第5話 人になりたい緑龍
しばらくして、ドラコが食事を運んできてくれた。食事と言っても、調理されたものではなく、数種類の果物だ。
昨日も枕元に果物を用意してくれていたが、今日も新しい種類を持ってきてくれたようだ。
「まぁ、ありがとう! 昨日も思ったけど、すごく新鮮な果物よね。この森で採れるの?」
ドラコが持っている果実は、種類も豊富で、どれも新鮮だ。
大きな街の市場には沢山の食材が流通しているというが、これほど新鮮なものは手に入らないのではないだろうか。
「この森は『魔の森』と呼ばれていますけど、実際は豊かな実りに恵まれた『恵みの森』なのです。精霊や妖精がたくさん住んでいますから、人間たちにしてみれば『魔のはびこる森』なんでしょうね」
ドラコはひとつひとつ説明しながら、果物を並べていく。
美しい果実が宝石のように並べられていく様を見て、私は痛みも忘れて身を乗り出した。
「今日持ってきたのは、ベリー類です。お馴染みのファブロベリー、雪国で採れるノエルベリー、それから塩湖で栽培されるソルティベリー。あとはベルメールバナナに、ベルメールマンゴー。本来、帝国南部の温暖な地域でしか採れない果実です。それと、こっちは……」
「わぁぁ……!」
次々と並べられていく果実たちを見て、私は思わず歓声を上げた。
しかし、不思議なのは種類の豊富さだ。
採れる地域もバラバラだし、採れる季節も異なっている。
「どうしてこんなに色んな種類が?」
「すべてこの森に実るです。この森には精霊がいますし、特別な樹があるので、魔力が満ちているです」
「へぇぇ、すごい……!」
この宝の山が本当に全部この森で採れるのだとしたら、この森はまさに聖地、聖域だ。書物でしかお目にかかったことのない果実もある。
早く触りたい、味わいたい、レシピを考えて調理したい……!
うずうず、そわそわしながら、ベッドの上で果実をひとつひとつ眺め回す。
赤、黄色、オレンジ、紫に緑。どれも瑞々しく張り、艶めいて、力強く実っている。絶景だ。
「こんなに色々な果物があったら、スイーツがたくさん作れそう。フルーツタルトにトライフル。ジュレやソルベもさっぱりするわね」
「……レティ?」
「変わり種でフルーツ大福とか。スムージーもいいし、贅沢にフルーツティーなんかも――」
「あのー、レティ」
「そうだわ、コンポートやジャム、ドライフルーツを仕込んだら更にバリエーションが広がるわね! 保存も効くし、焼き菓子を作るならドライフルーツの方が――」
「もしもーし、レティ?」
「ああ、シンプルだけど凍らせるのも美味しそう。小さく切って凍らせて、アイスに混ぜたら――」
「このちんちくりんっっ!!」
「――はっ!」
しまった、悪い癖が出てしまった。
食材を前にすると、ついつい夢中になってしまう。
「ご、ごめんねドラコさん、つい……」
「はぁ、やっと止まったですー! レティは本当に料理が好きなんですね」
「うん。美味しいものを食べると、人は笑顔になるの。トゲトゲが抜けて、心に余裕が出来て、喧嘩しててもどうでも良くなったりするの」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。食事はね、お母さんが生きてた頃の、私とお母さんの唯一の楽しみだったんだ。お母さんは料理がすごく上手で、村の食堂で……」
私はその先のことを思い出して、口を噤んだ。
「……レティ?」
ドラコが心配そうに覗き込む。
「……ううん、なんでもない。とにかく、私もお母さんみたいに料理を振る舞って、誰かを笑顔にしたいんだ」
「人間は、料理を食べると笑顔になる……レティは、料理で誰かを笑顔にしたい、です?」
「うん」
「だったら、レティにひとつお願いがあるです」
「ん? お願い?」
「アデルを――笑顔にしてあげてほしいです」
*
果物をフルーツナイフで剥きながら、私はドラコの話に耳を傾ける。
「レティも知っているかもしれませんが、アデルは人間の世界を捨てて、この森で暮らしているです。もう十年になる、と言っていました」
「噂は、聞いたことある」
「ドラコは、この森に来てからまだ三年ぐらいです。ですから、最初の頃のアデルがどういう様子だったか、ドラコにはわかりません」
