全部忘れてしまった。確かに伝えたいものが、強く書き殴りたいものがあったはずなのに。

「誰かを殺す為の小説で、自分が死にました。オチとしては悪くないんじゃないの」

 彼女が心底どうでもよさそうに言った。

 だから僕は、彼女にこう訊ねてみた。

「じゃあ、君はどうなんだよ」

 涙を拭いながら言う。汗が流れているのは、絶えず彼女の原稿が燃え続けているせいだ。なのに、気温は変わらず寒い。

「死ぬ為に小説を書いて、君は満足したか? 完璧だと思える小説は書けたか? 今の自分をどう思う? 誰かが満足する為だけの小説を書いて、それでいいのかよ? 何の為に小説を書き続けるんだよ? 早く、死んでくれよ」

 切実な祈りだ。どうか、早く彼女が死にますように。それだけだ。

 彼女は「クスクス」という表現がぴったりの笑い方をした。冬のように冷たくて寒い笑顔だった。でも、数年前とは全く別物のように見えた。

「私は満足してるよ。たくさんの人に小説が届いて、アニメでも漫画でも映画でも、どんな形でも見た人が馬鹿みたいに泣いてくれて。完璧な物語なんかいらなかったんだよ。ああ、この為に私は生きてきたんだって思った。そして何よりも」

 彼女は僕を指差した。涙と汗と、憎悪と嫌悪でぐちゃぐちゃになった僕の顔を。

「死ぬ理由が欲しくて書いた小説は、今、君が死ぬ理由になってる。今、君が私を殺したい理由になってる。これだって、オチとしては悪くない」

 ああ、僕は。

 僕は、勝手に期待していただけじゃないか。

 いつかは自分も、誰かを動かす小説を書くんだって。いつかは彼女も、死ぬ為の小説を書いてくれるはずだって。

 今までやってきた事は間違いじゃないって、いつかは報われるはずだって、どれもこれも、勝手な想いじゃないか。

 あの日見た雪は、確かに綺麗だったんだ。死ぬ理由に充分なくらい。

 でも、今はどうだ。

「これ、雪? ……いや、違うか」

 風に吹かれて宙を舞う雪は、過去の燃えカスだ。僕が殺したかったものだ。

「ちなみに、私はもう手書きは止めたんだ。普通にパソコン使ってる。だから、別に原稿を燃やされようがどうでもいいっていうか」

 僕だって彼女だって、誰にだって。小説を書く人間なら、確かにあったはずなのだ。

 でも、いずれ失ってしまう。自分を見失って、結局は別の何かの為の小説を書く。

 僕はそんなものを小説とは呼びたくないし、そんな人間を小説家だなんて呼びたくない。

 小説なんか書かなくていい。

 小説家になんかならなくていい。

 頼むから、もう、誰も小説なんか書かないでくれ。

 小説を書く奴なんか、全員死ねばいい。

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