第21話
2時間後、ギリギリ遅刻せずに間に合った美和は、授業中も陽平への手紙に書く事を頭の中でイメージしていた。
と、いうよりも、授業どころではなかったのだ。
パパの不倫、ママの幻聴、そしてお兄ちゃんの事…考えなければいけない事が沢山あった。
美和は家から持って来た便箋に、先生に見つからないようこっそり手紙をしたためた。
〝お兄ちゃんへ
朝は煩くしてごめんなさい。
あれは、ママの幻聴です。ママは最近聞こえない筈のものが聞こえているようです。
これについて、お兄ちゃんは全く自分を責める必要が無い事を始めに言っておきます。
パパはママの事は放っておけといいますが…
私はどうしたらいいでしょうか?
美和より〟
これでいいだろうか。お兄ちゃんが責められてる気持ちにならないだろうか?それが一番気掛かりだった。
お兄ちゃんを傷付けませんように…
お兄ちゃんから何らかの返事がありますように…美和にはもう、祈る事しか出来なかった。
幼い頃に陽平からたっぷり貰った愛情を、今こそ信じたかった。
家の事ばかり考えていたら、お昼休みになってしまった。
今日は篠倉君の前でどういう顔をしたらいいか分からない。
全てを話す?でもどうやって?
話すにしても、どここら話せばいいのだろう。
幼い頃。美和の英雄だった自慢の兄の話から始めればいいのだろうか。
それとも、引き籠ってからの話…?いや、無理だ。お兄ちゃんの名誉を傷付けてしまうかもしれない。
その日、美和は初めて篠倉に黙って理科準備室に行かなかった。
〝ごめんね、篠倉君〟
帰り道、そう書いたメモだけを篠倉の靴箱に入れた。
とにかく今できる事は、この手紙をお兄ちゃんに届ける事だ。
美和は足早に帰宅した。
玄関扉をいつも通り静かに開けて「ただいま」いつも通りの挨拶。
が、陽子からの「おかえり」は返ってこなかった。
買い物にでも出掛けているのかもしれない。
美和はそれどころじゃない、それなら今がチャンスとばかりに静かに、それでも急ぎ足で2階に向かう。
陽平の部屋の前に立つと、心臓がドキドキと音を立てた。
美和は目を閉じ、短く深呼吸すると、手紙を差し込んだ。廊下の静寂が、いつもより大きく感じる。
どこかで陽子が見ていて「何してるの!?」と飛び出してくるんじゃないかと不安だったが、その心配は杞憂だったようだ。
美和は手紙を差し込むと、陽子が帰って来ないうちに一階へと下りた。
廊下に放り出してしまった学生鞄を回収して、部屋に向かったその時、異変に気付いた。
「あれ…?」
自室の扉が開いていたのだ。
「いつも必ず閉めて出かけるのに…」
不審に思って近付くと、そこには居るはずのない人物が座っていた。
「…ママッ!?」
陽子は美和に背を向けて座っていて、こちらを向こうとしない。
また意識が混濁しているの…?美和が近づこうとして、陽子が何をしているか分かった。
陽子の足元には美和の日記が何冊も転がっている。陽子が手に持っているのは、昨日も書いた最新の日記帳だった。
「ママ!それ!」
美和が陽子の手からそれを奪おうとした時だった。
ーバンッ
と激しい音と共に左耳に衝撃が走った。
キーンと耳鳴りがして、美和は床に転がった。
何が起きたか分からず、衝撃で閉じた瞳を開けると、陽子が日記を片手に立ち上がっていた。
どうやらその手に持ってる日記で左耳と頬のあたりを叩かれたらしかった。
陽子は目を見開くと、
「この嘘つき!」
「何でママの言う事が聞けないの!?」
「お前は本当に嫌な娘だ!」
などと美和を罵った。
美和には痛みと衝撃に耐えるので精一杯だった。黙っていると、陽子は尚も罵倒した。
「篠倉って奴と付き合ってるんじゃないか!」
「この嘘つきめ!」
「男にだらしない所はパパにそっくりだ!」
その一言が美和の心に大きく刺さった。
「ママ…?もしかしてパパの事知ってるの?」
「お前も知っていたのか!知っていながら、私に隠していたのね!許さない!」
ーパァンッ
今度は右頬に衝撃が走った。
何されたか、今度のはよくわかる。陽子に素手で殴られたのだ。
「篠倉君とは付き合ってない…」
「嘘つき!日記に書いてあるじゃないか!二人っきりで毎日ご飯を食べているんだろう!?」
母親に嘘つき呼ばわりされる事が、こんなに傷付く者だと思わなかった。
三発目が飛んで来そうになった時、美和はひらりと身をかわして逃げた。
陽子はそれを許さないとばかりに今度は美和の腕を掴んだ。
美和は反撃しようとして、咄嗟に何かを掴んで、陽子に投げた。それが運悪く陽子の額に当たって、陽子は額から血を流した。
「ママ!ごめんなさい!」
「この…まだ私に逆らう気か!」
陽子は美和を思い切り睨んだ。
美和は陽子の手を振り解こうとし、それでも尚美和の腕を掴んで来ようとする陽子を突き飛ばすと、走って2階に上がった。
陽子は物凄い形相でその後ろを着いてきた。
その目は見開き、怒りの為か真っ赤に充血しており、ひん曲がったような口で美和を罵倒し続けるその様は、昔読んだ昔話の山姥のようだった。
後少しで階段を登り切るという所で、美和は足を掴まれた。
美和は四つん這いになって残りの階段を登った。陽子は物凄い力で掴んでおり、離してくれそうにない。
「ママやめて!」
「お前が居なければこんな事になってなかった!」
「やめて!」
「お前さえ生まれてこなければ…!」
「やめてってば!」
陽子の腕を振り解こうとして、美和は思い切り陽子を蹴りあげた。
悲鳴を上げる暇もなかった。
陽子は階段を物凄い勢いで落ちていった。
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