第9話.タイムスリップ
ピピピピッという、安っぽい電子音が突如部屋中に鳴り響いた。非常に気に障る音で、布団を被ったくらいではやり過ごせそうもない。
もー! うるさい! んー、スマホ、スマホ……。
枕元を目を閉じたまま探るが見つからない。寝る時にスマホはいつも枕元に置いているので、すぐに見つかるはず。布団の外に落ちたのだろうか。
諦めてハーっと大きく息を吐くと目を開けた。すると、そこには見慣れない光景が広がっている。
ここどこ? えっと、ここは実家で……、なんだっけ?
混乱していて、けたたましい電子音が耳に入らないほど。起き上がりぼーっとしていると、ドカドカと誰かが近づいてくる足音がする。そして、脇の
「智子ちゃん起きてないの? ……あら、起きてるんじゃない。今日は入学式でしょ。早く起きて」
お母さんだ。入学式……、なんだっけ?
今この状況が正解なのか間違いなのか、いまいちはっきりしない。そんな私に母は呆れた様子で目覚まし時計を止めた。
「寝ぼけてるの? 起きて朝ごはん食べちゃって」
そう言うと母はハハハッと笑いながら部屋の外に出ていった。しばらく母が去っていった先を眺めていると、少しずつ頭がはっきりとしてきた。
そうだ! 事故ったと思ったら夢の中で、夢の中は昔で懐かしくって、苦手な
バッと再度部屋の中を見回した。
これは……、夢から覚めて……、ない? いや、これは……。
背中にゾクリとした感触が走った。私は夢の中に来てから初めて恐怖というものを感じた。
寝て起きてまた夢の中なんて……、さすがにおかしい!
咄嗟に頬をつねる。普通に痛い。その痛みがこれが現実だということを示していた。
夢じゃないということは……、これは……、『タイムスリップ』ってやつじゃない?
漫画や映画などではよく、机の引き出しの中の乗り物とか、車とか、ラベンダーの香りとか、あとは……、思い付かないけど、何らかの方法で過去に飛んでいる話がある。
もしかして、私の車ってデロリ……、いや、普通の軽だよ。
いや待って、あのぶつかってきた白い車のように見えたものは実は雷で、雷に打たれて過去に飛んだ。とすると、やっぱり私の車はデロリアンで、雷に打たれてあえなく大破し今この場にはない。……いや、残骸くらいは普通あるはず。それに、一緒に乗っていた賢治が傍にいないのはおかしい。
とりあえずどうしよう。怖い、賢治に相談したい……、会いたいよぉ。
そんな心が落ち着かないのを尻目に、「智子ちゃん!」と台所から母が私をせっつく声が聞こえてくる。私は両手をグッと組んで祈るように頭に押し当てると、覚悟を決めて台所に向かった。
「智子ちゃん。すぐに朝ごはんの準備ができるから、歯を磨いてらっしゃい」
「あっ、う、うん」
歯を磨き台所に戻ると、テーブルの上には朝食が用意されていた。
「い、いただきます」
「はい、どうぞ」
母はにこやかに返事をした。近年の母はあちこち身体が痛いと伏せ気味だったので、こんな穏やかな表情を見るのは久しぶりだ。
「前にも言ったけど、今日はお母さんも一緒に行くから。智子ちゃんの高校を見るの楽しみだわぁ」
なるほど。だからご機嫌なのか。しかし、前はどうだっただろう。三十五年も前のことなのでさすがに憶えていない。
朝食を済ませると、私は制服に着替え鏡の前に立った。改めて見てもこの髪型は野暮ったい。田舎の少女丸出しだ。変えたいところだけど……、そんな変化も駄目なのだろう。
私はさっき歯を磨きながらずっと考えていた。
もし、今の状態がタイムスリップなのだとしたら、些細な変化さえも許されないはず。私の勝手な行動によって未来が変わり、たくさんの人に迷惑をかけることになる。人に迷惑ならまだしも、世界の滅亡だってありえるかもしれない。確か映画では、自分の存在自体も危うくなっていた。
昨日はタイムスリップだとは気づかず、色々と適当に行動してしまった。知らなかったとはいえ、琴代ちゃんには申し訳ないことをした。これからは、できるだけ前と同じようにしないと。
身支度を整え居間に戻ると、父が起きてテレビを観ていた。
父は寡黙な人で文句がある時だけ口を開くタイプの人。まぁ、この年代によくいる、あまり家庭を大事にしない男性といった感じだろう。義父である賢治の父親も同じような人で、賢治はそんな義父をすごく嫌っていた。
