第50話

言ってやりたい事が山ほどあったのに、彼女のそのか細い声を聞いたらそんな気も失せてしまった。

アヤナは「川崎さん…」と驚いたように呟いた。どうやら顔見知りらしかった。



「…ほら、自分の気持ち話して」

新井に彼女…川崎優奈は促されたが、俯いたまま顔を上げようとしない。

アヤナと美和はただ黙って待つ事にした。


川崎は、先程よりも小さな声で

「ごめんなさい…」と言った。アヤナは努めて冷静に「なんであんな事したの?」と返した。

川崎はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げて言った。

「こんな形になってしまったけど…私…アヤナさんが好きなんです」

驚きのあまり、アヤナは黙った。

美和も驚いていた。てっきり、二人を憎む者の犯行だと思っていた。

「私、中学生の時からアヤナさんが好きでした…」

それだけ言うと、川崎優奈は泣き出した。

「私の事が好きで、どうして嫌がらせなんてしたの?美和ちんにも嫌がらせしたんでしょう?それは何故?」

アヤナはなるべく責め立てた言い方にならないよう、気を配った。

「アヤナさんに近付く人が憎くて…悔しかったから嫌がらせしました」

川崎優奈はしゃくり上げて泣いた。

「川崎さん…」

その様子に、美和は腹が立つより同情してしまった。

「そんな理由で美和ちんを傷付けたのは許せない」

アヤナはピシャリと言い切った。

「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい…」

川崎はそれだけをうわごとのように繰り返した。

「どうしてアヤナちゃんにまで嫌がらせしたの?気を引きたかった?」

美和が川崎に聞くと、川崎は泣きながら深く頷いた。

「そうなんだ…」

「私の気を引く為に私に嫌がらせするなら、まだ許せる。でも美和ちんを傷付けたのは許せない」

アヤナは怒りで全身が震えていたが、アヤナ自身はそれに気付いていなかった。

「……ごめんなさい…」

「そんな事したって、私はあなたに振り向かないよ。分かってるんでしょう?」

「…分かってます。でも、居ても立っても居られなくて…それに、真正面から告白しても断られると思ってるから…だから…」

「だからって他人を傷つけて良いの?」

「アヤナさん、気持ちは分かるけど落ち着いて」

新井がアヤナを宥めた。

「ところで新井さんは、どうして彼女が犯人って知ってたの?」

美和が新井に聞いた。新井は少し考えてから、言った。

「…前にも見たから。彼女がアヤナさんの友達に嫌がらせしてるの」

「それはいつ?」

「中学生の時、アヤナさんと仲の良い女の子の下駄箱で川崎さんが何かしてるの見て、私が声をかけて止めたの。その時は未遂だったから、もう二度としないから黙ってて欲しいって言われて、もう二度としないならと彼女を信じたの。それがこんな事になるなんて…」

新井は悔しさを滲ませた。

「新井さんは悪くないよ。むしろ私の事で悩ませてごめんね」

「アヤナさん…」

「川崎さん、さっきから私に向かってばかり謝ってないで、美和ちんにも謝って」

アヤナの言葉に、川崎はハッとすると美和の前に歩み寄った。

「ごめんなさい…もう二度とあんな事しません」

「私は良いよ。でももう二度と誰にもあんな事しないで。あんな事したって、あなたを含めた皆んなが傷付くだけじゃない。誰も幸せにならないよ」

「はい…分かってます。でもどうしても何かせずに居られなくて…本当にごめんなさい」

「もういいよ、顔を上げて」

美和は川崎を宥めるように言った。

「私は許さないからね。私の大事な友達を傷付けた事も、傷付けそうになった事も。新井さんとの約束を破った事も」

アヤナがキッパリと言った。

「分かってます…本当にごめんなさい」

川崎はまたしゃくり上げて泣いた。アヤナはそっぽを向いたまま窓辺に行った。

これ以上は話し合いにならないと判断した新井は、川崎を外に出るよう促した。



「アヤナちゃん…」

美和が話しかけると、アヤナは振り向いた。

「はー、本当、人ってなんなんだろうね。好きだからその周りの人に嫌がらせするって、ほんと意味分かんない」

アヤナは明るさを取り戻していたが、その言葉の端々には怒りを滲ませていた。

「アヤナちゃん…」

「なんか、私のせいで迷惑かけちゃってごめんね」

アヤナが美和に謝罪をすると、美和は顔を横に振った。

「私の事は、全然大丈夫なの。謝ってくれたし。それよりアヤナちゃんが心配だよ」

「私…?」

「あんなに怒ったアヤナちゃん、初めて見た。」

「そっか。カッコ悪いとこ見せちゃったなぁー」

「アヤナちゃんが私の為に怒ってくれた事、嬉しかったよ」

「当たり前の事だよ。それに、新井さんの事も巻き込んじゃったね、ごめんね」

「私は大した事されてないわ」

新井が言った。

「はー、犯人分かったのに、全然スッキリしないや」

アヤナは重いため息をついた。

「ほんとだね」

それには美和も同意した。



その時だった。放課後の静寂を、絶叫が破ったのは。


「え、なに?」

「すごい悲鳴…」


絶叫の後に広がるざわめき。三人は教室を飛び出して、ざわめきの元を探った。


どうやら3階らしいと聞きつけ、急いで3階に向かうと、廊下に人集りが出来ていた。


「何があったの?」

アヤナが知り合いらしい子に声をかけた。

「飛び降りだって!女の子!」

「女の子…!?」

まさか…三人とも同じ事を考えたのか、顔を見合わせた。

三人は人集りの中に飛び込んで行って、窓から下を覗いた。

確かに、誰かが頭から血を流して地面に倒れている。


「川崎さん!」

美和は悲鳴とも取れる声で名前を呼んだ。新井は手で口を覆った。アヤナはただ呆然と、倒れている川崎さんを見ていた。


「川崎って一年の?」

「え、自殺?」

誰かが口々に言い出した。


「窓から離れなさい!」

その時、女の先生が来て、皆んなを窓の前から剥がした。


皆んなはぶつくさ文句を言いながらその場を離れた。アヤナは、先生が肩を持って引き剥がすまで動けなかった。


「川崎さん…」


アヤナはショックで顔面蒼白になっていた。それはそうだ。たった今まで話していた知人が窓から飛び降りたのだ。

美和も新井も相当ショックだったが、アヤナの比ではないだろう。


三人は廊下の隅に集まると、声を掛け合う事もできず、ただ窓の方を眺めていた。

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