恵みの森の野菜🧅Vegetables of the Blessed Forest
第7話 手の中で笑いしは、泣きそうな君
「――レティ、起きているか?」
ノックの音と共に、アデルの声が聞こえてくる。
「はい」
「――入っても?」
「どうぞ」
入室を許可すると、アデルは静かに扉を開けた。私はベッドの上に身を起こす。
アデルの澄んだ紅い瞳と視線が交わった瞬間。
彼は何故か足を止め、耳を赤くした。
アデルはすぐに目を逸らし、少しだけ顔を背ける。その拍子に、長い黒髪がさらりと垂れた。
浴衣がはだけでもしているのかと思って、私は
「あの……どうかされたのですか?」
「……いや、気にするな。何でもないんだ」
アデルはそのままベッドサイドに椅子を持ってきて腰を下ろす。
再び私の顔を見て、ほんの少しだけ目を泳がせてから、彼は口を開いた。
「今朝は……すまなかった。俺の配慮が足りなかった」
「い、いえ、良いんです。その……こちらこそ、ごめんなさい。アデルさんは命の恩人なのに」
「ああ……いや」
部屋に、沈黙が落ちる。
気まずい。こういう時にどう切り出したら良いのか分からない。
それはアデルも同じだったようで、静かな部屋でしばらく無言が続く。
体感的には数分、けれど本当は多分数十秒。彼はようやく口を開いた。
「……レティ。君も、精霊の加護を?」
「――はい。アデルさんの『火の精霊』のような、力の強い精霊ではありませんが」
やはり、アデルはかき氷を見て、気が付いたようだ。
彼の質問を皮切りに、私はぽつぽつと、自分が授かった『精霊の加護』について語り始めた。
「私は、『泉の精霊』の加護を授かっているんです」
「泉の精霊?」
「はい。『水の精霊』の下位にあたる精霊です。美味しい湧き水を呼び出せるっていうだけの力で――あ、でも温度と形状はある程度自在に操れるんですよ。一度に出せる量はそんなに多くないんですけどね」
そう言って私は手を伸ばすと、空のグラスに指を向け、魔法をかけた。
グラスの底からは、まさに泉のように、水がどんどん湧き出てくる。
最後にパチンと指を鳴らすと、カラカラと小さな音を立てて、水の上に氷が浮いた。
今回の氷は粒状ではなく、大きめのキューブ型である。
アデルは、目を大きく開いて、興味深そうにグラスを見つめていた。
「一日に呼び出せる水量は、三十センチの寸胴鍋をいっぱいに出来る程度。二十リットルより少ないぐらいでしょうか。温度の範囲も、冬の凍っている状態から、夏のちょっとぬるい水温まで。そんなに害のない、むしろ便利でありがたい加護、と自分では思っているんですけど……それでも、村の人たちには受け入れてもらえませんでした」
そこまで言って、私は、口を噤んだ。
思い出したくないことを思い出しそうになって、唇を噛む。
――昨日、私を崖から突き落としたのは、結局誰だったのか。最後に会ったのは確か……。
思い出そうとして、私はまた頭痛に襲われた。これ以上思い出すことを、心が拒否しているのだろう。
もう少しで、村を出る資金も貯まる頃だったのに。
今までは普通に過ごせていたのに、いったいいつ、私が魔法を使えると露見してしまったのだろう。
今後、私はどうしたら良いのか……。
「……村にはもう戻れないし、ここを出たら他の国に行くしかないかなぁ……」
その一言で、ふっとアデルの放つ空気が変わった。
私は顔を上げて、彼を見る。
――不安、だろうか。恐怖、だろうか。
アデルは、怖がっている。怯えている。
唇を真一文字に結び、瞳を揺らす彼は、到底『恐ろしい魔法使い』などではなかった。
圧倒的な力を持ち、一人で森に住み、人間に怖がられている『凍れる炎帝』アデルバート。
その本質は、人と関わることを恐れ、力を持ちながらそれを
――私は、こんなに優しい彼に、そんな表情をさせたくない。
「……アデルさん」
私が穏やかな声で話しかけると、アデルはハッとした表情で、私に向き直る。
「あなたは優しくて、純粋で、こんなにも脆い。そんなあなたの心を傷つけ凍らせた人たちは、ここにはいません。だから――」
私は、思いっきり口角を上げて、めいっぱいの笑顔を作った。
アデルの瞳が揺れる。
「忘れましょう。ここでは、笑って暮らしましょう。この森にはドラコもいる、エピちゃんもいる。他の妖精たちもきっと、たくさんいるんでしょう?」
私は、手の中で創り出した輝く氷の結晶を、グラスの縁にそっと掛けた。
そのデザインは、想像で描いた、アデルの笑顔。
本物のアデルは、不安な幼子のように、ただ瞳を揺らしている。
「……う」
アデルは口の中で何かを呟いたが、私には聞き取れなかった。
私もだんだん不安になってきて、笑顔が徐々に抜け落ちていく。
「私が出て行ったら、森には人間がいなくなります。そうしたら、もう、怖いことを思い出すこともないはず――」
「違う」
私の言葉を遮って、アデルは椅子を揺らして立ち上がる。
ガタンと椅子が倒れる音。強い語気の言葉。
私はビクリと肩を揺らす。
――私の望みに反して、アデルの顔はひどく歪んでいた。
その表情は、今にも泣きそうで、怖がっていて、そして怒っているようで――。
「行くな」
「……え……?」
「ここを出て、君は笑って暮らすのか? 俺と同じ力を持ちながら、俺の知らないところで、君は笑って――」
大きな声で一気に捲し立てたかと思うと、その言葉は途中で途切れた。
静寂が、部屋に落ちる。アデルはその場で固まったまま。
「……アデルさん……?」
「――俺は、何を――?」
アデルは、自分の発した言葉に自分でショックを受けているようだった。
震えた声で、彼は呟く。
「……すまない」
眉を下げて視線を床に落とすと、今にも泣きそうな困り顔で、アデルは部屋を出て行った。
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