視線

ぺぽっく

視線

夏の日の夕暮れ、友人と出掛けていた私は帰り道の途中でその老人に出会った。

老人は目が見えないようであった。道の真ん中で右往左往していて、迷っているように見受けられる。人通りの少ない裏道とはいえ、車が来ないことも無い道だ。危険だと思い私は声を掛けた。

「おじいちゃん、大丈夫?」

「ん?あぁ、すまない、私に話しかけているのかな?」

何故だろう、私は老人に対して少し違和感を抱いた。背中を蠍や蛇が這いずるようなそんな感覚に襲われた。やけにハリのあるその声のせいだろうか。

「うん、ふらふらしてたから道に迷ったのかと思っちゃって」

「ありがとう、実は白杖をうっかり落としてしまって帰れなくて困ってたんだ、、、ここら辺に落ちてないかな」

近くを見渡すと、塀の近くに白杖が転がっていた。

「多分これかな?塀のとこに落ちてたよ」

「ああ、これだこれ。ありがとう」

老人は白杖を受け取ると、おぼつかない足取りで進み始めた。

そのおぼつかない足取りのためか、それとも先程の不気味な違和感のためかは分からないが自然とこう口が動いていた。

「ねえ、待って家まで送るよ。暗くなると帰宅する人達で人通りも増えて危険だろうし」

「ん?ああ、もうそんな時間なのか。それじゃあお言葉に甘えようかな」

私は、老人の白杖を持っていない手を取り並んで歩き始めた。

すると、私の中の不気味な違和感が全身へと広がった。一体どうしてなのか、もう少しで理解できそうなのにどうしてもその正体が掴めない。

考えながら歩いていると、私はあることに気がついた。

「ねえ、その目の傷、それのせいで目が見えなくなっちゃったの?」

老人の左右の目には蜘蛛の巣が張るようにして大きな傷跡が残っていた。

「そうだよ。前に自分で刺してしまってね、それ以来、何も見ることができなくなってしまったんだ」

自分で刺した?私は人のことに踏み入るのは不躾だと思いながらも、それが先ほどからの違和感に繋がっていると考え尋ねてしまった。

「どうしてそんなことしたの?」

老人はしばらくの沈黙のあと口を開いた。

「君は、私が今から話すことを信じるか?」

私は老人の神妙な声色に戸惑いながらも返事をした。

「ええ、どんなことでも信じるわ」

どうしてそんなことを言ったのか、今思えばこのとき引き返せばよかったのに。



老人は語り始めた───



あれは3年ほど前のことだ。

その日仕事を終えた私は、居酒屋で少量の酒を飲んでから帰宅した。

家に着く数百メートル手前、ふと誰かがこちらを見ているような感覚に襲われたんだ。

しかし、それがどこから見られているのかは分からなかった。酒は飲んでいたが、かなり強い方であったし酔ってはいなかったとはっきり言える。

なにしろ人のいないしんとした夜道だ。無類のホラー映画好きである私とは言え、このときは異様な恐怖を感じ、走って家まで帰った。

家に着くなり私は鍵を素早く閉め、いつも以上に戸締りをきちんとした。

その後お風呂に入っていたときだ、また誰かに見られていると感じた。以前にも、お風呂に入っているときに視線を感じるということはあったんだ。聞いたりすることもあるだろ?でもあれとは明らかに違う。上手く言えないが、何かが確実に違っていたんだ。

私はまだ髪に少しシャンプーが残っているのも気にせず、お風呂場から出てすぐにベッドへ向かった。

夏なのに毛布を引っ張り出し、全身がすっぽり隠れるようにし、疲れているだけだと暗示をかけるようにして眠った。あのときの部屋の静けさは今思い出しても背筋が凍るよ。


朝になり仕事へ向かうためバスに乗った私は昨日のことはすっかり忘れようとした。だけどそうはいかなかった。バスの中でまた視線を感じ始めた。私は朝だったこともあったし、周りに人もいたから視線の主を見つけようとした。昨日のものとは違うかもしれないという希望も持ったまま。

結局周りを見てもこちらを見てる人はいなくて、諦めて目線を足元に落としたときだよ。

あいつがいたんだ。

バスの前の座席の隙間からこちらを覗いていた。

それは隙間の暗闇の中に目玉が2つ浮いてるだけのようなやつだった。

私はそれはもう驚いて声まであげた。だけど周りの人の顰蹙を買ったようで、違った方面の嫌な視線を向けられたので次のバス停で降りるまで私は身動ぎもしなかった。

仕事場よりも前のバス停で降りた私はもう怖くて仕事を休んで家に逃げ帰ろうとも思ったけど、昨日あいつは家にも入ってきたことを思い出したので諦めて仕事に行ったんだ。

職場でも視線は感じ続けた。私は辺りを見渡し、あいつを見つけようとした。

あいつを見つけたからといって消えるわけでもない。でも見つけないと余計落ち着かなかった。

やっぱりあいつはいた。窓の外から覗き込むようにしてこちらを見ていたよ。嘲笑うかのような心臓に直接絡みつくような視線だった。

私は気にせず仕事を続けた。見つけてしまったから安心したのかもしれない。いや、見つけてしまったからこそ意識のうちから追い出そうとしたんだろう。まあどちらにしろその日は何かに狂ったかのように仕事をし続けた。

