第5話
お兄ちゃんは、周囲や特にママからのプレッシャーを跳ね除け、見事難関だったK高校に合格した。
その時のママの顔ったら…!今までで一番嬉しそうな顔をしていた。
ママは早速電話で両祖父母を呼び出し、お祝いの宴を開いた。
パパにも電話してお祝いの言葉を貰い、お兄ちゃんの好物の唐揚げやらハンバーグ、ローストビーフやら作り、お寿司やピザの出前まで取り、それそれは豪華に催した。
「よくやったな、おめでとう」
と、パパはお兄ちゃんに言ったらしい。
私も電話を代わったが、
「いつ帰って来るの?」という質問にはあまり良い返事をもらえなかった。
「ちょっと暫く忙しくてな、ごめんな美和。仕事の目処がついたらすぐに帰るから」
パパは疲れたように言うので、それ以上何も言えなかった。
「本当によくやったねぇ、さすが私の孫だよ。」
パパのお父さん、つまり私のお爺ちゃんはお兄ちゃんを褒め称えた。
「お爺ちゃんもT大だったんでしょ?父さんも」
聞いたのはお兄ちゃんだ。
「そうだよ。私と息子二人ともT大出だ。T大に行けば優秀な人との人脈も広がる、人脈が広がればチャンスも増える。だからお前もT大に行くんだよ。期待してるからな」
お爺ちゃんはゆっくりと、しかし確かにプレッシャーをかける話し方をした。
「陽平なら間違いなしよ」
ママが口を挟んだ。
「分かってる。必ずT大に行って、お爺ちゃんに喜んでもらうよ」
お兄ちゃんは自信満々だった。
その後もママの喜びようは凄まじいもので、K高校の入学式に新しい着物を新調し、校門の前でママとお兄ちゃん二人で撮った写真をすぐさま玄関の一番目立つ場所に飾った。満面の笑みのママと、少し照れたようなお兄ちゃんの写真は、しかし今は飾られていない。
高校生になったお兄ちゃんには、スマホが与えられた。
「いいなぁーっお兄ちゃん」
私は心から羨ましかった。
「美和も高校生になったら買ってもらえるよ」
「中学生になってからがいいーっだって小学生の今でも持ってる友達いるもん」
「美和は成績が下がるからダメ」
ママはバッサリと切り捨てた。
「陽平だって、スマホのいじり過ぎはダメよ?信じてるからね」
「わかってるって。ちゃんと節度を持っていじります!」
「それならいいけれど…」
ママの心配は当たった。
元々友達が多いのに加えて、新しい友達ができたお兄ちゃんは年がら年中スマホをいじるようになった。
それでも、特に勉強せずとも中学時代はトップだった秀才のお兄ちゃんだ。
きっと大丈夫だろう、と思っていた。ママも鷹を括っていたと思う。
お兄ちゃんも私も、ママでさえこの時は分かっていなかった。お兄ちゃんは挫折した事が無い人間だと。
K高校には全国から優秀な生徒達が集まる。中学からの貯金はすぐ底を付く。上には上がいるってやつだ。お兄ちゃんは少しずつ埋もれるようにして成績が落ちて行った。
「もしもしあなた?どうしよう…陽平の成績が落ちて行ってるのよ。塾?もちろん通わせてるわ。でもこのままだったらT大に受からないかも…あなた?聞いてるの?」
夜中、ママがパパに電話する頻度も増えた。
スマホをいじる時間も制限された。それでも中々成績は振るわなかった。
中学の時、テスト前でさえ殆ど机に向かわなかったお兄ちゃんが、今は机に齧り付いている。
家の中の雰囲気も変わって、落ち着かない。
そんな中、私は中学一年生になった。
ママはお兄ちゃんの入学式の時に作った着物を着て、私の入学式に参列した。校門の前で撮った私とママの写真は、アルバムに収まっている。
お兄ちゃんが卒業してもう二年が経つというのに、何も知らない周囲からのお兄ちゃんの株はいまだに上がり続けているようだ。
無理もない、お兄ちゃんが中学三年生の時、中学一年生だった時の生徒がまだ在校生として在籍して居るのだ。
〝あの藤枝陽平の妹〟として入学した私は、初日から脚光を浴びた。しかし、器量も並の私を見て、大半の人がガッカリしたようだった。周囲の声は、「どんな可愛い子が来るかと思ったら…」らしかった。
それでも私は気にしない。そう言って来る人も又、その他大勢にしかなれないのだ。それでもその中で私は〝お兄ちゃんのただ1人の妹〟という特権を持っている。それだけが、皆との違いだった。
それにお兄ちゃん程多くないながら友達も居るし、私は今の私に満足していた。
中学に入学したら、絶対に美術部に入ろうと決めていた。
てっきりママの反対に遭うかと思った。ところが、
「美術部?そうなの。入れば?」
の一言で、アッサリ許可をもらってしまった。
どうやらママはお兄ちゃんの事で手一杯で、私に興味が無いらしかった。
塾もちゃんと週三回、きっちり通えば成績の事もうるさく言われなくなった。
早速お兄ちゃんに報告した。
「良かったな。母さんが反対しなかったのが意外だけど」
「あー…うん。ママ、それどころじゃないみたい」
私が気まずそうに言うと、お兄ちゃんは察したようだった。
「俺の事か…だよなぁ。でも最近は成績も戻ってきたんだぜ。前みたいに余裕でトップって訳じゃないし、まだまだ危ういけど」
「お兄ちゃんがトップじゃないと認められない人だから、ママは」
このセリフを言った後で後悔した。お兄ちゃんに余計なプレッシャーを与えてしまったのではないかと。
「でも、お兄ちゃんは自分のペースで良いと思う。充分頑張って来たんだし」
「サンキュ。まぁぼちぼち頑張るよ」
お兄ちゃんは遠慮がちに笑った。
その笑顔を見て、やっぱり言わなきゃ良かったと思った。
中学校生活は楽しかった。
いまだに〝お兄さんに渡して欲しい〟と、見知らぬ女の子から手紙を渡される事以外は。今はお兄ちゃんに余計な神経を使わせたくないのが本音だった。
私が渡せば、お兄ちゃんは私にも気を遣うし、告白して来た相手にも、毎回なんて断ろうか真剣に悩むお兄ちゃんだ。だからこそ、私はもらった手紙をお兄ちゃんに渡さない事も増えた。
そのうち〝藤枝陽平に告白しても返事ももらえない〟と噂が立ったが、むしろ告白して来る人が減るのは好都合なんじゃないかと思えた。
それに、お兄ちゃんは私にも言わないが、何やら彼女が出来た気がするのだ。
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