第20話
窓の外がもう明るい。
結局美和は一睡もできず、朝を迎えた。
「もう朝の5時半か…」
昨日パパとの電話を切る瞬間に聞こえた女の人の声が耳について離れない。エコーのように何度も耳の中で繰り返しては、胸が苦しくなった。
このモヤモヤを晴らすには、もう一度電話して、パパに真相を聞いてみるしかない。
その時だった。
玄関を物凄い勢いで閉める大きな音が聞こえた。
「ママ!?」
美和は慌てて飛び起きると、急いでリビングへ向かった。
「ママ、今の音は何!?」
「岸谷さんよ!あの人、本当に失礼な人!」
「落ち着いてママ。岸谷さんがどうしたの!?」
「朝新聞を取りに行ったら、偶然を装って岸谷さんも新聞を取りに来たのよ!絶対に私が家から出るのを待ってたんだわ!だってこんな偶然今まで無かったもの!それで、お兄ちゃんと貴方の事また聞いてきて…!本当は何もかも知ってるんじゃないかしら!?そうよ、知ってて私を不快にさせる為にわざわざ聞いてきてるのよ…そうに違いないわ!」
陽子は取ってきた新聞を床に投げた。
「ママ、そんな事したら…」
お兄ちゃんの怒りを買ってしまう…
美和は2階からまた抗議の音がしやしないかと怯えたが、何の音もしなかった。
よかった…まだ寝ているのかもしれない…そうだ、私がしっかりしなくては。
「ママ落ち着いて。まだ岸谷さんにバレたと決まった訳じゃない。仮にそうだったとしても、証拠を掴まれない限りなんとでも言い逃れができるわ」
陽子は鋭い目で美和を見た。
「証拠を掴んでいるのかもしれないわ。お兄ちゃんが夜中コンビニに行くのを見たのかも。もしかしたらその場面の写真さえ撮っているかもしれない…」
「証拠の写真があるのに、そこ意地悪く遠回しにママにお兄ちゃんの事を、聞いてきてるって事?さすがにそれは…」
無い、と信じたい。あの優しい岸谷さんが…
「だから最初からあの人は探ってると言ってるじゃない!あの人の味方する気!?」
陽子は尚も大声でがなり続けた。
「そんなつもりじゃ…」
美和は慌てて訂正しようと言葉を向けた。
「…シッ!静かにして!」
しかし、陽子はそれを制止した。
「…ママ?」
同じだ…またあの時と。
「お兄ちゃんがまた暴れてるわ!」
2階からは何の音もしないのに…またママの幻聴が始まった。
「ママ…」
美和は何と声をかけたらいいのかわからない。
ただただ、怯える陽子を抱きしめて背中をさすった。
「陽平が…私の声がうるさかったんだわ…陽平ごめんね」
美和には何もできず、ただ涙を流した。
ママ、元に戻って…お願いだから…
パパ!助けてよ!どうして私を一人にするの!
陽子は突然美和の手を振り払うと、慌てたように2階へ上がった。美和も、急いでそれを追いかける。
陽子は陽平の部屋の前に着くと、陽平に謝り始めた。
「ごめんなさい陽平。ママが悪かったわ。もう暴れないで…お願い。ママ、もう陽平を怒らせるような事はしないわ、お願い陽平。許して…」
陽子は陽平の部屋のドアに縋りつくようにしながら、ひたすら謝罪を続けた。
陽平は寝ているのか、戸惑っているのか、返事もリアクションも無い。
これじゃあ余計にお兄ちゃんを怒らせてしまう…
美和は「ママ、もういいから」と、謝り続ける陽子を引きずるようにして階段を降りた。
何とかダイニングテーブルの椅子に座らせるが、陽子はまだ謝り続けている。
美和は何とか落ち着かせようと、熱いお茶を入れた。ママの好きなダージリンティーだ。
ママの被害妄想と幻聴はますますひどくなる…これからどうしたらいいの?
それとも…本当に私に聞こえていないだけだったらどうしよう…そんな馬鹿馬鹿しい考えさえ浮かぶ程、美和は追い詰められ始めていた。
そうだ、お兄ちゃんに手紙を書こう。
ママの幻聴の事…パパの事は今は言わなくていいだろう。そうだ、手紙ならドアの隙間に差し込んでおけば見てくれるかもしれない。
どうして今まで思い付かなかったんだろう。と不思議に思うくらい、とても良いアイディアだと思った。
ママはまだぶつぶつと俯いているけれど、さっきより大分落ち着いたように見える。
美和は朝食を、陽子の分と陽平の分と三人分作り始めた。
もう6時か…いつもならこの時間には家を出ないと学校には間に合わないが、今日はどうしても行く気になれない。
遅刻して行こうか、ズル休みしようか考えていると、いつもかけている6時のアラームが鳴った。すると、陽子が急に台所にやって来た。
「あなた何やってるの?学校へ行く時間でしょう?朝ごはんなんて食べてる場合?」
「ママ…?」
先程の事は覚えていないのか、すっかりいつもの調子の陽子がそこに居た。
美和は戸惑ったが、とにかく元に戻ったのだ。
が、ホッとしたのも束の間、陽子の小言が飛ぶ。
「ほら、ボーッとしてないでさっさと準備しなさい!ズル休みなんて許さないわよ」
「分かった。…もう大丈夫なのね?」
美和が尋ねると、陽子はきょとんとした顔をした。
「何の事?」
どこまで覚えているのだろう。
岸谷さんの事は覚えているのだろうか…
「その、岸谷さんの事…」
「あの人ね、本当に嫌な人よ。美和も気を付けなさい。何か聞かれても〝分からない〟って言いなさい」
あぁ、そこは覚えているのか…
では幻聴の時は意識が混濁しているのかもしれない。
このまま陽子を放って学校に行くのは心配だが、今は仕方ない。
美和は支度をする為に自分の部屋へ向かった。
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