第2話 ヤクザメイドと辺境伯家のひとびと

 アンズーザス辺境伯の屋敷に仕える下っ端メイド、ルーシィ・ウェンハムの朝は早い。屋敷の誰よりもはやく寝床を抜けると、まずは玄関からはじまり屋敷全体の掃除から始まる。

 がばりと布団を跳ね除けて飛び起きると、安物の姿見のまえで寝巻きを脱ぎ、掃除用の質素なワンピースに着替えた。セミロングの髪をひっつめて白いシニョンキャップで覆ってあげたら、小さくも立派なハウスメイドの出来上がりである。


(さぁーって、今日も今日とて親分オヤジのために奉公しゃすか!)

《オヤジじゃなくてオヤカタサマだよ、イヅツ!》

(おっと失礼、オヤカタサマ、オヤカタサマと……)


 アンズーザス辺境伯といえば代々忠義と勇猛で知られたトワイデン王国きっての名門である……が、それも数十年前までのこと。近年は国境での小競り合いを対処することがもっぱらで目立った武勲はなく、都から遠いゆえに社交界でも地味な存在だ。

 とはいえ山賊が出たら率先して兵を率いて民を守り、税率も良心的なため領民からは良き為政者としてけっこうな人気を得ていた。


 そんな辺境伯の屋敷は名門だけあってそこそこの広さだ。朝の掃除だけでも大仕事である。イヅツに任せて大丈夫だろうかというルーシィの心配をよそに、イヅツはてきぱきと手を動かす。


 石造りの玄関にはチリ一つ残さず、真鍮のドアノブはピッカピカ。イヅツの仕事を目にしてルーシィは目を丸くした。


《イヅツ、あなたって実は凄いのね!?》

「ふふん、儂はガキの時分からタコ部屋住まいの叩き上げでやんすからね。今日びの若いヤクザとは違ってゲソの上げ下げからでゃすから」

《ちょっと、私の身体で変な言葉遣いしないの!》

「おっと……これは失礼いたしました。私めは幼い頃より大親方様のもとで住み込み奉公をいたしました。家事の一通りでしたらお任せください」


 浅草の長屋で呉出身の兄貴たちに面倒を見てもらった井筒は、毎日のようにゲンコツをもらいながらヤクザ課業をイロハのイから教わった。ぺーぺーだった頃を懐かしく思い出してしまい、つい鼻の奥がツーンとなってしまう。

 

(いかん、昔を懐かしむ場合ではない。もっと深く……しっかりとルーシィ・ウェンハムになりきらなくては……!)


 コホンと咳払いするイヅツ。70年の付き合いであるエセ広島弁はすでに体の一部だが、長年同人誌のセリフ回しをこねくり回した経験がここにきて生きてきた。


(儂はルーシィ……私はルーシィ……マクダネル家につかえる誇り高きハウスメイド……)

《ちょっとイヅツ、怖いから頭の中でブツブツ喋らないで!》

「……っと、失礼いたしました。キャラの切り替えが完了したのでこれにて言葉遣いの心配は無用でございます」

《心配しかないよ……わたし、そんな上品な言葉遣いしたことないってば……》


 イヅツは完璧な中央語を操っていたものの、田舎育ちのルーシィは西部なまりがいまだ抜けきれなかった。昨日今日で言葉遣いが変わってしまえば周囲の人間も怪しむだろうと、普通なら心配するところだが……


《……でも、そうね。わたしだってアンズーザス領にやってきて3年も経つんだし、そろそろお館様の側仕えをしても恥ずかしくない言葉遣いを身に着けたっておかしくはないわよね?》

「私めもそう思います。ルーシィ嬢が真面目にお仕えしていたことは荒れた指先を見ただけでも痛いくらいに伝わってきます……お館様もきっと汲み取ってくださるでしょう」

《そっか……えへへ、ありがとね、イヅツ》

「恐縮でございます」


 はた目からだと少女がひとり言を呟いているようにしか見えないが、幸いなことにいまだメイド長たちが起きだすには早い時間である。広い庭で放し飼いされた鶏たちがこちらを見ているきがしたものの、それはきっと考え過ぎだろう。

