第10話 賑やかな食卓
コンコンコン。
「どうぞー」
ノックに返答すると、ドラコがぱたぱたと羽ばたきながらダイニングの扉を開いた。
その後ろにはアデルの姿――しかし、彼はいっこうに扉をくぐろうとせず、俯いている。
「レティ、お待たせしたです。うじうじ妖怪を連れて来たです」
ドラコはそう言って、アデルの後ろに回り、ばしんと背中を叩いた。
「ほら、アデル。レティが困ってるからさっさと入るです」
「しかし、俺は……」
「こんの、うじうじアデル。らしくないですよ。泣く子も黙る
「「……怖い?」」
私とアデルは、同時に声を上げた。
扉の前で立ちすくんでいるアデルと、目が合う。
その紅い瞳の奥には、隠しようもない怯えが浮かんでいた。
心ない人々に傷付けられたアデルは、私と一緒にいることで過去を思い出してしまうのだろう。なら、やはり人間の私はここにいるべきではないのだ。
私は、二人用の正方形のテーブルに視線を落とした。
そこには、素朴ながら、心を込めて作った料理が並んでいる。
……せめて料理の感想だけは聞いて、その後は部屋に戻って大人しくしよう。
「ドラコ。俺はもう、過去のことは――」
「違うです。アデルは、怖いんでしょう? レティがここからいなくなるのが」
「……え?」
ドラコから発せられた予想外の言葉に、私は、思わず顔を上げた。
ぱちぱちと瞬きをして、アデルとドラコを交互に見る。
ドラコは黒い瞳を真っ直ぐ向け、アデルを見据えていた。
アデルは、肯定も否定もせず、目をつぶってため息をつく。
「ほら。いい加減、座ってくれです。お料理、冷めちゃいますよ」
「……そうだな。すまない」
アデルは目を開けると、緩慢な動きで私の正面に座った。
ドラコは、アデルと私の横側に置かれた、背の高い椅子にちょこんと座る。
ちなみに私が座っている椅子は、ドラコが別の場所から持ってきてくれた、ふかふかの椅子だ。
食事をするには少しだけ低いが、座り心地は抜群である。これなら傷も痛まない。
「美味そうだな。これを、君が?」
アデルは先程と打って変わって明るい声色で、感心したように言った。
再び、アデルと目が合う。
白磁の肌に、澄んだ紅い目。
それはまるで、白亜の宮殿に凛と咲く、気高い薔薇の花のよう。
最初に見た時は血のような瞳と思ったけれど、それはただ、私の混乱と恐怖を映していただけなのかもしれない。
私は、なぜだか急に熱くなってきた頬を無視して、ドラコに話を振る。
「えっと、ドラコもたくさん手伝ってくれました。ね、ドラコ」
「ドラコが手伝ったのは、ほんの少しですよ。それに、ドラコはニンニクを焦がしてしまいました……」
「ううん、あれは仕方ないよ。結局何とかなったからいいの」
「うう、レティは優しいのですー!」
ドラコは感激したように、目を潤ませた。
アデルは私の方を向いて、ねぎらいの言葉をかけてくれる。
「まだ傷も治っていないのに……大変だっただろう」
「いいえ。薬がよく効いたみたいです。それに、作っている時は夢中で、あんまり気になりませんでした」
「そうか」
「さ、それより、どうぞ召し上がれ」
「ああ、いただくよ」
アデルは、恵みの森の野菜がたっぷり入ったラタトゥイユに、スプーンを沈める。
赤橙色に艶めく野菜たちが、形良い唇に近付いていくのを見て、私の心臓がどきどきと音を立て始めた。
「……美味い……」
アデルは目を見開いて、嘆息した。
「良かった……」
私はほっとして、笑顔と共に息をこぼす。
アデルは、それを見て、柔らかく目を細めた。
「こっちも、カリカリして美味しいです」
ドラコは、上手にナイフとフォークを使って、じゃがいものガレットを食べている。
先程調理を手伝ってもらった時にも、その前に包帯を巻いてもらった時にも思ったのだが、ドラコは手先が器用みたいだ。
アデルもガレットを上品に切り分けて、口に運ぶ。
「お口に合いましたか?」
「ああ。どちらも俺やドラコだけでは作れない料理だ。美味しいよ」
「アデルは、こだわりがなさすぎるのです。いつも、じゃがいもは茹でて塩をかけて食べるぐらいですもんね。トマトはいつもサラダにしちゃうし、ズッキーニや玉ねぎもオリーブオイルと塩で炒めるだけです」
「栄養さえ取れれば生きていけるからな」
「そんな、もったいない。せっかく、この森にはこんなに豊かな恵みがあるのに」
「……手を加えると、こんなに変わるんだな。特にじゃがいもは、食感が違うだけでこんなに印象が異なってくるとは思わなかった。それに、トマトもだ。火を通すと、えぐみが消え甘くなるのか」
私は微笑んで頷く。
アデルはもう一口、ガレットを切り分けた。
「そうだ、アデルさん。ラタトゥイユを少し取って、ガレットに乗せて食べてみてください」
「……? こうか?」
アデルとドラコは、早速私の言った通りにした。
野菜をこぼさないよう、スプーンでガレットを掬って、口に運ぶ。
二人は、同時に目を見開いた。
「……! これは……!」
「美味しいのです! 美味しいのです!」
「濃い味付けのトマトソースと、素朴なガレットが組み合わさって、丁度良い具合だ。最初からかけてしまうのではなくて、食べる分だけ上に乗せることで、食感も損なわれない」
「カリカリ、シャキシャキ、ホクホク。この幸せ食感はそのままに、トマトとニンニクでガツンとパンチが効いて、いくらでも食べられるですー!」
二人は、この組み合わせが余程気に入ったようだ。
こういう反応をしてくれると、本当に作り甲斐がある。
「トマトソースとじゃがいもって、とってもよく合うんですよ。単体で食べても美味しいですけど、組み合わせることで、また違った印象になるんですよね」
「組み合わせか……考えたこともなかったな。……本当に美味い」
アデルの顔が、ふっと綻んだ。
『アデルを笑顔にしてほしい』と、ドラコが言ったのを思い出す。
笑顔、というにはまだ少し遠いが、それでも見せてくれた柔らかい表情に、私はドラコと顔を見合わせて笑い合った。
「……なんだ、二人して」
「レティ、もうひと押しですよ」
「うんうん、そうかもね」
「……? 何がだ?」
「アデルには内緒なのですー!」
私とドラコが笑い合っていると、アデルはむう、と唸って口を尖らせ、腕を組んだ。
不機嫌そうな態度をとっても、醸し出している雰囲気はすごく柔らかい。
だって、楽しそうに、嬉しそうに目が細まっているもの。
「あっ、眉間にシワ! レティ、大変です、一歩後退です!」
「あはは、本当だ」
「にしししし」
アデルは片眉をぴくりと上げた。
一旦楽しくなると、何だかそんな小さなこともおかしく感じて、私もドラコも本格的に笑い出してしまった。
「ふふ、あははは。あーダメ、笑うとお腹痛い」
「それはいけないのです! 笑うの禁止です! えーと、アデルの不機嫌顔がいけないのです。アデル、眉芸禁止です!」
「まっ……眉芸?」
今度は、目を丸くして両眉が上がる。
もうだめだ、ツボに入ってしまった。止まらない。
「ひー、あははは……ドラコ、面白……いたた、あはははは」
「……ふっ」
ドラコと一緒に、私が痛苦しみながら笑い転げていると、ついに。
アデルは、堪えきれないとでも言うように、口角を上げて小さく吹き出したのだった。
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