第34話
好きな人が自分と同じように自分を好いていてくれると知っただけで、なんて世界が違って見えるのだろう。
青々とした新緑はより瑞々しく、道端に咲いた花はより美しく見え、木漏れ日は、いつもより優しく私を照らしてくれている気がする。
あの後、二人で「付き合うとは?」のテーマで遅くまで話し合った。
「付き合うって言ったらまずはデートじゃない?」
そんな美和の提案で、二人は日曜日に初めてのデートをする事になった。
「デートって何をすればいいんでしょう?映画とかですかね?」
「それも良いけど、私、篠倉君が好きな場所に行きたいな」
「好きな場所…は、難しいですけど、行きたい場所ならあります。でもすごくマニアックな所なので、美和さんは退屈してしまうと思います」
「マニアック!いいね!行きたい!」
「…本当にいいんですか?」
「いいよ!どこなの?」
「それは………昆虫博物館です」
「そんなのあるんだ!いいじゃない!」
「本当ですか?本当に行きますか?退屈してしまうと思いますよ?」
「いいいい!退屈なんてしない!」
と、美和のゴリ押しで、二人の初デートは昆虫博物館に決まった。
日曜日、昆虫博物館の最寄りの駅で待ち合わせという事になった。
前日の美和は、最近の悪夢などどこへやら…ドキドキしっぱなしで全然眠れなかった。
何着て行ったらいいんだろう?髪型は?メイクは?メイクなんてした事ないけど、して行った方がいいの??
お兄ちゃんに相談したい!けどそしたら篠倉君の事がバレちゃう!それは恥ずかしすぎる…!!!
美和の頭の中はてんやわんやで、結局寝れたのは朝方になってからだった。
それは、篠倉も同じだった。
こうして寝不足の二人は朝10時に集合した。
「おはよう、篠倉君」
「おはようございます、美和さん」
「なんか、照れるね」
美和は頬を赤く染めた。
「はい…」
つられて篠倉の頬も赤くなる。
「………じゃ、じゃあ行こうか!どっち方面のバスに乗るの?」
「こ、こっちです!2番乗り場から乗ります!」
篠倉が指を差した方面へ、篠倉を先頭に二人は歩いて行った。
2番乗り場に来たバスに乗り、駅の繁華街を抜けて住宅街を暫く走った。
過ぎゆく家々を見ながら、美和は考えていた。
この沢山の家の中で、どれだけの数が真に暖かい家庭を築いているのか…
外見だけ見たら、全ての家がそれなりに幸せそうに見えるけれど、本当は違うんだろうな。
そして思う。小さい頃からママに冷遇されてきた私とって、家庭が暖かかった事なんて一度も無いんじゃないか。
お兄ちゃんの優しさとパパの優しさ、そしてあの立派な白い家に誤魔化されていただけで、心の底から真に暖められた記憶は無い。
そんな事を考えていたら、篠倉が、
「着きますよ、ここのバス停で降ります」
と話しかけてきた。
初デートなのに、つい暗い考えを膨らませてしまった。
「うん、楽しみだね」
美和は微笑んだ。
閑静な住宅街を歩いた場所に、その博物館はあった。
博物館というより普通の人家のような趣きだ。
「ここです、僕の来たかった場所!」
やっと来れた憧れの場所に、篠倉は胸が躍っていた。
その様子を見て、美和はやっぱり篠倉君の行きたい場所にして良かった、と思った。
博物館の中に入ると、珍しいオオカブトが飼育されていたり、目に見えないほど小さな虫の拡大図が展示されていたりした。
そして、見渡す限りの標本!標本!標本!百はゆうに超えるんじゃないだろうか。
「こんな蝶初めて見た。綺麗ー!」
「このカブトムシ!羽広げて、生きてるみたいな標本だよ!見て!」
美和が興奮している様子を篠倉は微笑ましく見ていた。
「喜んでもらえて良かったです」
「だって凄いものばかりなんだもの」
美和はそれらをまじまじと見ていた。
「丁度、標本の作り方を教えてくれているみたいですね」
「篠倉君は詳しいんだよね?」
「一応…一通りはできます」
その時、博物館の店員さんが「よかったら…」と、標本の作り方が書いてあるプリントをくださった。
美和は早速そのプリントを眺めた。
「虫って、標本にする為にわざわざ殺すんだ…?私、てっきり死んだ虫を使ってるのかと思ってた」
「そうですね、綺麗な標本を作る為にはそういう場合が多いですね」
「篠倉君は?」
「僕は基本、飼育していて亡くなったのを使っていましたが…一部例外もあります」
「そうなんだ…篠倉君が標本作りをやめた理由がやっと分かった気がするよ」
篠倉はちょっと困ったように笑った。
囚われて、狭い虫籠の中に入れられて、更に死後もこうして捕らえられたまま…この虫達は、私だ。
あの家に囚われたままの私だ。
「ちょっと歩きませんか」
昆虫博物館を出た後、篠倉が言った。
「昆虫博物館どうでしたか?」
「うん?楽しかったよ。蝶以外にも綺麗な虫っていっぱい居るんだね。絵に描いてみたくなった」
「よかったです。次は、美和さんの行きたい所に行きましょう」
「私の行きたい所かー…うーん、何だろう」
「考えといて下さい」
「遊園地!とか?でも篠倉君、絶叫系苦手そう」
「バレてますね、すごく苦手です」
篠倉は苦笑した。
「やっぱり?」
美和は笑ったが、篠倉は至って真面目な顔をした。
「美和さん」
「なに?」
「前にも言いましたが僕は昆虫学者になりたいです。さっきの話ですが、その為には虫を生きたまま標本にする事もあるかもしれない。そうしたら僕の事軽蔑しますか?」
「…なにそれ。そんなのしないよ」
「本当ですか?」
「本当だよ。絶対軽蔑したりしない」
「美和さん…」
「その代わり!」
美和はいつもより大きな声を出した。
「これから先、何があっても私の事も軽蔑しないでね」
「…する訳ないじゃないですか。何ですか、なにがあってもって…」
「他にどんな感情抱いても良い。嫌いになったとしても、軽蔑だけはしないでね」
「嫌いになったりなんてしないです、美和さんはありのままの美和さんでいて下さい」
「ありのまま…?」
美和は目を大きく見張った。
「ありのままの私で良いの?」
顔は並以下だし、スタイルだってそう。勉強も苦手だし、運動も得意って訳じゃない。得意な事と言えば絵を描く事だけ。そんな私がありのままで居ていいの?
「ありのままの美和さんが一番素敵です」
本当に?私は私でいて良いの?
美和はこの時、頭の先からつま先まで、何か暖かいものに包まれた気がした。
こんなに多幸感に包まれたのは、生まれて初めてだった。
結局、その後は二人でランチをし、思いつくままま通りすがりのお店に入ってみたり、ブラブラして過ごした。
その日は篠倉と別れてからも、心の中に、何か大きくて優しいお土産をもらった気分だった。
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