第8話 大団円
新聞を読んでいると、いつも読みながら、別のことを考えていて、せっかく目で文字を追っているのに、内容が頭に入ってこない。その時にいったいどんな内容のことを考えているのか、覚えていない。
「まるで夢を見ている時のようだ」
と考えたのは、自分でも、実に的を得ていると思えたのだった。
この夢は、寝ている時に見る夢のことではない。起きている時に、時々、新聞を読んでいる時のように、ふと別のことを考えていて、集中力が極度になくなってしまったせいで、集中していたと思うことを覚えていない。
その時に、何か別のことを考えていて、集中できていないのだということは分かっているのだが、その別のことというのも思い出せないのであった。
「一体、その別のことというのは何だったのだろう?」
と言って、思い出そうとしても思い出せないのだ。
それを考えた時。
「これって夢と一緒だ」
と感じたのだ。
夢から目が覚める時に、目が覚めるにしたがって忘れていくというのは、ひょっとすると、
「他のことを考えていて、そのことを思い出せないことで、一緒に、夢の内容まで、思い出せないようなメカニズムになっているのではないだろうか?」
と考えた。
一つしかない頭で、二つのことを同時に考えようとするなど、できるはずもない。そのことを人間に思い知らせるために、夢というのは見るのであって、夢で見たことを覚えているということが、まるで、
「神への冒涜」
だということを、考えさせているのかも知れない。
人間、例えば、片方の手が冷たくて、片方の手が熱かったとしよう。その両方を握り合わせた時、熱さと冷たさのどちらを感じるだろうか?
両方を一緒に感じることはできない。すると、どちらかを強く感じないといけないのだろうが、それもできないような気がする。ただ、熱さと冷たさを自分の手が持っているということは理屈としては分かっているのだ。
あくまでも理屈でしかないので、感じなければ、自分で信じることはできないだろう。
そんなことを考えていると、
「俺はいったい何を考えているのか?」
と、急に我に返ってしまい、まるで目が覚めた時のような感覚を覚えるのだった。
それは、
「起きている時の夢」
を見ているという感覚であった。
新聞を読んでいて、やはり頭には入ってこない。そんな自分を周りはどんな風に見えているのだろう?
もし、自分が新聞を見ながら、それと同時にまわりを見ることができたとすれば、モノクロームの背景の中で、時間が凍り付いてしまうという、以前、夢に見たあの光景がよみがえってくるのではないかと思えたのだ。半分夢を見ていて、半分起きているような、そんな感覚になっているような気がしてきたのだった。
「今日は早いじゃないか?」
と、入店してからすぐ、馴染みのマスターから声を掛けられて、苦笑いをしてしまったことで、それ以上は、マスターは話しかけてこなかった。
それだけ、自分で思っているよりも、表情が怖っているのかも知れない。
やはり、今回のりほの、
「お誘い」
を、本人は楽しみだと思いながらも、どこかに恐怖と不安が募っているように思えてならない、
それが、態度になって現れるのか、それとも、この店に来た時に、いつも感じる、
「親へのトラウマ」
を、いつもは、一瞬で終わるものが、他の不安と重なることで、忘れるタイミングを逸してしまったことで、なかなか頭から離れてくれないと思っているのか、
「もし、このまま離れなければどうしよう」
という、普段は感じることなどない不安に居たたまれない気分にさせられるのだった。
モーニングが出てくるまで、かなり時間が掛かったような気がした。
だが、実際に時計を見てみると、まだ10分ほどしか経っていない。本人は、
「30分近くは経っているだろう」
という意識があるのに、これだけ時間がなかなか過ぎてくれないのは、嫌な予感が頭の中にみなぎっているからに違いなかった。
「このまま、ここに長い間いていいのだろうか?」
という思いがあった。
早く移動したとしても、向こうで長く待たなければならない。今の計画で言っても、30分以上は待つ計算になる。
それは、自分がいつも考えている、
「待ち合わせ時間の20分前」
という自分の中の掟を守るに十分な時間である。
それを思うと、ここでゆっくりするのが一番なのだが、なぜかこの日は、この店でこのままいると、時間の感覚がマヒしてしまいそうな気がしてくるのだった。
モーニングができあがってくると、いつもだったら、雑誌や新聞を読みながら、食事をするということになるのだが、その日はそんな気分にはなれなかった。
