モモの木の青いバラ

バル@小説もどき書き

未来からおやすみ

 何でもない日の帰り道。楽しみなこともないし、同じようなことが繰り返されるだけの日々。唐突にいつもと違うことがしたくなって、海沿いまで来ていた。日が傾いてオレンジが反射し、いい写真が撮れそうな具合に目に悪い景色が広がっていた。この光の中で自転車を漕ぐのなら不意に前が見えなくなる覚悟をしておかないといけないだろう。

 早めに訪れた秋は汗を無縁のものとしてくれたが、夏服で過ごすには若干心もとない。そこに海風が加勢しているのだからこの場を立ち去りたくなるのは当然のことだろう。風に煽られた髪が鬱陶しく頬をたたく。それを手で払い、不意に海の方を向くと光の海の中に、とんでもない美少女が居た。風に揺らぐ長い黒髪。スカートからのびる長い脚。夕日を背にしてカッコよさ、というか神々しささえあるように思える。何を思っているのか、砂浜で目を閉じながらやさしく微笑んでいる。そんな彼女が私の頭の中を空っぽにし、動くのを忘れさせることは容易だった。

 私、きよひろはこの時、一目惚れが実在するものであることを理解した。



 私は今この時を楽しみ、充実させることで、後悔を残すようなことにはならないと思っている。過去を振り返って、いつだって全力で楽しんでいたら後悔なんてあるはずがないのだ。少し過激な言い方をすると、いつ死んでもいい生き方をしたいと思っている。そのはずなのに……

 私はあの時彼女に声をかけるべきだったのだろうか? 突然声をかけたり、見とれていたりしたら変に思われる気がしたのでそそくさと帰ってきた私の判断は正しかったのだろうか? なんてことだろう。この私が過去のことでこんなにも悩んでいるなんて。過去に戻ることはできない。先のことを考えないと。私が彼女について唯一知っていることは、私と同じ制服を着ていたこと。もう二度と会えないわけじゃない。早ければ明日にでも会うことができるだろう。会えたら、話しかけて、仲良くなれたりするだろうか。 ……なんだかすごくドキドキしてきた。こんなんで大丈夫か? こういう日は早く寝るに限る。明日のことは明日の私に任せるのだ。



 次の日、私はいつもより早く学校に来ていた。当然だ。一秒でも早く彼女に会いたい。いつもギリギリに登校する私が早く来ているので珍しがられていろいろ話しかけられたが、適当にあしらっていった。私は昔から何かに執着しない性格だった。興味の対象が変わりやすいというかなんというか。希薄な奴だと思う。そのせいでコミュニティやらグループやらとの関係が悪くなったこともあった。今もそうだ。昨日と今日で、たくさんの友達からただ一人の彼女の存在に興味が移っている。出来ればこの性格は彼女には隠しておきたい。今までのように嫌われたくは、ない。



 自分の席に座って一息つく。落ち着きが必要だ。この衝撃的事実をいったん自分の中で受け止めて、平静を保てるようにならなくてはならない。このままの状態で不審者と思われかねない。まさか同じクラスだったとは。しかも席二つ分の距離。そんなことある? 気づかなかった。いよいよ私の目もダメになっているのかもしれない。言い訳をするようだが、今と昨日で彼女の雰囲気は全然違う。教室にいる彼女を一言で表すなら文学少女であると言える。別に本を読んでいるわけでも眼鏡をかけているわけでもないが、雰囲気がそんな感じなのだ。昨日の姿にはどこか開放感がありとても自由でいる気がした。今はとてもおとなしく、周りと少し距離を置いたインドア少女みたいな感じだ。かくいう私は表面だけで人付き合いして、肝心な時にはウダウダ考え事して何もできない小心者、か。

 ようやく落ち着いたというタイミングでホームルームの時間を告げるチャイムが鳴る。なんとも間の悪い。いつも数分遅れて教室にやってくる担任は今日に限って数分前から教室で待機している徹底ぶりで私の出鼻を挫いてくる。本当、嫌になる。



 授業合間の休憩時間。私は彼女に話しかけようと試みたが、いわゆる“いつものメンバー”というやつに話しかけられ、どうしようもなかった。こんな奴ら無視してやってもよかったが、私の目的は数歩先である。ついてきたりちょっかい掛けられたりする可能性もある。そもそも私のそんな姿を彼女に見られかねない。私は彼女と二人で話したいのだ。しょうがないので、メンバーには昼は用事あるから先にいつものところ行っといて、と伝えておいた。このメンバーはいつも昼になると各々昼食をもって中庭に行く。つまり教室にいないのだ。これを逃す手はない。

