第13話
ガチャ…ガチャリ…
鍵を差し込む時よりも、回す時に気を遣ってゆーっくり回すと、音が最小限に抑えられる。美和のライフハックだ。
専業主婦の母はいつも家に居るので鍵は無くてもいいが、インターフォンの音が煩いと兄から一度苦情が出たので、美和は毎回鍵を静かにゆっくり開け閉めして家に帰っている。
「ただいま」
玄関に入るとすぐ、陽子が待ち構えたように立っていた。
「お帰り」
今度は何の説教が始まるのかと、美和は身構えた。
「岸谷さんと何話してたの?」
あぁ、そのことか…と、美和はホッとした。
「何も。暑いからお水くれただけ」
「その他にも何か話していたでしょう?ママ、お庭から見てたんだからね」
「盗み見なんてやめてよ」
美和は嫌悪感を露わにした。
「お庭のお手入れしてたら、貴方達が話してるのが遠くから見えたのよ。それで、何話してたの?」
これは面倒臭いことになった。正直に話さないと解放してくれなさそうだ。
「お父さんもお兄ちゃんも海外に行って、女手だけじゃ大変でしょう、いつでも頼ってねって。それだけよ。あとは天気の話とか世間話」
「やっぱりね、それ探りよ」
「探り?岸谷さんが?」
「岸谷さん、本当にお兄ちゃんが海外行ったか疑ってるのよ。何かって言うとお兄ちゃんの事聞きたがるんだから」
「それは世間話の一環じゃないの?」
優しい岸谷さんがうちを探るなんて、理由がないはずだ。
「違うわよ。いつもいつも聞きたがるのよ?そんなの探ってるに決まってるじゃない」
考えすぎだと思うけど…と美和は言いかけてやめた。疑心暗鬼が始まった母親に何を言っても無駄なのだ。陽子は尚も続けた。
「岸谷さんはね、我が家がここに引っ越してくるまではここら辺で一番大きなお家だったのよ。何でも岸谷さんのご実家が資産家なんですって。それが、我が家が引っ越してきてから、その座を取られたのよ。妬んでるに決まってるわ」
陽子は断定するように言った。
「そんな、岸谷さんは良い人だよ。私が幼い頃から親切にしてくれて…」
「だから、昔から探ってたのよ!うちの事!何か弱点でも無いかって必死だったのよ」
イライラした陽子が声を荒げた。
その時だった、ドンドンドン!と、扉を乱暴に叩く音が2回から響いた。
陽子は話に夢中になって気付いていない。
「ママ!シッ!」
美和は人差し指を唇に当てて、母親を制止した。気付いた陽子は話すのをやめて二階を見上げた。
玄関から吹き抜けのこの家では、玄関の音や声が二階にダイレクトに響く。
私達の声が煩いと、お兄ちゃんが扉を叩いて訴えているのだ。
「…止まった?」
と、美和。
しばらく二人で二階を見上げていたが、その後のリアクションが無いのでホッと胸を撫で下ろした。
「…止まったみたいね。玄関で話してたから二階に聞こえたんだわ、今度からリビングで話しましょう」
話を始めたのは陽子なのに、まるで美和が悪いかのような口ぶりだ。
「とにかく岸谷さんには気をつけてよね。バレたら全てが終わりよ」
美和は仕方なく頷くと、自室へと向かった。
「はぁーっ」
鞄を置くと、ベッドに寝転がった。部屋までの廊下でも、なるべく物音を立てないように気を付けて歩いたので、一気に疲れた。
目を閉じて、今日の出来事を反復した。
今日は色々あった1日だった。
屋上の階段の場所が奪われたのは災難だったが、そのお陰で篠倉君と話せた。
もっと真面目で寡黙な人かと思ったら、話しやすくて時間があっという間に過ぎてしまった。
一人の時は長い長い昼休みなのに。
そうだ、この事をまだ覚えているうちに日記に書こう。
美和は起き上がるとウサギの貯金箱の下から鍵を取り出した。その鍵で机の引き出しを開け、日記帳を取り出す。
それにしても、岸谷さんの事をママがあんな風に思ってるなんて知らなかった。美和の中ではずっと〝幼い頃から何かと気にかけてくれる、優しいご近所さん〟であったし、てっきり陽子の中でもそういうイメージなのかと思っていた。
ママはお兄ちゃんが引きこもってから、あらゆる事に後ろ向きな考えをしているように見える。
常にイライラしているし、笑顔も減った。
ママは昔から私に厳しかったけど、それでも昔はもう少し柔らかく笑ってくれていた気がする。
美和は日記帳を開くと執筆に取り掛かった。
とにかく。今日一番の出来事は篠倉君の事だ。まず、それを書こう。
いつも単調な毎日で、日記に書く事もその日読んだ本の感想や、お兄ちゃんの様子や思い出話ばかりだったのに、今日は久しぶりに書く事が沢山だ。そしてこんなにワクワクした気持ちで日記帳に向かうのも久しぶりだった。
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