モーニングができてきて、食べ始めると、もう、何もせずに、がっついて食べることに集中していた。
急いで食べる必要もないので、ゆっくりと食べたのだが、ただ、集中して食べるということだけは心がけた。
食べ終わるまで、十分もかかっていなかったと思い、時計を見ると、自分が考えていた時間と、ほとんど変わりはなかった。
「そうか、集中さえしていれば、時間というものは、考えた時間と感じた時間に、さほど差はないんだ」
ということだった。
考えた時間と、感じた時間に差がある時は、余計なことを考えていないようでも、何か余計なことを考えているということだろう、
そうなると、起きてから見る夢というのは、あくまでも感覚でしかなく、余計なことを考えたために、同時に何かを考えていたところに、別の意識が入り込み、
「これは夢ではないのだろうか?」
と感じさせることで、意識が曖昧になってしまい、時間の感覚をマヒさせて、我に返るにしたがって、余計な意識が頭の中に残らないようなメカニズムになっているに違いないのだ。
モーニングを食べ終わって、店を出ると、すでに機は熟していた。電車に乗って、彼女の待つ倉敷駅まで、新幹線を使って岡山まで行き、そこからは、在来線で少し。実にあっという間の旅だった。
今まで、岡山に行くというと、鈍行しか使ったことがなかったので、本当にあっという間だった。何しろ、一時間も経っていないのだ。これだけ朝起きて、楽しみな気分と不安な気分が複雑に絡み合い、過ぎ去る時間が、まるで新幹線の車窓のように、ジオラマを見ているようだった。
「走り去る光景」
とはよく言ったもので、トンネルを出てから次のトンネルまでの間、
「何度デジャブを繰り返すんだ」
と思うほど、まったく同じ景色が通り過ぎて行ったとしか思えないのだった。
山間を走ることでトンネルが多くなるのは必至だということも分かっているので、景色を楽しめないことは、百も承知だった。それでも、何かしらの期待をしてしまうのは、たまにしか乗らない新幹線という特別列車の魔術のようなものなのかも知れないと、感じるのだった。
倉敷についたのが、待ち合わせ時間の30分前、待ち合わせ場所にいくには、あと10分時間を潰せばいい。ちょうどいい時間となっていた。
そこからいつもと違って待ち合わせ時間まであっという間だった。気が付けば過ぎていて、明らかにいつもと違っているのが分かったのだ。
「どういうことなのだろう?」
と、普段との違いに若干の狼狽えがあった。
実際に、そのあと来るはずの彼女が来ないということを、最初から分かっていたような気がしていた。
「来てほしい」
というお願いをしているのだから、お願いするのだから、遅くとも10分前に来なければおかしいというのが、松阪の理論であった。
それが守れない人は、少なくとも親しい友人以上にはなれないというのが、松阪の理論だ。そうでなければ、最初から知り合いになるようなことはしないはずだ。
しかも彼女は、前、こちらに遊びに来た時、
「もし、約束に遅れるようなことがあった時は、実家に電話してください。なるべく分かるようにしておくから」
ということだった。
何かの事情で電車に乗り遅れた時など、実家に連絡をし、伝言してもらう手筈を取っていたのだろう。
約束の時間から、一時間が過ぎた時点で、松阪は実家に連絡を入れた。一時間待った理由は、電話を掛けるのに、この場所を離れた時、来られたら困るということで、一応のタイムリミットを一時間としたのだ。それで来ないようだったら、やはり何かあったとみるべきだと考えたのだった。
「えっ? まだ、りほは行ってませんか? それは申し訳ないことをしました。私の方でも連絡が取れることろを探してみますので、もう少しだけ辛抱願えますか?」
とお母さんが言った。
「分かりました。もう少し待ってみますね」
ということで、松阪は、もう少し待ってみることにした。
一応、りほがお願いと言ってきているのだから、それなりの事情があるということで、松阪の方としても、三日くらいは、時間を空けておくようにしておいた。
これは大学生だからできることで、それでも、四日目には、ゼミの申し込みのための、説明会があるので、大学には行かなければいけなかった。
最初の一時間は結構時間が掛かった気がしたが、次の一時間は、そうでもなかった。現れないので、また実家に電話を掛けると、
「そうですか、現れませんか?」