 そういう過ごし方の休憩の間、目の端で彼女を見ていて分かったことが二つある。一つは、彼女の名前は「友山鈴華」というらしい。出席番号は10番。彼女が休憩時間のうちに机の上に準備したノートの表紙に丁寧な字で書いてあった。鈴の華。なんていい名前だろう。鈴と聞くと透き通った心地よい音を私は思い浮かべる。その華である。さぞ美しく、心安らぐものなのだろう。もう一つは、雰囲気は違っても彼女は美少女であるということだった。そんな彼女は孤立しているわけではないが、仲良く話す友人もいないといった感じだった。こんな美少女を放っておくとは、このクラスは全体的に腐っているのか、私が心酔しているかのどちらかだろう。恐らく後者なのだろうがそんな事実は何の意味も持たない。私は彼女と接点が欲しいのだ。




 ようやく昼休みになった。食欲以外でここまで昼を待ちわびたのは初めてかもしれない。心の準備はできている。いざ。

「ともやま、すずかさん? ちょっといい?」

「清弘萌望音さん、どうしたの? あ、私の名前はりか、だよ。たまに間違えられるんだ」

 とても優しい声色で私に微笑んでくれるその顔は、あのときと同じものだった。かっわ。しかし、私はまたも処理しきれない情報量を抱え込むことになってしまった。しかも考えている時間はほとんどない。整理しよう。まずは彼女がとてもかわいいこと。これは考えてもどうしようもない。次に私の存在が把握されていたこと。名前をフルで知ってもらっている。どうして? 接点なんてなかったはずだ。もしかして私が忘れてるだけということはないだろうか。もしそうなら過去の私を恨む。最後に名前の読み間違えたこと。最大のやらかしである。なんてことだ。というか、ちょっといいって声のかけ方は不自然ではないだろうか。仮にも初対面と思って声をかけているのに。これはもう取り返しがつかないのではないか。とりあえずなにか言って会話をつながないと。

「私のこと知ってるの?」

「もちろん知ってるよ。勉強も運動も何でもできて、友達も多い。学校のほとんどの人と友達なんじゃないかって噂されてたよ。そんな清弘さんが私とも友達になりに来てくれたのかなって思ってうれしくなっちゃった」

 なんかすごい把握のされ方してる……そんな噂本人は知らないのだけれども? 何でもできる気質があるのはなんとなく自覚してる。でも人のことをスーパーマンみたいに噂しないでほしい。あ、スーパーウーマンか。それにしてもかわいいなこの子。直視できない。

「あ、私のことはモモって呼んで。みんなからもそう呼ばれてるの」

「モモちゃんだね。分かった。ところで、モモちゃんは、友達になったらお互いにあだ名で呼び合うって聞いたことあるんだけど、私にもあだ名付けてくれるのかなぁ?」

 この子やばい。破壊力がすごい。少なくとも私にとって効果が強すぎる。それにしても、私が想像してた以上に展開が早い。今日のところは知り合いになって、段々と仲良くなっていければいいなぁくらいに考えていたのに。一目惚れの相手が私と二人で話してくれて、しかも私のことを変な噂でとはいえ知ってくれてる。SNSで見る尊死ってこういう気持ちのことを言うのだろうか。違う?

「スズ……って呼んでもいい?」

「はーい。スズでーす」

 軽く手を挙げてそう答える彼女の、スズの一挙手一投足に私の目は奪われる。一目惚れしたと言いながら、正直疑っている部分はあった。それは見た目だけで好きになるという意味だからだ。でも、

「これはガチなやつだなぁ」

「なにが?」

 やば。声に出てた。既に脳内語彙は「ヤバい」に九割くらい持っていかれているというのに。これ以上考えなくてはいけないことを増やさないでくれ。

「あ、いや、えっと、。

 ……昨日、海、居た?」

 なんか喋り方とか間の取り方とかめちゃくちゃになってしまった気がする。ルール至上主義の人が近くに居たら怒られていたかもしれない。話し方のルールってなんぞ?

「あの自転車押してたのってモモちゃんだったの? 海で泳いだりってのはそこまでだけど、この時期の海を見るの好きなんだ。今日も行くけど、来る?」

「行く!」

 喰いついていた。私の脳は既に考えるということを放棄して、全てを条件反射のように返すことにしたらしい。良く言えば自分に正直。悪く言えば考え無し。

「そういえばモモちゃんお昼食べた? まだなら一緒に食べよう? もう食べてたら私の話し相手になってくれたらうれしいなぁ」

「あ、まだ。ほら、お弁当」

 どうやらこの「モモ」という生きものの鳴き声は「あ、」らしい。この後スズと一緒に昼を過ごし、海に言ったりしたのだが、終始タジタジだったのでその話は私の胸の内で留めておきたくなった。もしそれらを語るとしたら、スズと二人のときだけだろう。立ち入り禁止、一般人お断りというやつだ。