 憧れの中央言葉を身に着けてしまったルーシィは、ニタニタと心のなかで笑っていた。


《よーし、それじゃあ次はファミリールームのお掃除よ!》

「ふふっ、承知いたしました!」


 えいえいおー! と雑巾を握りしめた手を掲げながらメイドの朝の課業は続く。


◆◆◆


「ルーシィ、その、身体の方は大丈夫なのかい?」

「そうよ。あなた昨日は大変だったの、もう忘れちゃったの? 今日はいちにちベッドで休んでいなさいな!」

「だ、大丈夫でございます。お館様、それにハンナも……私めはこの通り、体の丈夫さが取り柄ですので」


 お館様とメイド長に両側面からつめられて、さしものルーシィもたじたじだった。なまじ元気が取り柄だったルーシィなので、ここまでこの二人に心配された経験はめったにない……それこそ、故郷をうしなってからこの地にやってきた頃くらいのものだ。

 あの時は寂しくないよう、夜はハンナが一緒に寝てくれたものである。

 そんな干渉を吹き飛ばしてしまうほど、この日はお館様とハンナの圧が強かった。


(しまった、昨日の今日ででしゃばりすぎたか……)

《う〜、そんなことはないと思うけど……》


 ルーシィとイヅツの言い分ももっともである。平民出身の戦災孤児で、領主のお慈悲で館に召し上げられたメイド風情が、ちょっとの体調不良程度で課業を怠るというのはこの世界の常識にてらしたらありえないことだった。


 とはいえ昨日みせたルーシィの奇行は「ちょっと」どころの騒ぎではなかったし、館の主人もなかなかの変人である。メイド長のハンナもルーシィのことは娘のように可愛がっていたから、なおさら心配していたのだ。


 それに、昨日倒れたばかりのメイドが今日はピンピンと掃除して回って、あまつ普段よりもその出来が良いし、なにより喋りから田舎訛りが消えていた。

 世が世なら、土地が土地なら、悪魔憑きだと疑われてもやむ無しの出来事である。

 そして30年来のベテランであるメイド長のハンナは、領地と屋敷での仕事が多いぶんだけ世情に疎く、迷信深いところがあった。


 そこでシドたちを安心させるため、イヅツは一計を思いついた……そう、年頃の少女らしく元気に踊って見せればいい!


「ほ、ほら、お二人ともご覧くださいませ! わたくしこの通りすっかり体調が良くなりましたから! ほっ、はっ!」


 ……それは、無駄にキレ味鋭いヲタ芸だった。ひっつめ髪のクラシカルメイドが腕をブンブン回して上体をスウィングする姿に、気が触れたのかと二人の困惑は広がるばかり。いやむしろ視線が冷たくすら感じられた。


《バカイヅツ! お館様たちがよけいに怪しんでるじゃないの!》

(も、申し訳ありゃせん……同人イナゴだってイチャモンつけやがるアンチどもにはこの手のオタクアッピルをぶちかますのが常套手段だったもんで……)

《だからそのギョーカイヨーゴ? 難しい言葉は使わないでってば!》

(申し訳ありません、でしたら次からは阿波踊りで……)


 今度は腕をあげて手をひらひらさせながら踊り始めるイヅツである、シドとハンナの視線がいよいよ痛い。主人格だったかつてのルーシィは脳のすみっコでカタカタと身を小さくしていた……


「あれー? ルーシィ、なにその踊り! へんなのー!」

「じ、ジリーナお嬢様!?」


 8歳になるジリーナはルーシィのもとにかけよると、キャッキャと笑いながらジリーナのオタ芸を見様見真似で踊りだした。


「ジリーナもダンスを覚えたい! ねぇルーシィ、さっきみたいなダンスのやりかたを教えてよ!」

「おおっジリーナ……! なんて愛らしい踊りなんだ。我が娘は天使かっ!?」


 シドは勝手に娘の愛らしさにやられたらしい。そんなシドをハンナが呆れ顔で眺めていた。

(こ、こいつは千載一遇のチャンス……!)


「しょ、承知しましたお嬢様。それでは最初のステップから教えますね! ほっ、よっ、とりゃ!」

「えー、いまのぐるぐるするダンスがいいなぁ!」

「あれは上級者向けですから! ジリーナお嬢様は簡単なステップから始めましょうね!」


 そうしてこの日の課業を免除されたルーシィは、ジリーナが疲れてお昼寝するまでずっとダンスに付き合わされたのだった。


 若干のトラブルはあったものの、新生ルーシィ・ウェンハム……元ヤクザの井筒はマクダネル家に馴染みつつあったのだった。

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ヤクザの親分、悪役令嬢付きのメイドに転生する 渡瀬千 @wtr7

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