第44話
坂道を上り、そろそろ家が見えて来た頃だった。美和は突然心臓を掴まれた気分になった。
家の前に警察が居るのが見えたのだ。正確には、お巡りさんと呼んだ方がいいのだろうか。
とにかく、お巡りさん二人が門の前に立っていた。
「藤枝さーん、いらっしゃいませんか」
二人はインターフォンに向かって話しかけている。
美和はどうすればいいか分からず、隠れる場所も無く、仕方なく電柱の影に立った。
意図せず、足が震えた。
どうしよう…何故うちに来たのだろう…
まさか…ママの事がバレた?
どうしよう、どうしたらいいの。助けて、誰か…助けて…助けて、お兄ちゃん!!
美和は心の中で叫んだ。
暫くして、お巡りさんが諦めたように顔を見合わせて、坂を下って来た。
美和は、顔までは知られていないはずだと思い、坂を上った。すれ違う際に、何か聞かれたらどうしようと心臓がはち切れんばかりに鼓動を打ったが、何も起こらなかった。
警察が見えなくなるまで見送ると、美和はホッとして家の門を開いた。
また来るかもしれない…そもそも来た理由が分からない。
震える手でなんとか鍵を開けて玄関扉を、開けた。
「お帰り」
聞き慣れた声に顔をあげると、そこにはなんと陽平が居た。
「お兄ちゃん!」
美和は靴を脱ぐことも忘れて駆け寄った。
「お兄ちゃん!帰って来たの?今警察が来てたでしょう?どうしてたの?居留守使ったの?」
「ごめんな、美和」
陽平はそれだけ言った。
それだけ…それは、それ以上聞くな、という意味だった。
どこに居たのか何をしていたのかも、聞くなという意味だと美和は捉えた。
なんでもいい、お兄ちゃんが帰って来てくれて嬉しい。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
「うん、ただいま、美和」
美和は陽平を強く抱きしめた。
「もうどこにも行かないで欲しい」
「…分かった。約束する。もう二度とどこにも行かないよ」
「約束ね?」
あぁ、よかった。お兄ちゃんが帰って来て本当に良かった。美和は久しぶりに安心して熟睡が出来た。
翌日、陽平が帰って来た事を篠倉に知らせた。
「よかったですね!これで美和さんも安心できたんじゃないですか?」
「うん、昨日は爆睡した」
「あははっよく寝れるのは良い事です」
篠倉は聞かなかった。傭兵がどこで何をしていたのかを。それは美和には有難い事だった。
美和は篠倉に、アヤナと出かけた事を話した。
「アヤナちゃんオススメのアニメがすっごく良かったの」
「へー、それは僕も見てみたいですね」
「でしょ?今度行こうよ、私ももう一度見たいし」
「いいですね」
そうだ、次篠倉と出かける時は、昨日買ったワンピースを着て行こう。
篠倉君は何て言うだろう…?
お兄ちゃんも帰って来たし、なんだか何もかもうまくいきそう。
ーその日の帰りの事だった。
美和が上履きから外履に履き替えようとした時、カシャンと音が鳴った。
「なんだろう?」
外履きの中を見てみると、中にはキラリと光る物が入っていた。
よく見てみると、それは画鋲だった。
「どうしました?」
美和の様子に気付いた篠倉が声をかけた。
「靴の中に画鋲が…」
「画鋲?」
篠倉が美和から靴を受け取って中を見た。
「いったい誰がこんな事を…ちょっと捨てて来ますね」
篠倉が靴を持ってゴミ箱に向かった。
「ありがとう…」
誰か、顔の分からない誰かが私のことを激しく嫌っている。そう思うと鉛を飲んだ時のように胃が重くなった。
それはいじめや嫌がらせというより、いたずらレベルのものかもしれない。でもされた本人にとっては良い気持ちには決してならず、美和の心には確かに傷が付いた。
篠倉が空っぽになった靴を持って来て、美和に渡した。
「気にしない方がいいですよ、こんな子供みたいな事する奴」
「そ、そうだよね…」
美和は力無く言った。
誰だろう。私は誰かの恨みを知らず知らず買ってしまったのだろうか。
それとも、相手からしたら大した事ないイタズラなのか…
元気の無い美和の手を、篠倉は取った。
「何があっても、僕が美和さんを守ります」
「篠倉くん…」
美和は篠倉の手を握り返した。
「ありがとう」
二人のやり取りを、物陰からそっと見てる人物が居た。
「元気ないな?どうした?」
帰るなり、美和の顔色に気付いた陽平が声をかけた。
「あ、うん実は…」
美和は帰りにあった事を陽平に話した。
「なんだそいつ。俺がぶっ飛ばしに行こうか?」
「物騒な事言わないでよ、お兄ちゃん」
「物騒な事されてるのはこっちだろ。気付かないでそのまま靴履いてたら怪我する所だったじゃねぇか」
陽平は口調に怒りを滲ませた。
「そうなんだけどね…」
考えるのは、誰がこんな事をしたのか?ばかり。
「誰かから、私は嫌がらせを受ける程嫌われる事をしてしまったって事だよね」
「関係ねぇよ、そういう奴は理不尽な事で簡単に人を恨むんだよ」
「そうだよね…」
犯人探しに意味はないかもしれない。でも、美和はどうしても知りたかった。
「こんな事が続くようならお兄ちゃんに言えよ。なんとかするから」
「ありがとう、お兄ちゃん。心強い味方が二人も居て、私は幸せ者だよ」
「ん?二人?」
「あ」
しまった。篠倉君の事、お兄ちゃんにはまだ言ってなかったんだ。
「お兄ちゃんと友達の事」
美和は慌てて嘘をついた。
「そっか…学校でも頼れる人がいるなら何よりだよ」
陽平の笑顔に、美和は罪悪感がムクムクと湧き上がる。
いつか、いつかは絶対話すから、許してねお兄ちゃん。
「そうだ、最近友達になった子がいるの。アヤナちゃんっていう子で」
「へー、よかったじゃん」
「うん、すっっごく良い子」
「今度うちに連れて来れば?」
「そうだね」
でもそれは叶わぬ夢だろう、と美和は思った。
ママを埋めたこの家に、本当は誰も呼んではいけない気がしている(篠倉君は仕方なかったとして)。
最初あった全身が千切れそうな程の罪悪感も今は少しずつ薄らいできている事に、美和は自分を嫌悪していた。
そうやっていつかすっかり忘れてしまったらどうしよう…
そんな美和に、陽平は何かを察したように言った。
「美和、お前は幸せになっていいんだからな。もし万一世間に知られてしまっても、全ての罪は俺一人で背負う。だからお前は幸せになれ」
「そんな事…できないよ」
美和は涙声になった。
「いいんだよ、それに実際に事を大きくしたのは俺だ」
「違うよ、二人で埋めたんだよ?二人の罪だよ」
「いや、俺の、俺だけの罪だ」
「やめて!お兄ちゃんだけに背負わせるなんてそんな事出来るわけないでしょ。二人の罪だよ、二人で背負おうよ」
陽平はため息をついた。
「美和は昔から頑固だな」
「お兄ちゃんの妹だもん」
陽平は困った顔をした後、わずかに口角を上げた。
そうだよ、これは二人の罪。
一生二人で背負うんだから…例え罪悪感がこの身からすっかり消えてしまっても、罪は消えない。
美和はすっかり浮かれていた自分に喝を入れた。
例えこの嫌がらせがイジメだったとしても、私には相応しい罰だ。
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