 あれから少しの時間がたった。一ヶ月くらいだろうか。私のそれまでの人間関係は徐々に希薄になっていき、スズと共にする時間が増えていた。平静を保ってスズと会話できるようになったと言っても嘘ではないだろう。


 それなのに、その休日は珍しく私一人で外出していた。特に用事があるわけではなかったのだが。なんとなく外に出なくてはいけない気がしたのだ。目に見えない不思議な力があるのだとしたら、それが働いたのかもしれない。目的もない、予定もない、もちろんやることはない。家を出たはいいがどこへ向かったものか。そんな外出はすぐに飽きるもので、早々に家に帰ろうとしていた。家を出た時間が遅かったのもあり、日も傾き始めている。今から海に向かえばちょうどあの日のようなオレンジの瞬きを見られるのではないだろうか。それほど遠くないので海を見てから帰ることにした。その道の途中、交差点で信号待ちをしている時、反対車線を歩くスズを見つけた。ラッキーだ。信号が変わると同時に急いで向こう側に渡り、その背中に追いつく。

「スズ」

 私の呼びかけに振り向いたのはスズによく似ているがどこか雰囲気の違う人だった。スズのお姉さんだろうか?

「あ、モモ久しぶり。どうしたのこんなところで?」

 私の違和感をよそにいつものことのように話しかけてくる。声も同じ。表情も話し方もスズと同じ。私の知っているスズのはずなのに、違和感がある。私の知らないスズと話しているようだ。

「散歩、だよ。スズは?」

「私もそんな感じ。ほら、モモと初めて会ったのは海でだったよね。あのときも今日みたいに散歩してたんだ」

 一緒に海まで行こうか。スズの誘いを断る理由はなかった。しかし一体なんなのだろう。この違和感は。スズのせいでタジタジになったり、目を見られなくなったり、つまるところ私が変になることはある。よくある。最近は減ったと信じたいが、あるものはある。しかし、私がスズに対して違和感を覚えることなんて一度だって無かった。だからこそ、この違和感の正体が気になるのだ。

「私はモモのこと結構好きなんだ」

「へ……好き?」

「うん。LOVEだよ」

 不意を突かれた。何が起きたのか。スズは今なんと言ったのか。LOVEと聞こえた。どういうことか。自分の耳で聞いたことなのに理解が追い付かない。身体を動かすことを止め、すべてのリソースを思考のために使う。それでも状況把握が精一杯でそれ以上何も分からない。アルファベット四文字、カタカナにしてたった二文字のそれに私の全ては持っていかれてしまった。これはスズの本心なのか、軽くふざけているだけなのか。前者であれば、私は未だかつてないほどの幸福感を得るわけだが、後者だと結構凹む。ここは大事なところだ。今後のスズとの関係的にも、私の精神的にも。私の解釈とスズの気持ちがズレていたときが最も恐ろしい。どう関わっていいか分からなくなる。これまでがこれからでなくなってしまう。間違うわけにはいかない。私の今と未来が懸かっている。情報と思考時間と冷静さが足りない。

「モモは私のこと……好き?」

「……私は、スズのこと、好き」

 私は何を言っているのだろう。一手間違えればすべてが終わるこの状況で最も危ない言葉なんじゃないのかそれは? 出てしまった言葉は戻せない。私はもう戻れないところに来てしまったのだ。時間はまっすぐ、先にしか進まない。少なくとも私の知る限りそういうものだ。覚悟を決めなくてはならない。この次のスズの行動で私の未来が決まる。

「ありがとう。もっと早く言ってほしかったなぁ」

 うわああああ。スズが、優しく、でもしっかりと私のことを包んでくれている。本当に何が起こっているのか分からない。私に対して都合がよすぎる。実際に叫ばなかった私を褒めてほしい。スズのぬくもりが直接伝わってくる。夢なのだろうかと疑いたくなる。でもこの温かさは現実のもので間違いない。

「モモはすぐに、私の手の届かないところに行っちゃったから。もっと早くこうできたらよかった」


 スズのその意味ありげな言葉の先は何も覚えていない。気づけば私は自室のベッドの中だった。時は夜。記憶のないまま家まで帰り、眠ったのか。それとも今日一日ずっと寝ていたのか。部屋の様子を見るに外出したことは現実らしい。となると今日起きたことは全部夢、というわけじゃないらしい。でもやっぱり今日のスズはどこか私の知っているスズとは違ったように思う。どこが、と聞かれれば答えられないがそこは自分自身を信じたい。それに、私がスズから遠ざかる? そんなようなことを言っていた気がする。スズに愛想尽かされて私が捨てられるならまだ分かるけど。

