第4話 持つ者と持たざる者



「ああ、アデルったら、可哀想なのです! 木の実集めなんてしてないで、最初からドラコがキサマの様子を見にくれば良かったです!」


「いたたっ! もうちょっと優しく……」


 薬箱を手に部屋へと入ってきたドラコは、大層ご立腹だった。

 私の着物を乱暴に脱がせながら、鼻息を荒くして怒っている。

 私が肌を見せるのを拒否したことで、アデルが傷ついたと思っているらしい。


「こんの、ちんちくりんの分際で、アデルに目をかけられるなんて! キサマにはその僥倖ぎょうこうがわからないですか!? なのに! なのに、アデルを拒むだなんて!! キィィィィ!!」


「いっ――!!」


 ドラコは私の包帯を解いて柔らかい布で拭くと、ハケで薬をベタベタと塗りつけていく。

 布は柔らかいのに拭き上げが雑なせいで、めちゃくちゃ痛い。薬はしみるし。


「いったいなぁ! だからそういうわけじゃなくて……いたっ、痛いって!」


「これはアデルの心の痛み! 甘んじて受けるです!」


「そっ、そんな殺生な……」


「アデルが、どこの馬の骨とも分からないキサマを、どんな気持ちでここに置いているか。キサマは少しでも考えたですか? 人の世と関わりを絶ってきた、孤独な『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズが、どんな気持ちで――」


「いだだ! ――って、ちょっと待って、『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズ? アデルさんが?」


 私がドラコにそう問いかけると、ドラコは手を止め、これでもかと引っ張っていた包帯を取り落とした。


「そうですが、まさか、気付いてなかったですか?」


「う、うん。でも、アデルさんが、あの『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズ……確かに言われてみれば、容姿といい、ドラゴンを使役しているって話といい、大きな鳥が生息している変な森といい……そっかぁ」


「……気付いてなかった、ですか」


「うん」


「キサマは、アデルが『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズだから遠ざけたんじゃなかったのですか?」


「そんなわけないでしょう。私はただ、男の人に体を見られるのが恥ずかしかっただけ」


「それだけ?」


「そうよ」


 しばらく手を止めていたドラコは、私に巻かれていたキツキツの包帯を緩めた。

 そして申し訳なさそうに黙り込んで、丁寧に包帯を巻き直していく。

 今度はキツくも緩くもなく、丁度良い塩梅だ。


「……アデルさんって、噂と違って優しくて、親切な人ね」


「ふうん?」


「面識もないのに、大怪我した私を拾って、ベッドを貸してくれて、こうして治療までしてくれてる。それに――」


 昨日、枕元で私にかけてくれた優しい言葉。

 手のひらの温もり。

 それは、私が久しく忘れていた、遠く懐かしい何かを想起させた。


 さっきの反応もそうだ。

 打算や悪気があったら、あんなに耳を赤くして取り乱したりしない。


「とにかく、私はアデルさんが良い人だって、よく分かったよ。『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズなんて二つ名、似合ってないよね」


「ふむ、それはドラコも同感です」


 ドラコのくりくりした瞳が、輝きを増した。

 ドラゴンの表情なんて読み取れないが、なんとなく笑っているように感じる。


「キサマ、なかなか見どころがあるです。ちんちくりんは撤回してやるです」


「……ついでにキサマなんて呼び方も撤回してほしいのだけど」


「どうしてですか? 確かにちんちくりんは悪口でしたが、『貴』も『様』も良い意味って習ったのです。だからキサマは最高の敬語なのです」


「それがねえ、組み合わさるとよろしくない意味になるのよ。不思議ねぇ」


「く、組み合わせると悪くなるものがあるですか!? 知らなかったです。キサ……いえ、レティ、教えてくれてありがとうです」


「ふふ、どういたしまして」


 ドラコは、私の名を覚えてくれていたようだ。

 主人思いの妖精さんと一歩仲良しになれたみたいな気がして、私は嬉しくなった。


「他にも、組み合わせたらいけないもの、あるですか? ドラコは今、人間のことを勉強中なのです。何か思いつくものがあったら教えてほしいのです」


「そうねぇ、言葉もそうだけれど、食べ物でも、美味しいけれど組み合わせちゃいけないものがあったりするのよね。例えばタコと青梅、スイカと天ぷら、蕎麦と茄子……」


「レティは、料理が好きなのですか?」


「うん。私ね、レストランをやるのが夢だったんだ。そのために、今まで頑張って来たの。……もう叶わないけれどね」


「叶わない?」


「ふふ」


 誤魔化すように笑った私を、ドラコがそれ以上詮索することはなかった。



 ◇



 私を身籠った母は、父に捨てられ、帝国北部の未開の地に辿り着いた。

 そこは、あるの人間たちが集う場所。


 彼らは、自分たちの安全を確保し、領土を自分たちのものとするために、昔からこの地に住んでいた『炎の一族』と争いを始めた。

 彼らにも、帰る場所はない。どうしても、退くわけにはいかなかった。



 移住者――すなわち『訳ありの人間たち』とは、自分たちが持ち得なかった『精霊の加護』を憎み、魔法を恐れて、『持つ者』に虐げられた末に、帝国から逃げてきた『持たざる者』たちのこと。


 当時帝国は北にある聖王国との戦争中。そんな中、『精霊の加護』すなわち魔法の力を持たなかった彼らは、本国で役立たずとそしられ、虐げられ、碌な仕事にも就けず、肩身の狭い思いをしてきた。

 中でも強く迫害され、苦しめられ、魔法に対して強い恨みや憎しみを持った者たちが、逃げるようにしてこの地に集まったのだ。



 一方、移住者たちと争った先住民、『炎の一族』は、火の精霊の加護を受けて自在に炎を操る魔法使い――『持つ者』たちである。

 中でも飛び抜けてその力が強かったのが、『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズだった。



 最初は、移住者たちも先住民たちも、互いを刺激しないよう、それぞれの領域を侵さず穏やかに生活していた。


 しかし、ある時。

 『持たざる者』たちがこぞって未開の地へ移住したことで、『持つ者』と『持たざる者』のパワーバランスが逆転した。


 そのことに気付いてしまった時。

 彼らの、やり場のない怒りと恐怖がもたらす暴力の行き先はどうなったか?

 ――当然、かつて自分たちを追い詰め迫害した者たちと同じ、『魔法の力』を持つ者だったのである。



 ひとり、またひとり。

 血気盛んな移住者たちの数の暴力に追われ、『炎の一族』は姿を消した。

 唯一この地に残った『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズは、逃げるように魔物の跋扈ばっこする魔の森の奥へと入って行った。

 森に足を踏み入れようとする者があれば炎の壁で追い払い、彼自身は二度と人前に姿を現すことはなかったという。



 これが、私の知っている『炎の一族』と『凍れる炎帝』フリージング・ブレイズのお話だ。



 そして不幸にも、母は、この地に集うのがそんなの民だったとは知らなかった。

 重ねて、母は『精霊の加護』を授かった、『持つ者』だったのである。

 そして生まれてきた私も――。



 ◇



 一通りの治療を終えるとドラコは出て行った。

 私は、サイドテーブルに置かれていたグラスを手に取る。

 水差しには触らない。必要ないからだ。


 手に取ったグラスを口元に運ぶ。

 冷たい水が喉元をするりと通っていく。

 グラスの中には冷たい水が、なみなみと満たされていた。


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