第32話
学校帰りに、急な雷雨に見舞われた美和。
「傘持ってきてないのに…」
そんな美和の不満もかき消すほどに、雷の音は大きく響いた。
やっとの事で家の中に逃げ込んだ美和は、その足で洗面所へと向かった。ぐっしょりと濡れて重くなった制服を脱ぎ、お風呂場に行った。
ついでに顔も体も洗ってしまおう。
ボディソープを手にプッシュして、肩から体全体を洗い、頭からシャワーを浴びた。
暖かいお湯が雨で冷えた体に気持ちが良い。
次に洗顔料を掌に取り出して泡立てると、顔を洗った。
もこもこの泡で肌を擦らないようにして洗う…これはこの前テレビで見た、肌を痛めない洗い方だ。
シャワーを出して、また頭から被る。だいぶすっきりさっぱりとした。シャワーを止めて顔の水滴を掌で拭いて、ふと、鏡を見た美和は驚愕した。
そこに、お兄ちゃんが映っていたのだ。
「お兄ちゃん!?」
違う!お兄ちゃんじゃない、私だ。
美和は、鏡に映った自分が一瞬陽平に見えたのだった。
「あんまり似てないのに…どうして?」
美和は自分の驚愕っぷりに声を出して笑った。あの時の私の慌てようったら…
でも確かに、映った姿はお兄ちゃんに見えた。
一緒に生活すると似てくるって言うよね。似てきたのかな?そうだといいなぁ。
イケメンのお兄ちゃんに似たかったと、何度今まで願ってきた事か…。
「お兄ちゃーん。聞いてよ」
お風呂から上がって着替えた美和は、事の顛末を陽平に話して聞かせた。
「もう私、めちゃくちゃ慌てちゃったよ。恥ずかしいくらいに驚いちゃって」
それを聞いても陽平は茶化したりせず、
「美和と俺は似てるよ、兄弟なんだから」
と、真剣な顔で言った。
「ヤダなぁ。お兄ちゃんとは似てないよ。お兄ちゃんは昔から美男子とかイケメンとか言われ続けてきたじゃない。私は言われた事無いもん」
「似てるよ。俺たちは昔からよく似てる」
陽平はいつものように美和の頭を撫でた。
お兄ちゃんの大きな手で撫でられると、全ての事がどうでも良くなって来る。
昔から…ママに怒られた時、必ず頭を撫でてくれたっけ。どんなに悲しくてもお兄ちゃんがこうして慰めてくれたら平気になった。
でも今は、私もお兄ちゃんを守れるくらい大きくなったんだ。
私もしっかりしなくちゃいけない。お兄ちゃんに守られてばかりじゃいけない。
「あのね、お兄ちゃん。岸谷さんの事なんだけど」
「岸谷さん、そういえば今日散歩行ったけど見かけなかったなぁ」
「岸谷さん、この間私の友達に色々聞いてきたみたい」
「色々?」
「ママは元気か?とか、お兄ちゃんは居たか?とか」
「そんな事聞いてきたのか」
「うん、お庭が荒れてるから心配で…とか理由付けて聞いたみたいだけど。お庭の事なんて全然頭に無かったよ」
「まぁ、いいんじゃないか?母さんが海外に行ってて居なかったら必然的にそうなるだろう。それより、また岸谷さん俺達の事見てたんだな。たまたま家に来た友達にまで聞いてきたって事は四六時中監視してると思った方が良さそうだ」
「うん、そうだね…」
「母さんの事はバレちゃいけない、何が何でも、だ。」
「うん、分かってる」
「こっちも策を考えるか。でも今は下手に動かない方がいいな」
結局いいアイディアは出ないまま、とりあえず今は静観する、という事で話はまとまった。
岸谷さん、思った以上に油断できないな。どうしよう。
お兄ちゃんに任せてばっかりじゃなくて、私も考えなきゃ。
その夜、また美和はあの悪夢を見た。また何か言いげな陽子がベッドの横に立っていた。
美和は、またごめんなさいママ!と心の中で繰り返したが、陽子は消えてくれず、また美和が夢から覚める事も無かった。
陽子は一生懸命口を動かして、何か伝えたがっているのが見えた。
ママ…なんて言ってるの?
開かない口を無理矢理に開こうとしているかのように、口の動きはぎこちなく、口の動きから何を言おうとしているのか読む事もできなかった。
ママ、苦しいの?ママ!なんて言ってるの?
「ママ!」
叫んだ途端に目が覚めた。
美和はまた、汗をぐっしょりかいていた。
これは本当に夢なの?本当にママが何か伝えたがっているんじゃないの?
何だろう…私への恨み節かな。でも、恨んでいるような顔には見えない、と思うのは都合が良すぎるだろうか?
でも、もしママが今でも私をほんのひと匙でも愛してくれていたら…そこまで考えて、美和は考えるのをやめた。
陽子の最後の言葉が、今でも美和の心に棘となって痛めつけている。
私は結局最後まで、ママの理想の娘にはなれなかったのだ。
せめて顔がママやお兄ちゃんに似ていたら、ママはもう少し私を愛してくれたのだろうか…。
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