仕事の帰り、私はバスには乗らず長い帰り道を休まずにひたすら走った。

家に着いたら全ての窓やドアを閉めて、玄関以外のところはガムテープで隙間を塞いだ。

そんなことしても入ってくることは分かってる。あれは人間なんかじゃない。ただそうすることで護られている安心感が得たかったんだ。

眠るときも家にある毛布を全て被って全身を隠して寝た。本当に意味のないことだったよ。何故ならそうしている間も絶えず視線は感じていたからね。


次の日は休日だった。私は毛布から1歩も出なかった。だが、状況は悪化していた。探さなくとも目が合うようになってしまった。クローゼットの方に目をやると隙間からあいつは見ていた。逸らそうとして机の方にやれば、やはりあいつは机と椅子の間からこちらを見ていた。

私の目のやる方へ必ずあいつがいて、私は気が狂ったように部屋から全ての家具を放り出して部屋には何も無い状態にした。

空っぽの部屋で私はしばらく蹲っていた。窓はガムテープで外から見えない状態にしたし、壁や天井の染みは家にあったペンキで塗りつぶした。それにあいつがあらわれる隙間をつくってしまわないよう部屋の真ん中にいることにした。それでも安心感は消えることがなかった。どうしてだろう、どこにもいないはずなのに。現れるようなところは全て無くしてある。

私は目が合わないように1日中目をつぶって過ごすことにした。

しかしそれも無意味だった。

あいつは目の中に現れたんだ。瞼を閉じて暗闇に閉ざされた視界の中で2つの目玉が確かにこちらを見ていた。

私は気が狂って部屋中をのたうち回った。為す術なくただあいつの視線を受け続けるんだ。分かるかい、この恐ろしい責苦が。

ここまで聞いてただ視線を感じるだけなんだろう、なんて思っているようならそれはお門違いだ。あいつの視線は本能が危険信号を発するような何かだった。ちょうど蛇に睨まれる蛙のように。

それから何時間も私はあいつの恐怖にさらされ続けた。あいつの視線は私の目の奥を進み喉元を通って心臓に突き刺さった。私は苦しくて苦しくて必死になって胸を押えた。あのときは死を覚悟したよ。

でも、あいつは殺してなんかくれなかった。猫が捕らえたねずみをいたぶるように、そいつは私を死の淵で捕らえ押さえつけていた。

気がつくと私はいつの間にか部屋からでてキッチンまで来ていた。もしかしたらあいつが私を引っ張ってきたのかもしれない。苦しくさと恐怖に耐えかねた私はひどく暴れて食器とかを床にぶちまけた。ガラスが割れ床に散らばって、その破片が私の足に食い込んだがそんなことはどうでもよかった。

完全に気が狂ってしまった私は正常な判断が出来なくなっていた。ふと床に散らばった物の中にアイスピックを見つけた。お酒を飲むときに使っていた物だ。それを私は手に取ってそのまま自分の左目へと突き刺した。あいつから逃れるにはそうするしかないと思ったんだ。

脳の奥で火花が散り、目の奥にマグマのような熱を感じた。床に滴った鮮血のくっきりとした赤色が右目に絡みつくように映ったのを今でも覚えている。私は躊躇うことなく今度はアイスピックを右目へと突き刺した。左目と同じように火花が散り、熱くなった。しかし、それでも安心できなかった私は何度も何度も両目にアイスピックを突き刺した。

ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃっ!

そのうち何度も突き刺したことで肉がほぐれたのかぼたっと自分の体から何かが落ちる音がした。


気がついたとき、私は病院に運ばれていた。

昼に私の狂ったような叫び声を聞いた近隣に住む人が通報をしていたらしい。警察が家に駆けつけるなり、キッチンでアイスピックを持ったまま目の辺りを血まみれにして気絶した私を見つけたそうだ。駆けつけた警察はたいそう腰を抜かしただろうね。申し訳ないことをしたよ。

何とか一命を取り留めた私は盲目となったが、あれ以来あの不気味な2つの目玉を見ることがなくなった。そして今に至るってわけだ。




老人の話を聞いた私は随分と迫力のある話だな、と思った。本当の話だとは考えなかった。きっとボケてしまったから目を怪我した事故か何かのショックでそんなことを言っているんだろう。

「ここで大丈夫だよ。付き添いをしてくれた上に話まで聞いてもらってありがとう」

老人はそう言うと、白杖を使いこなしながら

1人で進み始めた。今度はしっかりした足取りで。

私はその後ろ姿を見て、違和感の正体に辿り着いた。

老人は、いや、彼は髪こそ白くほとんどが抜け落ちていたものの、肌はツヤがあり声にはハリがあった。老人と思っていた彼は老人ではなかったのだ。一体何が彼の姿をあそこまでさせたのだろう。


完全に日が落ちてしまったので、私は急いで帰路に着いた。


誰かがこちらを見ていた。

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