第52話

髪が濡れ、体操服で夜遅く帰ってきた妹に、お兄ちゃんなら何と言うだろう。

いやきっと怒ったりはしまい。優しく話を聞いてくれるはずだ。


「ただ今ぁ!」

「お帰り…って、どうしたその格好」

「ちょっと、プールで泳いできた」

「プールで?こんな時間に?そんな無茶するなんて珍しいな」

「学校で嫌な事が続いて…それで友達とノリで…」

「…そうか、風邪ひくなよ。もうシャワー浴びろ」

私の思ったとおり、お兄ちゃんは怒る事は無かった。やっぱりお兄ちゃんは優しい。いつだって私の気持ちを分かってくれる。

美和は浮かれた気持ちでシャワーを浴びた。


そうだ、篠倉君は今何してるかな。後で電話してみよう。


美和はシャワーを浴び終わると、着替えて自分の部屋へ向かった。

3回コールが鳴って、篠倉はすぐに電話に出た。

「もしもし?篠倉君?今電話大丈夫?」

「美和さん!今大丈夫です」

「私はさっき学校から帰ってきたんだ」

「さっき?ずいぶん遅いですね」

「何してたと思う〜?」

「何でしょう…?部活…は入ってないですし、委員会…も来てないですもんね」

「実はね、プールに入ってたの」

「プール!?この時間に…ですか?」

「うん、学校に隠れてて、先生達が帰ったの見計らって忍び込んだんだけど、村松先生に見つかっちゃったのー」

「…それはびっくりですけど、美和さんはずいぶん楽しかったみたいですね」

「うん!すっごく楽しかった!新井さんとね、アヤナちゃんと入ったの」

美和は事の顛末を一部始終、話して聞かせた。


「こんな時間に帰って、お兄さん怒りませんでした?」

「お兄ちゃん?お兄ちゃんは私に怒らないよ。むしろお兄ちゃんは私の気持ち、分かるんじゃないかなぁ」

美和は陽平の顔を思い浮かべた。

ーあれ?おかしいな。さっき会ったばかりなのに、お兄ちゃんがどんな表情してたか思い出せない。

「…美和さん?」

美和が急に黙ったので、不思議に思った篠倉が話しかけた。

「あ、ごめん!なんでもない。お兄ちゃんは怒ってないよ、とか言いながら私ちゃんとお兄ちゃんの事見てなかったなぁって…それだけ」

「まぁ僕も人の顔じっくり見るの苦手な方です」

「篠倉君はそうだよね、最初の方、あんまり目合わせてくれなかったね」

「恥ずかしいなぁ…忘れてください」

「あははっ」

美和には照れた篠倉の顔が、まるで目の前にあるかのように思い浮かべる事ができた。


いくつかの雑談をして「また明日ね」と、電話を切った。



今日は色々ありすぎたけど、楽しかったなぁ。

楽しかったなんて言ったら不謹慎かもしれないけど…川崎さんも命に別条が無いみたいだし、本当に良かった。


美和はあくびをすると、誘い込まれるようにすぐに眠りについた。




「昨日、どうだった?怒られちゃった?」

朝登校すると、新井と美和はすぐにアヤナの教室に行って、三人は廊下で話した。

アヤナは自分が誘った手前、二人が怒られたりしてはいないか、気にしているようだ。

「私は怒られなかったよ」

美和が言った。

「私は親に泣かれたわ」

「うそ!ごめん…アヤナのせいだ」

アヤナは申し訳なさそうにしている。それとは正反対に、新井は珍しくニッコリと笑った。

「いいの。行くのは私が決めた事よ。それに、すっごく楽しかった。束の間羽が生えて自由になれた気がした。…二人は?」

「私も…同じ気持ち」

美和が言うと、新井はニヤリと笑った。そんな二人を見て、アヤナもホッとしたように微笑んだ。

「よかった。またやろうねぇ、校則違反!」

「たまにだからいいのよ、こういうのは」

新井に嗜められて、アヤナは「ちぇーっ」と口を尖らせた。


「ねねねー、アヤナ達もこれやってみない?」

