第8話 大団円
ゆかりが目を覚ましたのは、それから、数時間後の早朝ということだった。帰宅途中だったので、事故が遭ったのは夕方くらいだっただろうか?
それから救急搬送され、緊急手術、数時間は要しただろうから、手術が終わったのが、深夜に差し掛かることだっただろう。それから麻酔が切れるまでということなので、まだ、世の中が活動を始める前の、まだ表も暗かった時間帯かも知れない。
実は渡良瀬はあれから少し体調が悪くなった。血液を抜いているというのもあったし、たぶん、慣れない病院で、薬品の匂いに気持ち悪さが重なったに違いない。途中位までは意識があったのだが、時間の感覚もマヒしていたはずなので。どれくらいまで意識があったのか、まったく覚えていない。
記憶にあるのは、血液を抜かれている間、頭が心地よくなって、そのまま眠ってしまったということで、そのあと、どれくらい経ったのか、頼子に、
「ゆかりは大丈夫だ」
ということを教えてもらったことくらいだった。
意識が朦朧としていたので、本当に頼子と話をしたのが夢だったのではないかというほど曖昧だったことを思うと、早朝の目覚めは、だいぶ意識が戻ってきているように思えた。
それでも、深い眠りから目覚めたはずなので、若干の頭痛が残っているのは否めなく、今が早朝であるということも、よく分かったと思うほどだった。
しかし、本当に早朝なのは間違いないようで、見回りにきた看護婦さんが、
「渡良瀬さん、大丈夫ですか?」
「ええ、だいぶ眠ってしまったようですね」
というと、
「そうですね。最初は息をしていないのではないかと思うほど静かな眠りだったんですが、途中から、鼾を掻くくらいにまでなっていたので、こちらも安心しましたよ」
と、言って、笑顔を見せた。
「そうですか、鼾ですか。まあ、普段から自分の鼾を感じることなんか、普通はできませんからね」
というと、
「ええ、それももっともなことですね」
と、看護婦は、さらに笑った。
「今何時頃ですか?」
「朝の五時を回ったところですね。そういえば、ついさっき、天ケ瀬さんが目を覚ましたそうですよ」
「えっ? ゆかりちゃんが? それはよかった。輸血を行った甲斐があったというものですよ」
「ええ、そうですよね。結構大変な手術だったようなんですが、ちょうど名医と言われる先生がおられたこともあって、結構スムーズに手術もうまく行って、よかったと思いますよ」
と言われた。
「それならよかった。昨夜、彼女のお姉さんとお母さんが話してくれたのも、ほぼ似た話だったので、僕も安心しました。だから、鼾を掻いて寝ることができたのかも知れないですね」
というと、
「ええ、安心すると、人間は変わりますからね。あれだけ顔色が悪かったのに、今は顔色もよくて、よかったです。今なら食事も摂れますよね?」
と言われ、
「ああ、そういえば、お腹が減ってきましたね。いわれて気が付きましたよ」
と言って笑うと、
「気が付かないくらいに緊張されていたということでしょう。もう少ししたら、朝食が出来上がるので、渡良瀬さんの分は、早く持ってきてもらうように手配させましょうね」
「ありがとうございます。病院食とか食べたことないので、ちょっと楽しみかも?」
「味気ない味付けですよ。だから、病院食なんですけどね。でも、渡良瀬さんは別に病人ではないのだから、この後で、またお腹が空いたら、退院後、レストランで食事をすればいいですよ」
「退院してもいいんですか?」
「それはもちろん、だけど、渡良瀬さんの体調が本当に元に戻っていればですけども、でも、今のご様子からでは、大丈夫そうですね?」
「ええ、もちろん、もう、何ともないですよ」
と言って、身体を動かして見せた。
本当に、体調に問題はなかったのだ。
朝食が運ばれてきたのが、六時すぎくらいだっただろうか。先ほどの看護婦から、
「渡良瀬さんの朝食だけ、早めに持ってこさせますね」
という言葉を聞いていたので、あれで一気に空腹感が膨れてしまった。
