9-2
凍てつくような声が、ティアレの言葉を切り裂く。
はっきりと怒りを滲ませた男に、ティアレは目を伏せた。
「……申し訳ありません。浅はかなことを申しました」
羞恥で頬が熱くなる。
無意識に、相手を見下すような言い方だった。聖女の奇跡は決して万能な力ではない、そんな考えだ。
――本気で聖女の力を必要としていて、それで断られたというなら侮辱ととられてもおかしくない。
助けたい人がいるという気持ちを踏みにじる言葉だった。
怒りを抑え込もうとしているかのように、フィーは少し長く息を吐いた。
「……いや」
短く、そう言った。そこにかすかにばつの悪そうな響きがあった。
「それで……内密に《救国の聖女》に会うことはできるか? 直に話すことができればなんでもいい。むろん、名誉を汚すような真似はしない。ただ、話がしたい」
怒りを抑え込んだ落ち着いた声色で、フィーは再度問うた。
ティアレは言いよどむ。
――聖女は、王家と神殿に守られている。いかなる許可もなく、聖女本人に会うことはできないだろう。
ましてフィーはわざわざ忍んで行動しているほどで、かなり特殊な素性のようだ。まともな方法で面会がかなうとは思えない。
だがそうだとしたら――彼が助けたい人はどうなるのだろう。
ティアレの無言のためらいを感じてか、フィーは静かなため息まじりに言った。
「……無理を言ったな。忘れてくれ」
「! ですが、」
「君を助けたのはそうすべきであったからで、見返りを求めたわけではない。他を当たるゆえ、気にしないでほしい」
皮肉も冷笑もなく、フィーはただ真摯だった。
だがそれだけ、余計にティアレの胸は騒いだ。
(……癒しの奇跡を、必要としている人がいる)
聖女の力を必要としている人が。その事実に、体の奥深くで眠っていたものが騒ぐようだった。
忘れたはずなのに――捨てたはずなのに。
《星の聖女》として過ごしてきた日々の記憶が、癒しの奇跡を必要としている人を見過ごすことはできないと叫んでいる。
(何が起こっているの)
自分がいなくなったあと、あの国は、王都はどうなったのか。
彼らの噂を、ずっとずっと聞かないようにしてきた。そうしなければ日中の仕事は手につかず、夢にまで見て安らぐ暇もなかったから。
ずっとずっと押し込め続けてようやく忘れられると思っていたのに、こんなにも簡単に噴き出してしまう。
否。そんな大儀などなく、本当は。
(……ベルン殿下。《真の聖女》)
自分がいなくなったあとで、ベルンとジェニアがどうなったかなどおそろしくて知りたくなかった。
――知りたくて、たまらなかった。
知らなければ、漠然とおそろしさが増す。
嫉妬と羨望と絶望が、胸を焦がす。
それでも――だからこそ、見て見ぬふりをすべきなのかもしれない。目を背けて耳を塞いで。
第一、自分は追放された身だ。
二度とこの地を踏むなと、ベルンに命じられた。
なのに、ティアレの言葉から出たのは真逆の言葉だった。
「……非正規の方法でしたら、聖女さまに会うことも可能かもしれません」
物珍しそうに周囲を眺めていたフィーが、はっとしたように振り向いた。
青と緑の瞳が見開かれ、ティアレを見つめる。
「本当か?」
「はい。神殿の構造は知っております。つまり……万一のときは、その」
忍び込む。
だがその言葉はいかにも賊のように聞こえてしまう。ティアレ自身、そんなことを思いつく自分にすら驚いていた。
それでもフィーは真面目にうなずいた。
「構わない。しかし……君は本当にいいのか? 私に恩を感じて、君まで無理をする必要はない」
よく通る声には、配慮が滲んでいた。
ティアレはゆるく頭を振った。
「自分のためです。自分が――知りたいのです」
ほんの少し。王都の様子を見聞きするだけ、噂を確かめるだけだ。
フィーはつかの間沈黙した。青翠の目がティアレをなぞったあとで、わかった、とうなずき、
「よろしく頼む」
礼儀正しく、言った。
――これが、ティアレの転機だった。
ティアレ自身にも、他の誰にもわからなかった分岐点。
一度力を失って追放された女が、後に再び《聖女》と呼ばれるようになる未来など、女神以外に知る者はいなかった。
真の聖女が現れ追放された元聖女は、もふもふの相棒と静かに生きたかった 永野水貴 @blue-gold-blue
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