「もう行くのか?」
うぉ。お父さんから話しかけてくるなんて、今(令和)だって珍しい。
「う、うん。どうかな?」
私は制服姿を見せようと、その場でくるりと回った。その姿を父はテレビから一瞬視線を外しチラッと見る。
「……うん」
一言そう言うと、またすぐに視線をテレビに戻した。
うん? それだけ? もっと何かないの? よく似合ってるなとか、綺麗になったなとか。まぁ、タイムスリップして父の性格が変わっていても問題か。
私と母は電車の時間に合わせて家を出た。昨日と同じ道を駅まで歩く。電車に乗り二十分ほどで市の中心である桜城駅に到着。ここから更に十分ほど歩くと、母校である県立桜城女子高校にたどり着く。
母は中心街まで出てくるのが久しぶりのようで、帰りに色んな店に寄る話をしている。すでに目的がズレてきている気がするけど、そういうところが母らしい。
校門を入ったところで母と別れた。保護者は直接、入学式が行われる体育館に行くようだ。
私はクラスを確認するため、玄関の前に張り出されている掲示板に向かった。確か、一年生の時は五組だったはず。五組から見ていくと、そこには私の名前がちゃんとあった。
最初、見つからなくて焦ったけど、考えてみれば現在の私は『平井』ではなく『佐藤』。五組に私の名前があったということは、やっぱりタイムスリップなのだろう。
掲示板の前から離れようと振り向くと、入れ違いに来た少女に目が留まった。
あれは……、春ちゃん?
見た目が今と少し違うけど、そこにいたのは私の親友の春ちゃんだった。
「春ちゃ……」
春ちゃんこと『
すぐにでも声をかけたいところだけど……、今はまだ知らないふりをしないと。私は親友の姿に後ろ髪を引かれながらも、自分の教室へ向かった。
教室に入るともうすでに多くの生徒が来ており、ほとんどの
ちなみに、私の中学からこの学校に進学したのは、私を含め二人だけだと記憶している。もう一人の
黒板に貼ってある席順に従い席に着くと、私は前後左右の
「おはよう。ひら、じゃなくて、佐藤智子です。よろしくね」
それぞれに挨拶をすると、今になって左隣の
友チンだ!
友チンこと『
彼女は早くに結婚したけど三十手前で離婚し、その時には子供も大きかったため、あえて名字を元に戻さなかった。そのため最初、彼女だと気づかなかった。
「田中友美です。よろしくね。佐藤さんはどこ中?」
みんな大人しくしている中で彼女だけが話しかけてきた。そうそう、彼女は結構お喋り好き。琴代ちゃんほどじゃないところが、私にはちょうどいいのだろう。
「長橋中ってわかるかな? 湯原なんだけど」
「アハハ、ごめん。私は西島団地なんで、聞いても分からないや」
知ってる。西島団地の坂の途中、赤い屋根の彼女の家に何度か遊びに行ったことがあった。
「初日ですっごいドキドキしてたけど、話せる人がいてよかったー。しかも、佐藤さんて、なんか初めて会った気がしないくらい話しやすいし」
それを聞いて私はハッとなった。彼女とはクラスで仲良くなったのは間違いないけど、それって初日からだっただろうか。そもそも、あの頃の私は人見知りをする方だったので、自分から挨拶などしなかった気がする。
前と同じにするように気を付けなければと思ったばかりなのに、早速やってしまった。まぁ、どうやって彼女と仲良くなっていったのか思い出せないので、どの道ではあるのだけど。とはいえ、浮かれていないでもう少し慎重にいこう。
その後、滞りなく入学式が執り行われ、教室でいくつか連絡事項が伝えられた後は午前中で下校となった。
校舎や同級生や先生、校歌や教科書など、ほとんど記憶の通りだった。やはり、これはタイムスリップで間違いないようだ。
ところで、賢治も同じようにタイムスリップしているのだろうか。きっと私と同じように実家にいるのだと思うけど、住所は分かるけど電話番号は分からない。それに、もし彼がタイムスリップしていなかったら、連絡したことによって歴史が変わってしまうかもしれない。
とりあえず、賢治に連絡するのは最終手段として、今は三十五年前を思い出しどう行動するか考えよう。
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