第7話.私の夢
さて、どうせ目が覚めないと何もできないんだから、少しこの夢を楽しもう。
それにしても、私が十五歳ということは、夢の中の母は四十八歳のはず。今の私より年下。夢とはいえ変な気分。
洗い物を終えた母が私にお茶を出しながら尋ねてきた。
「智子ちゃんは明日の準備はできてるの? ノートとか鉛筆とか大丈夫?」
普通、ノートや鉛筆はさすがに大丈夫だろう。母は相変わらず着眼点がズレている。
「ありがとう、大丈夫だよ。でも、もう一度確認しておくね」
「フフッ、智子ちゃんはしっかりしてるわね」
そう言って母は庭先を眺めながら遠い目をした。きっと、兄のことを思い出しているのだろう。
私には二つ上の兄がいる。私にとっては普通の兄だけど外では粗野で乱暴者、つまりはヤンキーとして有名で、学校で揉めて高校を辞めてしまった。詳しくは聞いていないけど、退学処分だったのかもしれない。
あの頃は本当に大変だった。毎日のように父と兄が喧嘩をし、母が二人を宥めようと泣き叫んでいた。私はそれを奥の部屋で聞いているのが嫌だったし、ご近所に聞かれていると思うとすごく恥ずかしかった。
結局、兄は叔父の伝手で、旅館だかホテルだかに住み込みで働くため東京へと出ていってしまった。ただ、そんな兄も今(令和)では家庭を築き、お盆と正月には甥っ子と姪っ子を連れて実家に帰ってくる。
あくまで夢だけど、母にああ言った手前、一応明日の確認をすることにした。きっと高校の合格通知の書類に準備物が書いてあるはず。そう思い自分の部屋に戻ると、机の椅子の上に大事そうに真新しい学生鞄が置いてあった。
懐かしい! そうそう、こんな鞄だった。重くて大変だったんだよなぁ。
そんなことを思いながら開けると、思った通りそれらしい書類を発見。その書類に書かれているものと、鞄の中身を照らし合わせた。さすが私、全部揃っている。
しかし、高校の入学式ってどんなだっただろう。三十五年も前なので記憶にない。このまま明日になった場合、記憶もないのにちゃんと入学式が執り行われるのだろうか。そんな要らない心配をしていると、ふと思い出したことがあった。
そういえば、入学式の後に戻ってきた教室で何かの調査票を書いた。それ自体は大した内容ではなかったけど、確か書く時にシャーペンの芯がなくて近くの人にもらった気がする。
私は筆箱からシャーペンを取り出しカチカチカチとノックした。先端を見ると、ほんの少ししか芯が出ていない。シャーペンの中にも替え芯の中にも予備の芯は入っていなかった。カチカチカチとノックしながら、こんなところまで再現されているなんて本当にすごいなぁと感心。
私はシャーペンの芯を買うため出かけることにした。夢なので別に買いに行く必要はないのだけど、せっかくだし外を見てみたいというのがある。今はもうないけど、確か家から歩いて三分ほどのところに文房具店があったはず。
「あら? 智子ちゃん、どこかに出かけるの?」
適当に着替え、玄関で自分のだと思われる靴を履いていると、居間でワイドショーを観ていた母に尋ねられた。今も昔も母はワイドショーが好きだ。
「持ち物を確認したらシャーペンの芯がなかったから、ちょっと買いに行ってくる」
「ほら、だからお母さん言ったじゃない。確認してよかったでしょ?」
自分のおかげとばかりに母は自慢気。まぁ、確かにそうなのだけど。
「うん、ありがとう。じゃあ、行ってくるね」
「お昼には戻るんでしょ? 気をつけてね!」
家を出た私は早速近所の文房具店に向かった。歩きながら周囲をキョロキョロと見回す。
いやー、本当に懐かしい。いや、逆に新鮮な感じもする。あっ、そうそう、ここにはこんな工場があったんだった。おっ、木の電信柱。今は見ないなぁ。
私は自分の夢を楽しみながら文房具店へと向かった。
目的の店が見えてきた。ここは駄菓子も売っていて幼い頃はよく通ったものだ。夢の中とはいえ、また来れたことに感動する。