空腹感で腹が膨れれば、それに越したことはないが、余計な空腹感が煽られるだけという、笑い話のようである。
確かに、病院食というのは、実に味気ない。ここまで味気ないものだったなどと思ってもいなかったが、完食してしまうと、今度は飽食間が身体に充満してきて。
「もういらないか?」
と感じるようになってきた。
ただ、食事を摂ると、体調が本当に戻ってきた気がしてきた。昨日のような病院の嫌な臭いも感じなかったし、あの臭いが少しでも残っていれば、この食事も完食ができなかったかも知れない。
確かに、おいしいとは思わなかったが、それでも今の自分にはちょうどよかった。
「皆病人なのだから、これくらいの食事がちょうどいいのだろうな?」
と、渡良瀬は感じたのだった。
食事を終えて、トイレに行こうと立ち上がると、ナースステーションがあり、その奥は赤々と電気がついていた。
「何か見覚えのある光景だ」
と思ったが、
「そっか、昨日入った集中治療室だ」
と分かるまでに少し時間が掛かった。
あの時はすべてがあっという間のことだったのだが、それ以上に、目の前を走馬灯が通り過ぎていったかのように感じ、まるで、連続写真を見ているような、コマ送りに見えたのだった。
中に入ろうとすると、案の定、
「すみません、どちらまで?」
と、救急のナースステーションで呼び止められた。
「ああ、昨日交通事故で救急搬送された女の子の知り合いのものです」
というと、一瞬、疑いの目があったが、
「ああ、輸血に協力していただいた方ですね?」
「ええ、そうです。ところで彼女はこの中に?」
と聞くと、
「いいえ、手術を受けられて、今は救急ではない集中治療室の方に入っておられます」
ということであった。
「それはどちらですか?」
「あのエレベーターで三階にいかれて、エレベーターの前にナースステーションがありますから、そこでお聞きください」
と言われた。
手術前の輸血のためだったので、救急と同じ一階の処置室に渡良瀬は休まされていたようで、とりあえず、ゆかりの顔を見たいということで、三階まで行ってみることにした。会えるかどうかは、術後ということもあり微妙なところであるが、行ってみないことには気が済まない。
エレベーターの三階を押して、ゆっくり上がっていくエレベーターにもたれていた。さすがに病院だけあって、ゆっくりなエレベーターだった。
三階に降り立つと、確かに目の前にナースステーションがある。変な侵入者を見張るという意味でも、エレベーターの前にナースステーションがあるのだろうが、非常階段を使ったとすれば、その限りではない。病院というところのセキュリティや監視がどうなっているのか、興味を持ったものだった。
「すみません。昨日手術を受けた、天ケ瀬ゆかりさんの知り合いなんですが」4
というと、
「はい、今しがた一階から連絡がありました。ここをまっすぐに行って、左側のICUを書かれたお部屋になります」
ということで、渡良瀬は、またゆっくりと廊下を歩き始めた。
部屋の数は結構あるようで、途中にいくつものソファーが置かれていて、それも、病院にしてはフカフカの、どこかのホテルのような感じがするところだった。
ここは、大学病院でもこのあたりでは結構でかいところだということは知っているので、朝の寒さも身に染みるほど、廊下も広さを感じさせた。
一番向こうが非常階段なのか、そこから朝日がすりガラスを通して差し込んでくる、それが逆光となって、眩しいのだが、ICUの前のソファーに一人女の子がウトウトしているのが見えた。よく見るとそこにいるのは、三女のはるかだった。
「どうしたんだい? はるかちゃん。こんなところにいると、風邪を引くよ」
というと、
「ああ、おにいちゃん。大丈夫、ここは温かいから」
というが、確かにここは、思ったよりも温かい。暖房がかなり効いているのだろう。
いや、そういう問題ではなく、なせ、はるかだけがここにいるかということである。中に入ればいいものを、どういうことなのだろう?
