第8話.タイムリープ

 耳をつんざく強烈なベル音が部屋中に鳴り響く。必死に手を伸ばすと、ベルのハンマーが俺の指を何度も打ちつけた。音が小さくなったことで冷静さを取り戻した俺は、落ち着いて裏のスイッチをオフにする。


 一仕事終え、ハーっと大きく息を吐き上体を起こすと部屋中を見回した。


 ……なるほど。どうやら戻っていないようだ。


 さすがに、夢の中で寝て起きてもまだ夢の中ってことはないだろう。そして、これから中学校に行き、もし俺の記憶通りならタイムリープが確定となる。


 ――タイムリープ。


 もしそうなら、それでいいと思っている。状況的に実はタイムリープがベストなのではないだろうか。


 仮にこれが夢なら、目覚めた俺と智子は大怪我をしている可能性が高い。ワンボックスカー(?)だと思われる大きな車に、あれだけの勢いで衝突されたのだ。怪我も何もないということはないだろう。


 治る怪我ならまだしも、彼女が寝たきりになっていたり、死んでいたりしているかもしれない。もしそうなら、俺はとても耐えられない。だったら、もう会えないかもしれないが、この世界で彼女が元気に生きてくれていた方がよっぽどもましだと思った。



 朝食を済ませ、真新しい学ランに袖を通す。出かける時間になるまで朝のニュースを見ていると、ピンポーンと家の呼び鈴が鳴った。


 おそらくナカちゃんこと『中里なかざと 陽一よういち』だろう。中学時代、友人だった近所のナカちゃんと、毎日一緒に通学していた。


 ちなみに、夢を壊すようで申し訳ないが、この手の小説や漫画で登場する、ツンデレ、またはヤンデレ美少女幼馴染なんて俺にはいない。


 うちの前に住む一つ下の美樹みきちゃんが、まぁまぁギリギリ幼馴染と言えなくもないが、顔は雌ゴリラのようだ。現実はこんなもん。確か彼女は二十歳くらいの時に二十個近く年上のハゲたおっさんと結婚し、子供が三人くらい出来ていたと思う。まぁ、ある意味幸せな人生を送っている。なによりだ。


 玄関の扉を開けると、やはりナカちゃんだった。彼と会うのは三十年ぶりだろうか。おっさんになった姿を見ていないので、記憶通りで逆に分かりやすい。


「ナカちゃん、おはよう」


「おはよう、ヒラケン。制服、すっごいダボダボだな」


 彼は俺を見て笑っている。


 ちなみに、『平井ひらい 賢治けんじ』を略して『ヒラケン』、俺のあだ名だ。誰が言い出したのか分からないが、リョウちゃんなど親しい友人は今(令和)でもそう呼ぶ。



 実家から中学校までは歩いて三分ほど。他愛もない話しているうちに、すぐに学校に着いた。


 『平成元年度 入学式』と書かれた大きな看板が立て掛けられた門を抜け、生徒用玄関に向かうと人だかりがあった。特設の掲示板にはクラス分けが掲載されている。近づくにつれ、ドキドキと心臓の鼓動が高鳴った。隣ではナカちゃんも緊張した面持ちで掲示板を見上げている。


 えっと、……山、野々村、羽田、平井、あった!


 一組の下の方に俺の名前を見つけた。そして、一番上に目をやると……、『桃田ももた とおる』。


 桃田先生の下の名前が徹だったかどうかは全く憶えていないが、きっと俺の知っている桃田先生だろう。他の組の先生の名前も見覚えがある。しかし、判断するのはまだ早い。一応、先生の顔を確認しないと。



 俺は掲示板の案内に従い教室に向かった。ちなみにナカちゃんは三組だ。前世でもそうだったのかは忘れた。


 『一年一組』と札が掲げられた扉を開け、中に入ると教室中をざっと見渡した。先生の姿はない。


 すでに半分くらいの生徒がいてガヤガヤと話をしている。うちの学区では小学校からほとんどメンバーが変わらないため、みな顔見知りなのだ。ただ、半分くらいのやつしか誰だが認識できない。名前は……、全く思い出せない。


 ぱっと見た感じ、みな男女たがちがいに座っており、なんらかの法則に従っているようだ。その法則をキョロキョロと探すと、黒板に一枚のプリントを発見した。見ると、予想通り席順を示すもの。


