第25話 夏の町(9)

(あぁ、くそ!)


 町の賑わい、道ですれ違う人の数。来た時は新鮮だったそれら全部が、今の虎児には不快だった。割れた香水の匂いも結局は川で洗えなかったことも苛立ちを加速させる。ユメがいなければ竹林への帰り道も分からないのに、赤い瞳と牙を隠しながらズカズカと足早に歩く。


 ふと、道の端にいる商人が見えた。地面に布を広げて、紐や輪っかにキラキラした物がついた品を並べている。適当に歩いてやって来たこの界隈には、同じような方法で商いをしている者が他にも多くいた。

 客らしき人間に、商人たちはそれぞれの品を流暢にすすめていた。


(人間は嫌な時でも笑わなきゃならない? 米を食うためには嘘をつかないとならない? じゃあこいつらもみんなそうなのか? 本当は辛いのに、我慢してヘラヘラ笑っているのか)


 もし、そうだとしたら。

 そんな悲しい商人たちが集うこの町は、地獄ではないか。


(竹林の方がよっぽどいいじゃねぇか)


 竹林は自由だ。本当に笑いたい時だけ、笑える。人の町よりもずっと幸せな場所だ。

 しかしそう思った途端、虎児の中である疑問が生まれた。


(……あれ? だけど俺のカカは、いつも悲しそうだった)


 俯き加減で、唇をキュッと結び、父親の後ろに付き従っている。それが、虎児が思い出す母親の姿だ。


(何でカカはいつも笑わなかったんだ? そりゃ確かにトトは怖かったけど)


 父親は高圧的で、虎児と母親に〝服従〟を強いていた。けれど衣食住は与えてくれた。働かなくても生きていけた。


(なのにカカは去年、竹林からいなくなった。どうしてだ?)


 虎児の足が止まった。


(……そもそも、どうして人間のカカは、妖怪のトトと夫婦になったんだ?)


 これまで一度も抱かなかった疑問。2人がどうやって出会い、共に生きるようになったのか、そんなこと、考えもしなかった。


(家族なのに、俺は何にも知らなかったんだな)


 2人が帰って来たら、聞かせてくれるだろうか。

 そこまで考えて、虎児はハッとした。

 いつの間にか、周りの喧騒が消えていた。考え込んでいるうちに、随分と静かな場所に来ていた。建物と建物に挟まれた、細くて暗い路地。虎児以外の誰も通っていない。人の多さに辟易していたのに、いきなり視界が殺風景になるのも落ち着かず、虎児は元来た道を戻ろうとした。


 しかし、


「にゃあ」


 聞き覚えのある鳴き声に止められる。

 足元を見下ろして驚愕する。さっきユメが助けた仔猫が、虎児の踵の辺り……香水のキツいところを嗅いでいる。


「お前、何でここにいるんだ。ユメと一緒じゃないのか」


 ユメの姿は見えない。気配も感じられない。


「まさかユメから離れて、俺を追いかけてきたのか?」


 抱き上げようと手を伸ばしたが、仔猫はするりと抜けて、トコトコ歩いて行く。


「おい!」

 

 虎児は慌てて後を追った。あの仔猫はもしかして、ああやって勝手に歩き回って母猫と離れたのではないか。そう思った。

 やっと仔猫を捕まえた時、路地の先に出ていた。

 そこは静かな場所だった。虎児がさっきまでいた活気溢れる通りとは、全く違った。建物が少ないし、商人どころか町の人間さえ見当たらない。人が生きているのか怪しくなるほどの静寂が漂っている。まるで路地一本で、別の世界が繋がっているようだった。


(?? あれは何だ?)


 斜め前に建つ小屋の前に、板が立て掛けられていた。


〝珍獣屋〟


 縦書きでそう書かれた看板だったのだが、虎児は文字を知らない。

 何となく近づいてみる。すると、小屋の扉の向こうから、強い匂いがした。

 これは獣の体臭だと、本能で察する。猫よりも強い刺激臭。中からは鳴き声、そしてガシャガシャとやかましい音が響いている。

 獣臭に紛れて、人間の体臭があった。

 

(町の出口がさっぱり分からねぇし……人間に道を尋ねるしかねぇか)


 ユメがいないのだから仕方がない。

 分からないことは、何でもユメに訊いていた。彼女がいないと虎児には何一つ分からないのだ。竹林への帰り道も、この建物の正体も、数分前に見かけた商人が売っていたキラキラの商品の名前も。


 今は正午過ぎだった。看板には開店の時間が15時であることが書かれていたが、虎児には分かるはずもなく、古い木の扉を開けた。

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化け物が人間のふりをしてやって来た 麻井 舞 @mato20200215

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