と、お母さんの落胆に似た声が聞こえた。
「じゃあ、今からお迎えに参りますので、30分後に、駅のロータリーでお待ちしています。軽トラなんですが」
と言って、ナンバーを教えてくれた。
もう、この時間になると、さすがの松阪も、
「来るはずない」
と思うのだった。
約束の30分が経って、ロータリーに行くと、お母さんが待っていてくれた。
「今から、うちにお越しください。ここで待っているよりもいいと思うんです。もし、何かあったのなら、連絡が来ますからね」
と言って、そこから車で十五分ほどで、実家に着いた。
用意をして出かけてくればちょうど三十分くらいになる、いい時間選択なったのだろう。
実家に着くと、家では、りほの中学生になる弟が待っていた。
「お母さん、僕友達のところに行ってくる」
「ああ、気を付けてね、留守番すまなかったね」
と、言っていた。
なるほど、りほから連絡があった時のため、弟を待機させていたのだろう。弟にも悪いことをしたと思い、松阪は頭を下げた。
「すみませんね。あのバカ娘のために、長い間、寒いところを待たせてしまって」
と言って、お母さんは、奥でワンピースに着かえてきた。
「主人は、単身赴任で東京の方に行っていて、娘とそれから、弟の三人で暮らしているんです。今日は、弟の方も、これから友達に誘われて、旅行に行くんだそうです。中三なので、入試も終わって、あとはゆっくりというところですね」
とお母さんは続けて言った。
お母さんは落ち着いてよく見ると、二十歳前後の娘がいるほどには見えなかった。思わず、
「お母さん、お若いですね」
というと、
「あら、やだ。りほは私が18歳の時の子供なんですよ。だから私もまだ、これでも30代なんです。顔はおばさんだけどね」
と、照れながら言った。
よく見ると、りほに似たところが目立つ。
切れ長の目に、痩せているようには見えないが、どこか疲れた雰囲気。正直、松阪のタイプであった。
「本当にうちの娘が迷惑をかけてしまって、なんといってお詫びをすればいいのか」
と、申し訳なさそうにしているのが、よく分かった。
その日の夜は、お母さんと二人きりだった。
「もう、りほから連絡があるということはないだろうか?」
と感じていた。
食事は、お母さんが作ってくれた家庭料理だった。実家で食べる和食は嫌だったが、違う家庭でごちそうになる時は、結構食べられた。実家のごはんは、とにかく水の量が多くて、べちゃべちゃしていた。嫌というほど食べさせられた朝食を思い出し、今でもほとんど、米の飯は食べれない。だが、ここのお母さんが作ってくれたごはんは絶品で、いくらでも食べれるくらいだった。
「おいしい?」
「ええ、とっても」
と話していると、緊張はほぐれてきたが、別の意味で、何かムズムズするものを感じた。
自分でも、
「いけない感情を持っている」
と感じる。
久しぶりに、ゆっくりお風呂にも入ることができ、身体がすっかり暖まっていた。
食事の時は、結構話をした。といっても、りほの話が出てくるわけではなく、このあたりの観光について話をしてくれようとしていたが、自分がこのあたりを好きだというと、お母さんも、饒舌になり、まるで前からの知り合いだったかのように、会話が弾んだ。
さらに、松阪は、まさかこの話をすることになるとは思っていなかったが、自分の親への不満をぶつけた。今まで誰にもしたことのない不満を、しかも、初めて会った。女友達の母親にであった。
今夜、あわやくば、娘を抱こうという不埒なことを考えていた松阪だっただけに、母親と二人きりになるのは恥ずかしかった。それなのに、親の不満をぶちまけるなんて、
「何てひどい男なのか?」
と自己嫌悪に陥っていた。
しかし、お母さんは、そんな松阪に同情してくれた。
次第に、身体が近づいてきて、頬が真っ赤になってくる。
「お母さんの気持ちを本当は分かってあげなければいけないのに、松阪君の方に同情しちゃうなんて、おばさん、いけない女よね」
と言った。
「いけない女」
という言葉を聞いた松阪は、その時、何か自分がキレてしまっているのに気づいた。
「お母さんだって、もうすでに、我慢できないようじゃないか」
と自分に言い聞かせ、お母さんを逞しく抱き寄せた。
その時は自分が童貞だなどと、相手に思わせないようにしようと、精いっぱい背伸びしたが、お母さんはすべてを承知しているようで、
「いいのよ、おばさんに、すべてを任さなさい」
と言って、優しく身体中と撫でてくれた。
身体が宙に浮く感覚と、電流が身体中を走り抜ける感覚を交互に感じた。