「いらっしゃいませ……、あら、智ちゃん。いらっしゃい。今日はどうしたの?」
うわっ、鈴婆ちゃんだ! 懐かしー。
ここ『鈴木文房具店』のレジにいつも座っているこのお婆さんは、近所から鈴婆ちゃんの愛称で呼ばれていた。確か、最初の結婚の少し後、二十六歳の頃に亡くなったと母から聞いた気がする。
「明日、高校の入学式なんですけど、シャーペンの芯がなかったんで」
「あらそう、もう高校生なの。みんな大きくなるのが早いわね。ところで、智ちゃんはどこの高校に行くの?」
「えっと……、
「そうなの!? それはすごいわね。智ちゃんは昔から真面目だったから、一生懸命勉強したのね。えらいわ」
桜女とは『県立
シャーペンの芯を手に入れた私は、このまま帰っても面白くないので駅前まで出てみることにした。考えてみれば、このまま夢が継続するなら高校へ行くため明日もこの道を駅まで歩くことになる。まぁ、きっとそれはないだろうけど。
駅までの道すがら色々と見ていると、当たり前だけど、変わったところもあれば変わらないところもある。そして、憶えているところと憶えていないところ……。
いや、待って。それらの変化も私の記憶の一部のはず。憶えていないのに、夢の中で具現化しているのはどうなのかな……。
うーんと首をひねりながら歩いていると、駅前通りまでやって来た。今ではよくある廃墟と化した商店街だけど、この頃はまだ結構賑わっている。ほとんどの店が開いていて、人通りもそれなりに多い。
この賑やかだった商店街は、幼い頃の私にとっては夢のような場所だった。軒を連ねた商店街が、まるで宝石箱のように私には映っていた。
よく幼稚園の休みの日には母にねだって連れてきてもらい、特に何か買うわけでもなく色々な店を見て回った。まさにウインドーショッピングである。お店の人はみな優しかったし、時にはお菓子をくれることもあった。
そんな私にとって思い出の場所は今となってはシャッター街。なんとなく、ほろりとくるものがある。
賑やかな通りから駅へと曲がろうとしたところで、反対側から見覚えのある女の子が同じように駅に向かって歩いてきているのが見えた。
「あれ? 智ちゃん!」
私を見つけた女の子が笑顔で駆け寄ってくる。
この
顔は憶えているけど名前が出てこない。中学時代、確か同じ部活に所属していた。「ここだけの話――」が彼女の口癖で、そう言っては色んなグループに同じ話をしては、噂を広めるのが好きな
「えっと……、久しぶり」
ん? 久しぶりで合ってるかな? 中学校の卒業式っていつだっけ?
「うん、本当に久しぶり! 部活を引退してから、あんまり話す機会なかったもんね」
よかった。合ってた。
「こんなところでどうしたの?」
「時刻表を見に来たの。前日になんだけどね」
そう言って彼女は苦笑い。
この感じ……、そうだ!
「
彼女は結構ルーズなところがあって、なにかを失敗してはいつもこんな感じで苦笑いをしていた。
「えっ!? なになに、どうしたの急に」
彼女は驚きの表情。急に名前を叫ばれれば、誰だってこんな反応になるだろう。
「あっ、えっと、そう! 私もそうなの! 時刻表ね!」
「なんだ、そうなんだ。智ちゃんにしてはギリギリだね」
「えっと、うん、再確認ね。そう、再確認……」
私たちは電車の時間を確認した後、そのまま三十分ほど話をして別れた。
やっと解放された……。
同級生の進路先から芸能人の話題など、早口で喋る彼女の話を聞いているだけでどっと疲れてしまった。
しかし、私の夢なのに、登場してきたのがなんで彼女だったんだろう……。
自分の夢で疲れている自分が、なんとなく虚しくなった。夢はもうそろそろいいから、早く起きて賢治に会いたい。
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