 私はこれまで、過去や未来について考えることは少なかった。そのどちらもが、考えて何かが変わるようなものじゃないからだ。私の信条は今を全力で楽しむこと、だったはずなのに。私が私でなくなったような気がする。



 次の日、学校にいるのは私の知っているスズだった。何が違うというわけでもないがそんな気がする。はっきりと言葉にできない違いを勘のようなもので感じ取ったものが違和感として受け渡される。それが無い。昨日はあった。それだけだ。

「スズってお姉さんとかいるの?」

「ん? 私一人っ子だよ」

 私の中で一番有力な説がなくなってしまった。まぁスズのお姉さんだったとして説明できない箇所も多いのだが。スズって呼んで振り返ったところとか、私を知ってるところとか。

「えっと、スズ昨日は何してた?」

「え? 昨日は……ずっと家の中にいたよ?」

 言葉に詰まるスズが若干気になりながらも、家の中で何をしていたかなんて言う必要は無いし少なくともこんな雑談レベルでは私も言わないだろう。しかしそれでは昨日のは何だったのだろうか。やはり夢なのだろうか。

「昨日、スズにそっくりな人に出会ったよ」

「へぇ。私かどうかわかんなくなるくらい似てたんだ。どんな感じだったの?」

 なぜ私はこの話題を振ってしまったのだろう。昨日あったこと。海に行って、好きだと言われて、ハグをした。簡単に言ってしまえばそうなる。それだけだ。しかしそこには私の感情が複雑に絡み合っていて、それを一言で言い表すことなんてできるわけがないのだ。私自身が整理しきれていないことをどうすれば説明できるのか。できるはずがない。そもそもまだ夢であると疑っているわけで。この話題を始めてしまった時点で、私は墓穴を掘っているのだ。


「週一のドラマ並みに気になる途切れ方をさせるね。でも、モモって私のこと結構好きでしょ? 私もそうだけど。そんなモモが見間違えるような人がいるっていうのは気になるなぁ。ドッペルだったら私死んじゃうかもだし」

 いつまでたっても口を開かない私にスズはそう言った。ドッペル云々は冗談として、私が気にしないといけないのは、スズの発言の“私もそうだけど”の部分だ。つまり、スズも私のことが好き? それも結構? 私の正気に揺さぶりがかかる。でも、ここで浮かれるわけにはいかない。

「ら、LIKE……?」

「え? うん。ライクライク」

 そういうことなのだ。スズの言動一つ一つに一喜一憂するのはもういつものこととして、それを過信したり思い込んだりしてはいけない。それは私の身体を侵食していき、蝕み、いずれ現実との落差で滅ぼしていくだろう。それを阻止することはできないけれど、都度現実を正しく受け止めることで遅らせることはできる。正直、スズが私のことをどう思っているかは分からない。ただのクラスメイト、話の合う友人、仲のいい親友、それとも私が思うように思ってくれているのか。スズとはいつまで一緒に居られるのだろうか。クラス替えで別のクラスになっても私は会いに行くだろう。大学生になったら、県外に行ってしまうかもしれない。そうなれば気軽には会えない。連絡を取り合ってくれるだろうか。それとも離れ離れになってしまうのか。もし大学が一緒だったり近かったりしたとして、社会人になったらどうだろうか。考えたくはないが、大喧嘩して嫌われるかもしれないし、事故にあってしまう可能性だってある。私はいつまでスズと一緒に居られるのだろう。

「どうしたの、スズ?」

「あ、いや、えっと、黒い考えに支配されてた」

「なにそれ」

「私は、少しでも長くスズと一緒に居れたらいいなと思う」

 嫌な考えを振り切ろうと見切り発車でなんか言っていた。段々と声は小さくなっていくし、一緒だと楽しいから、とかいう言い訳を付け加えてしまう始末だ。

「一生一緒に居ようねってこと?」

 一緒は楽しいからねーとスズは笑いながら言う。やはり私には、スズが何を想っているのか分からない。



 一人の帰り道。結局昨日のことは夢だったのか何なのかはっきりしなかったし、いろいろと考えたいこともある。そんな中でも確信を持てるのは、私は今を大事にし、スズと共に居たいと願っていること。いつ死んでもいいと思えるように、毎日を全力で生きる。いつか、私の身体と心が朽ち果てるその日まで、私はスズの元を離れないだろう。本人に拒絶されでもしない限り、私は離れない。絶対に。頭の下に硬いものを感じながら、眠りにつこうとしている思考の中で、そう、思う。思った。

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