アヤナのクラスの女子、山口が雑誌を持って話しかけてきた。

「なぁに?それ」

アヤナは興味津々という顔をして、新井は勉強に必要の無い雑誌を持ち込んでいる事に眉を顰めた。

「心理テスト!これめちゃくちゃ当たるの。答えていくと、妹か姉か一人っ子か分かっちゃうんだ!」

「へー、面白そうじゃない」

珍しく新井が乗り気になった。

「ちょっとやってみてよ」

「兄弟が居るか居ないか分かるって事…?」

アヤナが急に真顔になった。

「そうだよ!面白いでしょ?」

山口は新井に雑誌を渡した。

「んー…、私はやめとく!」

アヤナには珍しく断ると、新井と美和の二人の手を取って歩き出した。

「アヤナちゃん?」

美和が驚いていると、

「あぁいうのってくだらないよね、私達はやめとこう」

と、アヤナらしくない事を言った。新井も戸惑っているようだった。


「それより、次の休みどっか行かない?」

美和と新井は一瞬二人で顔を見合わせたが、アヤナがそう言うなら…と、話を合わせた。


アヤナちゃん…どうしたんだろう?

美和は疑問に思ったが、アヤナに聞く事はとうとう出来なかった。




教室に戻ると篠倉が今日は委員会が無いと言うので、久しぶりに二人で帰る事にした。


「最近の美和さん、本当に生き生きしてます」

不意に篠倉が言った。

「みんなのお陰だよ」

爽やかな風が自分に向かって吹いたような爽快感と、羽が生えたような自由さ、それは篠倉やアヤナや新井に出会ってから感じたものだった。


篠倉と別れ、一人になっても以前のような孤独感は消えていた。今となっては、どうして独りでいられたんだろうと思う。

美和は足取り軽く、家路についた。


しかしそんな気分は家の前に着いた瞬間、泡となって消えた。

家の前に居たのは、この間の警察官だった。その姿を視界にとらえた瞬間、美和の足はすくんで動けなくなった。


運悪く、警察官と目が合ってしまった。何か言い逃れが出来ないかと考えている間にも、警察はこちらへやって来る。すくんだ足はいまだに動きそうにない。


「藤枝美和さんですか?」


何故知ってるんだろう。それは下調べをしてわざわざ来たという事なのだろうか。

美和は他人のフリをする事もできず、観念したように静かに頷いた。


「今お家に伺ったのですが、誰もいらっしゃらないようでしたが、お家の方は…?」

「分かりません。出かけているんだと思います」

美和はなるべく無難な答えを探した。

「そうでしたか…いつ頃お帰りになりますか?」

「………分かりません」

ここは全て分からないで通した方が無難だろうか。額からは汗が噴き出してきていたが、それを拭く余裕も美和にはなかった。

「そうでしたか…お一人暮らしではないですよね?」

一体何を聞きたいのだろう…美和にはその真意が分かりかねた。

「違います…」

「分かりました。では、またご両親がいらっしゃる時にまた来ますね」

「用件はなんですか?」

美和は思い切って聞いてみた。すると警察は少し困ったような顔をした。

「実はですね、この近くに不審者が出たと通報がありまして…」

「不審者…」

美和は体中から力が抜ける思いがした。

「はい、ですので今見回りを兼ねて、近所の方に注意してまわっています」

「そ、そうなんですね。分かりました。こちらも気をつけます」

「宜しくお願いします」

警察官は軽く会釈をすると、その場から去って行った。


「はぁー…」

警察官が見えなくなると、美和はその場にへたり込んだ。

よかった、とりあえずは、よかった。

でも両親が居る時間にまた来るらしい。2回も両親不在な事がバレたら、不思議に思われるだろうか…。

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