第2話 噂の王子様は少し気持ち悪い

 誰だろう。

 先生だと困る。屋上を見回るようになったり、よりきっちり封鎖されてしまうかもしれない。

 環境はそんなによくないけど、学内で1人になれる場所は貴重だ。できれば、残り2年。卒業まで維持したい。


 挟むように抱えたおにぎりの入った包みを横に退けて、塔屋の壁からこっそり覗き込む。

「屋上が開いてて助かった……」

 額を拭うのは、男子制服を着た女子生徒。

 先生ではなかったのは、不幸中の幸いだった。


 あれって……?

 その風貌には見覚えがあった。あんまり学校の世情には詳しくないわたしでも知っているぐらい有名な人だ。


 上級生の皇塚こうづかヒスイ先輩。

 涼しげで整った中性的な顔立ちに、バレーでもやってるんじゃないのかってぐらい高い身長。男子平均から更に低いわたしと並んだら、仰ぎ見ないと顔すら見れないぐらい。

 スカートではなくスラックスなのも相まって、事情を知らない人がわたしと彼女を見れば、性別を勘違いするのは間違いなかった。


 口数が少なく、クールで、格好良い。

 学校で最も有名な王子様。

 雑誌モデルもやっているとかなんとか、クラスの女子が騒いでいた気もする。


 なんでこんなところに居るの?

 鍵まで作っているわたしが言えたことじゃないけど、閉鎖されているとわかっている屋上に来る理由がわからない。


 というか、閉まってたはずなのに……あ。

 思わず開いた上唇に触れる。

 締め忘れたかも?

 というか、締め忘れた。


 あー……。心の中で静かに嘆く。

 正直、こんな場所に誰も来るはずないという油断があったのかもしれない。

 わたしが居る時点で絶対なんてないのはわかっていたことなのに。残念ながら、後悔は先にできないので、悔やんでも手遅れである。


 どうしようか。

 皇塚先輩がどういうつもりで屋上に来たかはわからないけど、このままでは憩いの場がなくなってしまう。

 うーん、と悩んでいると、

「……え?」

「……あー」

 目が合ってしまった。南無三。


 誤魔化さないとと思って、塔屋の影から身体を出すと、皇塚先輩が腕を前に身構えてざざざっと勢いよく後ずさっていく。

「な、なんでっ、ここ……あ、な、~~っ!」

 顔を真っ赤にして、汗をダラダラ。そのまま塔屋の反対側に隠れてしまう。


 いや、驚きすぎではなかろうか。

 誰もいないと思っていた屋上に人がいればさぞ驚くのだろうけど、そこまで極端な反応をされてしまうと、見つけられた側はもっと困ってしまう。かくれんぼで鬼に悲鳴を上げられた気分。


「……っ」

 壁から顔を覗かせ、慌てて引っ込んでいく。

 なんだか立場が逆転したような気になる。

 挙動不審というのがよく似合う。クールで格好良い王子様という伝え聞いた印象が実在の伴ったものではなかったのを知る。


 このまま帰ってくれないかなぁ。

 巣穴に隠れて出てこないウサギのような少女を見て、ぽけーっとしながら思う。

 けれど、わたしがここに居たという事実を吹聴ふいちょうされてしまうのは困る。屋上に来れなくなるかもしれない。どうあれ、一度話さなければならなかった。


 ちょいちょいと手招くと、「ひゃいっ!?」と皇塚先輩の肩がビクッと一際跳ねた。

 小動物の反応そのまま。彼女が震える指を伸ばし、己を指差すのでコクンと頷く。

 なんだろう……この、警戒心の高い野生動物と触れ合おうとするような感覚は。


 皇塚先輩が腕を組むように両手で二の腕を擦っている。寒そうにも見えるけど、不安からくるものだろう。顔もキョロキョロと動いて忙しない。

 体格差的に、取って食われそうなのはわたしなんだけどと思いつつ、彼女が近付いてくるのを待つ。


 1歩、1歩。恐る恐るという言葉通りに慎重に歩みを進めて……止まる。

 場所はわたしから2歩程度離れた場所。傍というには遠く、だからといって遠すぎるわけでもない絶妙な位置だった。

 腕を伸ばしても届きそうにない。これが、彼女がわたしに許容できる距離ということなのだろう。


「あ、と……な、にかな?」 

 澄ました顔で取り繕おうとしているのかもしれないけど、見るからに表情筋が引き攣っている。言葉も途切れ途切れで、どうにも頼りない。

 これが学校中の生徒が噂する王子様……と複雑な心境になりながら、さてどうしたものかと今ごろになって考える。


 呼び寄せておいてなんだけど、なにも考えていなかった。無策である。でも、人生ってそういうものだと思う。

 暫し熟考。うん。頷く。

 置いておいた包みから残ったおにぎりを1つ取り出す。

「こちらを差し上げますので、どうかこのことは黙っていていただけますでしょうか?」

「……え?」

 賄賂である。


 小動物に見えたので、どちらかと言えば餌付けなのだが、結果的には変わらないだろう。とはいえ、桃太郎の動物じゃあるまいし、おにぎり1つあげたところでどうにかなるものでもないか。

 困惑が手に取るように伝わってくる。俯いて肩をふるふる震わせて……もしかして怒ってる?


 事態がよくない方向に転がり始めている。もはやなす術なしと早々に諦めモードになっていたのだが、上がった皇塚先輩の顔を見て一歩下がる。

「……っ、家宝にさせてもらうよ」

「…………。

 いえ。腐るので食べていただきたいのですが」

 感涙していた。なんでもないおにぎりなのに宝物を貰ったかのように胸に抱いている。

 滂沱ぼうだする皇塚先輩を見て、わたしの口からうわぁと声なき声が漏れた。

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