「いいのよ、おばさんをりほと思って好きにすればね」
といわれると、我慢ができなくなった。
夢のような時間が過ぎていく。そして、限界に達した瞬間、頭に浮かんできたのは、なぜか自分の母親の顔だった。
「親とのトラウマが解消されたのかな?」
と感じた。
そして、お母さんの顔を見ると、一瞬、松阪の顔を真剣に見つめるりほの顔を見たと思うと、すぐに、快楽に満足した顔をしているお母さんの顔が現れた。
「普通なら、ここで賢者モードに陥ると、聞いたことがあったが、そんな感覚ではないな」
と、松阪は思った。
「ごめんなさいね。誘惑しちゃって。初めてをこんなおばさんになんて、嫌だったわよね」
と言われ、
「いいえ、そんなことはありません。僕のストレスをおばさんは聞いてくれて、それで僕を受け入れてくれたんでしょう? 僕、嬉しくて」
というと、
「おばさんも、松阪君がおばさんの前に現れてくれて感謝しているのよ。松阪君には悪いけど、りほに感謝したいくらいだわ。あの子、実は今、付き合っている人がいるらしいの。お母さんは反対まではしていないんだけど、私が反対しているとあの子は思い込んでいるみたいで、それで一番相談しやすいあなたに相談を持ち掛けたのかも知れないわね、でも、あの子は、自分のことで一生懸命になると、周りを見なくなるタイプなので、きっと今立て込んでいるんでしょうね。彼とね、それで、松阪君は置き去りにされたんじゃないかって思うの」
「確かに彼女はそんなところがある。どこか二重人格なんじゃないかって思っていたんですよ。でも僕にも似たところがあるので、却ってよく分かるんですよ」
というと、
「だから私も松阪君のことがよく分かるの。余計にいとおしく思えてくるのよ。身体が我慢できなくなるのよ」
と言って、お母さんが抱きついてきた。
これを世間は、
「あやまち」
というのだろう。
松阪は、とてもこれをあやまちだとは思えなかった。人間の、いや、男と女の、
「神聖な営み」
としか思えないのだ。
確かに、立場としては、許されない関係ではあるだろうが、今の二人の気持ちにウソはない。なるべくしてなった関係だと思うのだ。
お母さんを抱いているのか、それとも、聖母に抱かれているのか、松阪は、数日前のりほとの三日間を思い出そうとしていた。
すると、その思い出がまるで、泡のように消えていくのだ。
「新町駅で落ち合って……」
と考えていると、
「新町駅? そんな駅はないはずだが」
と考えていた。
自分の大学がある街は、神戸ではないか、神戸で、繁華街の近くに町が付く駅名というと、
「元町駅」
であろうか。
イメージは確かに元町駅だった。
だが、あの三日間は、自分が知っている神戸の街とは明らかに違った。それなのに、二人とも何ら違和感なく過ごせたのだ。
あの時のことを思い出しながら、松阪は、ゆっくりと眠りに就いていくのを感じた。
目を覚ますと、珍しく目覚めがスッキリしたものだったのを感じた。
年を取ってくると、目覚めのたびに頭痛が伴ってくるのだったが、今日はそうでもなかった。
「何か、昔の夢を見たような気がする」
と感じた。
そうだ、大学時代の夢だった。
そこまでは意識できたのだが、身体が、ムズムズしていた。そして、40年も前の夢を見ていたことに気づいたのだ。
あのお母さんとは、あの一度きり、彼女の家に遊びに行くことはあったが、お互いに気まずくはなかったのだが、求めあうことはなかった。
りほは、そのあと家出をしたようだ。
付き合っていると言っていた彼とはどうなったのか分からないが、今でも夢に出てくることがあった。
それに比べて、母親が夢に出てくることはない。
今から思えば、二人が一緒にいたところを見たことがなかった。
「俺が、あの時母親に童貞をささげたと思ったのは、本当はりほだったのかな?」
と思うと、その一週間前のデートの記憶が、何やら間違っていたと感じるのだった。
「あの時の夢だと思ったのは、夢には間違いないが、起きて見ていた夢だったのではないのだろうか?」
と感じたのだが、そこに、無限の可能性を奇跡で結ぶ、そんなパラレルワールドが存在していたのではないかと、60歳前の松阪は感じたのだった。
それは、自分の家庭と、りほの家庭の捻じれた次元の行き先だったと、言えるのではないだろうか……。
( 完 )
起きていて見る夢 森本 晃次 @kakku
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