第3話 不思議の森の巨鳥
心地良い微睡の中、遠くで扉をノックする音が響く。
けれど久々に訪れた静かな時間――まだ目覚めたくなかった。
「レティ――」
私を呼ぶ、低く落ち着いた声。
澄んだその声には害意も敵意もなく、鼓膜を通して私の中にすうっと染み入ってくる。
「……痛かったな」
先程よりも近くなった声。
それと同時に、温もりが額を優しく撫でていった。
あやすように、慈しむように。
「ここは安全だ。ゆっくり眠ってくれ」
その一言に、
長らく忘れていた、人の温もり。
私はそれに応える術を知らなかった。
◇
私は、貴族の父と平民の母との間に生まれた、庶子であった。
詳しいことは知らないが、父は大陸の南側に広がるベルメール帝国の貴族。
平民である母は当然、父とは籍を入れていなかった。
単なる遊び相手だった母に子供が出来たと知った父は、私を身籠った母を、領地から追放した。
追放された母が目指したのは、帝国北部の、高い山脈に囲まれた未開の地。
人の寄り付かないその地なら、他者の
その地が『帝国で暮らせなくなった、訳ありの人々が移住してくる地区』として噂になっているのを、耳にしたのかもしれない。
ただ、母は、どういう訳ありが集まっているのかまでは、知らなかったようである。
◇
ギュィィィイ……ギュワァァァ……
翌朝。
私を目覚めさせたのは、平和な朝のイメージからは程遠い、奇怪な音だった。
私は急いで身を起こそうとしたが――
「――っ!」
激しい痛みに襲われ、身を起こすことは出来なかった。
「大丈夫か? 無理に身体を起こすと傷が開くぞ」
「――っ!?」
いつの間にかしれっと私の部屋に入っていたアデルの声に驚いて、私は思わず身体を捻ってしまった。
激痛が走り、顔が歪む。
「ほら、言わんこっちゃない。薬を塗るから、大人しくしていろ」
そう言ってアデルは、私の背中に手を差し込み、支え起こしてくれた。
そのまま彼は、流れるように私の胸元を開こうとする。
私は、慌ててアデルの手首をがしっと掴んだ。
「ま、ま、待って」
「ん? どうした?」
アデルは胸元の合わせに手をかけたまま、驚いたような顔をして止まっている。
そういえばこの服は、アデルが着ているものと良く似ているが……。
いつの間に、誰が、私を着替えさせたのだろう。そう考えた途端、顔から火が出そうになった。
アデルが首を傾げると、長い黒髪がさらりと流れる。
私は彼の手首から手を離し、自らの着ている浴衣の合わせを閉じるように、ギュッと掴んだ。
「あ、あの、自分でやります……」
「そうは言っても、君はまだろくに動けないだろう。いいから、じっとして――」
「やっ、やめて! こう見えて私、十八歳の乙女なんですよっ!」
その言葉でアデルはようやく気付いたのだろう。
一瞬固まっていたが、ズザザザッと物凄い勢いで後ずさりした。
ドン! と背中が壁にぶつかったかと思うと、彼は顔を両手で覆う。耳が真っ赤だ。
「す、すまない。その、そういうつもりはなくてだな、俺はただ君の傷を治療しようと……」
「わ、わかってます。それでも、その……恥ずかしいんです。大きい声を出したりして、ごめんなさ――」
ギョワァァァア!!
再び外から、奇妙な音……というか何かの鳴き声のようなものが聞こえてきた。
先程より近い気がする。
「あ、あの……アデルさん。これ、一体何の音ですか?」
「あ、ああ、これはエピオルニスという鳥の鳴き声だ。近いな」
アデルは私から目を背けたまま窓に近寄り、カーテンを開けた。
白い日差しが差し込んでくる。
私の目が眩んでいる隙に、彼はどうやら窓も開けたらしい。
「ギョワ!」
「おはよう、エピ」
私は目を疑った。
窓から巨大な鳥が顔を出している。
周囲の木などの感じからすると、この部屋は二階にあると思うのだが、怪鳥はちょこんと窓枠に顔を置いて、大人しくアデルに撫でられていた。
「ギュイ?」
「ああ、彼女か? 彼女はレティ。怪我をしていて動けないから、挨拶はまた今度な」
「ギュウ!」
「はは……」
私はエピと呼ばれた怪鳥に、ヒラヒラと手を振った。
「ギュワオゥ」
「ああ、それは助かる。ありがとう、エピ」
「ギュィィー」
エピは、アデルと何やら言葉をやり取りした後、その場を去って行った。
「ギュィィィイ……ギュワァァァ……」
「ご機嫌だな、鼻歌なんて歌って」
「あ、あれ、鼻歌だったんです……?」
「それ以外の何に聞こえるんだ」
「いや……あはは」
エピは首が長く胴体がぼわんとしていて、後ろ姿はダチョウとよく似ていた。
だが、どう見てもその大きさは異常だし、人と会話するなんて聞いたことがない。
エピにアデルと会話する知能があるのか、それともアデルの知能が鳥並み――いや、何か特殊な力でもあるのか。
何だか、一気に不思議の国に迷い込んでしまったみたいだ。
「エピが、卵をたくさん産んだから、ひとつ持って行ってもいいと言っていた。エピオルニスの卵は、滋養満点だぞ。レティへの見舞いに使ってくれと。親切な奴だ」
ちなみに、アデルは、いまだにこちらをまともに見ようとしない。
何だか申し訳ないような、気恥ずかしいような、変な空気が流れている。
「あ、あのっ、アデルさん――」
「そういえば、薬を塗って、包帯を替えねばならないのだったな。俺の他に任せられるのはドラコしかいないのだが……奴なら良いか?」
「えっと……それなら……」
「……わかった。呼んでくる」
去り際にちらりと私に目をやったアデルだったが、その顔はやはり気まずそうで、目が合うとまた耳を真っ赤にしていた。
私は、先程強く拒否してしまったことを、少しだけ後悔したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます