第8話 朝駆け

「ほんとに私でいいの、処女じゃないよ」

「俺も処女じゃないよ」

 巧は明日香の唇に人差し指を当てると、笑いながら言った。どこかの映画の中で聞いたようなセリフだ。

「もう俺を裏切ったりしないでしょ、二度とあいつには逢わないでしょ」

 明日香は、即座に首を縦に振った。全く躊躇がなかった。

 どうしてかわからないが、あれだけ逢いたかった男のことがもうどうでもよくなっていた。


「ならもういいよ、君が俺を選んでくれたんだから、過去のことは言いっこなしにしよう」

「ありがとう、大好き」

 巧は、明日香にキスをすると、そのまま体を押したおしていく。二人の心臓の音が二人の耳に大きく響いている。

 舌が絡み合い、巧の手がブラウスの下から潜り込んでくる。暖かい、と明日香は思った。


 急に下腹部に違和感が起こった。あれ、そういえば、ここんところバタバタして落ち込んでいて忘れてた。

「待って」 

 明日香は巧の身体を押した。

「ごめん、始まっちゃった」

 え、という表情をした巧はすぐに事情を理解すると笑い出した。


「もう、どうすんだよこれ、こんなに大きくなっちゃって」

 巧が何を言ったかわからないような、かまととではない。

「出してあげよっか」

「いやだ、そういうこと言うと要らんこと思い出すから、やめてくれ」

 明日香は自分のうかつさをの責めた。その通りだ未経験の女の子からは絶対に発せられない言葉だった。

「ナプキンあるの?」

 巧がさらっと聞く。確か予備が一個はあるけれど、朝まではもたない。どうしよう、せっかくの夜なのに。

 自分はなんてタイミングが悪いんだと、明日香は落ち込んでしあった。


「仕方ないね、今日は帰ろう、いいさもう逃げないでしょ、明日香は」

 飲んでいるから車は使えない、巧はタクシーを呼んでくれた。そして、家まで送ってくれた。


 玄関のドアをこっそり開けて、部屋に戻った。着替えて、タバコを吸うと、じわじわと幸せが込み上げてきた。

 本棚にノートが並んでいる。日記だ。働き始めてから始めた日記、昔の男との一部始終を書き記してある。

 一纏めにして紐で縛った。もう二度と書かない読まないつもりだ、少なくとも今までの続きを書くつもりはなかった。


タバコの始末をしてベッドに入ると目を閉じた。この一週間そして今日のことが次々と頭に浮かんでくる。

胸に触れた匠の手の温かさを思い出しながら、このさきのことを、考えてもみた。彼は本当に私でいいのだろうか、私は彼にふさわしいのだろうか。

いつのまにか眠りに落ちていた。


 玄関チャイムの音がした。誰だろうこんな時間に。

「おはようございます」

 巧の良く響く声が聞こえ明日香は飛び起きた。え、うそ、何しにこんな時間に。時計を見て慌てた。十一時だった、朝っぱらという時間ではなかった。


「明日香、氏家さんよ、起きてらっしゃい」

 母親が自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ごめんなさいね、ったくだらしがないんだから、あの子ったら」

「いえ、今日は明日香さんというより、ご両親に」

 焦って着替えた。明日香には、巧がはとんでもないことを言い出すような気がした。


 巧は、母親をどう手名付けたのか居間で父親を前にして座っていた

「おはよう」

「これ、まずお父さんと、お母さんに、灘の酒と大福です。」

 どういう取り合わせだ、と思う。

 

「明日香さん、俺の横に座って」

「あ、お父さんはそのままで、お母さんもそちらに」

 巧が、あっけに取られてる三人にてきぱきと指示をする。


「私の両親は、すでに亡くなっています。それでこんな形でごあいさつすることをお許しください」

 巧は正座をしている、つられて三人も姿勢を正してしまった。

「単刀直入に申し上げます。お父さんお母さん、明日香さんを私に下さい、安月給の公務員ですので楽はさせられるかは分かりません、でも幸せにすることは誓います」

 巧は、深々と頭を下げた。

「お父さんお母さん、私も巧さんと結婚したい」

 それだけしか言えなかった、涙があふれてきた、きっと顔はひどいことになっているだろう。恥ずかしさもあって、明日香は巧と同じように頭を下げた。


「ったく、近頃の若いもんは常識というものを知らんのか」

 父親が苦虫をつぶしたような顔で言った。

「娘にそこまで泣かれたら反対もできんだろう」


「ありがとうございます、式とかの話はおいおい」

「いいわよ、それはあなたたちの好きで。氏家さん、こんな娘ですけどよろしくお願いします」

 母親が頭を下げた。


「お昼何か取りましょう」

「夜は飲むか」

「いいですね、じゃ、車おいてきます。明日香さん、婚約指輪見に行こう」


「びっくりしたぁ、巧ったらやること無茶苦茶」

「なんでさ、伸ばしたらまたほかの男に取られるかもしれないし、体の方の既成事実を作れなかったから。親を取り込めば、絶対逃げられないでしょ」

「家出するかも」

「そんなことできないように、今日から一緒に暮らそうかと」

「本気?」


 この人はやりかねない、行動力がめちゃくちゃだ。

「まさか、そこまで俺は非常識じゃない。それに明日香は絶対逃げたりしない、俺にべたぼれなんだから」

「しょってる」

 その通りだと思う、この人が大好きだ、心底そう思っていた。私もこの人を幸せにするんだ、明日香はシフトレバーを握る巧の手に自分の手を重ねた。










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