第26話
終業のベルから時間をおき、学校が静かになった頃、二人は教室に戻った。
教室はさっきの騒ぎが嘘のようにガランとしていた。
美和は黒板に小さく書かれた、美和と篠倉の相合傘を見つけると、黒板消しですぐに消した。
腹が立つよりも、恥ずかしかった。私たちはカップルじゃない。
むしろ見方によっては体良く振られたとも見れるかもしれない。
「美和さん?何か書かれてましたか?」
「ううん、なんでもないの。ただの落書き」
すると、篠倉が真剣な顔で言った。
「美和さん、僕何でも話して欲しいって言いましたよ」
「…そうだよね、ごめん。実は私達の相合傘が書いてあって…」
「あー、やっぱりそういう感じでしたか」
篠倉は恥ずかしそうに方手で顔を覆った。
「本当にごめんね、私のせいで」
「美和さんのせいじゃありません、僕が勝手にやった事です。むしろ僕の方が謝らないといけないです」
「そこは謝らないで!私、すっごく嬉しかったから。それにさ、カップルに見られてるなら、それはそれで便利なんじゃない?もう理科準備室行くのにコソコソする必要も無いし、篠倉君には迷惑かけちゃうけど」
「迷惑なんかじゃないです…!すみません、僕が好きって気持ちがよくわからないなんて言ったからですね。僕、本当に人を恋愛感情で好きになった事がなくて…でも美和さんといるとドキドキする事があります。これが好きって気持ちなのか、自分の中で確定するまで曖昧な事言いたくなかったんです」
「篠倉君…」
そんなに真剣に考えてくれてたんだ…美和の胸は熱くなった。
「そんなに考えてくれて、それだけで充分だよ、ありがとう」
「いいえ!僕こそ美和さんにああやって言われて、心の底から嬉しかったです!だから、この気持ちが好きって気持ちなんだって確定したら、今度は僕から言わせてください!」
「うん、待ってるね」
美和は溢れそうになる涙を拭った。
あぁ私、篠倉君を好きになってよかったなぁ。
自分から告白するなんて、自分の人生に起こり得ない事だと思ってた。
結局、自分でも驚くくらいスムーズに勝手に口が動いてしまったけれど、言ってよかった。
その日、美和は久しぶりに幸せな気持ちで帰路についた。
家に帰ると、陽平は居なかった。
どこに行ってるんだろう…一人で外に出られるのだろうか。
美和は家中を必死になって探した。
一階を隈なく探している時、2階で歩くような音がした。
「お兄ちゃん!?」
美和は急いで2階に上がった。
が、廊下は勿論トイレにも、二つの客間にも居ない。
あとはお兄ちゃんの部屋だけ…だけど。
そこは開けない事が何となく暗黙のルールになっている気がして開けられない。
仕方なく、外から扉をノックした。しかし、何度ノックしても応答は無い。
仕方なく、一階に下りて制服から部屋着に着替えた。洗面台に水を溜め、汗をかいた顔を洗った。目を閉じて水をバシャバシャと手でかける。目を閉じたまま、手探りでタオルを取り、顔を拭いた。
「ふーっ」
漸く目を開け、鏡を見ると、そこには陽平が写っていた。
「お兄ちゃん!!」
いつの間に後ろに居たんだろう。
「そんなに驚く事か?」
陽平は呆れたように言った。
「だって、お兄ちゃんどこに居たの?」
「ずっと家に居たよ」
「うそ!だって私、家中探してたんだよ!」
「…バレたか」
陽平は笑った。
「ちょっと散歩してた、久しぶりに」
「あぁ、なんだ」
美和は胸を撫で下ろした。
あれ?でも…それなら聞こえた足音は誰のもの?
「チャーハン作るけど食べるか?」
「うん、食べたーい!」
まぁいいか、足音に聞こえただけで違う音だったのかもしれないし。そもそも気のせいだったのかも…
美和は気にしないように努めた。
「美味しーい!」
お兄ちゃんのチャーハンはママのチャーハンと同じ味がする。
私は小さい頃はママの手伝いで色々作らされていたが、お兄ちゃんは自ら手伝って色々作っていた。お兄ちゃんは料理の腕も上々だった。
ウインナーと長ネギと卵の、シンプルなチャーハン。シンプルなだけに難しくて、美和は上達するのが遅かった。
「お兄ちゃんは本当に何でもできるなぁ」
「そんな事ないよ。絵なんてヘッタクソだろ?何度美和を羨ましいと思った事か」
「えー?」
〝羨ましいと思った〟のは大袈裟だろうが、確かに絵のうまさは美和の方が上だった。
「なんか良い事あったか?」
陽平が笑顔で聞いてきた。
「何にもないですよー?」
「その顔は有ったな」
と言って、陽平は美和の頭を撫でた。
あぁ…いいなぁこういう感じ。帰ってきたらお兄ちゃんが居て、料理を作ってくれて、笑顔で私の話を聞いてくれて、そこにはママに遠慮する事も、怯える事も無い。
私が言ってはいけない、幸せを望んではいけないのかもしれないけれど、私はずっとこんな風に過ごしたかった。
「美和が楽しそうでなによりだよ」
…お兄ちゃんは、どう思っているのだろうか。優しいお兄ちゃんだから、苦しんで無い筈ない。でもそれを、私に見せないのは私の為だ。
お兄ちゃんはどこで弱みを見せれるのだろう。誰にも見せる事なく、一人で背負ってしまうのかな。
「お兄ちゃん!」
「おぉ?」
「お兄ちゃんが苦しい時は私に言ってね!」
「何だよ突然。そんなの無いって」
「だってお兄ちゃんが何も思ってない筈ないもん。それを見せないのは私を思ってでしょう?だったら苦しい時は私に言って欲しい」
「美和…」
陽平は一瞬驚いた顔をした後、ゆっくり話し始めた。
「美和、俺は母さんが居る限り、部屋の外には出れなかったよ。母さんにトドメを刺したのは確かに美和の為だけど、俺の為でもある。だから美和はそんな風に追い込まなくていいんだよ」
「お兄ちゃん…」
「美和は何にも心配いらない。これからは自分の夢を追って生きろ。母さんが居る頃にはできなかった事だろう?」
「お兄ちゃん…知ってたの?私が美大に行きたいって事」
「昔、母さんとその件で喧嘩してたろ。何となく覚えてただけだよ」
「お兄ちゃん…ありがとう」
「俺の為を思うなら、美和は自分の自由に生きろ。それが俺の為になる」
「うん…うん…」
美和は陽平に抱きついて、泣いた。
こんなに小さな子供みたいに泣いたのは、いつぶりだっただろう。
〝グズグス泣かないで!みっともない!イライラするわ!〟
頭の中でママの声が聞こえる。それを言われた頃からだろうか。私が声を出して泣けなくなったのは。
今久しぶりに、封印が解かれたように泣いている。
心のままに生きるって、なんて気持ちの良い事なんだろう。これからは自分に素直に生きていいんだ。
皮肉にも、母陽子を失って初めて美和は自由を手に入れたのだ。
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