第4話巡りの冬

 季節は巡り眠りの冬。木々は葉を落とし、吐く息は白く変化した。七瀬と出会ったあの暑い季節からこうなるのだから自然というのは面白い。

 その日は初雪が降った日だった。皆が心を踊らせる輪の中に七瀬の姿は無い。俺は教室を抜けて彼女の元へと足を運んだ。

 受付で手続きを済ませた俺はある病室の扉の前に立っていた。少し息を吐きながらスライド式の扉を開ける。


「よう」


「…あ、蓮斗くん。会いに来てくれたんだ」


 外の景色がよく見える一室に彼女は居た。

 あの夏から時が流れ、病状が悪化してきた七瀬は街の病院へ入院した。クラスメイトにそれが伝えられることは無かったが、本人の意向で俺にだけ知らされた。

 久しぶりに見た彼女は少し痩せていて、いつもの勢いと笑顔が無かった。心做しか涙袋が腫れていた。

 彼女は取り繕うような笑いを浮かべて話す。


「来てくれるなんて優しいね。私のこと好きでしょ」


「ははっ、冗談きついぜ」


「も〜少しぐらい乗ってくれたっていいじゃん」


 やはり声に活力が無い。風前の灯火となった彼女の心は既に限界が近づいているようだった。


「いやー…いよいよって感じだね」


七瀬が窓の外を眺めながらそう呟くように言った。哀愁が漂う背中がどうしてもか弱く見える。


「私、蓮斗くんに言ってなかったことがあってさ」


「死ぬ前の遺言か?だったら遺書に書いておいて欲しいな」


「もう、少しぐらい聞いてくれたってよくない?ま、どっちにしろ話すけどね」


 あぁ、この感じだ。久しくしていなかったやり取りを懐かしく感じていると七瀬が話始める。


「私実は生まれはこの街でさ。小さい頃はここで過ごしたんだ」


「…へぇ」


「ほら、私体が弱かったって言ったでしょ?だからこの病院で過ごすことが多かったんだ。だから友達とかいなかったんだ。だから少し寂しかったんだけどね。ある日一人の男の子が同じ病棟に来たの」


「…」


「その子は優しくてさ。よく私に読み聞かせしてくれたりしたんだ」


「…優しいな」


「その子とは毎日遊んだりしてたんだけど、ある日都会の方の病院に移ることが決まっちゃってさ。けほっ…それで離れ離れになっちゃったんだよね」


 キランソウの花を吐きながら話す七瀬にもってきたビニール袋を差し出す。彼女は『ありがと』と一言添えてそれを受け取った。


「あっちに行ってもその子のことが気になってさ。今思えば好きだったのかなぁ…けほっ、だから最後にその子に会いたくてこっちに戻ってきたんだけど…ついに会えなかったね」


 言葉からは気を落とすような感情を受け取ることが出来たが、その表情は笑っていた。なにかを待ちわびているような、期待しているような、そんな視線を俺に向けてくる。とても、とても耳が痛い。


「…それは残念だったな」


「あはは…蓮斗くんは意地悪だね」


 俺は分かっていてもその事実を口にしなかった。口にしてしまえば彼女の未練が消えてしまう。そんなのは嫌だ、と思ってしまったのだ。


「認めてくれたっていいのに…」


「そんなことはどうだっていい。もう最後なんだ。弱音ぐらい吐いたらどうだ?」


 俺のその一言に七瀬は目を見張った。うまく隠せていると思ったのだろう。いくらなんでも隠すのが下手くそすぎた。


「…バレてたんだね」


「誰かさんに半年間も振り回されたからな」


 七瀬はわずかに微笑んだ後に俯いて呟いた。


「本当はまだ生きてたいよ…せっかく…せっかく蓮斗くんにも会えたのに…」


 その声は震えていた。らしく無くか弱い声が俺に突き刺さる。俺は何を言うわけでもなく彼女の側にいた。

 しばらくして七瀬が再び口を開く。


「…ダメだね私。今更こんな事…」


「いや、それでいい。人間という生き物は命に執着するものだからな」


「…それ蓮斗くんが言う?」


「…は?」


 七瀬のその一言に俺は動揺を隠せなかった。その言葉が意味することなど一つしかない。

 困惑する俺を見て彼女が笑う。


「ふふっ、その顔始めて見た。蓮斗くんそんな顔できるんだね」


「七瀬お前いつから…」


「んー最初からかな?蓮斗くん自分のことになるとあまり楽しそうじゃなかったし」


「そんな細かなことで…」


 まさか最初からバレていたとは。お互いに隠し事が下手くそらしい。


「あまり私の観察力を舐めないでほしいな。伊達に蓮斗くんを半年間振り回してたわけじゃないからね」


「誇ることじゃないだろう」


 胸を張ってそう言う七瀬。なんだかんだ七瀬は七瀬だ。その時の彼女は取り繕ってなどいなかった。

 

「そろそろ暗くなってきたよ蓮斗くん。今日はもうお別れの時間かな?」


 外を見ればもう既に日が傾いてきている。帰り道の事を考えるとそろそろここを出発したほうが良さそうだ。


「そうだな。また来る」


「うん…」


 少しばかりの言葉を交わした俺は病室を後にした。俺を見送る七瀬の顔はどこか悲しそうに見えた。最後に彼女が手にしていた花はアイビーの花だった。




 翌日、七瀬は死んだ。俺が帰った後に容態が悪化し始めて、日付が切り替わる頃にこの世を去ったという。俺がその事実を聞かされたのはもう日が暮れてまた彼女の元へと向かおうとしていた時だった。

 それから数日後、俺は七瀬の葬式に出席していた。休日だったこともあってクラスメイトも数名出席していた。俺は生前の七瀬の願いから七瀬の両親に招待されたため出席した。

 正直言って、『あぁ死んだんだな』ぐらいだった。本来なら関わることも無かったであろう人間が一人居なくなった。元の状態に戻っただけだ、と。でも、実際は違った。

 棺桶の中にいた彼女は当然ながらピクリとも動かなくて、止めても止まることを知らなかったおしゃべりな口は一文字に閉じていた。本当はまだ生きてるんじゃないか。声をかけたらいつものように笑顔で返してくれるのではないか。そんな俺の淡い期待は当然叶うことはなかった。

 動かない七瀬を見て、俺はようやく七瀬が死んだ事を自覚した。酷く虚しい感情が心を渦巻いていたのを覚えている。俺は彼女の手元に紫苑の花を添えた。



 あれから春が過ぎ、七瀬と出会った夏がやって来た。俺の心には未だに笑う彼女が残っている。最後は正しく花のように静かに散っていった彼女。俺には眩しすぎた彼女。不平等に命を奪われた彼女。全てが俺の脳裏に染み付いて離れない。

 最初に出会った時はあんなにうざったいと思っていたというのに。忘れてしまえばこの身共々楽になるのだろう。だが、どうしても彼女が俺の記憶から離れてくれない。

 どうやら俺は本当に呪われてしまったらしい。勝手に死んでおいてこんなものを押し付けてくるなんて、あいつは本当に最後まで迷惑なやつだ。

 今度会った時には土産話でもしてやろう。あれだけ振り回されたのだ。少しは仕返しぐらいしてやらないと気が済まない。そのためにも死んでなどいられない。

 次に七瀬に会うのはいつになるのだろうか。…まぁいい。なんにせよしばらくは会う気などないのだから。

 チャイムが授業の終わりを告げた。追憶にふけるのもここまでにしておこう。

 日直の掛け声で立ち上がる。ふと見たノートの上にはガーベラの花が落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

儚い君は花を吐く 餅餠 @mochimochi0824

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