「お姉ちゃんは?」
「さっき目を覚ましたみたいで、お母さんと一緒に中で、お話してるんじゃないかな?」
ということだったが、それよりも、はるかのことが気になってしまった。
「じゃあ、僕もちょっとここにいてみようかな?」
「いいの? 嬉しいわ」
と言って、はるかは、身体を預けてきた。
この子は、こういうところはあけっぴろげというか、変に人に気を遣わない。渡良瀬はそこが彼女のいいところだと思っているのだった。
「私ね。お姉ちゃんに悪いことしたのよ」
とはるかが言い出した。
「ごめんね。お兄ちゃん。あのデートしてくれた日があったでしょう? あの時、本当はお姉ちゃんの用事を強引に作ったの。私だったの」
「どうしてなんだい?」
「だって、お兄ちゃんと思い出を作りたかったんです。お兄ちゃんは、お姉ちゃんのどっちかときっと結ばれると思ったので、私は身を引かなければいけない。でも、思い出も何もないというのはつらいので、お姉ちゃんを欺いちゃったの。だから今回のような事故が起こったりしたんだわ。私がお姉ちゃんを騙したりなんかしたから」
といって、静かにしかし、大粒の涙を流すのだった。
「お兄ちゃんにも悪いことをしたと思うの。だから、お姉ちゃんたち、二人が不幸にならないようにしてほしいの。もう、私も悪いことはしないから」
と、言って、涙で濡れた目を、渡良瀬に向けた。
渡良瀬はそれを聞いて、
「ひょっとすると、ゆかりははるかの計画を知っていたのかも知れない」
と感じた。
渡良瀬は、今回の事故で分かったことがあるような気がしたのだ。
「ひょっとして、ゆかりは、二人とは血がつながっていないのではないか?」
と感じた。
もちろん、根拠も信ぴょう性も何もない。ただの思いつきだ。
しかし、もし、信ぴょう性があるとすれば、
「自分に、種違いの兄がいた」
ということである。
両親のどちらかが違っている兄弟を持つ人間には、そのことが分かる気がしたのだ。
それが根拠のあることだとすると、ゆかりが気づいたのであれば。頼子やはるかが気が付いたとしても、それはまったく無理のないことであろう。
この間、はるかがデートの途中で急に、
「ごめん。お兄ちゃん、今日は私このまま帰るわ」
と、遊園地の後、夕飯を食べたあと、デザートのおいしいお店を考えていたのだが、食事の途中くらいから、はるかは、何か思いつめた様子だった。
だから、急に帰るといったはるかに対して、引き留めることはできなかったのだった。
その時の様子がおかしかったことで、
「ゆかりと何かあったのかな?」
と思った。
ただの姉妹喧嘩ということではなかったのだ。
それを思うと。ゆかりの態度も、はるかの態度も、さらには頼子の様子も、何かいつもと違って見えた。しかし。それだけではない。きっと渡良瀬自身も、想像以上に違っていたことなのだろう。
渡良瀬が今考えていることは、
「天ケ瀬三姉妹だけを切り取って考えるのではなく、俺も含めた四人で考えないといけないところだってあるんじゃないかな?」
と思った。
もし、はるかが、今渡良瀬を自分の悩みの中に入れずに考えているとすれば、出るはずの答えは出ないような気がする。かといって、それを、二人の姉や、渡良瀬に聞くというのは、違う気がする。
さらにもう一つ考えることとして、
「ここに、今は亡き、僕のおにいちゃんがいたとすれば、輪の中に入れなければいけないのではないか?」
と考えた。
さらに、
「自分があの三人の中で一人を選ぶとすれば、それは、ゆかりなんだろうな?」
と感じた。
「それは同じ血が流れているというだけではなく、ゆかりが、一人だけ血がつながっていないからだ」
という思いがいあり、しかもそれを今回輸血という形で感じることができたのは、別に偶然でもなければなんでもない。
「ゆかりが助かったのも、あの世にいるお兄ちゃんが助けてくれたのではないか?」
と感じた。
というのは、
「もし、兄が生きているとすれば、僕と同じで、あの三姉妹の中から一人を選ぶことになっただろうが、すでにこの世にいないということで、兄にはゆかりが血がつながっていないということを分かっていて、この俺に教えてくれようとしていたのではないだろうか?」
と感じたからだった。
頼子が、選ばれることになるだろう。年齢的にもそうだし、性格的にも一番上同士、うまく行くことだろう。そうなると、あぶれてしまうのは、はるかだった。はるかは一は楽すべてを知っていて、
「お姉ちゃんたちを憎んだり恨んだりしてきたけど、考えてみれば、私が一番自由なんだ」
ということに気づいたのだろう。
だから、諦めと吹っ切ることを考えて、
「思い出作り」
のために、渡良瀬を諦めようとしたのかも知れない。
これから先、この四人にどのような運命が待ち受けているのか分からない。それを思うと、この扉を開くのが怖かった。
「ガチャン」
と扉を開けると、そこには、ゆかりは目を覚ましていて、眩しい視線を渡良瀬によこしていた。
そして、頼子と、おばさんの間に、逆光である後光に照らされた一人の男性がいたのだ。
「お兄さん」
と口に出してしまったが、三人の誰にも気づかれることはなかった……。
( 完 )
天ケ瀬三姉妹 森本 晃次 @kakku
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