第53話

美和は急いで家の中に入ると、陽平を呼んだ。


「お兄ちゃん!」


応答がない。お願い出てきて。どうか家に居て。祈るような気持ちで、もう一度大きな声で呼んだ。

「なんだ、そんな大きな声出して」

陽平が階段から降りてきた。


「お兄ちゃん…あぁ良かった。気配が無かったから、居ないかと思っちゃった」

「居るよ、いつでも俺はここに」

「そうだよね、私ったら馬鹿みたい…」

本当に、バカみたいだ。お兄ちゃんが居なくなるはずが無い。約束したんだから。ずっと私のそばにいるって。

美和は陽平に抱きついた。

お兄ちゃんと、篠倉君と、アヤナちゃんと新井さん。みんなみんな、今の私にとってそばに居て欲しい人たち。

美和は陽平に抱きついた腕に力を込めた。


「そうだよ…美和。ずっとそばにいるよ。お兄ちゃんが、美和のそばにいるからな」


お兄ちゃんは、いつでも私の欲しい言葉をくれるの。





次の日、陽平に警察が来た事を話したが、陽平はさして動揺する事も表情が変わる事も無かった。しかし勝手口に向かうと、意を決したように裏庭に出た。あれ以来、出ていなかった裏庭に…


恐る恐る美和も裏庭に出たが、出た瞬間悲鳴を抑えるのに苦労した。


陽子の指先が埋めたはずの土から出ていた。それはまるで天を仰ぐような様だった。


「まさか…生きていた?」

美和は真っ青になって震えながら呟いた。

「まさか、な…きっと雨も降ったし、それで出てきちまっただけだ」

陽平は事も無げに言うと、物置からシャベルを持ってきて露出した指先に土をかけた。それはまるで植物でも植えるような悠々さだったので、美和は戦慄を覚えた。

「お兄ちゃん…何も感じないの?」

美和の言葉に、陽平は伏せていた目を上げた。

「感じてるさ。でもお前だって母さんが憎かっただろう?」

「憎む…?私がママを…?」

美和の中に突如投げかけられた疑問に、美和はすぐに答える事が出来ない。疎ましく思う事は沢山あった。でも、ママに冷遇されていた時も、お兄ちゃんが引きこもった後も、私はママを憎むほど嫌いだっただろうか…


「美和は、母さんが死んだ途端生き生きし始めた。足枷を外された小鳥のように今にも飛び立っていきそうな程に」


眉ひとつ顰めず、表情を変えずに言い放つ陽平に、美和は怖くなった。しかし憎んでいたと言われた言葉が妙に自分の中で腑に落ちた。

「ち、違う…!私はママを憎んでなんていなかった」

美和は家の中に逃げ込んだ。その一言を言うのが精一杯だった。


憎んでいた…?私がママを…?足枷…?私はママに自由を奪われ続けていたと言うの?

陽平は美和を追いかけて来て言った。

「認めるんだ、美和。そろそろ自分と向き合うんだ」

「お兄ちゃん、やめて来ないで」

美和は恐ろしさのあまり、腰から崩れ落ちた。

「認めるんだ。お前は母さんを心から憎んでいた事を」


お兄ちゃん?何で急にそんな事言うの…?怖い怖いお兄ちゃんが怖い…!!!!







「美和ちん遅いねぇ。いつもならこの時間にはもう来てるのに」

美和と新井の教室に遊びに来たアヤナは、美和が来ていない事を知ってガッカリしていた。

「きっともうすぐ来ると思うわ。LINEしてみたら?」

新井はアヤナに提案した。

「んー、具合悪かったらLINE見るのしんどいかもだから、どうしよっかなぁ…あ!彼氏君!」

アヤナは篠倉を見つけると声を掛けた。声をかけられた篠倉は、アヤナに軽く会釈をした。

「美和ちん、まだ来ないの?」

篠倉は教室を視線で一巡した。

「まだみたいですね。何かあったのかもしれないからLINEしてみます」

篠倉はスマホを取り出すと、美和にLINEをした。

「何もないといいんだけど…」

アヤナは顔を曇らせた後、思いついたように言った。

「あ!もしかして昨日のが原因とかないよね?」

「昨日…何かあったんですか?」

篠倉がアヤナに問いかけた。

「うーん…言っていいのかなぁ?でも彼氏君なら良いかな?と、いうか知ってるのかな?」

アヤナは眉間に皺を寄せ、少し考えた。

「なに?よかったら席はずそうか?」

と、新井が言った。

「いや、大丈夫だと…思う。でも私も直接美和ちんから聞いた訳じゃないから言っていいか分からないんだけど…」

「何ですか?気になります」

篠倉が焦れた様子で言った。

「じゃあ、ちょっと場所を変えよう。いい場所あるかな?」


篠倉は、以前美和と行った事のある、屋上の階段に二人を案内した。


「こんなとこあったんだ…」

アヤナと新井は関心したように言った。

「美和さんが見つけた場所です、それより…」

篠倉はアヤナを急かすように言った。

「あ、そうだよね。ごめんごめん。ここなら良いかな?でも一応小さな声で…」

三人は和を描くように集まると、アヤナの言葉を待った。


「実はね…」


アヤナは小さな声でゆっくりと話した。

それを聞くと、篠倉は血相を変えて、アヤナの言葉を最後まで聞かずに学校を飛び出した。


「篠倉くん!?」

「彼氏君!?」

アヤナと新井は驚いて追いかけたが、篠倉があまりに速かったので追いつけなかった。


まさか…まさか…そんなはずが無い!


篠倉は頭の中の霧を晴らすように、首を横に振った。

そして走った。今までこんなに速く走れた事がないというスピードで、全力で走った。







「どうして急にそんな事言うの?お兄ちゃん…怖いよ」

美和は尻餅をついたまま、陽平から逃れるように距離を取った。しかしそれでも陽平はゆっくりと追いかけて来た。

「美和、認めるんだ。母さんを憎んでいた事を」

恐怖から、美和は耳を塞いだ。

「憎んでなんかない!あの時だって、事故でママが階段から落ちちゃっただけ…」

それを言うと、陽平は鼻で笑った。

「事故で?渾身の力を込めて母さんを蹴ったくせに?」

「………え?」

「知ってるんだ、俺は全てを」

陽平は美和の首に手をかけると、力を込めた。





篠倉は美和の家へ急いでいた。

どうしてこんなに遠いのだろう。この距離が憎らしい。

今から急いでも、美和さんの家まで2時間はかかってしまう…。

先程アヤナが言った言葉が、エコーのように何度も何度も頭に流れて来ていた。

〝美和ちんと同じ中学の子から聞いたんだけど…〟

信じられない。信じたくない。しかし、今から思えば辻褄が合う事があった気がする。


美和さん…どうか無事でいて下さい!

篠倉は心が焼き付きそうな程強く願った。

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