第5話.あどけない少女

 ピピピピッという、安っぽい電子音が突如部屋中に鳴り響いた。非常に気に障る音で、布団を被ったくらいではやり過ごせそうもない。


 もー! うるさい! んー、スマホ、スマホ……。


 枕元を目を閉じたまま探るが見つからない。寝る時にスマホはいつも枕元に置いているので、すぐに見つかるはず。布団の外に落ちたのだろうか。


 諦めてハーっと大きく息を吐くと目を開けた。すると、そこには見慣れない光景が広がっている。


 左右に大きめのタンスがそびえ立ち、部屋は私が寝ている布団が敷けるスペースくらいしかない。足の先にある窓のカーテンは閉じられているが、そこから漏れている光で部屋の様子を確認することはできた。


 ここ……、どこ?


 あまりの驚きに、けたたましく鳴る電子音が耳に入らないほど。しばらくぼーっと部屋の中を見回していると、ドカドカと誰かが近づいてくる足音がして脇のふすまがガラッと開けられた。


「智子ちゃん、起きてないの? ……あら、起きてるじゃない。うるさいから目覚まし止めて。お父さん起きちゃうから」


 突然入ってきた人に私は体を強ばらせた。眩しくてよく見えない。


 誰? まさか強盗!?


 その人は呆れた様子でハーっとため息をつくと、足元にある目覚まし時計を止めた。


「寝ぼけてるの? 起きて早く朝ごはん食べちゃって」


 私が呆気に取られていると、その人はハハハッと笑いながら部屋の外に出ていった。


 聞き慣れた声と話し方、そして改めて部屋の中を見回す。


 あれって……、お母さん? ここって……、昔の実家? えっ!? なにこれ!?


 わけが分からない。とりあえず、寝る前のことを思い出してみることにした。


 確か賢治と車で実家に向かってて……、そうだ! 車(?)みたいなのが突っ込んできて……、で、どうなったんだっけ? 賢治は!? 賢治はどうなったの!?


 私はキョロキョロと部屋の中を見回した。彼の姿はない。


 あー、そうかそうか、これは夢か。えーっと、なんとかだったかな。きっとそれだ。なんだ、そうか。


 彼のことが心配なのですぐに目を覚ましたいけど、目覚める方法が分からない。開いたふすまの先からは、「智子ちゃん!」と私を呼ぶ声が聴こえてくる。


 どうしよう……。ちょっと怖いけど、とりあえず行ってみるか。


 私は起き上がり、呼ぶ声の方に向かった。



 今は無き、懐かしき生家。


 公営住宅である私の生家は三十歳の頃に取り壊されている。今の実家は、ここから少し離れた所に新たに建てたもの。なので、新しい実家には住んだことはなく、私の中では昔のこの家が実家のイメージだ。


 しかし、こんなに狭かっただろうか。夢なので実際とは少し異なるのかもしれない。でも、それを差し引いてもこの夢の完成度はすごい。この夢のソースは私の記憶なのだから、自分の記憶力も捨てたもんじゃないなと感心した。


「ぼーっとしてないで、ご飯の前に歯を磨いてきなさい」


 夢の中の母が部屋を見回している私に促した。私の夢なんだから好きにさせてほしいと思いながらもやはり母親、とりあえず従っておくか。私は記憶を頼りに洗面所に向かった。



 洗面台の前で私は立ち竦んでいる。そこには、大きく目を見開いた驚き顔のあどけない少女。


 うぉー、若い! こんなに肌がキレイだったっけ!? 張りがあって、もちもちしているし、なにより染みがほとんどない。太ってはないけど……、少し丸い? まぁ、若い時って、こんなもんだよね。おー! 前髪作ってたのっていつまでだったろ? 三十? いやー、私にもこんな時があったなぁ。ウフフッ……、で、歯ブラシどれだろ?


 自分の歯ブラシがどれなのか分からない。青いのは父のだとして、おそらく黄色かピンクのどちらかだろう。


「お母さん! 私の歯ブラシってどれだっけ?」


 これが現実なら頭を疑われるのだろうけど、どうせ夢だし適当に訊いてしまおう。


「なに? 忘れちゃったの? ピンクのやつでしょ!」


 私がまだ寝ぼけていると思ったのか、夢の中の母はアハハッと笑っている。


 歯を磨いて台所に戻ると、母と一緒に朝食をとった。母と朝食だなんて何年ぶりだろう。震災の後に実家に身を寄せていた時以来なので十三年ぶりかな。私は食べながら母に尋ねた。


「お父さんは?」


「帰ってきてまだ寝てるわよ」


 父は薬品工場で三交替で働いていた。どうやら、夢の中の父は昨日は夜勤だったようだ。夢の中でまで働かせてしまって申し訳ない。


「そっか。今日って何日だっけ?」


「休みすぎて忘れたの? 六日でしょ? 明日の入学式、忘れないでね」


 夢の中の母はケタケタと笑っている。今と変わらない感じだ。しかし、入学式ってなんだろう。この夢はいつということになっているのだろうか。


「お母さん。今日って何年の何月何日?」


 私の質問に夢の中の母はキョトンとしている。


「なに? なにかお母さんを試してる? 占いとか?」


「いいから答えて!」


 私の真剣な様子に、夢の中の母は諦め顔で小さくため息をついた。


「平成元年の四月六日ですよ」


 なるほど。平成元年だから……、1989年。三十五年前、私は十五歳か。どおりであんなに若かったわけだ。


 一人納得していると、夢の中の母が怪訝そうな顔で尋ねてきた。


「で、なんなの?」


「なにが?」


「なにがって。占いなの?」


「違うよ。なんでもない」


 適当に答えると、夢の中の母は少し不機嫌そうだった。

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