 右上から順に見ていくと、窓側の列の真ん中くらいに自分の名前を見つけた。入り口の廊下側から五十音順に座ると、『ひらい』は窓側の方になる。


 振り返り自分の席の方を見ると、すでに隣には一人の女子が席に着いていた。そのと目が合った。見覚えがある。視線を外し再度振り向いて、もう一度プリントを確認した。どうやら隣は、『森野もりの 英理えり』のようだ。



 席に向かい鞄を机の上に置くと、隣の窓際の席に座っている彼女が俺を見上げた。挨拶くらいはした方がいいかな。なんて呼んでいたのかは忘れたが、おそらく呼び捨てだろう。


「久しぶり。えっと……、も、森野、だよね。よろしく」


 大の大人が妻や恋人以外の女性を、名字とはいえ呼び捨てで呼ぶことに一瞬抵抗があった。俺はたとえ後輩でも、男女関係なく呼び捨てにすることはなかった。


 彼女は俺の言葉にキョトンとしている。分厚い眼鏡で大きく見える目が、更に大きくなっていた。何か変だっただろうか。


「フフッ。そんな別に久しぶりってほどじゃないでしょ。それになんかヒラケンの話し方変だよ」


 彼女はクスクスと笑っている。


「そ、そうか?」


 俺は照れ隠しに坊主頭を撫でた。坊主頭は撫で心地が良く、昨日から暇つぶしに撫でている。


「やっぱり変だよ。でも、男子はみんな坊主頭だね」


 今では考えられないかもしれないが、うちの中学校では校則で男子はみな坊主頭にしなければならなかった。ただ、一年の途中か二年の時にその校則は廃止されていたと思う。


 教室中を見渡しながら笑う森野を見て、俺は思い出していた。


 彼女と最後に会ったのは、確か成人式の時だったと思う。東京だかどこかの大学に進学した話を聞いた。その後、地元に戻って来たという噂は聞いたが、結局彼女と再会することはなかった。


 彼女とは中学三年間で、隣の席になることが二、三回あった。そのため、俺にとって親しい女子の一人だ。きっと今回が彼女と席を並べる最初の一回目なのだろう。


 今では分厚い眼鏡でメガネザルのように見える彼女だが、以前は美少女としてうちの学年の多くの男子を虜にしていた。かく言う俺も小三で初めて彼女に会った時は、少しクセのあるふわりとした髪と目鼻立ちの整った愛くるしい顔を見て、世の中にこんなにも可愛いがいるものなのかと驚愕したものだった。


 ところが、彼女は眼鏡を掛けるようになり、学年が上がるにつれ年々その厚みが増していった結果、周りからは次第に美少女として見られなくなっていった。まぁ、彼女以上に可愛いが現れた、成長して可愛くなったがいた、などの理由で注目されなくなったというのもあるだろう。


 俺も中学時代、彼女に対し特に恋愛感情はなかった。過去の記憶から可愛らしいという認識はあったが、あくまで親しい女子の一人という感じだ。


 成人式で再会した際、眼鏡をコンタクトに変えた彼女を見て、「綺麗になったね」なんてキザなことを言ったことだけはなんとなく憶えている。ただそれが、本音だったのかお世辞だったのかは……、どうだっただろう。



 先生が来るまでの間、隣の森野や前後の生徒と話をしていた。なにぶん、この頃の記憶がないので、話を振られると受け答えに困ってしまう。小学校の時や街にどんな店があるのか、また、最近のテレビや芸能情報も分からない。仕方ないので終始聞き役に徹していた。


 そうこうしている内に、見れば全ての席が埋まっていた。全員揃ったようだ。そして、それを見越したかのように、教室に一人の男性が入ってくる。眼鏡を掛けておりハゲている。忘れもしない、桃田先生だ。


 それを見て、俺は確信した。これはタイムリープなのだと。



 先生の簡単な自己紹介の後、体育館に移動すると入学式が執り行われた。校長先生は憶えていないが、何人かの先生や上級生に見覚えがあった。校歌も記憶の通りだ。時間が経つにつれ、記憶と一致している事柄が増えていった。


 入学式後に部活の紹介があり、その後、教室に戻ると一旦休み時間になった。俺は席に座り、これからどうしようか考えることに。


 昨日までは明晰夢だと思っていたので、ちょっと馬鹿げたことでもしてやろうかと思っていたが、この状況がタイムリープだとすると、あまり下手なことはしない方がいいだろう。慎重に行動すべきだ。


