第31話

その夜、美和は妙な夢を見た。


寝ている美和の横に、何か言いたげな陽子が立っているのだった。

目を閉じているのに、その表情までもハッキリ分かった。美和は怖くなって布団を頭から被ろうとするも、手が上手く動かないのであった。


助けてお兄ちゃん…!助けて…!


美和の心の叫びも虚しく、陽平は助けに来てはくれなかった。

段々と冷や汗が止まらなくなる。


ママごめんなさい!ママごめんなさい!許してください!


そう叫びかかった途端に、体が自由になり、美和は目覚めたのであった。

「夢…?なんて生々しい夢…」

実際に美和はぐっしょりと汗をかいていた。


時計を見るとまだ3時だ。恐ろしくなった美和は、部屋の電気をつけた。

夢にしては生々しく、現実にしては曖昧な感覚だった。

でも、ママのあの表情…恨んでいるというより、私に何か伝えたい事があるような表情だった。


でも例え恨んでいなくても、お兄ちゃんがママを手にかけるきっかけを作ったのは私だ…!


その事実が、美和を内側から食い尽くす勢いで責め立ててくる。こんな気持ちだからこんな夢を見たのかもしれない。

それなら私は一生、この悪夢を見続けるかもしれないのだ。






「夢だろ?気にする事ないって」

美和が昨夜の夢の事を話すと、陽平はあっけらかんと言った。

「そうだけど…怖かったんだもん」

「…美和は自分を責める事ないんだよ。全ては俺がやった事だ。責めるなら俺を責めればいい。そうすればそんな悪夢は見なくなるさ」

「お兄ちゃんを責めることなんて出来ないよ」

「責めていいんだ。お前は俺を責めて恨む権利がある。俺が勝手にやった事で、自分を責めるな」

「でも…お兄ちゃんは私を守る為にやったじゃない」

「その理由は半分だけさ。あとの半分は……いや、やめよう」

「何?気になる。あとの半分は何?」

陽平は諦めたようにため息をついた。

「あとの半分は、俺の為だよ。俺は母さんを恨んでるからな」


そう言ったお兄ちゃんの目は恨んでいるというより、悲しんでいるようで…私は何も言えなくなった。


「それより、今日は散歩がてら岸谷さんの家の周りもウロついてみようと思ってる。岸谷さんが外に出てる所を話しかけたら、さすがに居留守は使えないだろ?」

陽平は、したり顔をした。

「そうだね、もし進展したら教えてね」

「おう、任せろ。さ、お前はもう学校に行けよ。こんな時間だぞ」

「あ、本当だ!やばい!」


美和は朝ごはんを急いで食べると、学校へ向かった。





「篠倉君、おはよう」

美和は篠倉に挨拶をした。あの日以来、もう誰にバレてもいいかと開き直っていた美和は、教室でも篠倉に話しかけるようになっていた。

初めは揶揄う声もあったが、全て無視していたら、今はもう誰もそんな事する人はいない。

「あ、おはようございます」

篠倉も同じ考えだった。

「昨日は遠い所までありがとうね」

「いえ、僕の方こそ、急用思い出してしまってごめんなさい」

「ううん。全然気にしないで。またゆっくり来てね。お兄ちゃんにも会わせたいし」

「……そうですね…。あ、宿題やって来ましたか?」

「数学でしょ?難しかったよね」

「ですよね。すごい時間かかっちゃいました」

「私もー!夜中までかかっちゃった」

二人で話していたその時、教室の戸がガラガラと開いて村松先生が登場した。

「はーい!ホームルーム始めるぞ!」

生徒達はガヤガヤとざわつきながら、自分の席へ戻った。

「…いつもの美和さんでよかったです」

篠倉はボソリと呟いた。



その日の昼休み、いつもの理科準備室で二人はお昼を食べていた。

篠倉は昨日、岸谷という婦人に話しかけられた事を美和に言うか、考えあぐねていた。

伝えたら、美和さんは怯えてしまうかもしれない。ただでさえ、不安定な美和さんをこれ以上追い詰めるべきではないのかもしれない。

でも…知らない限り警戒もできないな。何の目的であの婦人が僕に聞いてきたかは知らないが、ただの世間話という雰囲気ではなかった。


「美和さん、聞いてほしい事があるんですが」

「うん?なぁに?」

「あの、昨日の帰り道、岸谷さんという方に話しかけられまして…」

「岸谷さんが!?」

明らかに顔色が変わった美和を見て、篠倉の心は揺れた。伝えるべきではなかったのかもしれない…

「岸谷さんが、なんで篠倉君に?」

「えっと、美和さんの家族の事を聞かれました」

「家族の事を…?」

「はい…あの、美和さんのお母さんの事を心配しておられるようでした」

「ママの事を?なんて聞いてきたの?詳しく教えて」

「はい、最近お庭が荒れているようなのでお母さんが元気なのか心配してる、とかそんな聞き方でした」

それを聞いて、美和は庭の事まで考えていなかったことに気付いた。

「それで、篠倉君はなんて答えたの?」

「はい、何か怪しかったので、全ての質問に、分かりませんと答えておきました」

「そう、なんだ。うんありがとう」

それでいい。篠倉の機転に感謝した。

「あとは、お兄さんの事も聞かれました」

「お兄ちゃんの事も?」

「お兄さんは居たか?聞かれたので、それにも分かりませんと答えておきました」

「うん。それでいいよ、ありがとう。助かる」

「あの、聞いていいですか?岸谷さんは何故そんな事を僕に聞いてきたんでしょう?」

美和は迷ったが、さわりの部分だけは話していいだろうと判断した。

「ママが言うには…だけど、岸谷さんはうち事を良く思ってないらしいの。だから、うちに何かつけ込める弱点?みたいなそういうのが無いか、見張ってるんだって」

「そうなんですか…厄介な人に嫌われてしまったんですね」

篠倉は美和に同情した。


「話してくれてありがとう、お兄ちゃんとも話して、岸谷さんの事、もっと警戒するようにする」

「お兄さん…ですか」

「うん、どうしたの?」

「いえ、美和さんはお兄さんが大好きなんですもんね」

「あははっそうなの。いつも守ってくれて、私も頼りにしてるんだ」

「何かあれば、僕もいつでも駆けつけますから、僕のスマホの番号知ってますよね?いつでもかけてくださいね」

篠倉がいつになく真剣にそう言ったので、美和は戸惑ったが、心から嬉しかった。

「ありがとう、何か困った事があったら頼るね」

「はい、約束してください」

篠倉は小指を差し出した。

「指切りするの!?」

子供のような篠倉に、美和は吹き出した。

「はい…えっ変ですか?」

篠倉の慌てた様子に美和は更に笑った。

「ううん、しようか、指切り」

二人は小指を絡ませ、ゆびきりげんまんの歌を歌った。

「指切った♪」

「これで約束しましたからね、いつでも頼って下さい」

「うん、本当にありがとう」

美和は笑顔で指を離した。

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