第3話 わたしの盗撮写真

 普段は固まって動かない表情筋が強ばっている。あまり感じたことはないのだけど、これが属に言うドン引きというものなのだろうか。


 王子様というのは、ヤバい奴の隠語だったのかもしれない。

 本物を前にすると、皇塚先輩に関して出回っている噂の全てがなにかしら裏があるのではないかと思ってしまう。格好良いは……格好がおかしな人、とか?


 足が逃げたがっているけど、扉付近に立たれているので難しい。

「うぅ……もったいないけれど、しょうがないね」

 ラップを剥いて、取り出したおにぎりを一口一口噛みしめるように食べている。セールのお米を炊いて握っただけの、ただの鮭おにぎりをここまで美味しそうに食べているのを見るのは初めてだった。ちょっと怖い。


 そう急いで食べたように見えなかったけれど、喉に詰まったのか「……けほっ」と咳き込みだす。しょうがないので、持ってきた水筒のカップに麦茶を注いで「どうぞ」と差し出すと、皇塚先輩が額を押さえて震えだした。

「こ、これは……間接キスというものではないかな?」

「まだ飲んでないので安心してください」

 そうか……と肩を落とす皇塚先輩。なぜ悲しそうなのか。


「ありがとう」

 受け取って、カップに口をつける。

 その姿だけを見ると、とても爽やかでとても先ほどまでおかしな言動をしていた女性と同一人物には見えなかった。

 一気に飲み干し、カップを返してもらいながら、皇塚先輩が「ところで」と口を開く。

「黙っていてほしいことって、なにかな?」

 ……なにも伝わっていなかった。

 なら、食べる前に訊いてほしかったのだけれど、泣きながら家宝だなんだとどこか極まっていた状態では気を回す余裕はなかったのかもしれない。


 とりあえず、本来屋上は開いてないこと。

 わたしが勝手に出入りしていることは黙っていてほしいと伝えた。

 手段については誤魔化したけれど、まぁ、問題はないと思われる。

「……2人だけの秘密」

 頬を赤らめて、なんだかトリップしている様子なので。

 ……彼女の反応事態が問題だとツッコまれれば、その通りなのだけど。わたしは目の前の現実から目を背ける。


「あぁ、約束する。

 なにがあっても君との約束は守り抜くよ」

「そう、ですか」

 グッと拳を握って皇塚先輩は気合充分だ。

 ただ、なんだか熱量の違いというか、テンションの違いからかどうにもわたしのほうが付いていけない。はぁ、と気の抜けた声が口から零れてしまうぐらいには。


 そんなキリッと引き締まった顔も一瞬。

 皇塚先輩はタンザナイトのように青色に輝く瞳を泳がせ、両手の指先を合わせて手遊びをしだす。

「その、もし君が嫌でなければなんだけど、またここに来てもいいかな?」

「……わたしに止める権利はありませんので」

 パァッと嬉しそうに表情が明るくなる。

 止める権利があれば拒否したかったという意味なんだけど……まぁ、本人が嬉しそうにしているならいいのだろう。


 安息の地がまた遠くなったと内心辟易しつつ、一応理由を尋ねてみる。

「どうしてここに来たいのでしょうか?」

「それは君に――」

「わたしに?」

「違くて!?」

 取れそうなぐらいブンブン首を振る。

「その……追われていて。

 隠れられる場所があると助かるんだ」

「怪盗だったのでしょうか?」

「はは……心を盗んだつもりはないんだけどね」

 皇塚先輩が疲れたように肩を落とす。

 そのくたびれた顔を見て、あぁ、と。なんとはなしに事情を把握する。


 そっか。下で会った女の子たちは皇塚先輩の追っかけかなにかだったのか。そんな彼女たちから逃げているうちに屋上まで来てしまった、と。

 辻褄が合ってしまう。合ってほしくはなかったけれど。


「ダメ、かい……?」

 瞳を伏せ、悲しそうに見つめてくる。

 憂いを帯びたその表情は儚げにも見えて、女性であれば心ときめいてなんでもしたくなるのかもしれない。男でも、彼女にお願いされてダメと言える人は少ないだろう。


 けれど、わたしは。

 どうにもそういったことに心が動かなくって。

「嫌です」

「ふぐぅっ!?」

 皇塚先輩が胸を押さえて傷付くのがわかっていても、辛辣な言葉を口にしてしまえるぐらい彼女になにも感じない。

 けれど。

 嘆息する。


「ですが……先ほども申し上げましたが、わたしだけの場所ではありませんので。

 好きにしてください」

「――」

 顔を上げて、王子様が破顔する。

 夢見る少女なら頬を赤らめて惚れるシーンなのだろうけど、生憎スカートを履いていてもわたしは男なのでラブロマンスには至らない。


 なにか言おうとしたのか、皇塚先輩が口を開いた瞬間、鐘の音が鳴り響いた。

「……予鈴」

 戻らないと。

 手早く荷物をまとめていると、皇塚先輩が涼しげに笑う。

「今日はありがとう。

 それじゃあ……、またね。姫偽さん」

 肩の辺りで小さく手を振って、そのまま校舎に戻っていく。


 手を振り返す間もなく、屋上に吹く風のように颯爽と去っていってしまった。

「変な人……」

 呟く。噂とは違い、クールさの欠片もない感情豊かな人だった。

 これから、皇塚先輩も屋上に来るようになるのだろうか。

 そう思うと、少しばかり億劫になり……あれ? と首を傾げる。


「名前」

 去り際、皇塚先輩はわたしを『姫偽』と呼んだ。

 けれど、今日が初対面で、わたしは彼女に名乗った覚えはない。

 見目麗しい容姿で王子様として有名な皇塚先輩だからわたしは名前を一方的に知っていたけれど、彼女はそうではないはずだ。


 どうして、と。

 人差し指で下唇を撫でて考える。

 思いつくのは、女子の制服を着ている生徒で目立つからぐらいだけど、それだけで名前まで知るものだろうか?

「謎ですね」

 ふと、視界の端に光るモノが見えた。

 見ると、それは写真で、ご丁寧にラミネート加工までされていた。どうやら、光が反射していたらしい。


 皇塚先輩のだろう。

 届けないと。そう思って拾う。

 反射していた写真がわたしの影に収まって、映っているモノを鮮明にし――

「……えー」

 撮られた覚えのないわたしが写真の中に居て、当惑してしまう。

 これは……教室で座っているわたし、だよね? いつ撮られたんだろう。

 というか、どうして皇塚先輩が持って、そもそもラミネート加工……。


 暫くの間、写真の中の目線が合わない自分自身を見つめ、1つの結論にたどり着く。

「……噂に聞くストーカーという、拗らせ系の方でしょうか?」

 うわぁ、と。

 知らたくもなかった王子様の正体を見てしまったと、顔が強ばるのを感じた。

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