 俺がそんなことを考えていると、トイレにでも行っていたのか席に戻ってきた森野に不意に話しかけられた。


「あの、ヒラケン」


「あっ、ん? なに? どうしたの?」


「えっと、なにか考えごとしているみたいだったから、どうしたのかなぁって。部活のこと?」


 まさか、「タイムリープしちゃんたんだけど、どうしたらいいのかこれからのことを考えてたんだよ」とは言えないよな。


「あー、えっと……、そう! 部活のこと!」


「そうなんだ。ヒラケンは何部に入ろうと思っているの?」


 うちの中学校では、必ずなにかしらの部に所属しなければいけない。


 ちなみに前世はソフトテニス部だった。元々は別の部を希望していたが、ナカちゃんから一緒にテニス部に入ろうと何度も誘われ入部することにしたのだ。ただ、あれは本当に失敗だった。


 テニス部の先輩たちはとにかくやる気がなく、特に一個上はそれは酷かった。


 彼らはずっと部室で駄弁っているかゲームをしているかで、俺たちが見かねて練習をしようものなら、ラケットを取り上げたりボールを渡さなかったりと、ありとあらゆる妨害をしてきた。


 顧問の先生に相談したが、先生もあまりやる気がなく、まともに取り合ってはくれない。それでも時々、活動していないことを先生が注意すると、俺たち一年生が告げ口したと騒ぎ立て、基礎体力が必要だからと校庭を暗くなるまで走らされたり、意味もなく同じところを何度も掃除させられたりもした。


 彼らの引退後、俺たちは一応練習に励んだが、明らかに他校に比べると練度が低く、結局一度も試合に勝てることなく三年間が終わってしまった。


 なので、もしやり直しの機会があったとしたら、どんなにナカちゃんに誘われても絶対にテニス部には入らないと心に決めていた。まぁ、タイムリープなどしなければ、全く意味のない決意だったが無駄にならなくてよかった。


「うーん、陸上部かな」


「へー。ヒラケンって足速かったっけ?」


 俺は短距離も長距離も遅くはないけど速くもない。陸上部を希望する理由は、とにかくまともだから。先輩も同級生もまともな人ばかりだった。


 よくテニス部の先輩に部室から締め出されて途方に暮れていると、隣の陸上部の先輩たちが見かねて助けてくれたことがあった。あれば本当に嬉しかった。


 また、ヤンキーがいないというのも、かなりポイントが高い。この時代、ヤンキーが一匹いるだけで本当に面倒くさいことになる。テニス部にもいなかったが、それが唯一よかった点だろう。


「いや、速くないよ。スーパー普通」


「スーパー?」


 俺は適当にスーパーを付けてしまう口癖がある。この頃『スーパー』という言葉は、『スーパーマーケット』くらいで、あまり馴染みのある言葉ではないだろう。気をつけねば。


「いや、なんでもない。足は普通。速くも遅くもないよ」


「じゃあ、どうして?」


 俺は答えに困った。まともだから、とは言えない。


「えーーっと、速く走れたら……、カッコよくない?」


 それを聞いた彼女は一瞬キョトンとした。


「アハハッ、子供みたい!」


 いやいや、俺たちはまだスーパー子供だと思うよ。


 俺の中ではもっと大人しく物静かなのイメージだったが、彼女は驚くほど大きな声で笑っている。


「森野は?」


「うーん、卓球部かテニス部……、かな」


 あれ? 卓球部? 彼女はテニス部だったはず。


 彼女と親しかったのは席が隣というのもあるが、男女別とはいえ同じテニス部というのもあった。確か、彼女は三年生の時に一番手になり、大会で結構いい成績を残していたと思う。


「そうなんだ。特に意味はないけど、テニスの方が森野には合っているかもね」


 俺の言葉に、彼女はパッと笑顔になった。まるでその言葉を待っていたかのよう。


「そう? 私もテニスの方が興味があるんだけど、ちょっと派手だなって思っているんだよね」


「いや、そんなことないよ。とても合ってると思うよ。それに興味があるんでしょ? なら、やってみればいいじゃん。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいって」


 ほぼほぼ自分に言っている。誰でもそうだと思うが、やらずに後悔した経験はあるだろう。


「そうだよね!」


 彼女は満足気に大きな笑みを浮かべている。きっと、前と同じようにテニス部に入るだろう。


 しかし、俺は前世で彼女にテニス部に入るよう何か言った記憶はない。特にこのやり取りがなかったとしても、彼女はテニス部に入っていた……、うん、きっとそうだ。


 その後、先生からいくつか説明があり、自己紹介や教科書の配布が終わると昼前には帰宅となった。


 帰り道、しつこくナカちゃんにテニス部に誘われたが、もちろん断固として断った。

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