開拓者たちが『火の一族』を恐れて迫害したという噂が本物なら、アデルは、辛く苦しい日々を送っていただろう。
規模も期間も違えど、同じような経験をした私には、彼の気持ちが少しだけわかる……と思う。
「アデルさんは……復讐を望まなかったの?」
「……きっと、望んだと思うです。けれど、彼は、そうしなかったです。やったのは、人を近づけないために、森の外周に炎の結界を張ったことだけ」
「復讐できるだけの力があったのに?」
「アデルは、それを成せる力があっても、それを成せる心を持っていなかったです」
虐げられたら……普通は、まず安全なところに逃げたい、と思う。そして安全を確保できたなら、今度は、加害者を何とかしたいと考えるだろう。
謝ってもらいたい。考えを改めてもらいたい。それから……色んなものを返してもらいたい、と。
過激な人だったら、それだけではなく、その先も考えるだろう――それこそ、帝国からの移住者たちのように。
けれど、アデルは、それを実行に移さなかった。
成さなかった、ではなく、成せなかった。
「優しい人、なのね」
「それだけじゃない。アデルは、臆病な人なのです。傷つきたくない、これ以上他人と関わりたくない……そうやってアデルは、心を閉ざしたです。そうすれば、理不尽が心の柔らかいところをつつくこともない」
「心を守るために……十年間も」
「ドラコは、人間になろうと頑張っているです。人間と同じようになれたら、アデルのそばで、いつか凍った心を溶かしてあげられるのではないかと。でも、でも……ドラコは、人間のことを知らないのです。ちゃんと人間になりたいのに、全然人間になれないのです。ドラコでは、アデルを笑わせることはできないのです」
「ドラコさん……」
ドラコは、話すのをやめて、うつむいてしまった。
私はドラコに声をかける代わりに、手に持っていたものをお皿に置いて、目の前にすっと差し出す。
「これは……?」
皿の中央にはしゃりしゃりとした氷を、山のようにふわっと盛り付けてある。
周りを彩るのは、先程ドラコが持ってきてくれた色とりどりのベリー。
そして、氷の山の中央には――
「これ、ドラコですか……?」
私は微笑んで、頷く。
氷の山の頂きを飾るのは、ドラコを模したフルーツカービング……先程まで作っていた、りんごの飾り切りである。
「すごい……チャームポイントのちっちゃなツノも、羽もあります」
「食べてもいいんだよ。りんごだから」
「も、もったいないです!」
「ふふ、いくらでも作ったげるよ。あ、そうだ、こっちも」
私は、もう一つの飾り切りを、ドラコを模したものの隣に置いた。
難しかったけれど、長い髪も浴衣も、きちんと表現出来たと思う。
「よかったら、二人で食べて。シロップがないから、甘味が足りないかもしれないけど」
「……これはきっと、いえ、絶対に喜ぶです。レティ、ありがとうです!」
目が輝き、声も弾んでいる。
ドラゴンの表情はあまり読めないが、きっとドラコは笑っているのだろう。
「ドラコさん、あの……アデルさんに、ごめんなさいって、伝えてもらえないかな。その、親切でお薬を塗ってくれようとしたのに、突き放してしまって……」
「もちろん、伝えるです。泥舟に乗ったつもりでいてくれです」
どちらかと言うと大船に乗りたい。
私が訂正しようと口を開く前に、ドラコは続ける。
「それから……ドラコさん、じゃなくて、ドラコ、でいいです。友達には、『さん』は要らないです」
「友達……」
私は、ぱちぱち瞬きをした。
じわじわと、嬉しさが胸に広がっていく。
「えへへ、友達かぁ。――そうだね、ありがとう、ドラコ」
「にししー。ありがとうです、レティ。じゃあ、早速アデルのところに持って行くです」
ドラコは、嬉しそうにお礼を言うと、お皿を両手で持ち、こぼさないように慎重に部屋を出て行ったのだった。
「私の込めたメッセージ――アデルさんなら、わかってくれるかな」
私はそう呟くと、余ったりんごを口に運ぶ。
甘く爽やかな果汁が溢れ出て、傷ついた心身に染み渡るような心地がした。
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